大鳥と申すものの外、小鳥の類、獣類を見掛けなかったか、との御尋ねでござりまするか。はい。何でござりまする。雁、鴨の類は見掛けるようなことは、ついぞござりませなんだが、総体鼠の色の羽をしておりまして、頭が赤く、尾は黒い、鳶(とび)などより余程大ぶりに見えまする鳥が、時たま磯辺の岩の上などに、ひょいと居るのを見掛けたころはござりまする。これも蟹を食べておるようにござりました。
小鳥はかやの中や、ぐみの木立、桑の木立の中に下りましたこともござりましたが、何鳥ということはわかりませなんだ。ところが、たぶん春から夏へかけてと覚しい頃でござりましたか、鶯が鳴きましたので、それと心をつけてきいて居りますと、聞き馴れぬ小鳥の音もいたしました。殊の外面白いさえずりでござりましたが、形は見えませず、何鳥だろうかと、沙汰いたしておりました。
獣は居りさえしますれば、何獣にいたしましてもすぐ目にとまりまするが、一向に見当りませなんだ。もっとも、天気よく浪のしずかな時、島の西南の方、二三町はるか向こうの岩に妙なものが上がっておりました。これはどうやらあしからしゅうござりました。引潮の時分にござりました。其の外、川おその毛色をしております牛などよりはるかに大きな図体のものも、その岩の上にのっそり上がって居ることも折々は見うけました。何という獣か、名は存じませなんだ。もっとも海上を余程隔てて居ります故、形もしかとは見えませなんだ。ただ、日中出ております際は、毛の色だけが、川おそのようだと、知れましてござります。勿論、潮が満ちました時や、浪のござります時は見えませなんだ。平日浪のしずかなことは、稀にござりました。或る夜、住居といたしておりました岩穴の三十間ばかり下、磯辺の方にかや、萩などが茂っておりますところを、風もござりませぬのに、さわさわと人十人も走って行くような音が聞こえて来まして、まことに気味悪くござりましたが、さだめてこれは今申し上げました獣が島へ上がって来て、駈けあるいているのであろうとひそびそ評定(ひょうじょう)いたして居りました。総体、島ではいつも雨風がござりました故、船板をもちまして岩穴を蓋して置きました。
島へ吹き流された節火打石、かま、ほくちなど、所持いたして居ったか、どうか。また、所持いたしていたとしても、二十年余りも保たぬように思われるが、常々如何していたかとの御尋ねでござりまするか。はい。島へ吹き流されました節、いずれも火打石、かまとも所持いたしておりました。いかさま二三年の内は用立ていたしましたが、ほくちはその間に絶えてしまいましてござります。もっとも島にちがやの様な草がござりまして、これを焼いてつかいますると、よく火が燃え移りましたので、これで用を足して参りました。二三年も過ぎますと、かま、石ともに絶えてしまいました故、まきが沢山ござりましたのを倖い(さいわい)、随分と昼夜ともに火をいけて置きまして、火を絶やさぬ用心をいたしました。
そうしておりましても、やはり時折は火の消える事もござりましたゆえ、そんな時には、島山の上の煙の立って居りますところへ、三町も登って行きまして、平生火の消えました用意に、かや、萩でつくって置きました松明(たいまつ)のようなものに、火を移して参りましたが、先ずは火の消えませぬように心掛けて居りました。雨などが降りました節折角松明にいけましても、火が湿って消えます故その時は殊の外迷わくいたしました。
鍋釜の類は如何したか、二十年余も保つまいと思われるが、との御尋ねでござりまするか。鍋釜はその島へ漂着いたしました際、てんまへ積み込みましたかどうか、その時のことは、私しかとは覚えて居りませぬが、ともあれ鍋二つ、釜一つでござりました。さだめててんまへ積み込みまして持ち上がったものと存じられます。はじめから岩穴にあったものとは、存ぜられませぬ。お言葉でござりまするが、この鍋釜は二十年余り保ちましてござりました。最前申し上げました通り、大鳥を第一の夫食にいたして居りました故、その油で鍋釜が保ったのではござりますまいか。
漂着の節十二人の処、三人存命、後九人の者は其の砌(みぎり)病死でも致したか、との御尋ねでござりますか。はい、はい。ひつれでござりまするが、よく御尋ね下されました。はい、はい。只今申し上げるでござります。船頭、水主、便船人とも、都合十二人の内、船頭左太夫、水主吉三郎、喜三郎、八太夫、善五郎、善左衛門、江戸にて雇いました増水主善太郎、八兵衛の両人、南部より武州神奈川までの積りで便船いたしました権太郎、都合九人の内、左太夫、吉三郎、喜三郎、八太夫、善五郎、善左衛門の六人は遠州荒井の出生にござります。善太郎、八兵衛の両人は武蔵の生れ、権太郎は伊豆の岩地村の者のよしにござります。この九人の者どもは島漂着以来三ヵ年ほどは、残らず存命いたしておりましたが、その後十ヵ年の内に、だんだんと相果ててしまいました。もっとも年月等は一向分りませなんだ故、覚えて居りませぬ。老衰のように自然と衰えました者もござりまするが、大方は食物がよろしゅうござりませなんだ故、むやみに身体が腫れましてそれがもとで相果てましたのでござります。ここに控えております甚八、仁三郎の両人、それにこの私の三人は、倖いに悪食(あくじき)の障り(さわり)を免れました故、二十一年無事に永らえることが出来ましたのでござりましょう。もっとも、私どもとても悪食の障りがなかったものでもござりませなんだ。時折、何ともいえず気分わるくなることがござりまして、その折は最前申し上げました粥を食べまして、いつか気分がよくなりましたものでござります。
鳥羽着姿の新居船漂民に呼びかけられ
驚き逃げだす宮本善八船の水主
(絵・寺崎廣業 石井研堂『日本漂流譚』より)
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十二人のうち九人は病死、其の方ども三人、何れ(いずれ)も金銀など所持いたしては居らなかったか、との御尋ねでござりまするか。はい。仰せの通り、十二人の者はいずれも金子(きんす)一分二分ずつ、鳥目なども少々ずつは所持いたしておりましたが、何分島では入用のこともござりませなんだ故、誰が何ほど所持いたして居りましたものか、吟味もいたしませなんだ。左太夫と申します者の死後懐中をあらためますと、小粒で一両二分、送状(おくりじょう)のような書付けに包んだものが現われましたので、其の外の者どもの所持いたして居りました金銭と一緒に岩穴のくぼみの中へ入れて置きまして、その後入用もござりませぬままに、打捨てて置きましたところ、このたび島を出船いたします節見ますると、銭はみなみな朽ちて、細かにくだけておりまして、金もさびて居りました。その節勘定しますると、金小粒で四両二分ござりました故、島を出船の折、打捨てておくのも勿体ないと、はじめて欲が出まして、三人で一両二分ずつ平らにわけることにいたしました。其の外印形(いんぎょう)脇差しきせるなども、吹き流されました当座はござりましたが、いつとなく朽ち失せてしまいましてござります。
二十一年の間、衣類など如何いたして居ったかの御尋ね、尤も(もっとも)にござります。漂着の際は人並みに着用いたして居りましたが、着替えなど勿論ござりませなんだ故、恥ずかしながら、最前申し上げました乗捨船や破船などの木綿帆を衣服がわりに着用いたしましたり、また、だんだん相果てました者どもの衣類などを用いては居りましたが、それも中々数年も保ちませなんだ。
そこで食事にいたして居りました大鳥の皮を、羽毛と一緒に干し上げまして、暫らく敷物にいたして居りますと、自然と柔らかになりました故、あちこち継ぎ合わせまして、これを着用して凌いで(しのいで)参りました。勿論冬の頃と存ぜられます節も、随分暖かな気候でござりました故、つづれ一枚だけで結構凌ぐことが出来ました。夏の頃も涼しゅうござりまして、総じて御当地よりは、暑さ寒さは凌ぎようでござりました。
在島中、風・雨・雪・あられなど降ったか、雷地震などは如何であったか、との御尋ねにござりまするか。今も申し上げました通り、冬の間も随分と暖かにござりました故、雪はついぞ降りませなんだ。粥をすすりながらせめて古里の想い出に、雪見をしてみたいなどと風流の気持も起りはいたしましたが、一向に降りませなんだ。もっとも鳥の皮のつづれ一枚をまとうて居りまして裸同然の暮らしでござりました故、雪など降りましては、やはり凌ぎにくかったことでござりましょう。
雪は降りませなんだが、雨はたびたび茂く降りましてござります。雷も時折は鳴りました。二十一年の間、一度よほどの地震らしゅう、はげしく揺れまして、夜中飛び起きたことがござりました。ここに控えて居ります甚八ははね起きざまに、
「お常、お常」
と、異なことを口走りましてござります。多分、甚八はその時故里の夢でも見ていたことでござりましょう。人の想いはみな同じにござります。私とてもその時、お政の夢を見ていませなんだとは、申しませぬ。
その時、島には私共三人だけが居残っておったように覚えておりますが、詳しい年月は記憶ござりませぬ。はじめ、私記慮は随分確かと申し上げましたが、年月のことは、何分途方もない永い間のことでござりましたゆえ、今日は何月何日といちいち心に畳むことも、はじめの三四年でござりまして、あとは正月も大晦日もござりませず、いつ月が変り、いつ年が変ったのやら、昨日が今日やら、今日が明日やら、とんと心に掛けなくなりまして、自然年月のことは、記憶にござりませぬ。二十一年ということも、あとになって、やっと分ったような次第にござります。
風は毎日吹きましたが、大風と存じられますことは、適々(たまたま)のようにござりました。時折は浪のしずかなこともござりました。浪のしずかな日は、気もいくらかはれましてござります。たまの大風の日は、なんとなく物悲しゅうござりました。きょとんとして、風が走るのを岩穴から見ておりますと、自然泪(なみだ)が出て来るようにござりました。
その他、日月星辰(にちげつせいしん)の様子など、何ぞ変ったことは無かったかとの御尋ねでござりまするか。はい。御尋ねでござりまするが、何も変ったことはござりませなんだ。空の模様、日月ほしの渡りなど、すべて御当地で見て居りますのと、ちっとも変りはなかったようにござります。ただ、夏の頃でござりましたか、一度大鳥でも集まって居りましたせいか、夜分に海の中がぱっと明るく光っておりますのが、岩穴の中から見え、美しいというより怖ろしゅうござりました。しかし、その光が空へ移るようなことはござりませんなんだ。
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