■サン=サーンス作曲(さっきょく) 序奏(じょそう)とロンド・カプリッチョーソ
だれもまねできないような、すばらしい演奏(えんそう)をする人(ひと)のことを「ヴィルトゥオーゾ(名人(めいじん))」といいます。いまから100年以上前(ねんいじょうまえ)の19世紀(せいき)には、「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる(よばれる)ピアニストやヴァイオリニストたちが、たくさん登場(とうじょう)しました。そして作曲家(さっきょくか)たちは、彼ら(かれら)の人なみ(ひとなみ)はずれたテクニック(わざ)を、さらにかがやかせるような曲(きょく)をつぎつぎに書いた(かいた)のです。
『序奏(じょそう)とロンド・カプリッチョーソ』は、カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)が、そのころの有名(ゆうめい)なヴィルトゥオーゾで、スペインのヴァイオリニスト、パブロ・デ・サラサーテのために書いた(かいた)作品(さくひん)です。じつはサン=サーンス自身(じしん)も、ピアノとオルガンのヴィルトゥオーゾでした。ですから、演奏家(えんそうか)が本当(ほんとう)に弾きたい(ひきたい)思う(おもう)音楽(おんがく)は何(なに)か、よくわかっていたのではないでしょうか。『チゴイネルワイゼン』を作曲(さっきょく)したことでも知られる(しられる)サラサーテは、手(て)が小さ(ちいさ)かったのですが、細かい(こまかい)指(ゆび)の動き(うごき)が得意(とくい)で、心(こころ)をふるわせるような美しい(うつくしい)響き(ひびき)を奏でた(かなでた)といわれています。この曲(きょく)は、そんなソラサーテのヴァイオリンの魅力(みりょく)を、たっぷりと引き出した(ひきだした)ことでしょう。
長尾春香(ながおはるか)
(ヴァイオリン)
3歳(さい)よりヴァイオリンを始め(はじめ)、現在(げんざい)、岡山潔氏(おかやまきよしし)、青木高志氏(あおきたかしし)に師事(しじ)。2001年(ねん)東京交響楽団(とうきょうこうきょうがくだん)と、05年(ねん)仙台(せんだい)フィルハーモニー管弦楽団(かんげんがくだん)と共演(きょうえん)を果たす(はたす)ほか、第(だい)6回(かい)江藤俊哉(えとうとしや)ヴァイオリンコンクール・ジュニアアーティスト部門(ぶもん)史上最年少((しじょうさいねんしょう)第(だい)1位(い)、第(だい)58回(かい)全日本学生(ぜんにっぽんがくせい)コンクール全国大会(ぜんこくたいかい)中学校(ちゅうがっこう)の部(ぶ)第(だい)1位(い)など、数多く(かずおおく)の音楽(おんがく)コンクールで優勝(ゆうしょう)、入賞(にゅうしょう)している。東京芸術大学音楽部附属音楽高校(とうきょうげいじゅつだいがくおんがくぶふぞくおんがくこうこう)1年生(ねんせい)。
■フォーレ:『レクイエム』から「ピエ・イェズ」
ガブリエル・フォーレ(1845-1924)は、小さい(ちいさい)ころ、教会(きょうかい)で演奏(えんそう)されるオルガンや合唱(がっしょう)を聴いて(きいて)すっかり夢中(むちゅう)になり、自分(じぶん)も音楽家(おんがくか)になりたいと思った(おもった)そうです。9歳(さい)のときから、パリの音楽学校(おんがくがっこう)で、作曲(さっきょく)やオルガンを学び(まなび)ました。さきほどのサン=サーンスは、フォーレの先生(せんせい)です。フォーレは、ピアノ曲(きょく)や、いろいろな楽器(がっき)のための曲(きょく)のほか、たくさんの美しい(うつくしい)歌(うた)や、教会(きょうかい)のための音楽(おんがく)を書き(かき)ましたました。
フランスは、国(くに)の90パーセントの人(ひと)がキリスト教(きょう)を信じて(しんじて)いて、そのうちのほとんどが、「カトリック」という昔(むかし)からの教会(きょうかい)の教え(おしえ)に従う(したがう)人(ひと)たちです。カトリックの教会(きょうかい)では、毎週(まいしゅう)日曜日(にちようび)や、結婚式(けっこんしき)、お葬式(そうしき)、また特別(とくべつ)な行事(ぎょうじ)があるときには、いつも「ミサ」とよばれるお祈り(いのり)の儀式(ぎしき)が行われ(おこなわれ)ます。ミサでは、聖歌(せいか)(祈り(いのり)の歌(うた))が歌われ(うたわれ)たり)、オルガンが演奏(えんそう)されたりするなど、音楽(おんがく)がとても大切(たいせつ)です。「レクイエム」というのは、亡くなった(なくなった)人(ひと)のためにささげられるミサのこと。フォーレの『レクイエム』は、彼(かれ)が、亡くなった(なくなった)彼(かれ)の父(ちち)と母(はは)のために書いた(かいた)作品(さくひん)です。「ピエ・イェズ」はその中(なか)の一曲(いっきょく)で、「愛(あい)にあふれたイエスよ、彼ら(かれら)にやすらぎを与えて(あたえて)ください」という意味(いみ)の祈り(いのり)です。
■ソプラノ 森 麻季(もり まき)
東京芸術大学(とうきょうげいじゅつだいがく)、同大学院(どうだいがくいん)終了(しゅうりょう)。五島記念文化財団(ごとうきねんぶんかざいだん)オペラ新人賞(しんじんしょう)を受賞(じゅしょう)し渡欧(とおう)、ミラノのヴェルディ国立音楽院(こくりつおんがくいん)、ミュンヘン国立音楽大学大学院(こくりつおんがくだいがくだいがくいん)終了(しゅうりょう)。数々(かずかず)の国際(こくさい)コンクールで最優秀賞(さいゆうしゅうしょう)を受賞(じゅしょう)。国内外(こくないがい)のオーケストラと共演(きょうえん)し、古典(こてん)から現代曲(げんだいきょく)まで幅広い(はばひろい)レパートリーで活躍(かつやく)。コロラトゥーラの高い(たかい)技術(ぎじゅつ)と透明感(とうめいかん)のある美声(びせい)、深い(ふかい)音楽性(おんがくせい)と華(はな)のある容姿(ようし)で高い(たかい)評価(ひょうか)を受け(うけ)、国際的(こくさいてき)ソプラノ歌手(かしゅ)として注目(ちゅうもく)されている。出光音楽賞(いでみつおんがくしょう)受賞(じゅしょう)。ホテルオークラ賞(しょう)受賞(じゅしょう)。二期会(にきかい)会員(かいいん)。
■ラヴェル:ボレロ
モーリス・ラヴェル(1875-1937)のあだなは、「オーケストラの魔術師(まじゅつし)」。オーケストラの楽器(がっき)を使って(つかって)、すばらしい響き(ひびき)を作り出す(つくりだす)のが得意だったからです。お母さん(かあさん)がスペインとフランスの境(さかい)にある「バスク」という地方(ちほう)の出身(しゅっしん)だったので、ラヴェルの音楽(おんがく)には、時々(ときどき)「スペイン風(ふう)」のリズムやメロディーが登場(とうじょう)することがあります。若い(わかい)ころのラヴェルは、先生(せんせい)であるフォーレに作曲(さっきょく)を学び(まなび)ながら、パリの町(まち)にやってくるロシアや東洋(とうよう)の音楽(おんがく)に心(こころ)をおどらせ、仲間(なかま)たちと詩(し)を読んだり(よんだり)、夜どおし(よどおし)音楽(おんがく)について語り(かたり)あったりする、そんな若者(わかもの)でした。もちろん、先輩(せんぱい)のドビュッシーやサティの音楽(おんがく)は彼(かれ)のあこがれでした。
きょう聴いて(きいて)いただく『ボレロ』は、まさに「オーケストラの魔術師(まじゅつし)」らしい曲(きょく)。「ボレロ」とは、スペインの舞曲(ぶきょく)(踊り(おどり)の曲(きょく))の名前(なまえ)です。「タン・タタタ・タ・タ・タ・タ・・・」というリズムを、はじめから終わり(おわり)までずっと小太鼓(こだいこ)がたたきつづけます。そのリズムにのせて、オーケストラのさまざまな楽器(がっき)が順番(じゅんばん)に登場(とうじょう)し、メロディーを奏で(かなで)ます。楽器(がっき)の音色(ねいろ)のちがいによって、同じ(おなじ)メロディーやリズムがどんな風(ふう)に変わって(かわって)いくのか。ささやくようなすごく小さな(ちいさな)音(おと)から、猛獣(もうじゅう)がほえているような大きな(おおきな)音(おと)まで・・・。オーケストラの魔法(まほう)を楽しんで(たのしんで)ください!
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