音楽(おんがく)のまち(1)―パリ
フランスの首都(しゅと)パリは、今(いま)もむかしも、あらゆる文化(ぶんか)の中心地(ちゅうしんち)です。大きな(おおきな)権力(けんりょく)を持って(もって)いたことから「太陽王(たいようおう)」と呼ばれた(よばれた)ルイ14世(せい)の時代(じだい)には、世界中(せかいじゅう)の人(ひと)や物(もの)がパリに集まって(あつまって)きました。もちろん、たくさんの音楽家(おんがくか)たちもやってきました。街(まち)には、オペラ劇場(げきじょう)や、すばらしい響き(ひびき)のする大きな(おおきな)教会(きょうかい)があり、そこが音楽家(おんがくか)たちの活躍(かつやく)する舞台(ぶたい)となりました。
今(いま)から250年(ねん)ほど前(まえ)、まだ音楽(おんがく)が王(おう)や貴族(きぞく)など、ごくかぎられた人(ひと)のための楽しみ(たのしみ)だったころ、パリの街(まち)ではもうすでに、誰(だれ)でも音楽(おんがく)を楽しむ(たのしむ)ことができる演奏会(えんそうかい)が開かれ(ひらかれ)ていました。「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる(よばれる)すぐれた演奏家(えんそうか)たちが、おおぜいの人(ひと)を楽し(たのし)ませることができたのも、そのような演奏会(えんそうかい)が開かれた(ひらかれた)おかげでした。
やがて19世紀(せいき)のなかばごろ、つまり今(いま)から150年(ねん)ほど前(まえ)に、パリの街(まち)で「万国博覧会(ばんこくはくらんかい)」が何度(なんど)も開かれる(ひらかれる)ようになりました。ちょうど「愛知万博(あいちばんぱく)」にロボットやマンモスの牙(きば)が登場(とうじょう)しているように、博覧会(はくらんかい)には、そのころの最も(もっとも)進んだ(すすんだ)技術(ぎじゅつ)で作られた(つくられた)物(もの)や、世界各地(せかいかくち)のめずらしい物(もの)がたくさん集め(あつめ)られました。ドビュッシーの『海(うみ)』の楽譜(がくふ)に使わ(つかわ)れたような日本(にほん)の「浮世絵(うきよえ)」もそのひとつでした。
そして20世紀(せいき)のはじめごろ、ロシアから有名(ゆうめい)なバレエ団(だん)「バレエ・リュス」がパリにやってきます。民話(みんわ)を題材(だいざい)にした『シェエラザード』や『火(ひ)の鳥(とり)』、リズムが爆発(ばくはつ)する『春(はる)の祭典(さいてん)』など、バレエ・リュスの音楽(おんがく)と踊り(おどり)に、パリの人々(ひとびと)はすっかりとりこになってしまいました。この「バレエ・リュス」の公演(こうえん)には、ドビュッシーやサティ、ラヴェルの音楽(おんがく)が使われ(つかわれ)、画家(がか)のピカソやシャガール、それにデザイナーのココ・シャネルが舞台装置(ぶたいそうち)や衣装(いしょう)を作り(つくり)、台本(だいほん)はコクトーなど詩人(しじん)たちが書く(かく)・・・というように、さまざまな芸術家(げいじゅつか)たちが参加(さんか)していたのです。今日(こんにち)のパリも、いろいろな民族(みんぞく)の人々(ひとびと)が集まって(あつまって)来る(くる)街(まち)。ヨーロッパの人々(ひとびと)のほか、中国(ちゅうごく)やベトナムなどアジアの人々(ひとびと)、アルジェリアやセネガルなどアフリカから来た(きた)人々(ひとびと)、それにアラブの国々(くにぐに)からやってきた人々(ひとびと)が街(まち)を行き(いき)かっています。きょう聴いて(きいて)いただく音楽(おんがく)―色(いろ)とりどりの楽器(がっき)の音(おと)が奏でる(かなでる)音楽(おんがく)は、そんなにぎやかなパリの街(まち)の風景(ふうけい)そのままではないでしょうか。
第(だい)1回(かい) フランス(パリ)編(へん)
エマニュエル・ヌヴーさん(東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん) 主席(しゅせき)クラリネット奏者(そうしゃ)
クラリネットのヌヴーさんが生まれ育った(うまれそだった)フランス(ふらんす)は、きょうみなさんに聴いて(きいて)いただいた作品(さくひん)が生まれた(うまれた)ところです。「音楽(おんがく)のまちパリ)」はどんなところ? ヌヴーさんはどうやって音楽(おんがく)を勉強(べんきょう)したのかな。音楽(おんがく)のようにきれいに流れる(ながれる)ヌヴーさんのフランス語(ご)を、奥様(おくさま)でクラリネット奏者(そうしゃ)の郡 尚恵(こおり ひさえ)さんが通訳(つうやく)してくださいました。
●勇気付けて(ゆうきづけて)くれたお母さん(おかあさん)
―ヌヴーさんの故郷(ふるさと)を紹介(しょうかい)してください。
ルーアンという、パリから北(きた)に100キロ行った(いった)ところです。昔(むかし)の町並み(まちなみ)がそのまま残って(のこって)いる小さくて(ちいさくて)すてきな町(まち)です。パリにも電車(でんしゃ)で1時間(じかん)で出られる(でられる)ので、とても便利(べんり)。サティが生まれた(うまれた)オンフルールや、モネの名画(めいが)『睡蓮(すいれん)』で有名(ゆうめい)なジヴェルニーが近く(ちかく)にあります。
ヌヴーさんの故郷(こきょう)ルーアンのまち
―音楽(おんがく)の勉強(べんきょう)を始めた(はじめた)のはいつですか?
9歳(さい)からソルフェージュとリコーダーを始めて(はじめて)、クラリネットは10歳(さい)からです。母(はは)が音楽好き(おんがくずき)で、3人(にん)いる姉(あね)もそれぞれピアノ、ギター、ヴァイオリンをやっていました。クラリネットにしたのは、母(はは)が、モーツァルトのクラリネット協奏曲(きょうそうきょく)のレコードを聴かせて(きかせて)くれたのがきっかけです。とても気に入って(きにいって)吹いて(ふいて)みたいなと思い(おもい)ました。
小さい(ちいさい)ころから毎日(まいにち)練習(れんしゅう)していました。
|
―クラリネットの練習(れんしゅう)は楽し(たのし)かったですか?
はい。最初(さいしょ)は音(おと)を出す(だす)のがすごくむずかしくて苦労(くろう)しました。でも大変(たいへん)だなと思って(おもって)いた最初(さいしょ)の2年間(ねんかん)、母(はは)がいつも励まして(はげまして)くれたので、がんばって練習(れんしゅう)できました。母(はは)は厳しく(きびしく)強制(きょうせい)するのではなく、僕(ぼく)が自分(じぶん)から練習(れんしゅう)するように勇気(ゆうき)づけてくれたのです。あの2年間(ねんかん)がなかったら、いまの自分(じぶん)はなかったと思い(おもい)ます。楽器(がっき)がうまくなるには、毎日(まいにち)練習(れんしゅう)する習慣(しゅうかん)をつけることがとても大切(たいせつ)ですから。それから今(いま)まで、クラリネットをやめたいと思った(おもった)ことは一度(いちど)もありません。
―最初(さいしょ)、どういうところがむずかしかったのですか?
クラリネットには、くわえて息(いき)をふきこむマウスピースのところに、葦(よし)でできているリードがあって、これが音(おと)を出す(だす)うえで重要(じゅうよう)な働き(はたらき)をするのですが、1本(ぽん)1本(ぽん)厚さ(あつさ)や形(かたち)が違った(ちがった)り、温度(おんど)や湿度(しつど)によってご機嫌斜め(きげんななめ)になったりするので、その選び方(えらびかた)がむずかしかったです。あとこれは管楽器(かんがっき)すべてにいえることですが、初め(はじめ)に口(くち)のかたち(フランス語(ご)でアンブッシャー)をちゃんと整える(ととのえる)ことが大切(たいせつ)なので、その練習(れんしゅう)をたくさんしました。
―小さい(ちいさい)ときに行った(いった)コンサートで印象(いんしょう)に残って(のこって)いるのは?
母(はは)の知り合い(しりあい)のおばあさんでオペレッタが大好き(だいすき)な人(ひと)がいて、その人(ひと)と一緒(いっしょ)に月(つき)に2回(かい)、ルーアンのオペラ座(ざ)にオペレッタを観に(みに)いっていました。オペレッタはストーリーがおもしろいし、舞台(ぶたい)や衣装(いしょう)も華やか(はなやか)で、いつも行く(いく)のが楽しみ(たのしみ)でした。そのあとワーグナーのオペラを聴き(きき)にいったら、長く(ながく)てチョット退屈(たいくつ)しちゃいました。
―ヌヴーさんがクラリネットを吹いて(ふいて)いて、すごく楽しい(たのしい)曲(きょく)は?
ドビュッシー、プーランク、ヴィドールなどフランスの曲(きょく)が好き(すき)です。モーツァルトも大好き(だいすき)です。フランス音楽(おんがく)は音色(ねいろ)、和声(わせい)がとてもきれいで、流れる(ながれる)ように自由(じゆう)なところが、吹いて(ふいて)いて心地(ここち)よいです。
ルーアンの大聖堂(だいせいどう)
パリのオペラ座(ざ)(オペラ・ガルニエ)
いまはバレエを中心(ちゅうしん)に上演(じょうえん)。パリの人(ひと)たちの社交(しゃこう)の場(ば)にもなっています。
|
宮殿(きゅうでん)のように華やか(はなやか)なオペラ座(ざ)のロビー
|
●美しい(うつくしい)ものへのこだわり
―「音楽(おんがく)のまちパリ」で暮らした(くらした)のは?
パリ高等音楽院(こうとうおんがくいん)(コンセルヴァトワール)で勉強(べんきょう)した22歳(さい)から25歳(さい)まで暮らし(くらし)ました。学校(がっこう)はヴィレットという北(きた)のほうにあるんですが、僕(ぼく)はエッフェル塔(とう)の近く(ちかく)に住んで(すんで)いました。学校(がっこう)はすばらしい先生(せんせい)がそろっていましたし、生徒(せいと)もすごく上手(じょうず)な人(ひと)たちが集まって(あつまって)いたので、いつも刺激(しげき)があって、勉強(べんきょう)できることがとてもうれしかったです。週末(しゅうまつ)は映画(えいが)をみたり、パリの街(まち)を散歩(さんぽ)したりして過ごし(すごし)ました。
―パリはたくさんの人(ひと)があこがれる町(まち)。モーツァルトやショパン、ワーグナーをはじめ、世界(せかい)の音楽家(おんがくか)がパリをめざしてやってきて、曲(きょく)を書い(かい)たり、演奏(えんそう)したりしています。美術(びじゅつ)、映画(えいが)、ファッションも盛ん(さかん)です。パリが“芸術(げいじゅつ)の都(みやこ)”なのは、どうしてだと思い(おもい)ますか?)
フランス人(じん)にとってはすごくむずかしい質問(しつもん)ですね(笑)。フランス人(じん)は美しい(うつくしい)ものにこだわりがあることが一番(いちばん)の理由(りゆう)かな。それにノスタルジックで古い(ふるい)ものが好き(すき)なので、昔(むかし)からあるものをずっと大切(たいせつ)に持って(もって)いたいという気持ち(きもち)が強い(つよい)と思い(おもい)ます。だから音楽(おんがく)もそうですし、歴史的(れきしてき)な建物(たてもの)や美術品(びじゅつひん)など、古く(ふるく)からあるものを大切(たいせつ)にしています。それと同時(どうじ)に、新しい(あたらしい)ものへの関心(かんしん)もとても高く(たかく)て、新しく(あたらしく)ピラミッドの建物(たてもの)を造った(つくった)ルーヴル美術館(びじゅつかん)のように、古い(ふるい)ものと新しい(あたらしい)ものが一緒(いっしょ)に生きて(いきて)いるのもパリの特徴(とくちょう)です。
パリのシンボル、エッフェル塔(とう)
1889年(ねん)、パリ万国博覧会(ばんこくはくらんかい)のときに建て(たて)られました。
|
―フランスは食べ物(たべもの)もおいしいですね。ヌヴーさんのお料理(りょうり)の腕前(うでまえ)は?
フランス料理(りょうり)をたまに作り(つくり)ます。牛肉(ぎゅうにく)の赤ワイン煮(あかワインに)とかキッシュとか。5時間(じかん)くらいかかることもあるので大変(たいへん)ですけれど、おいしいものができて喜んで(よろこんで)もらえるとすごく嬉しい(うれしい)です。
―定期会員(ていきかいいん)のみなさんにメッセージをお願い(おねがい)します。
音楽(おんがく)を聴く(きく)ときも演奏(えんそう)するときも、いつも喜び(よろこび)をもっていてほしいと思います(おもいます)。初めて(はじめて)こども定期(ていき)で演奏(えんそう)したとき、みなさんが集中(しゅうちゅう)して、関心(かんしん)をもって聴いて(きいて)くださっているのがわかって、とても感動(かんどう)しました。パリでもパリ管弦楽団(かんげんがくだん)が「こどもたちのためのコンサート」をやっていますが、このようなコンサートが世界(せかい)で行われて(おこなわれて)いるのはすばらしいことですね。みなさんがこれからもずっと、音楽(おんがく)を愛する(あいする)人(ひと)たちでいてくれることを願って(ねがって)います。
質問(しつもん)を募集(ぼしゅう)します。
次回(じかい)のテーマは、「ロンドン」。イギリス出身(しゅっしん)のヴァイオリン奏者(そうしゃ)大和田(おおわだ)ルースさんが登場(とうじょう)します。大和田(おおわだ)さんに聞いて(きいて)みたい質問(しつもん)を、別紙(べっし)に書いて(かいて)、ホールのロビーに置いて(おいて)ある「オーケストラへの質問箱(しつもんばこ)」に入れて(いれて)ください。
(郵便(ゆうびん)やEメールの場合(ばあい)は次(つぎ)の宛先(あてさき)にお願い(ねがい)します。締め切り(しめきり)は4月(がつ)30日(にち)です。)
東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)「オーケストラへの質問箱(しつもんばこ)」係(かかり)
〒212-8554 川崎市(かわさきし)幸区(さいわいく)大宮町(おおみやちょう)1310
ミューザ川崎(かわさき)5F
Eメール tokyosymphony@musicinfo.com
「音楽(おんがく)のまちロンドン」について、ヴァイオリン、オーケストラについて、生活(せいかつ)について、ルースさんについてなど、なんでも結構(けっこう)です。みなさんからのたくさんの質問(しつもん)を楽しみ(たのしみ)に、おまちしています。
|