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宮大工熊次(みやだいくくまじ)
 南無谷(なむや)の字(あざ)・山崎(やまざき)に、屋号(やごう)を熊五郎(くまごろう)さんと呼ぶ(よぶ)家(いえ)があります。
 明治(めいじ)(一八六八〜一九一二)の初め(はじめ)、古内熊次(こないくまじ)さんという人(ひと)が興した(おこした)のですが、生業(せいぎょう)は、南無谷(なむや)の豊受神社(とようけじんじゃ)の建築(けんちく)にも従事(じゅうじ)した腕(うで)の良い(よい)宮大工(みやだいく)だったそうです。熊次(くまじ)さんは昔(むかし)の宮大工(みやだいく)ですから、職人気質(しょくにんかたぎ)があり、神仏(しんぶつ)の御座す(おわす)建物(たてもの)以外(いがい)の建築(けんちく)には係り(かかわり)を持ち(もち)たくないと言って(いって)、神社仏閣(じんじゃぶっかく)の仕事(しごと)が無い(ない)ときは、一般家庭(いっぱんかてい)の神棚(かみだな)に祀る(まつる)皇大神宮(こうだいじんぐう)や、仏像(ぶつぞう)を安置(あんち)する厨子(ずし)を専門(せんもん)に作って(つくって)いました。
 その御蔭(おかげ)で熊次(くまじ)さんの作る(つくる)皇大神宮(こうだいじんぐう)や厨子(ずし)は、皆(みな)出来映え(できばえ)が良い(よい)と評判(ひょうばん)が高く(たかく)、たくさんの家(いえ)に祀られて(まつられて)いましたが・・・、ところが、大正十二年(たいしょうじゅうにねん)(一九二三)に関東大震災(かんとうだいしんさい)が起き(おき)、その殆ど(ほとんど)が消滅(しょうめつ)してしまったというのです。惜しい(おしい)ことをしましたね。
 しかし幸い(さいわい)なことに熊五郎(くまごろう)(古内義教(こないよしのり))さんの家(いえ)には、今(いま)も熊次(くまじ)さんの腕前(うでまえ)を知る(しる)ことの出来る(できる)作品(さくひん)が残って(のこって)いるのです。それは、熊次(くまじ)さんが、皇大神宮(こうだいじんぐう)や厨子(ずし)に取り付ける(とりつける)ため作った(つくった)彫物(ほりもの)なのです。彫物(ほりもの)は、最大(さいだい)でも縦三十八センチ(たてさんじゅうはっセンチ)、横(よこ)六センチ(ろくセンチ)の大きさ(おおきさ)しかないものですが、何れ(いずれ)もすばらしい作品(さくひん)で、種類(しゅるい)も多く(おおく)、鶴(つる)と雲(くも)・鶴(つる)と旭日(きょくじつ)・牡丹唐獅子(ぼたんからしし)・松(まつ)と鳳凰(ほうおう)・松(まつ)と雀(すずめ)・鯉(こい)の滝登り(たきのぼり)・臥竜(がりょう)・松竹梅(しょうちくばい)など数十点(すうじゅってん)あります。
 
池田弥三兵衛(いけだやそべえ)の足跡(そくせき)
 慶長年間(けいちょうねんかん)(一五九六〜一六一五)の昔(むかし)、泉州堺(せんしゅうさかい)(大阪府)から南無谷(なむや)の石小浦(いしごうら)へ、池田弥三兵衛(いけだやそべえ)(弥惣兵衛(やそべえ))という漁師(りょうし)が入漁(にゅうりょう)し、鯛(たい)の長縄漁(ながなわりょう)を始め(はじめ)ました。
 江戸(えど)と言う(いう)大消費地(だいしょうひち)に目(め)を付けて(つけて)の行動(こうどう)だったのですが、弥三兵衛一族(やそべえいちぞく)は勢力(せいりょく)を広げ(ひろげ)、漁場(りょうば)は相州真鶴(そうしゅうまなづる)(神奈川県(かながわけん))まで及んだ(およんだ)のです。しかし、遠い(とおい)昔(むかし)の事(こと)であり、弥三兵衛(やそべえ)の存在(そんざい)した証拠(しょうこ)となるものは、石小浦(いしごうら)の墓地(ぼち)にある、延享元年(えんきょうがんねん)(一七四四)に没した(ぼっした)池田弥太郎(いけだやたろう)の墓石(ぼせき)と、海岸(かいがん)の岩(いわ)をくりぬいた生簀(いけす)が残って(のこって)いるだけですので、地元(じもと)の石小浦(いしごうら)でも、いつの間(ま)にか忘れ(わすれ)られていたのが現実(げんじつ)でした。それは、何(なに)よりの証拠(しょうこ)となる記録文書(きろくもんじょ)が一枚(いちまい)も残って(のこって)いなかったからです。
 ところが幸い(さいわい)にも、弥三兵衛(やそべえ)の一族(いちぞく)が鯛漁(たいりょう)に進出(しんしゅつ)して行った(いった)真鶴(まなづる)の貴船神社(きふねじんじゃ)に、その事(こと)を裏付ける(うらづける)文書(もんじょ)が多数(たすう)残って(のこって)いるのが分かった(わかった)のです。しかも、その文書(もんじょ)は総て(すべて)真鶴(まなづる)の町指定重要文化財(まちしていじゅうようぶんかざい)にされていました。
 富浦(とみうら)の漁業史(ぎょぎょうし)を調べる(しらべる)上(うえ)でも参考(さんこう)になる文書(もんじょ)ですので、真鶴町(まなづるまち)の文化財審議委員会(ぶんかざいしんぎいいんかい)が現代文(げんだいぶん)に直した(なおした)ものを、二部(にぶ)ほど転記(てんき)しました。
 
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 (池田家(いけだけ)の年表(ねんぴょう)は、真鶴町郷土(まなづるまちきょうど)を知る(しる)会(かい)・発行(はっこう)の、『真鶴(まなづる)・十七号(じゅうななごう)』を参考(さんこう)に作成(さくせい)しました。)


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