原田 ・・・限りは絶対遅刻しません。陸上の試合に行ったら生徒の起床時間は2時半です。日本一早いです。でも、生徒が2時半に起きてくるときは、僕は風呂入って冷水シャワー浴びてきっちり2時に立ってにこにこして待っています。練習は教えません。朝、遅れないで笑って立っているだけです。率先垂範です。
そして、「すさみ除去」、細かな身の回りのささいなことを徹底して除去する。これは恒例になって、前に来られていますキムラ先生の紹介で行きました「ジンアイ保育園」のイシバシ先生の所へ行って森信三先生の立腰教育というものがあるというのが分かって、初めてその時に分かったのです。「ああ、やっぱり同じようなことやっていたわ」と思って。それで見に行って感動しました。立腰というものがちゃんとした教育の中にあって、「ああ、俺がやっていたこと、まんざら間違いでもなかったな」と思って、そのとき初めて自分の中で合体したんです。これがすさみ除去です。
イエローハットの鍵山さんと言う方も「お掃除、お掃除」と言います。それはなぜか、掃除で気付くそうです。「あいさつは人より早くしなさい」。どうしてかというと、人に気付くそうです。その気付きが大事だと。
それでずっとすさみ除去をやりました。やっていた時に、3日目に生徒が来ました。「先生、相談があります」「何や」と言ったら、「何年何組のだれだれだれだれは、私らがいつまで言っても靴をそろえないからそろえようと思ったらこない言われる」「どない言いよんねん」「殺すぞ、原田の手下やろ。俺の靴そろえたらしばくぞと言われる、先生怖い」と言いました。
生徒を集めて、「そんなん言うやつおるんか、名前を言え」と言ったら、ようけいました。やっぱり最初に寝ていたやつでした。一緒だなと。それで職員室の黒板に書いて、「この子らの名前を消すなよ」と。「何で」と言うから、「今日からこいつらは一切おまえらすんな、俺がやる。俺が全部するから心配するな」と言って、ピンポンパンポンと放送を掛けて生徒の前で上から順番に行きました。
僕はキャンペーン張られていましたからどつきません。お口攻撃です。(笑い)強烈なお口攻撃です。相手が卒倒するほどのお口攻撃ですから、僕は。これも徹底してやらして、こうやってやりました。そして順番に減らしていきました。生徒がそれ見てどうなったか。顔色が、血の気が戻ってにこにこし出して、「どうや」と言ったら「ほっとした」と言いました。「かなわんかった」と言いました。
こういうのを手を汚す指導、「ハウンズオン指導」と言います。普通の先生はこういうのはしません。「おい、おまえ委員長やろ、やってこい」「おまえキャプテンやろ、おまえの仕事だ」。こういうのを手を汚さない指導、「ハウンズオブ指導」。橋をはずす指導です。だからもう一遍見てください。
教師のオーラとは主体変容、率先垂範、しんどいことを自分でやるハンズオン指導、すさみ除去、この四つを本気でやっている人だったのです。その人から出てきていたのがオーラだということがやっと分かったんです。
最近はこんなですから、全国のしんどい学校とかに呼ばれますけれども、学校の中で頑張っていて指導力の高い先生というのは、幼・小・中・高・大学を問わずして便所掃除します。中学に行ったとき、便所掃除の便器のうんこを取る先生です。「先生、何かあるんですか」と言うと「何か分からないけど、こうやったら生徒がうまいこといくねん」と言うんです、さすがやなと。
ガンバ大阪のコーチで、****がおって、そいつはどうするかというと、ガンバは練習者の最後がトイレ掃除をするんです。清掃のお金500円で年間契約しているのだから別にやらなくていいんですよ。でもやる。何か面白いですね。
すごい指導力のある人は何でか分からないけれど、くしくもこの四つが最大公約数としてDNAの中にあったみたいです。だから、教師のオーラとはこの四つです。私もそれが分かってからは努めてそれを出すようにしました。
そして晩年になって立腰教育の森信三先生と話が合って、自分の中の原理原則がここでつながったということです。そのようにして、順番にこつこつやっていってどうなったかというと、学校じゅうの過半数の子供の心がコップがこうなりました。靴一つそろえただけでめちゃめちゃほめます。ここで初めてほめます。おもいっきりほめました。そしたらこうなりました。えらいもので、これが上を向いてきたら、僕らの拙いノウハウでも入るんです。そのようなことがありました。
(2)番を見てください。今の世の中、教師のかかわり不足だと思います。お父さん・お母さんのかかわり不足もありますけれども、僕らが世話する子は、それを言ってもしょうがない状況で来ます。お父さん、お母さんが悪いと言ってもしょうがない状況で来ますから、それならどのようにするかといったら、お父さん、お母さんを無視するしか仕方ないです。乗り越えさせます。
それで教師がかかわる。かかわりとは三つです。「厳しく・優しく・楽しく」。何が足りないかというと、はっきり言って厳しさです。これは絶対間違いないです。今の先生方で、この父性的な厳しい社会規範、生き方指導、校則・ルール・マナー指導のときに本気で厳しさを出せる先生というのは、数少ないですけれども、非常に指導力のある先生だと思います。
ただし、今の子供は心が弱いので、厳しさばかりだとどのようになるかというと、学校から逃げるんです。そうなると生徒指導主事ですから、全体のバランスの中で困るので、どうするかといったら、保健室のクロイシ先生の出番です。僕が靴をそろえてがっときつくして、子供らが反発して「腹立つ」と言ったら、クロイシと言う女の先生がばっと行って「ちょっと待ち」と。「もともと靴をそろえて、服装がどうのこうの、あいさつとか、たばこがどうのというのは、あなたたち自分のせいだし、お父ちゃんやお母ちゃんの教育のせいやで。それを原田先生がお父ちゃん代わりになってやってくれているのとちゃうんか。『ありがとう』と頭を下げても、おまえら恨み、つらみを残すことは私が許さんで」と言って体を張ってくれる女の先生がいました。保健の先生です。
子供たちはっと気付く。そして父性の厳しさと母性の優しさがマッチングしました。この母性とは何かといったら、楽しく、やはり遊んでやらなければあかんと思います。修学旅行の宴会といったら、多分日本一盛り上がる学校だと思います。うちの運動会はすごいですよ。普通平均して1人で8種目出します。最高12種目。ずっと出ているんです。何でかといったら、親がいつ来ても子供の活躍しているところを見られるようにしたんです。ずっと出します、すごいんです。だから、どこかで遊んでやって盛り上げなければあかんです。
だれが盛り上げるかというと、卒業生、近所の兄ちゃんや姉ちゃんで陸上競技を頑張ってきたやつが教えに来てくれる。だからごろごろおるんです。厳しい原田、優しい女の先生、楽しい子供のような先輩、三世がマッチングして指導するようになりました。そういうことは現場の教師からの教育改革でなずけましたけれども、現場でやってきた僕らでないと分からないのです。
そういうのをしたら非常にうまく流れたんです。そして子供たちのことですが、心のコップが上を向いたら結果どうなったかというと、はっきり言いまして、学校は4月の終わりくらいには良くなっていました。そして新聞が来て、マスコミが来て、わざと発表して、地域の大人、小学校の校長先生うんぬん呼んで、「このようになった」と見てもらって、最後、山形の全国大会では優勝しました。日本で1番、1番、5番、6番、6番、8番となりました。
私が全国大会でそんな成績を上げたのは初めてです。今まで2校の13年間は、環境もいい、親もしっかりしている、運動の能力も高かった、教育も高い子供たちに、心血注いでも日本で7番、8番しか出ないのです。
「環境が最悪」と言われて、「どうしようもない」と言われて、「お金も自信もない」と言われた子供の所へ行って、3年目に約束通り日本一を作ったのです。これ何ででしょう。これはグカンセイです。求める気持ちが強くなかったら駄目だということだと思います。私がもし3校目に普通の学校へ行っていたらここにいません。今も多分その学校で、試合前ですからこの時間は陸上競技の指導をしています。
何でここにいて皆さんに偉そうに言っているかというと、一番しんどい子供らと出会ったんです。その子らに感性を動かされて情のスイッチが僕も入って、「何とかしてこいつらを日本一にしてやろう」と強く思ったんです。その思いが強かったから、結果、3年目に日本一になったんです。そこからは連続日本一です。ずっと勝ちました。人間とはおもろいものですね。自分が陸上競技やっていて、能力といったら全然ない、競技者としては全く駄目人間が、教師になって人を育てるときに、このグカンセイということでスイッチが入ったらやれるということですので、皆さんも絶対できると思います。
今度はグカンセイということで、「感性を高めて子供と人生を合わせて、ひざ突き合わせて教育しなさいよ」という方向に世の中の教育の流れが行っているかといったら、やはり行っていないと思います。何か反対の、先程、冒頭に言った、仕事力、ノウハウ・マニュアルとか、こちら側へ行っているのではないか。百枡計算は好きですけれども、あれだけでは子供は救えないと僕は思います。
でも、なぜか分からないですけれども、ノウハウ・マニュアルのほうに引っ張られていって。企業のほうもそうです。MBAとかコーチングとかいって、言葉はきれいだけれど、手法で人間は育たないです。コーチングで学んで手法を変えたところで、人間は育たないです。グカンセイ、「こいつ絶対に日本一にする、育てたい」という責任感というものがわき出す教師でなかったら、育てることはできないのではないかなと思いました。
(2)の5、6です。教師からの教育改革ですけれども、企業とかかわっている中で、非常にお話をしたいと思うことは、この二つです。一つは、大阪の公立中学校でも4年前から成果主義、成果主義というのは、地元福岡もそうですけれども、学期の最初にこんなことをする、クラブでこんなことをする、授業でこんなことをする、学級経営でこんなことをする、と立てて、それを1学期が終わって7月とか、1年が終わったときに、校長先生・教頭先生の面談を受けて、「原田、よく頑張ったな。丸とかペケ」とか言われるんです。そういうのがいよいよ入ってきました。
これは企業からの絶対的な影響です。成果主義。なぜそのようなものが入ってくるのか、地元福岡は分からないですけれども、僕は、関東の私学のお手伝いをやっています、郁文館中学校・高等学校、渡邉美樹と言うワタミの彼です。彼が行ったんです。それで企業式でやったんです。
教師が3カ月で37パーセント辞めました。辞めますね。ボーナスで1カ月と8カ月の差をつけたのです。皆さん、1カ月と8カ月です。やはりぼろぼろになりました。成果主義うんぬんという企業のノウハウが教育の中にも入ってくるのは今後なくなるかどうかといったら、これはもっと入ってきます。なくなることはありません。僕らは公立の公務員ですけれども、近い将来能力査定されます。先生、年収300万、先生、年収350万、絶対なります。これは避けられません。
そんなことばかりでいいことかどうかといったら、企業が成果主義を入れてするのは二つ。一つは、仕事のできない人にお金を払うのは赤字で無理だから、言葉が悪いですけれども、不良教師、できない人を辞めさせたい。もう一つは、理念を徹底して方向性を合わせたい。これが本心です。でも、表上はどのように言っているかというと、「先生方の能力を高めて、やる気をアップさせて」と言いますけれども、それは今だけで、ころっと途中から変わって、完全成果主義になって教師もばたばたと来る時代が絶対来ると思います。
5番、6番です。いったいそんなかたちのことばかりでやられていていいのかといいますと、企業というのは効率を求めますから、インプット・アウトプット、できるだけ少ないものでたくさん出そうとします。当然です。僕らもこれを取り入れていいかというと、取り入れたことはありますが、うまいこといかないです。
女の子がお父ちゃんを目の前で殺されて3年間不登校です。これは不登校になります。みんなで代わりべったん行きました。電話やら何やかや。でも、ずっと来ません。最後の卒業式の日に無理やり来たんです。その時に女の校長先生でいい先生です。この人は白内障の手術があるのに、長崎の全国大会の陸上の試合で、「うちの子が優勝が懸かっている」と言ったら、白内障の手術をやめて、「失明してもいいから」と病院から抜け出してきたおばさんです。これはすごい人です。
「先生、来るか分からないから頼むで、頼むで」と言っていました。いい人だから、校長先生の言葉を言いながら、その子のことが気になるんです。校長先生の言葉の終わりかけにその子が来ました。3年間来ていなくて、みんな初めて見るからどんな子か分からないんです。そうしたらその先生が、ばっと止まって、ぼろぼろ泣いて、「来た」と言って指差して。「ちょっと、話しやめ」と言って、「その場でいいから拍手お願いします」。「何々ちゃん、卒業おめでとう」と言って、待っていたとばかりにぶわっと泣きました。
何かといったら、教育はインプット、くそほど入れて、アウトプット、鼻くそ以下です。絶対そうです。このことをやはり分かっていないとあかんと思います。これができなくなる可能性があります。3年間毎日家庭訪問して、3年間毎日呼びに行って、10分だけ学校に来させて喜ぶというのは効率が悪いでしょう。でも、違いますよね。そこに俺らの教師としての真面目、そこに何かがあるということです。これを僕らは大願しているわけですから伝えていかなければいけない。ここと企業の成果主義を融合しなければいけないと思います。
それともう一つ、校長先生で、企業ですごい方がおられて、それがもうこうなって入られて、「どやねん」と言ったら自殺されます。気の毒に広島で。今度かたき討ちに広島に講演に行きますけれども、危険な所に行きますけれども。自殺されます銀行の何とか言う方が。「何でやねん」。何であれほどの企業のしんどい状況を立て直した先生が教育現場で自殺するのか、何かあったのか。答えは、同僚の教師が軍団を作って無視して、相手にしないということでぼろぼろになって、自ら命を絶たれた。「おかしいやんけ」「あかんのか」。答えはこれです。
企業は教育の改革を人事権と財務権を持ってやります。「おまえいいから昇進、おまえあかんからクビ」、これができます。財務権、「おまえ給料上げてやる、おまえ下げる」この二つの天下の宝刀を持っています。だから私の友達の渡邉美樹さんも、郁文館中学校・高等学校ができたんです。天下の宝刀を2本持っているので。ところが、現場の僕らの教師は何かといったら、こんなのはありません。
企業は、働く職員、先生改革を人事権と財務権とでもって改革しようとします。教師は、先生なんかはどうでもいいんです。目の前の子供を改革しようとします。あほな教師がいてもいいんです。子供を陸上部へ入れて何とかするんです。そいつらで学校を変えるんです。ということは、まずターゲットが違う。
企業式改革は、働いている職員に対しての改革を成果主義で何とかする。僕らはそんなのはどうでもいい。目の前の子供を変えて何とかする。ということは、人事権・財務権がない中で、しかも子供という全然関係のないものに対して、教師はどのようなものが改革できるのか。これは、一目置かれる改革、本気教師式。答えは、生徒、親、同僚、地域という自分の身の回りのすべてのものから1票もらわなければいけないということです。
「原田がやるのだったらやらせようか」という。「あいつにだったら任せておこうか」というぐらいにみんなを説き伏せて、票をもらって力を付けて政治力を持ってないと、今の現場の改革はできないのです。
だから、6時半から9時半まで20年間ずっとやったんです。だから、たばこの電話1本で1番早く行くんです。だから、試合になったら2時から起きて子供を待っているんです。全部の給料をそこへ投じるんです。それは何でかというと、要は権力を握りたい。ほんまの教育、楽しい教育するための現場の中で、一目置かれたいんです。だから、一目置かれる改革、これが今の現場の中で要ると思います。
でも、企業はこの辺の発想はありません。今言ったように、インプット・アウトプット、10分間で全員泣く卒業式、一目置かれるための教育改革方程式は、生徒に対してが勝負だという辺りの5番6番、これは内部で働いている教師しか絶対分かりません、外にいる人には。それを声を上げて言わなかったらどんどんやられます。どんどん来るんです。ということなのです。だからやはり、僕は教師からの教育改革がいいと思うのです。そういうことを感じました。
最後4番、僕は感性って分からなかったんです。長いこと、感性って何のことだろうと分かりませんでした。行って1年目の終わりくらいに、激しいいじめがありました。そのいじめは何かといったら、女の子はお父ちゃん・お母ちゃんと思っているのだけれども、そうではなしに、その子が生まれた時にお父ちゃん・お母ちゃんは逃げたんです。祖父母が、その子がかわいそうなのでわが子として育てたんです。
だからその子はお父さん・お母さんと思っていますけれども、僕ら教師だから、あほじゃないのでおじいちゃん・おばあちゃんだと分かります。おばあさんが死んだんです。おじいさんは障害がありまして養育できません。家は貧しいし、ぼろぼろだし。そうしたら、平成の時代にシラミがわきました。皆さんは本物のシラミを見たことありますか。逃げますよ。こんなのと思っていましたら違いました。ババババババと音が鳴って、ビュー。私らほんまに逃げました、保健室で。怖かったです。
そんなになって、それでその女の子は友達がいないから、猫のミケが友達で一緒に寝るんです。そのミケが体悪いんです。布団でおしっこをするんです。もうやめてくれよ、と。猫のおしっこって臭いでしょう。その子が学校へ来たら臭いんです、なんぼ風呂へ入れても。
「臭い」って言われていじめに遭いました。難儀やなと思って。「それでも許されへん、こんなやつら」と思ってぶわっと怒ったんです。生徒は「分かりました」。「親を呼んで謝罪の会をするから呼んで来い」と言って、それからおじいさんを呼んで、「謝られる側だからおじいさんいてくれないとあかんから」と。「先生、わし、そんなんかなわんし、言葉もしゃべれへんし」「大丈夫や、頭下げるだけだからおったってくれ。子供の教育にもなるから頼む」と言って、おじいさん、本人、やったやつ、お母さん、校長先生含めて教師、僕は生徒指導主事ですから。
さあ、やろうと思ったら電話が掛かったんです。阿倍野警察。生徒が万引きした。集団万引きで来てくれ。もうこの状態なら行けると思って、大丈夫だと思って行きました。阿倍野警察で指導していたら電話が何遍も掛かってきて、「何や、どないしてん」「帰ってきてくれ、大変や」「何がやねん」「指導がおかしい」「何やねん」。結局何かといったら、社会の会が始まったときに校長先生がこう言ったんです。「加害者、被害者」と言いました。
「被害者の気持ちになって加害者の君たちが・・・」。そうしたら親が待っていたとばかりに、「ちょっと待て、校長。おまえ、裁判官でも警察官でもないのにうちの子供に加害者と言ったな。許さんぞ。うちの子供は正直にしなさいと育ててきた。この子、臭いやないか」。本人いるんですよ。「この子、においして臭いやつに『臭い』と言って何があかんねん。臭いこいつも悪い」と謝罪の会で言ったんです。
そして、あまりのことに教師に下がってしまったんです。反撃ができません。そうしたら生徒も調子に乗って、「そうだ、そうだ、何とかや、かんとかや」。親も「これはやばい」と思っていたやつがころっと手のひら返して、「やっぱりそうや」とか言って。あほうですね。そしてざわざわとなって、おじいさんは半泣きになって、その子もまた涙を流して、目をちらちら見たそうです。教師はよう目を合わせへん。ばっと押されて言われへん。それで終わりかけたんです。
その時に女の先生がいました。1年前に2人、理科と英語の先生が新採で勤めてきました。もう1人の理科の子は途中で戦死しました。学校がしんどいから3カ月で辞めました。その子も1年で辞めようと思っていたそうですが、聞くところによると、僕のことですが、「すごいやつが来るから残っておこう」と言われて残っていた。僕が行った時は、その先生ははっきり言って頼りない、泣いてばかりです。
その会が終わりかけてもうおしまいという時に、どうなったかといったら、その女の先生が立って机をたたいたそうです。バーンと机をたたいて、がーっと泣いて、どない言うたかというと、「何か分からんけど間違ごうてる」と言いました(笑い)。「何か分からんけどおかしい、間違ごうてる。おまえら絶対間違ごうてる。あなたら許さらへん。絶対おかしい」と言ったんです。そうしたら、みんな、はっと気が付いたんですって。それでこちら側の教師も反撃したんです。
それで事なきを得て、僕が帰ったときにはもう号泣状態で、僕へばーっと来て、大人だけれど1時間くらい泣いて。「もうやめ。おまえ、偉いやんけ、よしよし。ええ教師や、頑張れよ」。これ感性です。僕はこれが分からなかったんです。
タカハシシロウ先生に感性と聞いた時、ほんまの感性が分からなかったのです。その子に習いました。「笑う、笑える、笑わす」「泣く、泣ける、泣かす」、教師の三段活用です。はやらせてください。彼女はどのようになったかというと、それで覚醒しました。人間が変わりました。
一番みんなに困難と言われた、しんどいと言われた陸上部の僕もサブ顧問になりました。今は彼女に任せています。もう僕が辞めて3年間、松虫中学校の陸上部、びくともしません。だれがやっているのかというと、その女の子が一人でやっています。すごいやつですよ。スーパー教師、覚醒しました。僕が覚醒したのと同じように、覚醒しました。
ということは、グカンセイ、求める気持ち、やっと分かった感性、そんなものを持っていたら人間ってやれるなという、マニュアル論だけやったらあかんねんな、ということを自分の実体験と、その目の前のモリモトケイコという名前を言いますけれども、先生の変身ぶりを見て強く思いました。
そしてその辺りくらいから、生徒の親が見に来るようになりました。「先生、あれを配ったのは先生か」。教育理念、陸上部指導理念を僕が配ると親が見に来てくれました。「先生、これ先生のか」「そうです」「先生、理念なんて何で分かんねん」。学級経営、学校経営、クラブ経営、会社経営、人生経営、みんな同じ。経営とは何か、理念、思い、志を具現化するための手段を経営と言う。
ということは、1年1組の担任になったからには、1年生1組の学級経営理念、思い、志を最初に言って、紙にして配って、「みんな、こんな学級にする」と述べることができなかったらあかん、というのが僕らの鉄則です。教師塾で503人に何をさせるかといったら、要はこれを作らせるだけです。本心から出てきた教育理念を作らせるために、いろんな体験、経験を一緒に積むのです。
僕らも、私ごときですけども、今から10年前にそれがやっとできるようになりました。それを見せたら、お父さんやお母さんが寄ってきてくれた。「どうですか」と言ったら、わが子の練習を見て泣きよる。「先生、社員を連れてきてええか」「いいですよ」。そうしたらどんどん来だした。
そして先週の土曜日に、今年の第3回の全国練習見学会をやったら、488名が土砂降りの雨の中を来られました。その中には渡邉美樹さんがいます。クビになったユニクロの玉塚社長もいました。何とか証券の社長も、日本じゅうから来るんです。そしてみんな泣くんです。
生徒に言います。「おまえら、日本中のすごい会社の社長さん、おっちゃんらが何で泣くのか聞いてこい、メモ取れ」。行きます。生徒も泣いて帰ってきます。「どない言うてた?」と言ったら、「『おまえらの一生懸命雨の中でも死ぬ気でやるその姿に打たれた』と言われました」「そうやろう。だれか一人でも、日本一のおまえが砲丸投げの投げ方がいいとか、足が速いとかほめられたやつがおるか」「いません」「そうやろう。おまえらの生き方、態度に世の中のリーダーと言われる人が1票・・・」。
(終了)
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