4.2 地盤嵩上の有効性の検討結果
a)最大流体力の空間分布特性
図−10は,表−3の計算ケースを用いて計算した最大流体力の空間分布とその発生時刻を示したものである.現況のケース(1)では,最大流体力は氾濫開始12分後に発生し,堤内の広い範囲で5kN/mを超える流体力が発生し、局所的には80kN/mを超えている.羽鳥(1984)によると,津波災害では流体力が5kN/mを超えると木造住宅の被災が生じると報告されており,今回の計算結果は堤内の被災状況をよく説明する結果となっている.
一方,潮溜も含めて一律な地盤嵩上を行ったケース(2)(D.L.+5.3m),ケース(3)(D.L.+5.0m)を現況と比較すると,最大流体力が発生する時刻は8分ほど遅くなるとともに,最大流体力も1/10〜1/20程度まで低減できることがわかり,流体力の発生範囲は広がるものの一律な地盤嵩上が最大流体力の低減に関して非常に有効であることが確認できた.また,ケース(2)と(3)を比較しても顕著な差はみられず,流体力に関して,地盤嵩上高は周辺状況を考慮したD.L.+5.0mで妥当であることもわかった.
次に,現存の潮溜を残したまま他の部分をD.L.+5.0mまで地盤嵩上するケース(4)では,最大流体力は氾濫開始9分後に発生し,その大きさは現況よりも大きい傾向にある.しかしながら,その発生場所は,潮溜に集中しており住宅地域における流体力およびその発生範囲は現況よりも小さくなっている.この理由としては,紙面の都合で図面は省略するが,氾濫後堤内に越流した海水は一旦潮溜に流入し,流速を減じてから住宅地域へと広がっていくためである.このことから,松合地区で地盤嵩上を行う場合は,潮溜などの水受け部を併用することは流体力の低減に有効であることがわかった.
b)浸水経過時間の空間分布特性
図−11は,堤内地の各点で氾濫開始後の浸水深さが50cmに達するまでの経過時間を表示したものであり,図は経過時間が1〜4分,4〜7分,7〜10分,10〜13分,13分以上ごとに色分けしている.まず、現況では氾濫後10分程度で堤内全域がほぼ水深50cmまで浸水しており,聞き取り調査の結果とよく一致する結果となっている.
次に,現況のケース(1)と堤内を一律に地盤嵩上げするケース(2),(3)とを比較すると,地盤嵩上後は現況より浸水経過時間は短くなり,氾濫開始7分までには堤内地のほとんどの部分が50cmまで浸水していることがわかる.また,浸水区域も現況より広がっているのがわかる.なお,浸水経過時間でも最大流体力と同様にケース(2),(3)の間には顕著な差は見られない。
しかしながら,現存の潮溜を残して地盤嵩上するケース(4)では、越流後一旦氾濫水は潮溜内に流入するため,住宅域での浸水経過時間を遅延することができ,現況と比較すると,場所によって2〜4分程度浸水経過時間を遅らせることができる.また,浸水範囲も潮溜を残さないケース(2),(3)に比較してより範囲を狭くすることが可能であり,ほぼ現況の浸水範囲と同じである.これらの結果より,松合地区のような低平地で地盤嵩上を行う場合は,潮溜を併用することで流体力の低減のみでなく,浸水時間の遅延も可能となり,有効な対策工法となりうることが確認できた.
4.3 防波堤形状変更の有効性の検討結果
防波堤の形状を変更した場合と現況との痕跡高の計算値を比較したところ,両者には顕著な差は見られず,痕跡高に対しては防波堤形状の影響は小さいことがわかった。しかしながら,計算結果は全体的に実測値よりも70cm程度高く,過大評価であった.この理由としては,今回の計算では左右の境界での海水の出入りを考慮していないためであり,計算精度を向上するためには,左右の境界条件の検討を行う必要がある.しかし,防波堤形状と氾濫状況との関係を調べるだけであれば,本手法でも十分と考えられ,今回は本手法を用いて検討を行った.
図−10 最大流体力の空間分布
図−11 浸水深50cmまでの経過時間の空間分布
図−12は,現況の防波堤形状(ケース(5))と変更後(ケース(6))の氾濫後浸水深50cmまでの経過時間を5分毎に色を変えて示したものである.両者を比較したところ,形状変更後は,氾濫開始5分以内において、潮溜や船溜付近で現況に比較して3分程度浸水時間を遅延させることができることがわかる.しかし,氾濫開始5分以降の浸水時間の分布では,顕著な差は見られない.この結果より,防波堤の形状変更による避難時間遅延の有効性は氾濫開始後5分以内の初期段階で顕著であることがわかった.また,最大流体力の空間分布特性に関しても,両者の間には顕著な差は認められなかった。
図−12 浸水深50cmまでの経過時間の空間分布
5. 結論
本研究では,現地調査により氾濫痕跡高や海水進入経路を特定し,今回の高潮氾濫災害の被災特性を調べるとともに,松合地区における高潮氾濫災害の被災要因を同地区の歴史的・社会的背景をも含めて調査した.また,数値解析では氾濫状況や氾濫水の流体力分布を調べ,氾濫災害のメカニズムや災害対策工法の有効性の検討を行った.得られた結論を要約すると以下の通りである.
1. 現地調査より,船溜開口部より進入した海水が護岸を越流し,提内地へ流入したこと,また松合地区での最大湛水高がT.P.+4.5mであることがわかった.
2. 今回の災害の家屋損失率と死亡リスクとの関係は過去の高潮災害との類似性が高く,大量の海水が短時間で低平地に流入したことによる強大な流体力が被災要因であることがわかった.
3. 今回の被害を大きくした要因としては,氾濫水の持つ強大な流体力という自然要因のみではなく,高潮に対する危険意識の低下,ならびに堤内地において防災上適正な土地利用が必ずしも行われてこなかったという社会的要因もその1つとして考えられる.
4. 松合地区のような低平地で地盤嵩上を行う場合は,潮溜を併用することで流体力の低減のみでなく,浸水時間の遅延も可能となる.また、河川からの氾濫水の一時貯留効果も考えられるため,非常に有効な対策工法となりうることを確認した.
5. 防波堤の形状変更による避難時間遅延の有効性は氾濫開始後5分以内の初期段階で顕著であることがわかった.また,形状変更により波の浸入防止効果も向上するものと考えられる.
以上のような結果を踏まえ,今後の対策工法としては非難経路の確保や低平地に高台を作るなどの減災対策を盛り込んで行く必要がある.
謝辞:本研究を遂行するにあたって,松合地区高潮対策検討委員会,熊本県河川課,同漁港課,ならびに松合郷土資料館の丸目様には,貴重な資料をご提供していただきました.ここに謝意を申し上げます.最後に,本研究での調査に際して,熊本自然災害研究会から研究補助を受けました.ここに記して,お礼申し上げます.
参考文献
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佐藤 智,今村文彦,首藤伸夫(1989):洪水氾濫の数値計算および家屋被害について,水理講演会論文集,第33巻,pp.331-336.
不知火町史(1972):熊本県不知火町,p.647.
不知火町郷土史研究会(2000):郷土誌「燎火」,第7号,pp.1〜13.
滝川 清,田渕幹修(2000):台風9918号による不知火海の高潮と波浪特性,海岸工学論文集,第47回,pp.291〜295.
滝川 清,田渕幹修,山田文彦,井手俊範(2000a):台風9918号による不知火海高潮災害,海岸工学論文集,第47巻
滝川 清,田渕幹修,山田文彦,田中健路(2000b):現地調査から見た高潮の規模と実感,海と空,第764, pp.179-184.
土屋義人,山下隆男,杉本 浩(1984):高潮氾濫数値モデルの適用性に関する研究,海岸工学講演会論文集,第31巻,pp.218-222.
羽鳥徳太郎(1984):津波による家屋の被害率,地震研究所彙報,Vol.59, pp.433-439.
安田孝志(1999):伊勢湾台風による高潮と被災の特性,自然災害科学,第18(3)巻,pp.269-274.
山田文彦,滝川 清,永野良裕(2000):台風9918号による不知火町松合地区高潮氾濫の災害特性とその数値解析,海岸工学論文集,第47巻,pp.301-305.
山田文彦,滝川 清,壱岐智成(2001):高潮氾濫災害の被災要因とその危険度評価,海岸工学論文集,第48巻,pp.1401-1405.
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