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5. パネルディスカッション
5-1 「埼玉発!現場からの教育改革」討論会記録
「第3回オープンフォーラム・IN埼玉」パネルディスカッション録
パネリスト:
上田清司(埼玉県知事)
長谷川三千子(埼玉大学教授)
高橋福八(埼玉グランドホテル(株)代表取締役)
鈴木民義(埼玉県立熊谷女子高等学校校長)
コーディネーター兼パネリスト:高橋史朗(明星大学教授)
 
高橋(史) これから90分、熱いパネルディスカッションを始めますけれども、「現場からの教育改革」というテーマを掲げさせていただきました。目まぐるしく変わるトップガンダウン型の教育改革に、教育現場はかなり混乱をしておりまして、教師も親も疲れているのではないかと感じております。この乾ききった土壌を豊かに耕して、大地にしっかりと根を張りませんと、どんなに種をまいても芽は出ませんし、実はなりませんし、花は咲きません。活力を失いつつある教育現場をどうやって活性化するか、どうやって元気を取り戻すか、これを皆さんと共に考えて参りたいと思います。
 この「現場からの教育改革」ということの一つのキーワードは「主体変容」と。ちょっと難しい言葉ですけれども、これがキーワードになるのではないかと考えております。主体変容というのは、教育をする主体が変わること。それは親であり、教師です。自分以外のだれかが悪いと思っている限りは何も変わらない。子供を変えようとするのではなくて、大人が変わることが出発点ではないか。そんな問題意識から、このパネルディスカッションを始めたいと思っております。
 そこで、これから私を含めて5人のパネリストから、教育現場の問題をどのように感じておられるか、そして、どのように改革していけばいいかと。今日は、現場の声を知事にもじゅうぶんに聞いていただいて、率直に意見交換をしていきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。(拍手)
 それでは、まず学校現場を代表して、熊谷女子高校の鈴木民儀校長先生より問題提起をお願い致します。よろしくお願い致します。
鈴木 はい。今日のテーマが「現場からの教育改革」ということで、まさに現場に直接かかわっている私の立場からの話となりますと、ある意味では非常に生々しい話にならざるを得ない部分があります。
 現場といいますと、小・中・高という三つの学校の中においては、いろいろな課題等をたくさん山積みしているわけです。そういう中で、こういう機会を通して、ぜひ現場の実態をよく知っていただき、そういう実態の中から、今日お集まりの方々も含めながら、いわゆる学校改革といいましょうか、教育改革をスムーズにできるような視点をある程度見いだすことができれば、今日のパネルディスカッションは、ある意味では大変な成功になるのではないかと思います。そのような観点から、今日は私なりの私見ということでお話を述べたいと思います。よろしくお願いしたいと思います。
 まず第1点目です。現場からの教育改革ということですが、私なりには、まず学校現場の再点検が、まさに必要だろうということです。具体的な部分について、私なりに4項目的に項立てをしてきました。
 まず1点目は、「児童・生徒の変化を見据えた教育改革」。よく言われる言葉ですけれども、いわゆる時代の変化と共に、子供たちは大変変わっている。そういう変わっている教育現場に対して、地域や親や子供たちを取り巻くいろいろな場面の中で、変わっている生徒たちにどのような対応ができるのだろうか、また、どういうふうに変わっているのだろうかという的確な再点検が、今まさに必要な時期に来ているのだろうと思います。
 例えば今の子供たちは規範意識が非常に薄いということがよく言われます。規範意識が薄いというのは生徒たちの責任だろうか。どこにこのような生徒ができてしまったのだろうか、子供が育ったのだろうかという観点での再点検を本当に真にやってきただろうかという部分です。私は、まずこの1点を挙げたいと思います。
 でも、私どもの学校は女子高です。千名ぐらいの生徒がいますけれども、本校は規範意識が非常にしっかりとした生徒の集団ですので、教員そのものは、「子供たちは言えば分かる。自分なりにしっかり理解できているのだな」という錯覚を起こすことがよくあります。けれども、全体的に見て、すべての高等学校の生徒が本当に規範意識があるかというと、私なりに判断するならば、7割以上の生徒は規範意識がないのではないかという意識を持っています。
 例えば登下校の自転車通学の状況を見れば明らかだということを私は常に感じています。小学生よりも中学生、中学生よりも高校生になるほど規範意識が薄まるというのが、今の教育の持っている一つの大きな問題点ではないかと私は受け止めます。
 こういう場合について、われわれ教員集団が何も指導していないのかというと、まさに体を張ってやっている教員がほとんどではないかと私は思います。学校間格差という言い方をすると大変怒られてしまうわけですけれども、特に高等学校の場合は、学校そのものが非常に多様化しております。
 知事が過日の記者会見で言いましたけれども、本県は全国的に退学率が非常に高いわけです。平成16年度には約3,700名の全日制の高校生が退学している。そのうちの57パーセントは1学年のうちに退学している。退学率で言うと、全国的に非常に高くなっている。
 その基本的な部分の中において一番欠けているのは、子供たちの向学心はもとより、いわゆる規範意識です。そういう基本的な部分がしっかりできていない子が、結果として、学校生活の中に目的意識をしっかり持ったかたちで生活を見いだすことができないという根本的な部分にあるのだろうと、私なりに受け止めています。
 そういう小学校、中学校、あるいは高等学校という一つの過程の中での人間形成の中で、これからは基本的な部分を再点検し、しっかり教育していかなくてはならない時代が、まさに差し迫っているのだろうと受け止めているわけです。そういう部分では、家庭教育の在り方が大変大きなウエートを占めているのだろうと思います。
 実は、本県の高等学校校長協会の生徒指導研究部会が全国の高等学校の校長を対象として平成15年と16年にアンケート調査をした中で、びっくりするような数字が出たのです。どういう数字であったかというと、学校教育におけるモラル、規範意識の指導の実態ということで、高校生のモラル・規範について、家庭の教育力を高めるために必要なものについて、「親の姿勢、生き方」が92パーセントと圧倒的に大きかった。この辺が一つ大きな数字だろうと思います。これは、学校教育はもとより、家庭教育の中の規範意識の欠如が、こういう数字として表れているのだろうと私どもは受け止めています。
 ですから、「学校がしっかりしないから、学校がきちっと教育しないから、子供たちがどうにもならないんだ」という観点ではなくて、子供を育てるという観点は、まさに家庭教育が基盤であって、その上に学校教育が成り立っているのだという、いわゆる縦的なつながりを、よりしっかりとしたかたちで再点検するべきであるというのが私の持論です。
 それから、学校現場の再点検という中で、私は「教職員組織」という言い方をしているのですけれども、学校教育というのは、組織そのものが俗に言う鍋ぶた組織だとか、フラットな組織です。一般社会の方たちから見た場合には、この辺が「学校現場というのは面白い所だね」と言われる一つの観点です。
 「校長が変われば学校が変わる」と言われますけれども、基本的には校長が変わっても先生が変わらなければ、学校を変えていく原動力にはならないというのが原点です。強力なリーダーシップを持っている校長先生であるならばあるほど、先生方に対してそういう指導力を発揮できますけれども、いくら発揮しても先生方が乗ってこないということになれば、学校改革はできない。結果として、生徒の健全な育成ができなくなるという、いわゆる盲点があるということも、学校の再点検の中の一つのポイントになってくるのではないかと私は思います。時間が来てしまったようですので、また次の機会にお話ししたいと思います。以上です。
高橋(史) ありがとうございました。事務局からストップウオッチがありまして、7分で切れと。(笑い)どこで押そうかと思っておりましたが、7分たたないうちに配慮していただきまして、ありがとうございました。特に高校中退の問題は、あとでゆっくりと考えて参りたいと思います。
 続きまして、埼玉グランドホテル社長で経済同友会の常任幹事もされておられます高橋福八さんにお願いします。「思えば叶う」と言う大変素晴らしい本をお書きになっておられまして、私も一読して大変感動致しました。ぜひこんな話にも触れていただければと思います。よろしくお願い致します。
高橋(福) 高橋でございます。私は深谷商業の卒業です。20年ぐらい前ですけれども、校長先生から「秩父で商業高校の先生が200人ばかり集まるんだけれども、講演してもらいたい」というお話がありました。「冗談じゃない。先生に話をするようなネタはないから、それは勘弁してくれ」と言ったら、「いや、学校教育の話をするんじゃないんだ。あなたの商売の体験談を話してくれ」「じゃ、先生、何を言ってもいいですか」「何を言ってもいい」「何を言ってもいいなら出ますよ」と言って出たのです。
 私は普段から思っていましたから、開口一番、「学校というのはおかしい。実におかしい。例えば『この地域の生徒は、この学校に行け』と強制されてしまっているわけです。われわれ商売の世界で生きている人は、例えばスーパーマーケットが『ここの住民は、ここのスーパーで買え。ここの住民は、ここのスーパーで買え』と言っても、お客様は承知しません。安いほうで買うんです。そんな馬鹿なことはあり得ないのにもかかわらず、生徒を強制的にその学校へやる。いい先生がいようといなかろうと、いい教育方針であろうとなかろうと、自分が住んでいる所の学校に行かなければならない。もし生徒がいなくなってしまっても首にはならないで、またどこかへ行ってしまう。こんなおかしなことはない」と。
 当時、学校が駄目だと言われていたので、「『学校が駄目だ、駄目だ』と言うのだったら、自由競争にして『どこへ行ってもいいよ』と。その代わり、生徒が来ない所は廃業で、その先生は首になる。そうすると、生活が懸かっているから死に物狂いで一生懸命やるんです。そういうふうにすれば、学校がいいの悪いのと屁理屈を言わなくても、一挙に良くなりますよ」という話をしたのです。
 そうしたら、主催者が県の教育委員だったものですから、その人たちがいて、それから私は学校関係に急にお呼びがかかってしまいました。(笑い)校長先生に受かった人の教育とか、教頭先生に受かった人の教育とか、そんなことをいろいろ頼まれてやったのです。
 私は教育者ではありませんけれども、社員が550人いるので、その人たちを5班に分けて、今でも社員教育を毎月やっていますから、広い意味では教育者です。商売人ではあるけれども教育者です。正直なところを言うと、私は超忙しいのですけれども、教育が駄目になったら国が駄目になると思ったので、学校から依頼があると、万難を排して講演に行くのです。それはPTAでもいいし、学校の先生でもいいです。それは、私が教育の重要性ということをよく分かっているからです。
 なおかつ、学校のおかしいところは、評価をあまりしないことです。この世の中に、そんな馬鹿なことがありますか。みんな評価をされるのが怖いから、一生懸命商売をして頭を下げているのです。頭を下げても下げなくても、生徒から変なことを言われても言われなくても、給料は変わらないでばんばん出世して、一生懸命やる人もやらない人も同じように上がるなんていう社会が、この世の中にありますか。ないでしょう。(拍手)公務員とか学校の先生とか、そういう変な所に勤めた人だけです。(笑い)これはおかしい。
 われわれは、そうではない。駄目になれば、つぶれてしまう。頭の下げ方が悪ければ点数が悪くなって、給料は下がりはしないけれども上がらなくなってしまうのです。これは当たり前です。当たり前のことです。「そういうノーマルじゃない世の中に生きていると、おかしくなっちゃうよ」とやっているのです。(笑い)
 私の婿は学校の先生です。このあいだ、こういうことがありました。ジュンちゃんと言うのだけれども、「ジュンちゃんは、だれから月給をもらっているんだい?」と言ったら、「早稲田大学からもらっている」。早稲田大学本圧高等学院と言う高校の先生なのです。「それじゃ、あんた、先生として失格だよ。学校から給料をもらっているなんていう発想を持ったら、先生としては失格だよ。あなたは生徒からもらっているんだ。お客様は生徒なんだから、お客様を大事にして、ジュンちゃんから頭を下げて『おはようございます』とやらないと、お客さんは逃げちゃうよ」と言ったのです。(笑い)
 そうしたら、まじめな婿だから実践しました。遠くから来るのです。そうすると、自分のうちに集めて、バーゲンセールの肉か何かを買ってきて、バーベキューをやってやるのです。そうすると、生徒が喜ぶわけ。それで、盆暮れになると、生徒のうちからいろいろなものが来るのです。(笑い)ジュンちゃんはまじめだから、「これ、返そうか」と言うから、「馬鹿言っちゃいけない。感謝の気持ちは受けなきゃいけない。元が取れたじゃないか」と言ってやりました。(笑い)
 そのくらい一生懸命やれば、生徒も一生懸命やってくれるのです。それを「俺は先生だから」とふんぞり返ってお辞儀もしなければ、お辞儀を忘れてしまった生徒を育んでいる ようなものです。先生が先にお辞儀をする。わが社は、偉い人が先にお辞儀をする。給料の高い人が先にお辞儀をする。私は社長ですから、だれよりも早く「だれだれさん、おはようございます」。「おはよう」なんて言ったことはないです。「ございます」。社員がいるから社長の顔をできるのだから、とにかく私が先に頭を下げる。それには、目が合ったら相手に先にお辞儀をされてしまいますから、相手が背中を向けている時に、「だれだれさん、おはようございます」と頭を下げるのです。(笑い)そのくらいにやっているから、何とかもっているのです。私がふんぞり返ったら、とっくに倒産しています。(笑い)学校も同じだと私は思うのです。
 限られた時間です。あまりしゃべっていると駄目ですから、次に行きます。次に、私は先生について言いたいのです。先生は、自分の人格を売り込むことです。算数や英語を教えているわけではありません。そんなのは、たまたま教えているので、(笑い)勉強する道具を教えているだけです。本当に教えなければいけないのは、良い人間をつくるための資質なのに、知っている知識の切り売りをしている先生が多すぎる。そんなのは先生ではありません。それは字引を引いても分かってしまうのだから、そうではなくて人格を売り込むことが必要なのです。
 それから、もっと大事なことは、やる気と希望を売り込むセールスマンでなければ、先生をやってはいけないです。生徒がやる気が起き、希望を持つ。わが社のリーダーというか、課長とか部長は、常にやる気と希望を売り込むセールスマンだと。どんな手法を使ってもいいけれども、社員がその気になるように仕向けてやらなければいけない。これがリーダーの絶対条件。
 先生もリーダーで、無色透明の人間を立派な人間に育てるのだから、「おまえはすごいよ」とほめてやらなければ駄目です。「みんなは、おまえのことを点数がオール1だと馬鹿にしているけれども、それはおまえが勉強しないからなんだよ。実は、おまえには、こういういいところがある」とほめてやれば、すぐおだてに乗ります。(笑い)そういうテクニックを知らない先生は、先生の資格がないし、上司としての資格がないと私は思っているのです。
 それから、幅広い知識と経験のない先生に魅力はありません。私どものホテルには、先生が3カ月ぐらい毎日来ています。そういう意味で、これはカルチャーショックです。先生は「ありがとうございます」と言ってコーヒーを出すなんていうことをやったことがない。大体、先生は「ありがとうございます」という言葉を知らないです。(笑い)それが頭を下げて「ありがとうございます」とやるでしょう?そうすると、3カ月で人が変わってしまいます。
 そして、学校へ帰るでしょう?学校の職員会の打ち上げなんかは、遠くのほうからうちへ全部持ってきます。そのぐらい愛社心ができてしまうのです。(笑い)そういう愛社心がなければ・・・。愛社心イコール家庭を愛するイコール国を愛するなのです。国を愛する人間をつくらないで、何で日本の国が繁栄するのですか。そうでしょう。
 それで、大新聞が日本を馬鹿にするような、日本が不利になるようなことを書くと、「インテリだ」と言っているのですから、冗談ではない。国賊だと思うのです。(拍手)うそを書く必要はないです。間違ったことは間違ったで報道していいですけれども、わざわざ日本人の悪いところをあげつらって、拡大解釈をして新聞にするなんていうのは、もってのほか。私はそう思っているのです。私は右翼ではないですからね。(笑い)右翼でも共産党でもありません。ただ、日本を愛していて、日本がちゃんとした国になってもらいたいと思えばこそ、やはり日本のいいところを教えなければいけないと思います。その話をすると、今日は1人で1時間しゃべってしまうからやめますけどね。(笑い)
 もう一つは、家庭教育が問題。私は、PTAで小学校・中学校の連合会長を7年やりました。「長が好きだ」と言われるのですけれども、しょうがないです。「どうしてもやれ」と言うからやったのです。
 私がPTA会長の時に、大変な暴力事件がありました。それで、真剣に調べました。卒業式に警官が制服で入るという騒ぎになった。それで、もうえらいことになってしまって、学校は「もうしょうがない」と言ったけれども、私は警察へ行って、「何とかするから、とにかくやめてくれ」と言いました。しかし、「事故が起きることがはっきりしているから入る」と言うので、「じゃ、私服にしてくれ」と、私服で入ってもらったのです。
 それで、いろいろなことが擦ったもんだしたのですけれども、その時に、みんなで手分けをして不良生徒の所へ行きました。そうしたら、家庭が全部崩壊していたのです。だから、不良になったのは生徒の責任ではありません。家庭です。例えば片親しかいないとか離婚とか、それぞれケースは違うのですけれども、家庭が崩壊している人が不良。親がしっかりしていて、しつけが厳しい人は不良になっていないのです。
 それをPTAで「学校の教育が悪い」と言ったものだから、私が「学校じゃないんだ。われわれなんだ。不良学校にしたのは、われわれなんだ。だから立ち上がろう」と言って、さまざまなことをやりました。先生が「聞かないからやめてくれ」と言ったけれども、私は1年、2年、3年と別々に会って、熱弁を振るって、しーんと聞かせたのです。
 そういうことをさまざまやって卒業式。草加から来た不良学生が一番暴れる訳になったのだけれども、それがとうとう暴れないで、実に厳粛な卒業式になったのです。私もPTA会長としてうれしくて絶句しました。
 それで、校長室へ行ったら、親分の3年生がお礼参りに来たのです。(笑い)校長先生は「やめたほうがいい。危険だから行かないでくれ」と言うけれども、私は「そんなことはない」と玄関へ行って、「今日は暴れなくて助かったよ」と言ったら、深々と頭を下げて「私は本当に悪かった」と。「何であんなに騒いだんだ?」と聞いたら、「草加にいる時も、私が悪いことをしても先生は絶対怒らなかった。こっちへ転校になったら、この学校でも本当にそっとして、体育祭で騒いでも怒られないし、ガラスを割っても怒られないので、エスカレートしちゃったんだ。生まれて初めて会長さんに頭から怒鳴られた。叱られた。うれしかった。会長があれだけ一生懸命やっているんだから、私は騒がなかった」ということなのです。だから、一生懸命体当たりして、命を張ってやれば、そんな不良っ子だって頭を下げてしまうのです。
 それで、「どうするんだ?」と言ったら「就職する」。道路に線を引く会社に行った。「それは、いくら引いたって消えちゃうんだから、一生、商売になるよ。頑張れ。あんたは親分になれるから、会社でも作って頑張れ」と励ましてやりました。
 その後、その会社がどこかへ行ってしまったので、どこへ行ったか分かりませんけれども、そういうふうに不良の子供だって励ましてやれば、その気になるのです。まじめに怒ってやれば、何とかなってしまう。それを怖がっているから駄目なのです。
 ところが、最近は学校も反省しました。経営者協会の責任者がおりますけれども、埼玉県経営者協会と連合埼玉が組んで、3年前から親と先生と子供とわれわれ経営者との4者会談というのをやっているそうです。私は今年から呼ばれまして、5人の生徒と親と話し合いをしました。非常に良かったと思うのです。やはり経営者の感覚で、生徒ばかりではなくて親にも注意したりすると・・・。就職する生徒だけですけれども、そういう地道というか、本当に・・・。私は5人しか見ていないですから大したことはないですけれども、そういう積み重ねによって一人一人の生徒が良くなってくると思うのです。ですから、経営者も「商売が忙しい、忙しい」ではなくて、やはりそういう社会奉仕もしていかなければいけないと思います。
 とにかく、家庭がしっかりしていれば大丈夫。だから、親の教育こそ大事です。最後に一つ・・・。


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