日本財団 図書館


 さて、次は7番目ですが、乳幼児の世話です。乳幼児の世話をすることがPQを育てる。これも面白い話です。よく小学生や中学生が地域でどういうボランティア活動をやりたいかと希望を聞くと、圧倒的に多いのが保育園・幼稚園です。それで、園に行ってどう遊んでいいか分からなかったら、いきなり園児が向こうからやってきて、「遊ぶか」と言ってきたという事例があります。そして、「一緒にシャボン玉を飛ばしながらとっても幸せな気分になった」と感想を書いている子がいる。つまり、それは実に乳幼児の無邪気な表情を見ながらPQが育つのです。つまり、乳幼児の世話をしながらPQが育つように人間は幼形成熟という、3歳までは親に甘えて依存しながら、実は子供の中にもそれが育つのですが、親の中にもそれが育つようにできている。
 母性愛の源はソロトニンというものだと、「あるある大辞典」と言うテレビ番組でやりました。これはどのぐらい信憑性があるか今後検証しないといけませんが、私はPTAの全国大会で基調講演する前の日にそれをやったのです。「あるある」担当が夜中に持ってきてくれました、「先生明日PTAの全国大会で講演するんだから、これをやりなさい」と。
 最後の八つ目のポイントは野外キャンプであります。
 時間がなくなって参りましたので、少し今日の大事なポイントのお話に移っていきたいと思います。今日の私の親学についての講演のキーワードは10個あります。それを今から申し上げてまとめにさせていただきます。
 まず第1のキーワードは、「主体変容」です。これは教育する主体です、親と教師。教育する主体が変わることが子供が変わる一番の近道だと。つまり「大人が変われば子供は変わる」という言葉がありますが、まさにそのことです。大人が変われば子供が変わる。今、教育界は責任転嫁が強くて、例えば親がどんなにひどいことを言うようになったか、これは朝日新聞が6月27日付の新聞で詳しく書きました。今日の資料の6ページを見てください。皆さんご覧になったでしょうか。「わがママに先生困った」というので、この表を見てください。これは校長先生が保護者の実例を列記したものです。傍線部分だけ見ましょう。学校からの給食費などの徴収金催促に、「そんなにお金のことを言うのなら学校に行かさない」と言った。校外学習中の擦り傷を消毒して学校に連れ帰ったら、「なぜ医者に連れて行かなかったか」と苦情を言った。今のは小学校の事例です。
 中学校では、「教師の罷免要求の署名運動を自分の子供を使い校内でさせている」「校内でけがをした生徒の通学用タクシー代を請求してくる」「家で風呂に入らない。入るように言ってほしい」。自分で言いなさいという話です。何で学校の先生に言うんだ。「担任発表後、『あの先生は気に入らない。変えてくれ』と言った」。これは本文を見ますと3番目に、全学級の担任配置案を出してきた親がいるというのです。「この通りお願いします」と言ってきた。何を考えているのでしょう。「授業中に読んでいた漫画を取り上げたら、『すぐに返してやれ』と来校してきた」。つまり学校や教師に強く出て、子供に甘いのです。高等学校の場合は、「欠席数が規定を超えているのに進級・卒業を要求してきた」とか、「留年を納得せず、議員・教育委員会に言い付ける」。
 この左側は更に産経新聞ですけども全日本中学校長会のアンケートです。それを見ると生徒の心が変わったというのがずっとありまして、「その原因は何か」と聞いたら「家庭の教育力の低下」が84パーセント、「大人の規範意識や道徳心意識の低下」が73.5パーセント、複数回答ですけれど。そして、校長先生の90.8パーセントが「日本の家族関係が変化している」と答えている。これが私が言っている環境の変化に伴って子供が変わった。今きょうだいの殺人とか親を殺すとか、親が子供を殺すとか、つまり家族の世界に異変が生じているでしょう。あるいは母親の脳にも異変が生じているのです。子供虐待がこんなに起きているのは、母親の脳にも異変が生じているからです。
 そこで脳科学ということを最近言い出しているわけですけども、つまり親が非常にわがままに何でも責任転嫁するようになった。私は安西高校で山廣校長と話をしてびっくりしました。「先生の高校は半分以上退学しているんだから、保護者会をやっても親は集まってこないでしょう」と言ったら、「いいえ、全員話をしました」。こんな学校はないです。僕は蓮田高校で講演した時も、私が講演に来る前に司会者が「聞け、聞け」と言ったってだれも言うこと聞かないです。校長があいさつするんですけどもだれも言うこと聞かない。私が壇上に立ったら、9割ぐらいは反抗的な態度を取りました、こういう感じで。まともに向いてないです。子供の心というのは態度によく表れますから。正直です。いつも「生き生きわくわくしてますか」と聞くのですが、見たら生き生きわくわく全然してないので、「自分が好きですか」という質問に替えたのですが、1割しか手を挙げなかった。9割は黙殺しました。「何をかったるい質問をしてるんだ、このひげおやじ」という感じです。
 それでこれは駄目だと思ってマイクをはずして、こうやって入っていきました、高校生のほうに。何百人という体育館です。目の前にスキンヘッドがいました。横向いたら金髪で。ここがないのもいます。それはそうでしょうね。大麻でネットワークができていて、半分以上3年生が退学するという所ですから。僕はスキンヘッドを前にしてむらむらと情熱が熱情にヒートアップしまして、今日はこの子のために話そうと親身になって、心施すると心に決めて、それから1時間話をしました。1時間終わったあと、9割以上の高校生が拍手をしました。そして1週間から10日たって感想文を全部送ってきたのです。
 これが感動的でした。今までの感想で一番感動しました。学力が低い子もたくさんいるんです。オール1の子もいるんです。だから長い文章を書けない。「今日は心が温かくなる話をありがとうございました」「今日の話は一生忘れません」「こんなに一生懸命話してくれた大人はいなかった」。これはうれしり悲しかったです。つまり、みんな引いてしまっているんです。スキンヘッドを前にして親が子供の心に向き合っていない。先生が心に向き合っていない。後ろから見ていた組合の先生が一番びっくりしたそうです。高橋が1時間でこんなに高校生を変えるとは思わなかった。大体5分から10分で態度が変わるんです。こうなっているのがこう向くまでには大体10分。ビデオできちっとこれを見ていたら非常に面白かったんですけれど。
 つまりどういう話をしたら真正面を向くか。つまり心の琴線に触れる話をしないと駄目なのです。抽象的な話とか、きれいごととか、これは全然心を傾けませんから。驚いたのは、僕はいつも障害児の話をするのですが、障害児が「時計さん、長針・短針別れちゃう」と。長い針と短い針がやっと会えたかと思うとすぐ離れてしまう。そのことを「時計さん、長針・短針別れちゃう」と詠んでいるのです。あるいは、流れ星とか、「かかしさん、夜中も起きて眠たそう」「ろうそくは光分け合い身を削る」「餅さん、いつもたたかれ痛そうだ」「ゴキブリはみんなに嫌われ悲しそう」と。こういうのがどうっとあるのです。それについて、400字びっしり書いてある。たった「時計さん、長針・短針分かれちゃう」、これだけについて400字書いたのもあります。どういう気持ちだったんだろうか。非常に豊かな感性です。でも、実際には半分以上は退学しているわけです。
 僕はこう思いました。要するに、親や教師がここまできちっと向き合っていないんだと。僕はスキンヘッドであろうが金髪であろうが、そんな表面には全然とらわれていませんから、心の正面に向かってびしっと話をするわけです。先程「心施」と書きました。これも一つのキーワードですけれど、まず責任転嫁するのではなくて、自分が変わるところからスタートする。話を戻しますと、なぜ安西高校に親が全部来たかと言いますと、普通は親はいろいろ文句ばかり言ってくる、先程の例のように。ひどい話をしてくる。親が、学校が悪い、教師が悪いとぼんぼん文句を言ってくる。それに対して普通は先生が引いちゃうんです。安西の場合は引かなかった。「あなたがそういう生き方をしているからこの子がこうなっているんだ。この子を本当に変えたいのならば、あなたが変わらないと駄目だ。学校に来なさい」と。「来てください」じゃないんです、「来なさい」。そして、全員来たというのです。
 蓮田高校の場合は大麻で大問題になって記者会見まで行われたのに、緊急でPTAに声をかけたら親が集まってきたのは十数人。これが実態です。親が関心がない。こんなに大問題になっているのに関係ないということです。でも、それは関係ないと言わせないというかかわり方をしたわけです。つまり、これからは親に対する働き掛けをどうするかという、親学の力を、親に対する指導力を持っていかなくてはいけないということです。そしてあなたが変わらないと駄目だと。主体変容、責任転嫁しては駄目だと。自分が変わらないと子供は変わらないんだということ。つまり、これが意識改革の根本です。教師と親の意識改革の根本は、自分一人からの教育改革。一人からの出発。自分が変わるというところからしか子供は変わらないよ、ということを徹底することです。
 次に、全部、10言っていると時間がなくなりますので、「守破離」のことをちょっと言っておきましょう。守破離はどういう意味かと言えば、「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても基を忘るな」という言葉があります。これは千利休の言葉です。「テレビタックル」もこれだけは全部紹介してくれた。あとは僕が詳しくアメリカやイギリスやフランスの教育改革の話をしたら、全面カットになりました。テレビではあまり力を入れ過ぎると全部カットされてしまうのです。短くてきぱきとテレビに合わせて言わないと駄目なのです。
 この守破離は、まず「守」はどういうことかというと、基本の型を継承することです。もっと言えば押し付けるということです。強制です。基本の型というのは選ぶことができない。子供の興味・関心で選ぶことはできない。これは他律、強制なのです。教育は型を教えるところから始まる。型を模倣するところから始まる。これを脳科学では「子供の脳は刺激によって発育する」と言います。形を強制することが脳を刺激するのです。「あなた方の自由ですよ。自由に興味・関心で選びなさい」ということは脳を刺激しない。型を継承する。文化を継承する。この基本の型をきちっと身に付けさせること。これがしつけにも当たるわけです。それを破ってそれから離れる。この離れる段階で個性が育つ、創造性が育つという段階です。この段階が自立する段階です。しかし、自立の前に他律があって自律があって自立があるのです。何を言っているのかさっぱり分からなくなるでしょう。
 今、戦後の教育が混乱しているのは、子供の自己決定権を盛んに強調しているからです。子供には、自分で考え、自分で判断し、自分で決定する権利がある。これが子供の人権だ。子供の自立だと言うのです。千葉県の幼稚園協会に行ったら、ある園で「1歳以上の幼児はおやつを選択する自由がある」と言っている。「子供がどういう遊びをするか、子供が選んで決める権利がある」と言っている。これが子供の人権の履き違えです。
 幼児、1歳の子におやつを選択する自由はありません。今日の金先生の話を聞けば、もう皆さんお分かりですね。子供は発達段階に応じてかかわらねばならないのです。「しっかり抱いて下に下ろして」というこの愛着・受容が大事な段階、これがなければ子供の心は育たない。そのときに、「あなた方の自由ですよ。自立しなさい」と言ってもそれは無理です。自立も形成過程がある。自立に至る条件がある。そこがよく分かってない。だから、脳の発達段階に応じて親がどうかかわるべきかという共通理解を深める必要がある。これが親学の基本です。これはイデオロギーではありません。何が子供の脳を育むかという「育」の視点に立つことです。何が子供のアイデンティティーを育むか。何が子供の心を育むか。この「育」という視点は教育の不易です。そこをしっかりと脳科学から明らかにすることが大事です。
 もう一つのキーワードが、「構成力」という言葉があります。構成する力。分かりやすい例を挙げますと、風景構成法と言う心理試験があります。山、川、谷、家、石。そういうものを自由に描きなさいと子供に言うと、小学校1、2年生は全部横に並べます。風景を構成できない。並列に並べちゃう。山とか川を風景として構成できない。これが脳の発達段階です。小学4年生からだんだん構成できるようになります。5、6年生になると半分くらいできるようになります。
 この時期に父性的なかかわりが大事だと心理学者が言っているのです。これも「テレビタックル」でやりましたが、産経新聞は一面トップで、「中学生の6割が反抗期がなくなった」という統計を発表しました。それは要するに父性的なかかわりをしなくなったからです。おやじが今日のような、金先生のようなかかわり方をしなくなったから、反抗がなくなってきたわけです。葛藤しながら、反抗しながら自立していく。反抗することが問題ではないのです。ところが友達親子になってしまって、親に対して何が言いたいかと子供の標語を集めたところ、「父よ、何か言ってくれ。母よ、何も言わないでくれ」、これが優秀賞。(笑い)
 私はよくこの例を出しますが、お母さんが一日に何回「さあ、さあ」とせかせるか。お父さんが何回「まあ、まあ」となだめるかを計算したきょうだいがいて、お母さんが「さあ、さあ」と言ったのが59回で、お父さんが「まあ、まあ」と言ったのが21回だったという実例があるのです。きょうだいはお母さんに対しては鳴りっ放しのラジオのようでうるさい。お父さんは葛藤を避けようとしてだらしがない。つまり存在感がない。この二つがやはり子供の共通の思いであります。
 今、肝っ玉母ちゃんとか鬼母ちゃんが増えてきていますが、お父さんの存在感がないわけです。昔は「厳父慈母」と言いました。厳しいお父さんに慈愛深いお母さん。これが理想の家庭像でした。今日の鬼母ちゃんは厳母、厳しいお母さんに、甘い父、甘父。これが今の実態になっています。これも親が変わってしまっている一つの事例です。
 さて、話を戻しましょう。守破離が大事だと言いました。それから、次は「流汗悟道」というキーワードです。この流汗悟道は北海道家庭学校の言葉なのですが、北海道家庭学校は男子の教護院、最近はそういう名前を使いませんけれども、非行少年たちが130万坪の大自然で立ち直っていくのです。作業をしながら汗を流すという体験を通してみんな立ち直っていくのです。汗を流す。これは流汗です。汗を流すことを通して道を悟る。道を悟ることは自分の価値に気付く、目に見えない価値に気付くことです。
 安西高校の場合は手でトイレ掃除をするということに300人が参加したそうです。これはすごいです。イエローハットの鍵山相談役が手でトイレ掃除をすることを全国で展開しておられますが、今東京の荒れた高校3校がこれをやっています。でも、集まってきたのはわずか数名。でも、安西の場合は300名です。これはすごい。自主参加です。一番悪の突っ張りが参加したんです。これはテレビでやっていました。一番悪の突っ張り、学校崩壊の一番悪のゾンビが一生懸命手でトイレ掃除をしながら、「こんなにきれいに磨いたのを汚すやつがいたら許さんぞ」と言う。(笑い)これがまた大変なにらみが効くんです。それ以来すっかり変わりました。これは目に見えるものをきれいにしながら心がきれいになっていく。
 私がよく仏教慈徳学園と言う横浜にある家庭裁判所の話をするのですが、家庭環境が悪すぎるためにここに入りなさいという施設が横浜にあります。その子たちは銘石という自然石の傷を毎日6時間磨いています。自然石の傷を毎日6時間磨きながら、「これからは僕の心をピカピカに磨いていきたい」「僕の人生を磨いていきたい」と言って、弁護士になったり医者になったり、劇的な立ち直りをしています。つまり、これは子供たちに「体験しろ」では駄目なのです。親と子が一緒になって、先生も一緒になって困難を乗り越えるという体験、これが感動体験・感謝の体験・喜び体験の僕は一つの例だと思います。
 長島一茂が通っていた白根改善学校と言う所では100キロ競歩をやります。松下政経塾も100キロ競歩をやりますが、100キロ歩くという中で、最後はワアワア泣きながらゴールインして来るのです。それは悲しい涙でなくて、生まれて初めて自分に感激して泣いています。僕だってこんなに強い、僕だってこんなに負けないヒーローだと。つまり、自分に感激するのは最大の喜びです。最大の感動体験です。それができないのは、困難を乗り越える体験がなかなかできないという現実がある。それは「事なかれ主義」とか「安全第一主義」がありますから、「事故が起きたらどうしますか」という壁があるのです。
 そこで私は自治省の研究会で、子供の発達段階に応じてこういう体験活動を地域ぐるみで親と子供も一緒になってやりましょうということを提唱しているのです。師範塾もやっている萩ウォーカー。萩を一緒に親子で歩く。あるいは四国には竜馬脱藩の道62キロがあります。そういう所を一緒に歩きながら、共に困難を乗り越える。
 なぜそんなことを言うかといいますと、北海道家庭学校の真ん中に「難有」、難があると書いてあります。北海道家庭学校の真ん中に教会が建っている。教会に十字架の代わりに「難有」があると二文字が書いてあるのですが、私はいつも家庭裁判所の調査官とできるだけ接触をしています。その家庭裁判所の調査官がこういうことを言ったことがあるのです。「愛情が足りない子は愛情を与えれば立ち直る」。でも、愛情をありがたいという気持ちが持てない子、つまり甘やかされて何でも与えられた、自分を王子と言っている、今もまだ刑務所から王子と書いているそうですが、それは甘やかして育って何でも与えたからです。「甘やかされて育ってありがたいという感謝の気持ちを持てない子は立ち直りが難しいのだ」と言いました。
 つまりそれは、ありがたいという感謝の気持ちを持てるようになるためには、困難を乗り越える。これが「有難」ありがたい。困難があることがありがたいということです。そういうことを「おまえ、やれ」というのではなくて、地域で、あるいは親も教師も子供も一緒になってそういうことを乗り越えていくことが大事ではないかと思っています。
 時間が来ましたのでこれで終わりますけれども、最後に子育ては法律で合理化できないと言いました。でも最近は「手作り神話」と言いまして、「手作りでする教育が大事だというのは根拠がない」と言い出したのです。手作り神話。女性校長がお母さん方に向かって、「雑巾ぐらいはスーパーで買わないで自分で縫って渡してほしい」と言ったら手を挙げたお母さんがいて、「自分が縫おうがスーパーで買おうが、雑巾は雑巾じゃないか。そんなことにこだわるのは古い昔の封建的な考え方です」と言った。これは自分が雑巾を縫うというプロセスが子供の心を育てるということが、今の親に分からなくなってきたということです。「手間ひま掛ける」という手作りのプロセスを取り戻すことが一番大事です。
 子供は未来の日本を考えると大きな価値です。今、子供はお客さま、全部親の都合で子育て支援策や少子化対策がどんどん考えられていて、実は子供の最善の利益が第一に考えられていない。親のための施策はいっぱいありますが、子供は実は抜け落ちてしまっている。これがこの国の現実です。福祉の名のもとにどんどん親子の心の絆が崩壊し、教育崩壊が進んでいます。
 合理化と効率化によって私たちは豊かさを得ました。経済成長は成功しました。しかし、合理化と効率化が今や「内なる自然破壊」。内なる自然破壊と私が言っているのは、脳とか心とか人間性が崩壊しつつある。家族が崩壊する。文化が崩壊しつつあるということです。それが今この国に起きている一番の危機です。それを立ち直らせるためには、今日申し上げた「親学」という原点に立脚している。まず、自分が変わるというところからスタートして、ぜひ脳科学の最新の研究成果を採り入れながら、教育に生かしていく。
 埼玉では小学校に1年間入り込んで、脳科学の導入が始まっています。教育への導入が。僕は上田知事とお話をして、同意を得ると時間がかかるので、直接知事とお話をして管理部長と経理課長を知事人事で選んでいただきました。その人と直接話をして予算を計上して、それを来年から全面的にやります。例えば伝統文化を継承しているときに、和装して礼をしているときにどういう脳波になっているかとか。
 東京では19年から新教科で伝統文化という科目がスタートします。今まで伝統文化を受け継ぐ教育がこの国には欠けていました。兵庫教育大学は大学院構想で専門職大学院を作るのですが、「学校教育に和文化の風を」という報告書が出ています。日本の文化を受け継ぐという体験活動。今日DNAの話をしましたが、子供は親のDNAを受け継いでいると同時に日本人のDNAを受け継いでいるのです。ところが日本人のDNAがスイッチオンになる機会がない。それは日本の伝統や文化、あるいは日本人としての喜び・感動体験を共有することがないからです。家庭でもっと親が年中行事を実施して、お盆に迎え火をしてということをやれば、祖先とのつながり、命のつながり、命の連続性、命の連帯性、そういう命のかかわりの中で私たちは生かされていると実感させるということをやっていかないといけない。
 私は、今そのことを脳科学でどんどん世の中に訴えることによって、埼玉から全国に発信していきたい。師範塾は埼玉にも来年作ります。行政とタイアップしながら大きな新しい動きを作っておりますが、ぜひそれを日本全体に広げていきたい。師範塾は親と教師の意識改革です。それを目指して教育現場からの改革、教育界の構造改革を成していきたいと思っております。時間になりましたけれどもせっかくですから、ぜひ皆さんのご質問があれば受け付けたいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。(拍手)
(終了)
 
5. 親分科会
5-2 「親学のすすめ」レジュメ
明星大学教授 高橋史朗
1. 子供の変化とその背景(環境の変化と親の変化)
 
(1)相次ぐ少年凶悪事件と広汎性発達障害
(1)神戸・豊川・長崎の殺人事件
(2)佐世保小6同級生殺人事件
(3)「疑似家族」による「育て直し」
(4)佐世保事件の判決要旨と鑑定医師の見解
(5)情性欠如と「鏡像段階」の通過の問題点
(6)急増する子供虐待と反社会的行動・発達障害との関係
 
(2)睡眠障害と小児型慢性疲労症候群・食生活の乱れ
(1)就床時刻の国際比較調査
(2)子供の生活の夜型化(20年の変化)とその背景
(3)食生活の乱れ(栄養の偏り、間食・軟らかい食品の増加、朝食欠食)
(4)小児型慢性疲労症候群→社会的引きこもり(15%)・ニート
(5)「夜間保育」と保育園の長い昼寝→生体リズムを狂わせ、夜型化の一因
 
2. 「親学」と脳科学を教育現場に生かそう
 
(1)基本認識と具体的提案――保育園・幼稚園の役割の再評価と施策の見直しを
(2)トーマス学長と「親学会」
(3)「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」「三つ子の魂百までも」「規矩作法守り尽くして破るとも 離るるとても基(本)を忘るな(守破離)」
(4)「脳科学と教育」研究の動向と具体的実践
(5)埼玉県教育改革アクションプランの見直し
(6)「親学」と脳科学を特別支援教育に生かそう
(7)地域の「親学の拠点」づくりと親学指導者養成を
(8)埼玉から首都圏――全国へ発信
 
3. 不毛な対立を乗り越える「育」の視点に立とう――子供の「最善の利益」を第一に!
 
(1)「共創」を原理とする「第三の教育改革」(ホリスティックな「紅白梅図」)
(2)日本PTA全国協議会の全国大会基調講演
(3)親を責めるのではなく、子育ての喜びと意義が実感できるような支援を


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION