蜘蛛の糸
「  陀多」の名前について
「  陀多」であるが、「  」の文字は「牛」偏に「建」と書くが、「建」にはたてる・おこす・はじめるの意があり、「人」偏に成ると「健」すこやか・盛んの意となる。
古代インドより「牛」は釈迦の生まれかわりと大切にされてきた生き物である。「  陀多」の「陀多」は前述した釈迦如来の「多陀阿伽陀」の「多陀」の逆使用となっていることに気が付く。
「  陀多」の名称の意は全く不明難解であるが、芥川が罪人にその名を用いたのには、それ相当の考察があったことが必然的に伺える。
参考までに記すが、釈迦の十大弟子の一人に「目  連」と言う弟子が存在するのも何やら興味深い。
(「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に登場する主人公の人物考について」 木下五郎氏 研究資料より抜粋)
そこで 陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗に取ると云う事は、いくら何でも可哀そうだ」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。 |
(蜘蛛の糸:文中より)
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御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐに御下しなさいました。 |
(蜘蛛の糸:文中より)
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・・・<前略> 陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。 |
(蜘蛛の糸:文中より)
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御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて 陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、又ぶらぶら御歩きになり始めました。 |
(蜘蛛の糸:文中より)
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