プログラム・ノート
有田栄(ありたさかえ)(音楽学(おんがくがく))
■クラーク:トランペット・ヴォランタリー
はなやかなトランペットの音(おと)で有名(ゆうめい)な『トランペット・ヴォランタリー』は、今(いま)から300年(ねん)くらい前(まえ)に、イギリスの作曲家(さっきょくか)ジェレマイア・クラーク(1674頃(ころ)−1707)が作曲(さっきょく)しました。『デンマーク王子(おうじ)の行進曲(こうしんきょく)』という題名(だいめい)でも知られ(しられ)ています。以前(いぜん)は、クラークと同じ(おなじ)時代(じだい)に活躍(かつやく)したへンリー・パーセル(1659-95)の作品(さくひん)と考え(かんがえ)られていました。
「ヴォランタリー」とは、教会(きょうかい)で、礼拝(れいはい)(祈り(いのり)の儀式(ぎしき))が始まる(はじまる)時(とき)や終わる(おわる)時(とき)に演奏(えんそう)される音楽(おんがく)のことをいいます。この曲(きょく)にも、そうしたおごそかな雰囲気(ふんいき)があります。20世紀(せいき)の指揮者(しきしゃ)、へンリー・ウッドが演奏会(えんそうかい)で取り上げ(とりあげ)たのをきっかけに大変(たいへん)有名(ゆうめい)になり、結婚式(けっこんしき)など、いろいろな儀式(ぎしき)の始まり(はじまり)を告げる(つげる)音楽(おんがく)として演奏(えんそう)されるようになりました。
■へンデル:『水上(すいじょう)の音楽(おんがく)』から「アレグロ」
ジョージ・フリデリック・へンデル(1685-1759)は、バッハと同じ(おなじ)ころに活躍(かつやく)した作曲家(さっきよくか)です。もとはドイツの人(ひと)でしたが、イギリスに帰化(きか)(その国(くに)の人(ひと)になること)して、一生(いっしよう)のほとんどをイギリスですごしました。
ヘンデルは、人(ひと)を楽しま(たのしま)せる音楽(おんがく)を書く(かく)天才(てんさい)でした。彼(かれ)のオペラは、毎回(まいかい)新しい(あたらしい)しかけが隠して(かくして)ありました。また屋外(おくがい)で、花火(はなび)を打ち上げ(うちあげ)ながら音楽(おんがく)を演奏(えんそう)したこともあって、その時(とき)にはロンドン中(じゅう)の人(ひと)が1万人以上も集まり、交通渋滞(こうつうじゅうたい)が起きた(おきた)ほどだったといいます。
この『水上(すいじょう)の音楽(おんがく)』も、へンデルが、イギリス国王(こくおう)ジョージI世のために考えた(かんがえた)、とっておきの催し物(もよおしもの)でした。1717年(ねん)のある夏(なつ)の日(ひ)のこと。ロンドンのテムズ川(がわ)を、たくさんの舟(ふね)がのぼっていきます。舟(ふね)には、国王(こくおう)や貴族(きぞく)たち、そして何十人(なんじゅうにん)ものオーケストラが乗り(のり)こんで、音楽(おんがく)を演奏(えんそう)するのです。国王(こくおう)も、川(かわ)ぞいの見物人(けんぶつにん)たちも大喜び(おおよろこび)。王(おう)は、音楽(おんがく)を何度(なんど)もくり返して(かえして)演奏(えんそう)させたといわれています。
■ブリテン:『シンプル・シンフォニー』から「感傷的(かんしょうてき)なサラバンド」
エドワード・ベンジャミン・ブリテン(1913-76)は、20世紀(せいき)のイギリスを代表(だいひょう)する作曲家(さっきょくか)。こどもたちにオーケストラの面白さ(おもしろさ)を伝え(つたえ)たい、と書いた(かいた)『青少年(せいしょうねん)のための管弦楽(かんげんがく)入門(にゅうもん)』は、この「こども定期(ていき)」でも何度(なんど)かとりあげたことがあります。
ブリテンは、バッハやへンデルが活躍(かつやく)した「バロック」の時代(じだい)や、その前(まえ)の「ルネサンス」の時代(じだい)の音楽(おんがく)にとても興味(きょうみ)を持って(もって)いて、自分(じぶん)でもそうした時代(じだい)の音楽(おんがく)をよく演奏(えんそう)していました。彼(かれ)の作品(さくひん)の中(なか)には、その時代(じだい)の音楽(おんがく)のメロディがしばしば登場(とうじょう)します。
『シンプル・シンフォニー』は、ブリテンが9才(さい)ぐらいのころから考え(かんがえ)ていたアイディアやメロディをもとに、21才(さい)の時(とき)に作曲(さっきょく)した曲(きょく)です。バロック時代(じだい)のシンフォニーにならって、舞曲(ぶきょく)(踊り(おどり)のための曲(きょく))のような短い(みじかい)曲(きょく)4つからできています。聴いて(きいて)いただく「感傷的(かんしょうてき)なサラバンド」の「サラバンド」は、フランス風(ふう)のゆっくりとした舞曲(ぶきょく)です。
■ビートルズ・メドレー
みなさんは、「ビートルズ」というグループを知って(しって)いますか? みなさんのお父さん(おとうさん)やお母さん(おかあさん)、おじいさんやおばあさんに、「ビートルズの歌(うた)を歌(うた)って」とお願い(ねがい)してごらんなさい。必ず(かならず)何か(なにか)一曲(いっきょく)はメロディを口(くち)ずさんでくださるにちがいありません。そのくらい、世界中(せかいじゅう)で親し(したし)まれている音楽(おんがく)なのです。
ビートルズが結成(けっせい)されたのは、今(いま)から40年(ねん)以上(いじょう)前(まえ)の1962年(ねん)。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スター。彼ら(かれら)は、イギリスのリヴァプールという町(まち)の出身(しゅっしん)の若者(わかもの)たちでした。1970年(ねん)に解散(かいさん)するまで、数え(かぞえ)切れ(きれ)ないほどのすてきなメロディを生み(うみ)出した(だした)ビートルズ。きょうはその中(なか)から、『イエスタデイ』、『オブラディ・オブラダ』、『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』、『ノルウェーの森(もり)(鳥(とり)は飛んで(とんで)いった)』、『プリーズ・プリーズ・ミー』をおおくりします。
■ホルスト:『惑星(わくせい)』から「火星(かせい)」
グスタヴ・ホルスト(1874-1934)は、学生(がくせい)のころから、インドや日本(にほん)など東洋(とうよう)の文化(ぶんか)にとても興味(きょうみ)を持って(もって)いました。「せわしないこの世(よ)にとらわれず、自然(しぜん)や宇宙(うちゅう)の呼吸(こきゅう)を感じ(かんじ)て生き(いき)なさい」というインドの古い(ふるい)教え(おしえ)に、ホルストはとても心(こころ)をひかれました。そして自分(じぶん)もまた音楽(おんがく)の中(なか)で、大自然(だいしぜん)や、果て(はて)しない宇宙(うちゅう)を描こう(えがこう)としたのです。
『惑星(わくせい)』は、地球(ちきゅう)とともに太陽(たいよう)のまわりを回って(まわって)いる7つの星(ほし)たちをテーマにした曲(きょく)です。そうした星々(ほしぼし)は、昔(むかし)からさまざまな神(かみ)の姿(すがた)だと考え(かんがえ)られてきました。「火星(かせい)」は、マルスという戦争(せんそう)の神(かみ)。古代(こだい)ローマでは、若者(わかもの)が軍隊(ぐんたい)に入る(はいる)儀式(ぎしき)を3月(がつ)に行なって(おこなって)いたので、マルスは「春(はる)」や「若さ(わかさ)」も表わし(あらわし)ています。ホルストは、力強く(ちからづよく)、生き生き(いきいき)とした音楽(おんがく)でこの神(かみ)の姿(すがた)を描き(えがき)ます。
■ドヴォルザーク:交響曲(こうきょうきょく)第(だい)8番(ばん)ト長調(ちょうちょう)第(だい)3楽章(がくしょう)
アントニーン・ドヴォルザーク(1841-1904)は、今から100年(ねん)ほど前(まえ)に活躍(かつやく)していたチェコの作曲家(さっきょくか)です。「新世界(しんせかい)から」という題名(だいめい)でも知ら(しら)れる有名(ゆうめい)な交響曲(こうきょうきょく)もそうですが、彼(かれ)の音楽(おんがく)には、いつもすばらしいメロディがあふれています。ドヴォルザークは、そうしたメロディを生み出す(うみだす)アイディアを、ふるさとのチェコをはじめさまざまな土地(とち)の民謡(みんよう)から得て(えて)いました。ふるさとの歌(うた)を愛す(あいす)る気持ち(きもち)は、世界中(せかいじゅう)どこの国(くに)も同じ(おなじ)。ですから彼(かれ)の曲(きょく)は、当時(とうじ)も今(いま)もチェコだけでなく、ヨーロッパやアメリカ、そして日本(にほん)など、多く(おおく)の国(くに)で愛され(あいされ)ています。
なかでもとりわけドヴォルザークの音楽(おんがく)を気に入って(きにいって)いたのが、イギリスの人々(ひとびと)でした。ドヴォルザークは、イギリスを9回(かい)も訪れ(おとずれ)て演奏会(えんそうかい)を開き(ひらき)、そのたびに大歓迎(だいかんげい)を受け(うけ)ています。この『交響曲(こうきょうきょく)第(だい)8番(ばん)』も、ほかのどこよりも先(さき)にイギリスで楽譜(がくふ)が出版(しゅっぱん)されたために、「イギリス」という名前(なまえ)で呼ばれ(よばれ)てきた作品(さくひん)です。
■ヴォーン=ウィリアムズ:グリーンスリーヴズの主題(しゅだい)による幻想曲(げんそうきょく)
音楽(おんがく)は、私(わたし)たちの日々(ひび)のくらしの中(なか)から生まれ(うまれ)るものだ―レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ(1872-1958)は、いつもそう考え(かんがえ)ていました。彼(かれ)は、イギリス人(じん)ならだれもが知って(しって)いるような、民謡(みんよう)のメロディをもとに音楽(おんがく)を書き(かき)続けた(つづけた)人(ひと)です。彼(かれ)の音楽(おんがく)は、さきほどのホルストの音楽(おんがく)とともに、ビートルズや、イギリスで誕生(たんじょう)した「プログレッシヴ・ロック」と呼ばれ(よばれ)る音楽(おんがく)にも、大きな(おおきな)影響(えいきょう)を与え(あたえ)ているんですよ。
お聴き(きき)いただくのは、『グリーンスリーヴズ』という古い(ふるい)歌(うた)のメロディをもとにした作品(さくひん)。「ああ!私(わたし)は愛する(あいする)人(ひと)にうらぎられ、冷たく(つめたく)捨て(すて)られてしまった。緑(みどり)のそでの服(ふく)を着た(きた)あの人(ひと)だけが、私(わたし)の宝(たから)、私(わたし)の喜び(よろこび)だったのに・・・」という悲しい(かなしい)恋(こい)の歌(うた)です。とちゅうから、『いとしのジョーン』という別(べつ)の民謡(みんよう)も登場(とうじょう)します。
■エルガー:行進曲(こうしんきょく)「威風堂々(いふうどうどう)」第(だい)1番(ばん)
エドワード・エルガー(1857-1934)の故郷(ふるさと)は、イングランドのウスター。美しい(うつくしい)自然(しぜん)と、昔(むかし)ながらの姿(すがた)が残る(のこる)町(まち)です。エルガーは、ほとんど一人(ひとり)で音楽(おんがく)を学び(まなび)、本格的(ほんかくてき)に作曲(さっきょく)の仕事(しごと)を始め(はじめ)たのは、もう30歳(さい)をすぎてからでした。けれども彼(かれ)は、音楽家(おんがくか)としてイギリス中(じゅう)の人々(ひとびと)の尊敬(そんけい)を集め(あつめ)、ヴィクトリア女王(じょうおう)、エドワードVII世(せい)、そしてジョージV世(せい)と、代々(だいだい)のイギリス王(おう)からさまざまな儀式(ぎしき)の音楽(おんがく)を任される(まかされる)ほどでした。
『威風堂々(いふうどうどう)』は、エルガーの作品(さくひん)の中(なか)でも一番(いちばん)人気(にんき)のある作品(さくひん)です。勇ましい(いさましい)行進曲(こうしんきょく)の部分(ぶぶん)にはさまれた真ん中(まんなか)の部分(ぶぶん)のメロディはことに美しい(うつくしい)もので、エルガーはこれに歌詞(かし)をつけて『希望(きぼう)と栄光(えいこう)の国(くに)』という歌(うた)にしました。「希望(きぼう)と栄光(えいこう)の国(くに)、自由(じゆう)の母(はは)よ。あなたから生まれた(うまれた)私(わたし)たちは、あなたをどれほどほめたたえればよいだろう」というこの歌(うた)は、「第(だい)2のイギリス国歌(こっか)」とも言われて(いわれて)います。
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