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音楽(おんがく)のまちの風景(ふうけい)
第(だい)3回(かい) オーストリア(ウィーン)編(へん)
小林利彰(こばやしとしあき)さん(東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)クラリネット奏者(そうしゃ)
 
 今回(こんかい)は、「生まれ(うまれ)も育ち(そだち)も浅草(あさくさ)」の江戸っ子(えどっこ)ながら、ウィーンに6年(ねん)間(ねんかん)留学(りゅうがく)して以来、ウィーンが「第二(だいに)のふるさと」になった、という小林利彰(こばやしとしあき)さんの登場(とうじょう)です。18歳(さい)でウィーンに渡り(わたり)、一人暮らし(ひとりぐらし)をしながら勉強(べんきょう)した小林(こばやし)さんに、「音楽(おんがく)の都(みやこ)」はどう映った(うつった)のでしょうか?
 
ウィーンに行って(いって)最初(さいしょ)の夏休み(なつやすみ)、プラーター公園(こうえん)で。
 
――ウィーンに留学(りゅうがく)したきっかけを教えて(おしえて)ください。
 まず、楽器(がっき)のことから説明(せつめい)しますね。クラリネットにはドイツ式(しき)とフランス式(しき)があって、楽器(がっき)のかたち、音色(ねいろ)、指づかい(ゆびづかい)が違い(ちがい)ます。世界(せかい)で両方(りょうほう)とも使われて(つかわれて)いるんですが、いまはフランス式(しき)のほうが主流(しゅりゅう)で、日本(にほん)で勉強(べんきょう)するのもこちらが普通(ふつう)です。そのなかで僕(ぼく)は変わり者(かわりもの)で、高校(こうこう)のときにドイツ式(しき)の楽器(がっき)に興味(きょうみ)をもったんですね。きっかけは、一緒(いっしょ)に勉強(べんきょう)していたクラスメートがドイツ式(しき)の楽器(がっき)があることを教えて(おしえて)くれたことで、それからレコードを買って(かって)いろいろ聴いて(きいて)みたとき、すごくいいなと思った(おもった)のがドイツの楽器(がっき)の音(おと)だったんです。それでおそるおそる先生(せんせい)(当時(とうじ)N響(きょう)にいらした三島勝輔先生(みしまかつすけせんせい))に「ドイツ式(しき)の楽器(がっき)をやりたいのですが」と言って(いって)みたら、意外(いがい)なことに先生(せんせい)が大賛成(だいさんせい)。それどころか「楽器(がっき)を変える(かえる)なら、ウィーンに行って(いって)あちらの学校(がっこう)に入って(はいって)勉強(べんきょう)したほうがよい」と留学先(りゅうがくさき)の手配(てはい)を始めて(はじめて)くれちゃった(笑)。僕(ぼく)は浅草育ち(あさくさそだち)で東京(とうきょう)大好き(だいすき)でしたし、ウィーンといわれてもピンとこなかったんですが、すばらしい先生(せんせい)がいらっしゃることがわかって、じゃあ行って(いって)みようかなと。高校(こうこう)3年(ねん)の夏休み(なつやすみ)に、下見(したみ)を兼ねて(かねて)、ウィーンでの講習会(こうしゅうかい)に参加(さんか)したのが、初めて(はじめて)のウィーン、というか生まれて(うまれて)初めて(はじめて)の外国(がいこく)でした。まちの雰囲気(ふんいき)も気に入り(きにいり)ましたが、なにより講習会(こうしゅうかい)でレッスンを受けた(うけた)先生(せんせい)がすばらしくて、ここに留学(りゅうがく)しようと決意(けつい)したんです。
 
――ドイツ語(ご)はどうやって勉強(べんきょう)したんですか?
 芸高(げいこう)を卒業(そつぎょう)した後(あと)、東京(とうきょう)のドイツ語(ご)学校(がっこう)の「3ヶ月(かげつ)速成(そくせい)コース」に入って(はいって)、特訓(とっくん)を受けた(うけた)んです。分厚い(ぶあつい)本(ほん)のドイツ語(ご)を丸暗記(まるあんき)しながら。でも向こう(むこう)にいったらぜんぜんダメでした。まず現地(げんち)の人(ひと)がいう言葉(ことば)がききとれない。ウィーンのドイツ語(ご)は「ヴィーナリッシュ」といってアクセントや発音(はつおん)が違う(ちがう)んです。耳(みみ)が慣れる(なれる)までに何ヶ月(なんかげつ)もかかりました。
 
――ウィーンでは学校(がっこう)に入った(はいった)んですか?
 はい、ウィーン高等音楽院(こうとうおんがくいん)(現在(げんざい)はウィーン音楽大学(おんがくだいがく))に入って(はいって)、ウィーン・フィル首席奏者(しゅせきそうしゃ)のペーター・シュミードル教授(きょうじゅ)のクラスで勉強(べんきょう)しました。ウィーン・フィルやべルリン・フィルをめざす先鋭(せんえい)たちが集まる(あつまる)クラスで、すごく厳しい(きびしい)レッスンでした。毎週(まいしゅう)火曜(かよう)と金曜(きんよう)、全員参加(ぜんいんさんか)のレッスンがあって、みんなの前(まえ)でそれぞれが課題(かだい)を吹く(ふく)んですが、みなものすごくうまいのと、先生(せんせい)のおっしゃることがとてもレベルが高い(たかい)ので、必死(ひっし)で勉強(べんきょう)しました。辛く(つらく)なるときもありましたが、夢(ゆめ)を持って(もって)一所懸命(いっしょけんめい)勉強(べんきょう)していたので、楽しかった(たのしかった)です。自分(じぶん)のことをしっかり主張(しゅちょう)することの大切さ(たいせつさ)も学び(まなび)ました。このとき一緒(いっしょ)に勉強(べんきょう)していた仲間(なかま)の何人(なんにん)かは、いまウィーン・フィルやベルリン・フィルで演奏(えんそう)しています。ウィーン郊外(こうがい)にある先生(せんせい)の別荘(べっそう)に遠足(えんそく)に行った(いったり)り、毎月(まいつき)あったクラスアーベント(音楽会(おんがくかい))のあとレストランに行ったり(いったり)したのもいい思い出(おもいで)です。いまこうして東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)で演奏(えんそう)できるのも、あのときのレッスンのおかげと思い(おもい)ます。
 
 ウィーンで厳しい(きびしい)レッスンを受けて(うけて)いた頃(ころ。最後列(さいこうれつ)右(みぎ)から3番目(ばんめ)が小林(こばやし)さん。
 ペーター・シュミードル(中央(ちゅうおう))が教授(きょうじゅ)に就任(しゅうにん)した時(とき)の門下生(もんかせい)一同(いちどう)の記念(きねん)撮影(さつえい)。
 1列目(れつめ)(向かって(むかって))左(ひだり)より:ノルベルト・トイベル(ウィーン・フィル首席(しゅせき))、クルト・シュミット(現(げん)トーンキュンストラ管首席(かんしゅせき)・当時(とうじ)12歳(さい))、ヴェンツェル・フックス(ベルリン・フィル首席(しゅせき)・当時(とうじ)15歳(さい))、レオンハルト・グッチー(現(げん)モーツァルテルム管首席(かんしゅせき))、ゲラルト・グルンバッヒャー(元(もと)ウィーン・フィル奏者(そうしゃ))、2列目(れつめ)(シュミードル教授(きょうじゅ)の左横(ひだりよこ)):ヨハン・ヒンドラー(現(げん)ウィーン・フィル)、(同右横(どうみぎよこ)):エルンスト・オッテンザーマー(現(げん)ウィーン・フィル)など、いま世界(せかい)のオーケストラで活躍(かつやく)している奏者(そうしゃ)がたくさんいる。
 
――住まい(すまい)や食事(しょくじ)はどうされていましたか?
 部屋(へや)は朝(あさ)から夜(よる)まで音出し(おとだし)できるところを探して(さがして)もらって、学校(がっこう)まで歩いて(あるいて)15分(ふん)で行ける(いける)ところに間借り(まがり)していました。ナッシュマルクト(市場(いちば))も歩いて(あるいて)いけたので、買い物(かいもの)して自炊(じすい)していました。レッスン中心(ちゅうしん)の生活(せいかつ)だったので、あまり遊ぶ時間(あそぶじかん)はなかったんですが、オペラを聴き(きき)に行った(いった)り、名物(めいぶつ)のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートも、毎年(まいとし)聴き(きき)に行き(いき)ました。
 
――ウィーンは「音楽(おんがく)の都(みやこ)」だけでなく、美術館(びじゅつかん)もたくさんあって、お料理(りょうり)もお菓子(かし)もおいしい。観光(かんこう)にぴったりの場所(ばしょ)と思い(おもい)ますが。
 それに気づいた(きづいた)のは、1996年(ねん)の東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)のヨーロッパツアーの最後(さいご)にウィーンに行った(いった)ときです。留学(りゅうがく)から帰って(かえって)13年(ねん)ぶりのウィーンでした。ホイリゲ(自家製(じかせい)のワインや料理(りょうり)を出す(だす)レストラン)でお酒(さけ)を飲み(のみ)ソーセージを食べて(たべて)、「ウィーンのワインはこんなにおいしかったのか、6年(ねん)もいたのにもったいないことをした」(笑)と思い(おもい)ました。まちの雰囲気(ふんいき)も、かつては排気(はいき)ガスで建物(たてもの)が黒(くろ)かったのがきれいになっていて、散歩(さんぽ)しているだけでもすごく楽しい(たのしい)。作曲家(さっきょくか)が住んだ(すんだ)家(いえ)、歩いた(あるいた)道(みち)、眠って(ねむって)いるお墓(はか)も、みなまちのなかにあります。とても気に入って(きにいって)、同じ年(おなじとし)に今度(こんど)は家族旅行(かぞくりょこう)で行き(いき)、それから2年(ねん)おきに家族(かぞく)でウィーン旅行(りょこう)しています。僕(ぼく)の大切(たいせつ)な“第二(だいに)のふるさと”です。
 
ウィーンの観光名所(かんこうめいしょ)「シュテファン大寺院(だいじいん)」。
この前(まえ)の広場(ひろば)からのびるケルントナー通り(どおり)を歩く(あるく)とウィーン国立歌劇場(こくりつかげきじょう)に出る(でる)。
 
世界(せかい)のオペラ・ファンが憧れる(あこがれる)「ウィーン国立歌劇場(こくりつかげきじょう)」。毎日(まいにち)違う(ちがう)演目(えんもく)が上演(じょうえん)されるので、いろいろなオペラを楽しむ(たのしむ)ことができる。
 
――みなさんからの質問(しつもん)にお答え(こたえ)します――
・クラリネットの勉強(べんきょう)を始めた(はじめた)のはいつですか?(井上 環(いのうえ たまき)さん 6歳(さい))
 小学校(しょうがっこう)4年(ねん)になって合奏(がっそう)クラブに入る(はいる)とき、どの楽器(がっき)にするか決める(きめる)ために、演奏家(えんそうか)が学校(がっこう)にきて楽器(がっき)の音(おと)を出して(だして)くれたことがあったんです。フルート、クラリネット、トランペット、ヴァイオリンがあったんですが、その音(おと)を聴いた(きいた)瞬間(しゅんかん)、クラリネットに決め(きめ)ました。なんていい音(おと)だろうと思った(おもった)んです。いまでもクラリネットの音(おと)が大好き(だいすき)です。
・クラリネットとリコーダーはどこが違い(ちがい)ますか?リコーダーがうまくなればクラリネットもうまくなりますか?(行實宗一郎(ゆきざねそういちろう)さん 10歳(さい))
 大きな(おおきな)違い(ちがい)は、リコーダーはリードがないことです。クラリネットは口(くち)でリードを振動(しんどう)させるのが難しい(むずかしい)ので、リコーダーが吹け(ふけ)てもすぐクラリネットが吹ける(ふける)わけではないのですよ。
・クラブ活動(かつどう)でクラリネットをやっています。息(いき)が続か(つづか)なく音(おと)もうまく吹け(ふけ)ないのですが、何(なに)かコツはありますか?(遠藤さな(えんどうさな)さん 12歳(さい))
 ロングトーンの練習(れんしゅう)を根気(こんき)よくすることが大切(たいせつ)です。それも無理(むり)に大きな(おおきな)音(おと)を出す(だす)のではなく、楽(らく)に出せる(だせる)音(おと)でやってみてください。リードも楽(らく)に音(おと)が出せる(だせる)ものを選んだ(えらんだ)ほうがよいと思い(おもい)ます。大きく(おおきく)なれば口(くち)の筋力(きんりょく)がもっとつくようになると思う(おもう)ので、それまであまり無理(むり)をしないように練習(れんしゅう)したほうがよいでしょう。
 
質問(しつもん)を募集(ぼしゅう)します
 次回(じかい)のテーマは「サンクト・ペテルブルク」。モスクワ出身(しゅっしん)のコンサートマスター、グレブ・ニキティンが登場(とうじょう)します。ニキティンさんに聴いて(きいて)みたい質問(しつもん)を、別紙(べっし)に書いて(かいて)「オーケストラへの質問箱(しつもんばこ)」に入れて(いれて)ください。郵便(ゆうびん)、Eメールの場合(ばあい)は次(つぎ)の宛先(あてさき)にお願い(おねがい)します。締切(しめきり)は9月(がつ)30日(にち)(金(きん))です。
 
東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)「オーケストラへの質問箱(しつもんばこ)」係(がかり)
〒212-8554 川崎市(かわさきし)幸区(さいわいく)大宮町(おおみやちょう)1310 ミューザ川崎(かわさき)5F
Eメール tokyosymphony@musicinfo.com


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