父島
平成12年小林郁氏撮影
小笠原父島「咸臨丸墓地」にある冥福碑と『小笠原島風土畧記』にみる碑文(下図) |
小林郁氏著『鳥島漂着物語』によれば、碑は文久二年(一八六二)日本人が小笠原へ初めて入植した際に建立された。
「遠州荒井 船頭左太夫」から「豆州岩地村 水主権次郎」まで八名は新居筒山船の鳥島での死者。善右衛門の名は欠落。
幕末期、わが国に先んじて欧米系住民が小笠原開拓に当たっていた。
鳥島、小笠原を含め南方諸島とのかかわりの古さを示し、日本の領土権を主張しようとする入植関係者の意図があったと思われる。
注1 ナサニエル・セボリー(一七九四〜一八七四)。
小笠原の開拓者。父島に今も墓碑が残る。
注2 以上の記述は、現存する冥福碑の碑文とは若干異なる。
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