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コメディカルの充実した解剖学教育に向けて
篤志解剖全国連合会事務局長
順天堂大学医学部 解剖学教授
坂井 建雄
 
 人体解剖実習は、医学教育の根幹をなすものであります。我が国の人体解剖実習は、長年にわたり、献体の恩恵の下に行われてきました。これまで献体者は、自らの最も大切な身体を、医学の教育と研究のために無条件・無報酬で提供してこられました。数えきれぬほどの医師・歯科医師が、これまで献体によって頂戴したお身体から学ばせていただき、医療を通して日本人の健康と生命を支える仕事を続けています。
 医療を取り巻く環境は急速に変わりつつあります。医療を行うのは、もはや医師・歯科医師だけではありません。現代の医療は、医師・歯科医師だけでなく、多様な医療職に従事する人たちとの共同作業により支えられています。看護師だけでなく、理学療法士、作業療法士、さらに放射線技師、臨床検査技師、臨床工学士などなど、これらコメディカルの職種の人たちは、ときには患者と直接向かい合いながら、ときには患者の身体に直接触れながら、医療を支えています。
 人体の構造を学ぶ解剖学は、コメディカルの人たちにとっても、基礎となる最重要の学科目です。コメディカルの人たちが、人体の構造と機能についての十分な理解と知識なしに医療技術のみを学ぶようなことが行われれば、医療を提供する側にとっても、享受する側にとっても、きわめて不幸なことであるといわざるを得ません。献体による恩恵を、ひとり医歯学生だけでなく、数多くのコメディカルの人たちに提供し、医療の質的な向上をはかることは、まさに21世紀の高齢化社会が求めることでありましょう。
 しかし、人体解剖実習と献体には、長い歴史と伝統があります。戦後まもなく施行された死体解剖保存法の精神、医学を支えるために自らの身体を支えてこられた数々の献体者とご遺族の思い、解剖体収集のために奔走された関係者の労苦、先人たちが積み重ねてこられた一歩一歩が、現在の献体を支えています。医学のために我が身を捧げようという献体者の意思と遺族の深い理解とが、献体を支え、解剖学者を励まし、そして解剖を学ぶ者たちに大きな愛を与えてくれることは、変わることがありません。
 我が国の解剖学教育を支え続けてきた、献体の伝統を新しい時代にどう生かしていくか、それが献体と人体解剖に関わる人たちに課せられた、まさに今日的な課題であります。これは、簡単に答えが出せるようなものではありません。献体登録者、大学の解剖学教室の教職員、コメディカルの教育の担当者などなど、さまざまな立場の人たちが、解剖学教育を取り巻く状況について理解を進めながら、なおかつ自己や家族の死という個人にとって最も大切にすべきブライバシーを守っていかなければなりません。
 ここにまとめられた日本献体協会の報告書は、長年にわたり日本財団から助成を得て続けてきた、献体の啓蒙活動、とくにコメディカルの解剖学教育に関するさまざまな運動の記録をまとめられたものであります。この記録が、これからの解剖学教育と献体に携わる人たちの指針となり、献体の愛の精神がさらに広まる一助となることを願うものであります。
 
序に代えて
―コメディカルの人体解剖実習に当っての所感と提言―
財団法人日本篤志献体協会理事長
東京医科大学名誉教授
内野 滋雄
 
<所感>
 コメディカルの人体解剖実習に関して、この冊子が発刊されることは意義深いことであり、感慨深いものである。
 戦後、解剖体の入手が極端に困難となり、医学教育の危機と言われた時代が続いた。それを救ってくれた人々は、言わば医学とは関係の薄い一般市民の方々だった。解剖学者も教育と研究の傍ら解剖体の確保に奔走したが、昭和30年以降の白菊会を初めとする全国での献体の団体の誕生なくして今日の解剖体の安定した確保は考えられない。
 江戸時代、京都での山脇東洋の腑分(1754)以来、解剖は刑死体、獄死体に限られ、いわば極悪人が解剖されるという暗いイメージが根付いてしまった。明治2年薄幸の美幾女が自ら解剖を申し出て、献体行為の第一号とされており、第二号から四号までは明治3年に行われているが、これは明治維新という大きな改革で、西洋に追いつきたいという情熱のうねりが日本中に溢れていたため、医学の発展のために身を献ずるという発想が生じたのではあるまいか。その頃から解剖は献体に限るとなっていれば、医者と患者の上下関係や倫理感に乏しい医者も出てこなかったのではないかと思う。
 それはさておき、医療も医者中心、医者だけではない時代となり、現代の医療現場はチーム医療となってきている。医者以外のコメディカルと呼ばれるさまざまな専門職の人達が加わっての医療が行われている。その人達の学校でのカリキュラムの中には医学部や歯学部のような人体解剖実習はない。そのため本物を観察することは必要だと感じていても、標本室の見学や、学生実習の見学程度だった。ところがコメディカルの業務がより高度のものを求められるようになってからは、実際に人体を解剖して身につけたいという要望が強くなり、日本全国で少しずつではあるが剖出を行うようになってきた。これは医療の向上のためには大変結構ではあるが、法律上の可否、献体者に対しての倫理上の問題、実習の時期は卆前か卆後か、教育スタッフの問題などが出てきた。
 そのため1992年、日本解剖学会はコメディカル教育委員会を設置し、これらの問題の検討に入った。コメディカルの人体解剖実習を行うためには、それに要する解剖体の確保が必要であるが、献体の啓蒙普及という献体運動の成果があって、それが可能となったのである。その陰には昭和60年以降財団法人日本篤志献体協会が毎年日本財団(当時は日本船舶振興会)からの補助・助成を受け、篤志解剖全国連合会の事業としてポスター、VTR、リーフレット「献体とは」などを制作し、また「日本の献体40年」の発刊を行い、これらを無料配布したことがあったことを特筆しなければならない。そして本冊子にまとめられている各種のアンケート・シンポジウムなどの多くが日本財団の助成によることも忘れてはならない。
 私共はコメディカルの人体解剖実習に関して、文科省など行政方面にもその必要性を述べ理解を求めてきた。しかし文科省に言わせるとコメディカル側からは一切そのような要望はきていないとのことである。確かにコメディカル側は大学側に全て依存する形であった。コメディカル側もそれに気付き、初めて平成16年度文部科学省委託事業のうち専修学校先進的教育研究開発事業として「コメディカル教育における人体解剖実習の本格的導入に向けての養成校側の準備体制整備」が認められたのを契機に、学校法人敬心学園臨床福祉専門学校が大規模な調査を行い平成17年3月に大部の報告書を提出した。
 これらを踏まえ、コメディカルの人体解剖実習実現に向け次の5項目を提言したい。
 
<提言>
(1)コメディカル側の熱意と強力な運動の要
 先に述べたように、コメディカルの人体解剖実習を公の場で論じ、文科省など関係機関に訴え、日本財団の助成を受けて運動を展開してきたのは医科・歯科系の大学、それも解剖学教室関係者ばかりであったと言っても過言ではない。実習の要望が強いのであればコメディカル側の学会・協会などが、自らの運動として関係行政機関はもとより、日本解剖学会をはじめ全国の医・歯系大学とその解剖学教室に人体解剖実習の必要性を訴え理解と協力を願う運動を展開すべきである
(2)実習実施機関の理解と協力の要
 現時点での法律では、解剖実習を行うことができる場所は医・歯系大学の解剖学教室に限られ、指導者は解剖学の教授または助教授と定められているため、その理解と協力をとりつける努力をしなければならない。
 しかし、現時点では各大学とも教員数の削減が行われ、自分の大学の学生教育だけでも負担が増えているため、コメディカルの教育にまで手が廻りかねるのが実状ではないかと思われる。
(3)コメディカル側で実習指導者の養成の要
 そのためにはコメディカルの実習教育に当たる人材をコメディカル側で養成する必要が生ずる。それには、研究生または専攻生のような形で解剖学教室に籍を置き、一定期間研修する方式の他、現在全国各地で行われている人体解剖夏期セミナーに参加し、何年かにわたって全身を勉強する方法などが考えられる。
 そのような解剖学会規定の訓練を受け、最後に日本解剖学会が行う「コメディカルのための人体解剖実習指導者認定資格試験」を受け、合格者は認定資格を得る。この資格を有する者は、解剖学の教授若しくは助教授の許でコメディカルの解剖実習教育に限って行えることとし、これを文科省にも認めてもらう。
 同時にこの有資格者は日本解剖学会の正会員であることを義務づける。これらにはまず日本解剖学会の承認を取りつける必要がある。
(4)法の解釈と献体登録者の了解の要
 死体解剖保存法によれば、先に述べた条件を充たせば医・歯系学生以外の者でも解剖は可能という弁護士の見解がある。ただ、いわゆる献体法では、献体者は医・歯系の学生教育のためとなっているため、献体登録をしている篤志家の了解が必要であり、更に献体法の改正も必要の可能性があるかもしれない。これは文科省の非公式な見解である。そのため少なくとも献体登録者との解剖承諾書にコメディカルの場合も了解している旨の書式を残し、了解していただいた方のみの解剖となることを承知しなければならない。
(5)応分の費用負担の要
 最後に費用負担がある。献体登録者が死亡された場合、ご遺体の引き取り、防腐処理、保存、解剖後の荼毘、遺骨返還などに一体当り40万円乃至50万円若しくはそれ以上の費用を要する。その他、解剖学教室員で実習を手伝う助手等の人件費、慰霊祭などの費用負担も必要となる。
 
 以上、クリアしなければならない問題も多いが、何よりもコメディカル側の熱意と行動力が求められ、これなくしてコメディカルの人体解剖実習は望み難い。


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