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 何ともはや、退屈とはこのことにござりました。一日、二日、三日、四日、同じ日が同じ日が続きまして、しまいには欠伸(あくび)する元気もござりませなんだ。みなみな退屈のあまり互いに脛(すね)の毛や、胸の毛を一本ずつ端(ママ)念に抜き取り合いまして、誰もかれもさっぱり脛にも胸にも毛はござりませなんだが、そのうち、これも痛いばかりで面白くないと、無精いたしまして、脛の毛も胸の毛も伸び放題に仕りました。
 私事にわたりまして、恐縮にござりまするが、私幼少の頃より悪い癖で、これはお政にもたびたびたしなめられたことでござりまするが、恥ずかしながら、空腹いたしますると、爪を噛むのでござります。噛んで食べてしまうのでござります。爪という奴は可愛い奴でござりますな。するめほどにはござりませぬが、噛めば噛むほど味が出るようにござります。そのようなわけでござりますから、ただでさえ始終空腹、暇さえあれば、いや、暇はありすぎるくらいでござりましたから一日中爪を噛んでおりましたところ、船頭左太夫が、
 「平三、行儀がわるい。なんぼ無人島じゃからとて、むさいことするな。わしはわれが爪噛んでるとこ見ると、見苦しい気がして、ならんのじゃ」
 と、こうたしなめるのでござりました。そこで私の申しましたことには、
 「それを言われると、わしは辛い。お政めも左様言うとった。お政は良い女子(おなご)じゃ。わしは爪を噛むのは、お政を想い出すためじゃ。お政を想い出すなと言うのか」
 と、言いますと、左太夫が申しますことには、
 「女房のあるのは、われ一人じゃないぞ。憚り(はばかり)ながら、みなみな一人ずつは女房のある身じゃ。女房のこと言いたければ日中に言え。日が暮れてから言うのは、勝手気儘(かってきまま)じゃ。のう、平三、われに爪を噛むなと言うたのは、お政のことを想いだすなと言うたのではないぞ。爪を短こうして置くと退屈な時、耳掃除をするのに難儀じゃ、と言うたのじゃ」
 と、笑って、笑っております内左太夫はわっと泣きだしました。すると、みなみな声をあわせて、故郷恋しやと泣きました。
 さて、左太夫は涙を拭きますと、こう申しました。
 「こう味気ない日ばかし続いては、泣きたくもなろうが、男同志が見苦しい。もう泣くのは止せ。昔から言うている。男というものは、生れる時と親の死ぬ時だけ泣くものじゃ。いずれ花の咲く日もあろうじゃないか。昨夜の夢見では、来年の秋によいことがあるということじゃ」
 案の定、翌年秋の末頃でござりましたが、乗捨船が一艘、波風の強いせいでござりましょう、島の方へ流れて来ました。あれよと見ておりますと、磯辺の岩へ打ちつけて忽ちに破船いたしましたので、近々と駆け寄って見ますると、岩の間々に米が打ち寄ってござりましたので、手に及ぶだけ六十俵ほども拾い上げまして、棲家(すみか)といたしておりました二個の穴へ持ち運ぼうとしております内又々波が強くなりまして、折角拾い上げました俵を、沖の方へさらって行きまして、やっと二三十俵だけ手に残りました。
 その外には、木綿帆の類の破れたのや、船板などが時折流れ寄って参りましたので、これも拾いあげまして、それぞれ用に立てました。この外に二十年余り在島中、海上を通る廻船の見当たるようなことはなかったか、との御尋ねでござりまするか。はい、二十年余りというもの、明けても暮れても海上を見張らぬ日とてはござりませなんだが、只今申しあげました乗捨船の外(ほか)には、何ひとつ海上を通りませず、また、流れ付くことも一切ござりませなんだ。はい。
 拾い上げました米は、干立てする場所もござりませなんだ故、俵のまま穴の中へ積み囲うて置き、ちびちび食べ惜しみ食べ惜しみ、それはもう一粒一粒押し戴かんばかりにして、食べて参りましたところ、物というものは、食べると減るものでござりまするな。二三十俵もございましたものが、だんだんに減って参りまして、あと三俵という心細いことになりまして、こうなりますと、かえってもう米がのんどへ通りませず、一粒一粒歯にしみ、胸がちくちく痛む想いでござりました。
 ところが、翌春と覚しい頃でござりましたか、余程暖かくなって参りました頃、残りの三俵のうちの一俵が急に吹き出しましたので、これはと仔細に見ますると、それまで一向に存じ付きませなんだが、なんと籾米(もみごめ)にござりました。そこで、皆々手をうち、膝をたたきました。また、そこらじゅう転げまわりました。倖い(さいわい)、岩の間のかやの茂みのところに、一坪二坪ずつ土気がござりましたゆえ、前に拾い上げて置きました船板の大釘をとび口のようにこしらえまして、それを鍬代りに掘り穿ち(うがち)、芽を出しておりますくだんの籾を蒔き(まき)つけました。
 それまでは、魚を釣ったり、鳥を捕ったりして、まことに芸もない味気のない日々でござりましたが、もうそれからというものは、蒔きつけました籾の実りますことをせめてもの慰みに、魚のわたやあらい水を養いに掛けますことを、一日一つのたのしみにして参りました。
 十二人のうち誰一人百姓などそれまでにいたした者とては、ござりませなんだが、それぞれに頭を絞り、さまざま工夫いたしまして、かたわら朝夕米のなりますことを神に祈り続けて参りました心が、さすがに通じましたのでござりましょうか、米など実りそうにも思われませなんだ地に少々ずつ実りました。
 そこで年々春と覚しい頃、暖かになります節、その種を蒔きつけましたところ、一ヵ年に二俵ずつもとり入れ出来ました。その後は、土が馴れましたのでござりましょうか、人が馴れましたのでござりましょうか、二俵が三俵になり、三俵が四俵になり、とけ入れの量も増えましてござります。
 このように、年々とり入れいたしましたけれども、これまでに何にも知らずに食べていたが、米というものはほんに苦労してつくるもの、むざむざ食べては罰があたる、とみなみな申し合わせまして、平生はけっして食べませず、病人の出来ました時だけ、少々ずつ粥(かゆ)に焚きまして、薬の代りに用いましてござります。もっともけ病など使う者はござりませなんだが、わしは一ぺん病気になって粥を食べてみたいとみなみな二度三度は申しました。
 
 島の広さは何程あったかとの御尋ねでござりまするか。はい、はい。申しおくれましたが、まわりは凡そ一里もあるかに存じられました。また、島山の高さは三町程もござりました。一体火山(やけやま)にござりまして、殊の外険阻にござりました。勿論山は平生も燃えておりますと見えまして、煙などが立っておりました。木立も、大木はござりませなんだ。山の中ほどより下へは、桑とぐみの木ばかりでござりまして、外の木は一切ござりませなんだ。其外、かやの類、萩などがござりましたが、もとより小屋など作れる筈とてござりませなんだ故、焚物にいたします外、かやは刈り取って岩穴の中へ敷くことにいたしました。もっとも、ぐみの木は御当地でも薪には嫌います故、焚きはいたしませなんだ。
 年々とり入れする米だけでは、知れたもの、常々何を以って夫食(ふじき)にいたして居ったか、との御尋ねでござりまするか。はい。夫食と申しましては、最前申し上げました通り、魚・鳥をたべておりました。鳥は、私ども御当地はもとより在々所々で見馴れませぬ鳥にござりました。総体に羽は白う、形は白鳥のようにござりまして、嘴(くちばし)するどく、足も長く、風切羽(かざきりば)をぱっと延ばしますると五六尺もござります何とも変梃(へんてこ)な鳥にござりました。もとより名は存じませなんだ故、大鳥と称ぶ(よぶ)ことにいたしました。どうせ、名などあってもなくても、一向に不便のない無人島ぐらしでござりましたが、日々助命の糧(かて)といたしましております物に名がのうては、あんまり愛想が無さすぎると申しまして、左様に名づけましたのでござりまする。はい。
 大鳥とやらは餌には何をたべるか、との御尋ねでござりまするか。はい。眼にとまりましたところでは、蟹(かに)を餌にしているようにござりました。この蟹は随分大蟹にござりまして、磯辺の岩間に棲んでおりまして、色はかき色で大きさはけまり程もござりましたか、もっとも大小はいろいろにござりました。これははじめ私共も捕えて食べましたが、風味は少々苦うござりまして、其の上、肉(み)はござりませず、ただ甲の中にみそをかきまぜたようなものがあるだけでござりまして、食べるところもござりませなんだ故、その後は食べませなんだ。この大鳥は、側へ近々寄って行きましても、少しも怖れませず、きょとんとして飛び走りもいたしませなんだ故、釘のとび口でたやすく敲き(たたき)殺すことが出来ました。
 
火山より火を移しとる新居船漂民
(絵・寺崎廣業 石井研堂『日本漂流譚』より)
 
 ところが、夏の頃と思われます時候になりますと、大鳥は二三ヵ月は何方へ渡りましたものか一向に島には見えませなんだ故、その内は魚を釣って食べることにいたしました。まず、釘をおしまげまして、釣り針のようにいたしまして、流れ寄りました切帆などをはずしまして、ぬき糸などをより合わせて、これを釘針へつけまして、石を重りにいたしまして、御当地にて使っております長縄のようにこしらえまして、かねて潮へひたして置きました大鳥の身をひらひら引きさきましたものを、餌にいたしまして、それを磯辺の岩の上より、はるか向こうへ投げ出します。そして暫く間を置きまして、引き上げますると、縞鰈(しまがれい)、あこう、もいおの類、その外御当地では見たこともござりませぬ魚が、大分釣れましてござります。これをうしおで煮たり、または干焼きにいたしまして食べました。針にいたしました釘は、船板が流れ寄って参りました時、抜きとって置きました故、沢山にござりました。御参考までに申し上げまするが、餌にはいま申し上げました蟹のあしを折って付けてもよろしゅうござります。


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