音楽(おんがく)のまち(4)――サンクト・ペテルブルク
サンクト・ペテルブルクは、日本(にほん)の北海道(ほっかいどう)よりずっと北(きた)、北緯(ほくい)約(やく)60度(ど)のところにある町(まち)です。緯度(いど)が高い(たかい)ので、6月(がつ)ごろになると、太陽(たいよう)が一日(いちにち)沈まない(しずまない)「白夜(びゃくや)」があります。短い(みじかい)夏(なつ)をすぎると、あっというまに暗くて(くらくて)寒い(さむい)冬(ふゆ)がやってきます。朝(あさ)、明るく(あかるく)なるのは10時(じ)くらい、そして午後(ごご)4時(じ)にはもうまっ暗(まっくら)です。気温(きおん)は零下(れいか)25〜30度(ど)。町を流れる(ながれる)ネヴァ川(がわ)や運河(うんが)は、カチカチに凍り(こおり)ついています。そんな気候(きこう)ですから、屋内(おくない)で楽しむ(たのしむ)オペラやバレエ、そして芝居(しばい)などがとてもさかんです。有名(ゆうめい)なマリインスキー劇場(げきじょう)や、エルミタージュ美術館(びじゅつかん)などが立ち並ぶ(たちならぶ)この町(まち)は、ロシアの人々(ひとびと)が世界(せかい)にほこる芸術(げいじゅつ)の町(まち)。『ルスランとリュドミラ』の原作者(げんさくしゃ)で有名(ゆうめい)な詩人(しじん)のプーシキンや、作家(さっか)のドストエフスキーもこの町(まち)で活躍(かつやく)しました。また、有名(ゆうめい)な音楽学校(おんがくがっこう)があって、チャイコフスキーをはじめ、多く(おおく)の音楽家(おんがくか)たちが巣立って(すだって)います。
18世紀(せいき)から19世紀(せいき)、つまりきょうの作曲家(さっきょくか)たちのうち、ショスタコーヴィチ以外(いがい)の4人(にん)が活躍(かつやく)していたころは、ここがロシアの首都(しゅと)でした。今(いま)から300年前(ねんまえ)にこの町(まち)を作った(つくった)ピョートル大帝(たいてい)にちなんで、「ピョートルの町(まち)」「聖(せい)ペトロの町(まち)」「ゆるぎない石(いし)の町(まち)」という意味(いみ)をこめて「サンクト・ペテルブルク(略し(りゃくし)てペテルブルク)」と名づけ(なづけ)られたのです。けれども、戦争(せんそう)や革命(かくめい)が続いた(つづいた)20世紀(せいき)のなかごろに、「ペトログラード」、さらに「レニングラード」と名前(なまえ)が変わり(かわり)、首都(しゅと)もモスクワに移って(うつって)しまいました。1991年(ねん)、「ソ連(れん)」がなくなって、今(いま)のロシアが誕生(たんじょう)した時(とき)、市民(しみん)の投票(とうひょう)でもう一度(いちど)、昔(むかし)のなつかしい名前(なまえ)「サンクト・ペテルブルク」にもどりました。何度(なんど)も変わった(かわった)名前(なまえ)は、町(まち)の複雑(ふくざつ)な歴史(れきし)を物語って(ものがたって)います。
きょうの作曲家(さっきょくか)たちは、みなこの町(まち)にゆかりの人々(ひとびと)ですが、ほとんどの人(ひと)が、初め(はじめ)からプロの音楽家(おんがくか)ではなかったということに気づき(きづき)ましたか?多く(おおく)のロシアの人々(ひとびと)は、いまでも本(ほん)をたくさん読み(よみ)、詩(し)を書い(かい)たり、音楽(おんがく)を聴い(きい)たり、芸術(げいじゅつ)を論じ合っ(ろんじあっ)たりするのが大好き(だいすき)です。みんな、芸術(げいじゅつ)をとてもよく知り(しり)、それを誇り(ほこり)にしているのです。ペテルブルクの芸術家(げいじゅつか)たちは、そうした、芸術(げいじゅつ)を愛する(あいする)、たくさんの町(まち)の人々(ひとびと)に育て(そだて)られていったのだということができます。
このコーナーでは、みなさんからいただいた「オーケストラの質問(しつもん)」に大友直人(おおともなおと)さんやオーケストラの楽員(がくいん)さんがお返事(へんじ)をします。疑問(ぎもん)を解決(かいけつ)して、コンサートをますます楽しんで(たのしんで)くださいね。
■大友(おおとも)さんが小さい頃(ちいさいころ)の音楽(おんがく)の思い出(おもいで)を教えて(おしえて)ください。どんな曲(きょく)が好き(すき)でしたか? (穂高(ほたか)みのりさん 10歳(さい))
コンサートの会場(かいじょう)に行って(いって)生(なま)の演奏(えんそう)を聴いた(きいた)ことが一番(いちばん)の思い出(おもいで)です。日本(にほん)のオーケストラも外国(がいこく)のオーケストラもたくさん聴き(きき)、今(いま)でも宝物(たからもの)です。今(いま)は亡き(なき)カラヤンやショルティ、若い日(わかいひ)の小澤征爾(おざわせいじ)さんや岩城(いわき)さん、若杉(わかすぎ)さんなど沢山(たくさん)の指揮者(しきしゃ)の公演(こうえん)を覚えて(おぼえて)います。東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)では秋山和慶(あきやまかずよし)さんやアルヴィド・ヤンソンスの演奏(えんそう)が印象的(いんしょうてき)です。ヤンソンスの「新世界(しんせかい)」の演奏(えんそう)で素晴らしい(すばらしい)ものがあり、今(いま)でも鮮明(せんめい)に覚えて(おぼえて)います。好き(すき)な作品(さくひん)は数多く(かずおおく)ありましたが、特(とく)に好き(すき)だったのはベートーヴェンやマーラーの交響曲(こうきょうきょく)です。 [大友直人(おおともなおと)]
■大友(おおとも)さんはこどものころどんな遊び(あそび)をしましたか。 (森蔦和正(もりしまかずまさ)さん 9歳(さい))
野球(やきゅう)をよくやりました。ピッチャーをすることもあれば、ファーストやサードを守る(まもる)こともありました。音楽(おんがく)を聴く(きく)こと以外(いがい)にも体(からだ)を動かす(うごかす)ことが大好き(だいすき)なスポーツ少年(しょうねん)でした! みなさんと同じ(おなじ)かな? [大友直人(おおともなおと)]
■コンサートマスターはどんな仕事(しごと)をするのですか? (北沢綾子(きたざわあやこ)さん 12歳(さい))
わかりやすく言う(いう)と、“オーケストラのまとめ役(やく)”です。たくさんのメンバーで出来て(できて)いるオーケストラを、一番(いちばん)うまく演奏(えんそう)できるようにまとめるのが、コンマス(コンサートマスターの略(りゃく))の仕事(しごと)です。コンマスは弦楽器(げんがっき)のボウイング(弓(ゆみ)の上げ下げ(あげさげ)のしかた)を決め(きめ)ます。アップ(上げ弓(あげゆみ))で弾く(ひく)かダウン(下げ弓(さげゆみ))で弾く(ひく)かによって同じ(おなじ)旋律(せんりつ)でも表現(ひょうげん)が変わる(かわる)んですよ。そして指揮者(しきしゃ)の音楽(おんがく)の表現(ひょうげん)や目指す(めざす)方向(ほうこう)などを感じ(かんじ)とって、オーケストラのみんなに伝える(つたえる)のも重要(じゅうよう)な仕事(しごと)です。指揮者(しきしゃ)はどんな音楽(おんがく)を作りたい(つくりたい)のかな、オーケストラのみんなは何(なに)を考えて(かんがえて)いるかな、と、いつも頭(あたま)の中(なか)にアンテナを張り(はり)めぐらせながら演奏(えんそう)しています。 [ヴァイオリン(コンサートマスター):大谷康子(おおたにやすこ)]
■私(わたし)はトランペットの音(おと)が大好き(だいすき)で、来年(らいねん)からトランペットを始めよう(はじめよう)と思って(おもって)います。どうしたら綺麗(きれい)な音(おと)が出る(でる)のですか? [森絵里香(もりえりか)さん 9歳(さい)]
一言(ひとこと)でいうと「練習(れんしゅう)あるのみ!」です(笑) ロングトーンの練習(れんしゅう)は特(とく)に大切(たいせつ)だと思い(おもい)ます。ひとつひとつの音(おと)を綺麗(きれい)に出せる(だせる)ように、自分(じぶん)の耳(みみ)でじっくりききながら丁寧(ていねい)にロングトーンの練習(れんしゅう)を続けて(つづけて)ください。そして自然(しぜん)に楽(らく)に呼吸(こきゅう)をすることを体(からだ)で覚えて(おぼえて)、楽器(がっき)を吹いて(ふいて)ください。私(わたし)の場合(ばあい)はプリージング・バッグというものを使って(つかって)今(いま)でも呼吸(こきゅう)の練習(れんしゅう)をしています。 [トランペット:アントニオ・マルティ]
■オーケストラのみなさんが音楽(おんがく)を演奏(えんそう)するときに、大切(たいせつ)なことはなんですか? (高橋将敬(たかはしまさたか)さん 10歳(さい))
指揮者(しきしゃ)とオーケストラのたくさんのメンバーが、ひとつになって音楽(おんがく)を作って(つくって)いるという気持ち(きもち)を忘れない(わすれない)ことだと思い(おもい)ます。ひとりでやっていると思って(おもって)演奏(えんそう)しても決して(けっして)まとまりません。皆(みんな)で一緒(いっしょ)に弾く(ひく)こと、協調性(きょうちょうせい)を持つ(もつ)ことが大切(たいせつ)です。 [チェロ:音川健二(おとかわけんじ)]
■私(わたし)もヴァイオリンを習って(ならって)いて色々(いろいろ)な人(ひと)の演奏(えんそう)を聴き(きき)ますが、同じ曲(おなじきょく)でもp(ピアノ)、f(フォルテ)の付け方(つけかた)が違い(ちがい)ます。どうやって決める(きめる)んですか? (小林歩(こばやしあゆみ)さん 10歳(さい))
人(ひと)の趣味(しゅみ)や好み(このみ)は千差万別(せんさばんべつ)です、そして同じ曲(おなじきょく)をきいてどのように感じる(かんじる)かも人(ひと)それぞれです。同じ(おなじ)お料理(りょうり)を食べて(たべて)も、みなさんとお友達(ともだち)の感想(かんそう)は違う(ちがう)ように、音楽(おんがく)の感じ方(かんじかた)も様々(さまざま)なんです。演奏(えんそう)するときは、自分(じぶん)がその曲(きょく)をどう感じ(かんじ)てどう表現(ひょうげん)したいかを考え(かんがえ)、そのイメージを大切(たいせつ)に、音(おと)の強弱(きょうじゃく)でたっぷり表現(ひょうげん)して自分(じぶん)の音楽(おんがく)を作って(つくって)ください。 [ヴァイオリン(アシスタント・コンサートマスター)田尻順(たじりじゅん)]
第(だい)4回(かい) ロシア(モスクワ、サンクト・ペテルブルク)編(へん)
グレブ・ニキティンさん(東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)コンサートマスター)
きょうみなさんに聴いて(きいて)いただいた曲(きょく)はロシアで生まれた(うまれた)音楽(おんがく)です。ロシア出身(しゅっしん)の東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)のコンサートマスター グレブ・ニキティンさんに、サンクト・ペテルブルクについて、そしてご自分(じぶん)の故郷(ふるさと)モスクワの紹介(しょうかい)や音楽生活(おんがくせいかつ)についてお話(はなし)いただきました。
――ニキティンさんはモスクワのご出身(しゅっしん)。モスクワとサンクト・ペテルブルクは飛行機(ひこうき)で約(やく)1時間(じかん)かかるくらいの距離(きょり)ですから、日本(にほん)でいえば、東京(とうきょう)と大阪(おおさか)という感じ(かんじ)でしょうか? 二都市(にとし)とも多く(おおく)の名作(めいさく)を生んだ(うんだ)有名(ゆうめい)な「音楽(おんがく)のまち」です。
モスクワとサンクト・ペテルブルクはライバル同士(どうし)です。東京(とうきょう)と大阪(おおさか)よりもっとライバル(笑)。音楽(おんがく)の競争(きょうそう)も激しく(はげしく)て、それぞれ歴史的(れきしてき)に有名(ゆうめい)なスクール(楽派(がくは))があります。ロシアの音楽(おんがく)が展開(てんかい)をみせたのは19世紀(せいき)で、チャイコフスキーの先生(せんせい)であるアントン・ルビンシテインがサンクト・ペテルブルク音楽院(おんがくいん)を、その弟(おとうと)でチャイコフスキーの友人(ゆうじん)だったニコライ・ルビンシテインがモスクワ音楽院(おんがくいん)を創設(そうりつ)し、そこから有名(ゆうめい)な音楽家(おんがくか)がたくさん生まれ(うまれ)ました。二つ(ふたつ)の学校(がっこう)とも、指揮(しき)やヴァイオリン、ピアノ・・・といった専攻(せんこう)ごとに、代々(だいだい)有名(ゆうめい)な先生(せんせい)が教えて(おしえて)います。モスクワで勉強(べんきょう)する学生(がくせい)はたいていモスクワ音楽院(おんがくいん)をめざしますね。ちなみに私(わたし)がいた当時(とうじ)のモスクワ音楽院(おんがくいん)のヴァイオリン専攻(せんこう)は、サンクト・ペテルブルクからの学生(がくせい)が一人(ひとり)だけで、あとはモスクフや、世界(せかい)各国(かっこく)から集まって(あつまって)いました。
――音楽(おんがく)の勉強(べんきょう)は小さい(ちいさい)ときからされていましたか?
私(わたし)は両親(りょうしん)が音楽家(おんがくか)だったので、6歳(さい)からピアノ、8歳半(さいはん)からヴァイオリンを勉強(べんきょう)しました。いつも学校(がっこう)におばさんが迎え(むかえ)にきて、しっかりピアノとヴァイオリンの練習(れんしゅう)をするよう連れて(つれて)帰って(かえって)しまうので、友達(ともだち)と遊べ(あそべ)ないのが残念(ざんねん)でした。本当(ほんとう)は友達(ともだち)とサッカーをやっていたかったんですよ。でも「いい子(こ)」だったから、練習(れんしゅう)はさぼらなかったし、ピアノ、ヴァイオリンを弾く(ひく)のは大好き(だいすき)でした。
モスクワのこどもの遊び(あそび)といえば、やっぱりスポーツ。アイスホッケー、クロスカントリー・スキーをよくしました。ロシアでは、スキーのできない男の子(おとこのこ)はいないんです。私(わたし)は今(いま)でもたまに北海道(ほっかいどう)に行って(いって)クロスカントリーを楽し(たのし)んでいます。
――コンサートにはよくいらっしゃいましたか?
そうですね。特(とく)にオーケストラが好き(すき)だったので、オーケストラのコンサートにはよく行き(いき)ました。ロシアにも「こども定期(ていき)」のようなコンサートがあったんですよ。モスクワ・フィルハーモニー交響楽団(こうきょうがくだん)の演奏(えんそう)で、指揮(しき)はロストロポーヴィチやキタエンコ、ロジェストヴェンスキーたちでした。指揮者(しきしゃ)が大友(おおとも)さんのようなお話(はなし)を最初(さいしょ)に20分(ぷん)くらいして、あと演奏(えんそう)を聴く(きく)のです。『シェエラザード』の全曲(ぜんきょく)を聴いた(きいた)のもそのコンサートでしたし、あとプロコフィエフの『ピーターとおおかみ』『ロメオとジュリエット』、ベートーヴェンの『田園(でんえん)』、モーツァルトの交響曲(こうきょうきょく)第(だい)40番(ばん)などを聴いた(きいた)のを覚えて(おぼえて)います。私(わたし)は6、7歳(さい)くらいから行って(いって)いましたが、初め(はじめ)はお話(はなし)を聴く(きく)のが退屈(たいくつ)で、はやく演奏(えんそう)が始まら(はじまら)ないかなぁと思って(おもって)いました。
――サンクト・ペテルブルクにいらしたことはありますか? また初めて(はじめて)モスクワ以外(いがい)の場所(ばしょ)にいらしたのはどこですか?
サンクトには6、7回(かい)行って(いって)います。とてもきれいな場所(ばしょ)で、「冬宮(ふゆみや)」「夏宮(なつみや)」という二つ(ふたつ)のメインパレス、エルミタージュ宮殿(きゅうでん)など大好き(だいすき)なところがたくさんあります。最初(さいしょ)にモスクワ以外(いがい)の場所(ばしょ)にいったのは、エストニアのタリンというところです。高校生(こうこうせい)のとき、オーケストラの演奏(えんそう)旅行(りょこう)で行き(いき)ました。あとモンゴリアにも演奏旅行(えんそうりょこう)で行き(いき)ました。オーケストラはモスクワ音楽院(おんがくいん)のプレカレッジにいたときから入って(はいって)いたんです。指揮(しき)の勉強(べんきょう)もしていたので、オーケストラで演奏(えんそう)することはとても勉強(べんきょう)になりました。モスクワ音楽院(おんがくいん)では、ヴァイオリンと指揮(しき)でディプロマをとりました。
サンクト・ペテルブルク郊外(こうがい)にあるペトロドボレツの宮殿(きゅうでん) ロシア皇帝(こうてい)の夏(なつ)の離宮(りきゅう)として使われ(つかわれ)ていた。
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18世紀(せいき)の銅板画(どうばんが)にみられるサンクト・ペテルブルク サンクト・ペテルブルクは1703年(ねん)から約(やく)200年間(ねんかん)にわたってロシア帝国(ていこく)の首都(しゅと)がおかれた。ヨーロッパを訪れた(おとずれた)最初(さいしょ)のロシア皇帝(こうてい)ピョートル大帝(たいてい)が、“ヨーロッパヘの窓(まど)”となる新しい(あたらしい)都市(とし)としてネヴァ川(がわ)の湿地帯(しっちたい)に創設(そうせつ)し、以降(いこう)、バルト海(かい)への重要(じゅうよう)な出口(でぐち)となり産業(さんぎょう)や文化(ぶんか)の中心地(ちゅうしんち)として栄え(さかえ)た。
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サンクト・ペテルブルク出身(しゅっしん)のドミートリ・ショスタコーヴィチ(1906-75)
作曲家(さっきょくか)でありピアニスト。交響曲(こうきょうきょく)や弦楽四重奏曲(げんがくしじゅうそうきょく)に優れた(すぐれた)作品(さくひん)を多数(たすう)残した(のこした)。
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――「音楽(おんがく)のまち」としてのモスクワはどういうところでしょう? ロシアでの音楽家(おんがくか)の生活(せいかつ)についてお話し(はなし)ください。
私(わたし)がモスクワのボリショイ劇場管弦楽団(げきじょうかんげんがくだん)で仕事(しごと)をしていたのは10年(ねん)〜16年前(ねんまえ)にかけてのことですので、いまとは状況(じょうきょう)がまったく違う(ちがう)のですが、当時(とうじ)、音楽家(おんがくか)の生活(せいかつ)は国(くに)によって保証(ほしょう)されていました。いい音楽(おんがく)をする演奏家(えんそうか)は身分(みぶん)が保証(ほしょう)され、家(いえ)や運転手付き(うんてんしゅつき)の車(くるま)、生活(せいかつ)に必要(ひつよう)なものはすべて国(くに)から与え(あたえ)られるのです。いい音楽家(おんがくか)は社会的(しゃかいてき)な身分(みぶん)も高く(たかく)、たとえばボリショイ劇場管弦楽団(げきじょうかんげんがくだん)のIDカードを使って(つかって)、クレムリン宮殿(きゅうでん)のなかに自由(じゆう)に入る(はいる)こともできました。内緒(ないしょ)の話(はなし)ですが、友達(ともだち)によればそのIDを出す(だす)と、警察(けいさつ)はスピードオーバーも見逃し(みのがし)てくれたらしいです。いまは社会体制(しゃかいたいせい)が変わって(かわって)、そういう生活(せいかつ)はもう誰(だれ)もしていませんけれど。
日本(にほん)の生活(せいかつ)は忙しい(いそがしい)ですが、聴いて(きいて)くださるお客様(きゃくさま)がとても熱心(ねっしん)で、あたたかい拍手(はくしゅ)にいつも励まされ(はげまされ)ます。
――こども定期(ていき)の定期会員(ていきかいいん)のみなさんにメッセージをお願い(ねがい)します。
いろいろな音楽(おんがく)を聴いて(きいて)、そのなかから好き(すき)な音楽(おんがく)をみつけてください。「自分(じぶん)のテイスト(好み(このみ))」をみつけて、どんどん興味(きょうみ)を深めて(ふかめて)いってください。
――みなさんからの質問(しつもん)にお答え(こたえ)します――
・バレエを習って(ならって)いて、バレエ音楽(おんがく)が大好き(だいすき)です。ニキティンさんはどのようなバレエ音楽(おんがく)がお好き(すき)ですか? (前田(まえだ)しずかさん 12歳(さい))
ボリショイ劇場(げきじょう)のオーケストラにいたとき、20〜30のバレエ音楽(おんがく)を演奏(えんそう)しました。一番(いちばん)好き(すき)なのは、チャイコフスキーの『くるみ割り人形(くるみわりにんぎょう)』、次(つぎ)がグラズノフの『ライモンダ』、3番目(ばんめ)がハチャトゥリアンの『スパルタクス』です。
・ロシアは寒い国(さむいくに)だと思い(おもい)ます。ヴァイオリンの練習(れんしゅう)は手(て)が冷たく(つめたく)なって大変(たいへん)だったのではありませんか? (宇佐美友彬(うさみともあき)さん 6歳(さい))
手(て)が冷たい(つめたい)ほうが音(おと)はきれいになります。もちろん、かじかむほど冷たく(つめたく)ては弾け(ひけ)ませんので、少し(すこし)暖め(あたため)ますけれどね。エキサイトするとアドレナリンが分泌(ぶんぴつ)されて体(からだ)が熱く(あつく)なり、手(て)だけ冷たく(つめたく)なるみたいです。そういうときのほうがいい演奏(えんそう)ができます。
質問(しつもん)を募集(ぼしゅう)します
次回(じかい)のテーマは「イタリア」。イタリアに馴染み(なじみ)の深い(ふかい)メンバーが登場(とうじょう)します。きいてみたい質問(しつもん)を、別紙(べっし)に書いて(かいて)「オーケストラヘの質問箱(しつもんばこ)」に入れて(いれて)ください。郵便(ゆうびん)、Eメールの場合(ばあい)は次(つぎ)の宛先(あてさき)にお願い(ねがい)します。締切(しめきり)は12月(がつ)26日(にち)(月(げつ))です。
東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)「オーケストラヘの質問箱(しつもんばこ)」係(がかり)
〒212-8554 川崎市(かわさきし)幸区(さいわいく)大宮町(おおみやちょう)1310
ミューザ川崎(かわさき)5F
Eメール tokyosymphony@musicinfo.com
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