特別展
新潟の鮭
―鮭を求めて1000年/2000kmの航跡―
2005年9/17[土]→11/6[日]
主催者
新潟市歴史博物館・社団法人北陸信越海事広報協会
新潟日報社・NST新潟総合テレビ
ごあいさつ
私たちにとって、サケはもっとも親しみを感じる魚です。統計調査によれば、新潟市はサケに対する支出の大きさで、全国で五本の指に入っています。サケは日常の食卓を彩る身近な食材であるとともに、年取り魚として用いられるように特別な日の食事にも欠かせない存在です。
新潟では、サケは早い時代から文字記録に表れ、遠く古代から近代にいたる記事が残されています。古代においてサケが新潟の歴史に深く関連したのは、第一には大量の漁獲があり、中央などへ貢物や商品として運ばれたためです。新潟は信濃川を始めサケののぼる河川を擁し、古代より大規模なサケの生産・加工地でした。サケの生産・加工さらに流通の拠点であるためには、サケが遡上するという環境条件だけでなく、サケを大量に獲る船と、大量にかつ遠くへ運ぶ船が必要になります。新潟のサケをめぐる歴史は、信濃川・阿賀野川と日本海に接し、内外水面の要である新潟の「みなと」の歴史と不可分でした。
今回の特別展は、特に明治以降新潟を母港として発展した「北洋鮭鱒漁」を中心においています。みなとぴあが立地する信濃川左岸は近世以来の「みなと」です。新潟における北洋鮭鱒漁の繁栄は、旧税関前に帆柱が林立するという、近代新潟港の象徴的な風景を形作りました。新潟港には漁業経営者が集い、多くの船が北方のロシア領に向けて出帆しました。また、市内や近隣の農漁村から多くの人々が船員や漁夫としてロシア領を目指しました。新潟を中心とする船の歴史の積み重ねが、このような活発な人々の動きを生み出しました。
北洋鮭鱒漁の展示の中心的な資料は、田代家文書と平田家北洋資料と呼ばれる資料群です。田代家文書は約33,700点、平田家北洋資料は約1,300点に及びます。いずれも、市民から寄贈されたもので、北洋漁業の足跡をたどる上で、また港町新潟の近代の歴史を探る上で貴重な資料群です。これらの資料群の調査研究はまだまだこれからですが、北洋漁業の実像の一端を知ることのできる貴重な資料としてご紹介します。
このほかにも市内の個人の方から、港町の歴史を証し立てる貴重な資料をお借りして展示しています。展覧会の調査の過程で寄贈していただいた資料もあります。また、北洋鮭鱒漁は遠い過去ではなく、自身で経験された方もおられます。今回の展覧会が、北洋鮭鱒漁を通じて地域に伝えられた資料や体験が、多くの人々の間で語られ、共有されるきっかけとなることを願っています。
平成17年9月
新潟市歴史博物館
館長 甘粕 健
本展覧会の開催にあたって、下記の方々のご協力を得ました。
ここに記して感謝の意を表します。
笠原 忠雄 市立函館図書館
風間 秋男 市立函館博物館
木村 勲 イヨボヤ会館
木村 満子 新潟市大形地区漁業協同組合
黒崎 一雄 株式会社加島屋製造部研究開発室
小島 肇 株式会社ニチロ
小林 正松 信濃川漁業協同組合
西厳寺 手島 恵昭 信濃川漁業協同組合昭和橋支部
佐藤 綾子 新発田市立図書館
高原 隆一 長岡市立中央図書館文書資料室
太古 乃喜子 新崎自治会
田代 澄 濁川漁業協同組合
立川 国臣 新潟県立歴史博物館
立川 千鶴 新潟市埋蔵文化財センター
田中 祥雄 新潟造船株式会社
渡辺 篤 一橋大学附属図書館
巻町教育委員会
松浜内水面漁業協同組合
(敬称略)
1世帯当たり年間のさけに対する支出金額(平成14年)
サケの河川捕獲数
総務省統計局「家計調査」(平成14年度)より作成 さけ・ます資源管理センター「平成16年度サケ捕獲採卵漁獲の概況」より作図
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◆新潟 風土のなかのサケ
新潟市は、全国の中で最もサケを好んで食べる地域である。サケに対する1年間の支出を比べると、全国の都市の中でも5本の指に入っている。新潟市域では、サケは秋の刈り上げや年夜の年越し魚など特別な日の食事を飾る食材であった。サケに寄せる地域の人々の期待と喜びは大変大きいものであった。
◆サケが還る土地・東日本
川で生まれたサケは、海で成長し、再び生まれた川に戻って産卵する。現在、国内でのサケの遡上(そじょう)は、日本海側では九州北部より北、太平洋側では利根川以北の河川で見られる。国内の河川で捕獲されたサケの数は、平成16年度で約742万4000尾であった。
新潟市域では、信濃川で約2万5000尾、阿賀野川で約1万5000尾のサケが捕獲された。
サケがのぼる川では、季節は秋に限られるものの、毎年たくさんのサケを獲ることができた。魚体も大きく、大量に漁獲できるサケは、むかしから人々の優秀な食料源となってきた。縄文遺跡(中期〜晩期)の分布は東北日本に多く見られる傾向があるが、これは東北日本でサケを食料として利用できたためであるという説もある。縄文時代の食料獲得におけるサケの位置づけについては、まだ議論の分かれるところである。
新潟市域を含む蒲原においては、角田山麓の豊原遺跡(縄文時代前期後半〜中期初頭)、御井戸(おいど)遺跡(古墳時代前期)からサケの骨が見つかっている。付近の縄文前期の遺跡からは、魚の網に用いる石の重りが出土している。この時期には魚網を使った漁業が行われていたと考えられる。
掲載資料で所蔵表記のないものは新潟市所蔵
信濃川や阿賀野川をはじめ、国内河川を遡上(そじょう)するサケの多くはシロザケ・サクラマスであり、この二種が伝統的に鮭・鱒と呼ばれてきた。分類上は鮭・鱒ともサケの仲間であり、サケと呼ばれる魚には多くの種類がある。本展示では、サケ・マス類をサケと表記し、歴史用語として鮭・鱒と表記されたものを言及する場合には漢字表記とする。
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