日本財団 図書館


「脳科学研究の最新報告」
 
 
講師 文部科学省児童生徒課
課長補佐
今泉 柔剛 氏
 
 皆さん、こんにちは。ただいま紹介にあずかりました文部科学省児童生徒課の課長補佐をしております今泉柔剛と申します。今、私は文部科学省の中で三つの業務を担当しております。一つが生徒指導全般。問題行動とか、不登校とか、いじめ、中退など、生徒指導全般を担当しています。二つ目が、学校において、児童虐待はもちろん家庭で行われるものですけれども、学校というのはある一定の学年、年齢の子供たちを網羅的に、投網的に見ることができる唯一の社会的リソースですので、この児童虐待防止のために学校ができる役割は何かという、虐待の関係の仕事が二つ目。三つ目が人権教育、同和教育に関しての仕事をさせていただいているところです。今日はその1番目の生徒指導の観点から「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」の話をさせていただきたいと思います。
 実は、文部科学省は問題行動対策についてこれまでもいろいろな施策を打ってきたところです。ただ、果たしてそれで本当にわれわれが根本的な解決策を打ち出せていたのかどうか。そこについては、やはり大いに疑問な点はございました。もちろん、そこに根本的な解決というのは、この問題に関しては現実的にはかなり厳しいものがあるかもしれない。けれども、ゼロにはできなくても数字を減らすことはできるのではないか。われわれが本当にやるべき取り組みは何なのか。これをもう一度見直したかった。これが「情動の科学的解明」の検討会の発端です。
 昨今、「キレる子供」という言葉が世に出回っております。実に最近の少年犯罪をひもときますと、それこそ去年の佐世保の事件から、今年に入ると山口県の光高校の爆発物事件、板橋区の管理人夫婦殺害事件、福岡市で実の兄を文化包丁で刺し殺してしまった事件、平戸市でバットで自分の妹を殴って重傷を負わせた事件、明徳義塾高校で同級生をナイフで刺してしまった事件。最近の話だと、静岡のほうでタリウムを自分の母親に、あの事件はまだよく犯人が分かってはいないけれども、実の子供が疑われている事件とか。いろいろ事件がございます。これらの事件は、いろいろとひもとくと共通点がいくつかございます。
 一つ目は、いずれも生徒指導上問題がないと思われていた、いわゆるおとなしくて、まじめで、出席もきちんとしているような子供が突然起こした事件であったということ。二つ目が、そういう子供でありながら、やはり何らかの前兆行動は見せていたということ。三つ目が、これらの子供たちがコミュニケーション能力とか対人関係能力、または自分がやる行為に対してどういう結果が及ぶのかということに関する認識が充分でなかったという面。四つ目が、はたから見ると非常に仲のいい兄弟とか、仲のいい家庭環境に見えるけれども、実はそれぞれの家庭、またはそれぞれの兄弟関係、または友人関係で何らかのストレス状態が存在していたということ。これを逆に言えば見抜けなかった。5番目が、有害環境。インターネットからの情報、またはゲームからの情報、テレビからの情報、本からの情報、雑誌からの情報、そういう有害環境が及ぼした影響。この5点が挙がってきたところです。
 文部科学省で、こういうものに対して短期的に対策を取るためにプロジェクトチームを作って、問題行動に対する重点プログラムを実は昨年も設け、今年も設けて施策を取ってきたところです。でも、皆さんご存じの状態で、決して少年犯罪がそれでなくなるわけではない。
 そもそも、この子供が少年犯罪に至る裏の背景には何があるのか。今、少子化の状況で家族関係がどうなっていて、それが子供の心にどういう影響を与えているのか。都市化が進行していて、いわゆる家庭の教育力の低下とか、地域の教育力の低下とは言いますけれども、では家庭はどういう教育を提供すれば子供の心が健全に育成されるのだろうか。そもそも、子供が生まれて全くゼロの状態から健全な大人に成長するまでに、どういう刺激をわれわれが与えていけば健全な大人に成長していくのだろうか。そこら辺について、もう少し文部科学省としても足をとどめて、短期的な施策を打つのではなくて長期的に見て何が必要なのか、われわれは何をしなければならないのかというのを科学的に解明していこうと。
 よく文部科学省が施策のぶれがあると言われますけれども、ぶれをなくすために、科学的に客観的に見て、子供はこういうふうに成長する。今こういう社会環境があるから、こういう状況が外部的な環境よりもある。それを考えて、われわれは何をしなければならないのか。それを科学的に解明していこうというのが、今回のこの検討会を立ち上げたそもそもの発端でございます。
 そして、もう一つ立ち上げた発端としてあるのが、皆さんは有田先生からのご説明とか、前回は森先生からもご説明があったそうですのでご存じの通りですけれども、昨今、脳科学をはじめ、いろいろな学問の知見が整ってきております。それこそ、脳機能計測が進歩したことによって、外科手術で頭を開けなくても脳の機能が分かるようになってきた。また、精神医学でも臨床のケースがどんどん増えてきて知見が整ってきている。そういういろいろな学問の知恵を教育に生かさない手はないのではないか。今まで考えてくるうえで、いろいろな科学に知見が整ってきているということが一つ。
 尚かつ、ただこれが必ずしも教育現場に応用されているとは限らなかったこと。研究は研究でとどまっていて、世に公表されているけれどもなかなか現場まではその情報が下りてこなかった。世の中にどういう知見があって、どういうことが分かっていて、何が分かっていないのか。それを現場に下ろしていくのもわれわれ文部科学省の仕事ではないか。こういうふうに考えて、今回のものをやった次第でございます。
 実は取り組みとしてはこういうかたちで始めたのですが、始めたのが今年の1月からでした。その報告の最初の会議を持てたのは9月で、報告を出したのが10月12日です。実に半年強の間でばっと作業をしたものですから、実は正直言って漏れがあります。すべての学問分野を網羅しきれたわけではないし、ある学問分野の中においても恐らく漏れがあります。ここでこれから私が話すことで皆さんに注目していただきたいのは、今、何が分かっていて何が分かっていないのかということです。それを文部科学省はどうやって現場に下ろそうと考えているのか、その戦略をどう考えているのか。その点についてお話し申し上げたいと思います。
 今回、会議においてこういう方々をお呼びして知見を伺いました。例えば森先生もそうですけれども、川島隆太先生とか澤口先生とか津本先生という脳科学の方々、また教育心理で京都大学の方々、あと発達心理の方々、精神医学の方々、保健学の方々、小児科学の方々、栄養学の方々、犯罪社会学、そういう方々から知見をいただいたところです。
 今そこで子供の状態に関して何が分かっているのかというと、実は1枚ほどの要旨があるのですが、これと同時並行でこの冊子の12ページ以降をご覧ください。今分かっている知見として、今回、学術的にこれは確かに言えるだろうということについて書いたものが12ページから17ページまでです。実はほかにももちろん科学的な研究成果というのはたくさん出ております。
 今回、われわれはこの資料を公表するにあたって非常に慎重にとらえました。というのも、脳科学をはじめとした学問的な知見が、説得力があるが故に逆に誤解を招きやすい。特にマスコミの報道等で大きく誤解を受ける可能性がある。センセーショナルな出方をすると、現場の方々にとって逆に迷惑を与えることになるので、そこの部分についてかなり慎重になりました。そういう意味で、先程のすべての学問分野を網羅できているわけではないうえに、研究の中で出た話でもかなり精選しております。
 まず初めに、ここで出た知見でこういうのがあります。子供の心の発達というのは、生まれてから5歳までに大人と同じような原型ができあがる。情動の原型は5歳ぐらいまでにできあがるという知見が出ております。例えばここの部分について、だからこそ5歳までの乳幼児教育が子供の心の発達を支えるためには重要だけれども、その際には、決して5歳を過ぎたら間に合わないわけではなくて、取り戻しは充分可能である。ただ、年齢が行くに従って取り組みは困難になる。
 5歳までの情動の形成が重要であるとするならば、ではわれわれは家庭教育等の中で何をしなければいけないのか。それをしなければいけないのが、1番目に書いてある「適切な愛着の形成」がやはり重要であるということ。非常に当たり前のことであるけれども、愛着形成が適切な対人行動・社会性の発達に重要である。しかも、決して初期の母子関係のみが情動を決定するような要因なのではなくて、乳幼児期に充分な愛着体験がない場合でも、その後に愛着形成が行われたことによって、大きく人間として成長していくこともあるということ。ここら辺に知見が出ています。
 では、愛着形成をするうえにおいて、親の役割というのは何なのか。そこについて13ページの(3)の所ですが、子供が自己を形成するうえにおいては、他者と出会って、その中で他者を他者として受け入れて自己との違いを認識しながら自分を体験していく。
 これを具体的な場面で申し上げますと、子供が赤ん坊のときに、何か嫌な不快感情があって泣いてしまう。その泣いたときに、母親が、または父親があやしてくれる。自分が嫌な感情を表に出したときに、目の前にいる人が優しい顔をしてほほ笑みながら自分をあやしてくれる。自分の感情が落ち着いてくる。実は非常に当たり前だけれども、そういうことを通じて、子供は人と人のフェース・ツー・フェースで、人にも感情があり自分にも感情がある。自分が嫌なことについて人は和らげて返してくれる。そういう他者との関係を、そこのところから学んでいく。そういう他者の重要性、特に保護者の重要性ということがやはりあるのではないか。
 更に、これも現場では当たり前のように認識されているところですけれども、やはり基本的な生活リズム、睡眠のリズムと食事のリズムというのはかなり大きな要因を子供の成長に与えているようだ。特に生物としての人の体内時計のリズムとずれが生じることによって、子供の心身の不調を来しかねないということが言われています。更に、決まった朝食の摂取が充分にされていないと血糖値の低下が起こりやすいとか、集中しにくくなったり、いらいらしやすくなったりするということも言われているところです。あと、疲れを感じやすいというデータも出ております。
 更に、食育等の重要性については、決して子供のそういう意味での生物的な発達だけではなくて、食事の場において子供と親が接するコミュニケーションの在り方とか愛着の在り方に影響を及ぼしている。やはり、基本的な生活レベルと食育は重要であるということが言われています。
 更に、子供には、人間にはいろいろと脳の機能によって感受性期、臨界期と言われるものがどうもあるようです。それが、どの機能がいつまでかというのは分かっている知見もあるが、分かっていない知見もあるようです。ただ、その中でも、決して子供の感受性期で成長が終わるわけではなくて、人間は成人になっても年を取っても可塑性が大きい区域もあるようだ。特にエピソード記憶とか空間記憶については、人間の脳はどんどん発達していって、どうも臨界期というものはないようだということも言われているところです。
 更に、子供の心については、多分もう有田先生から説明があったので皆さんは頭脳のことについてはある程度知見があると思いますが、子供の心をつかさどっているのは、海馬とか扁桃体という大脳辺縁系と言われる部分にどうもそういう機能があるらしい。大脳皮質の前頭連合野が大脳辺縁系の機能を抑える、コントロールする力もあるらしい。
 この二つが相互に連携し、制御し合ながら、子供の心が情動の絡みでは相互に制御関係にあると言われています。特に前頭連合野の感受性期が、脳科学の知見からすると、シナプス増減の推移から推測すると、8歳ぐらいがピークで20歳ぐらいまで続いていると言われています。ここの部分の子供の社会性を育む教育が重要であるという知見がなされています。ちなみに、脳の部位に関する条項については33ページにございます。もう一度この所で、海馬の位置、扁桃体の位置、前頭連合野の位置をお含みいただければと思います。
 更に今回それ以外にもいくつか知見が出ています。この部分は要旨には出ていないのですが。昨今の少年犯罪を考えるうえで非常に重要な実証が二つ挙がっています。一つが児童虐待の問題、もう一つが軽度発達障害の問題です。もちろん、虐待を受けた子供は必ず犯罪を犯すわけではない。同じように、軽度発達障害の子供が犯罪を犯すというわけではない。だけれども、最近の事件の背景を見ていると、虐待を受けた子供であったり、軽度発達障害の子供が多く見られる状況があります。やはり、この部分について見ていかないといけないということが言われていました。
 特に虐待については法務省のデータでこういうのが出ています。法務総合研究所が出したデータですが、少年院在院者の73パーセントが実は虐待体験者だということ。また、このあいだ厚生労働省が出したデータですが、児童相談所で非行相談があった子供の3割が虐待経験があった、約5割が何らかのかたちで親との別離とか養育環境の著しい変化があったということが言われています。
 やはり、この発達障害は、先程の話に戻ってしまいますけれども、愛着形成、子供がいわゆる虐待等を通じて本当は受けるべき愛着が受けられなかったりとか、親との別離または片親を亡くしてしまうとか、そういう養育環境の変化によって愛着が失われてしまうことの影響があるのかもしれませんけれども、虐待と軽度発達障害というのは無視できない状況です。軽度発達障害に関して、広範性発達障害については対人認知機能に問題があること。あと、大脳辺縁系を中心とした脳の成熟に問題があって、それが社会適応の基盤である対人認知機能に障害をもたらしているのではないかということが指摘されたところです。
 あと、いわゆる「キレる」現象と非常に密接に関連があるのではないかと言われたのが、扁桃体または海馬辺りの脳領域の機能不全が攻撃性を高める可能性があると指摘されたところです。また、昨今ゲノムの研究が進んでおりますけれども、人間の心の障害というのは遺伝的要因と環境的要因が相互に影響し合いながら出ているらしい。必ずしも遺伝的要因だけで出ているわけでもなく、環境的な要因だけで出ているわけでもない。この二つが相互に関連しながら出ているらしいということが言われたところです。
 逆に今度、検討会の議論の中で話題になって非常に重要だとされながらも提言として充分に言えなかったものが18ページからです。一つは、先程、生活リズムで食育が重要という話をしました。ここの部分については、少し戻るのですが、9ページから10ページにかけても、18ページと併せながらご覧ください。
 生活リズムが重要、食育が重要という話は9ページ、10ページのここにも文部科学省が行った既存のデータがあるのですが、やはり、ここでも指摘されているところです。ただ、生活リズムがどういうふうに子供の脳に影響を及ぼしているのか、そのメカニズムについてはまだよく分からない部分があります。また、愛着関係等の話はあったけれども、親子関係をはじめとした人間関係の在り方、現在、少子化の時代で、家族関係が変化している中でこれはどういうふうに子供の心に影響を及ぼしているのか。そのメカニズムがやはりもう少しよく分からなかった。
 あと、前頭連合野を活性化させるためにいろいろな体験が必要である。自然体験もしかり、社会体験もしかり、異年齢集団との交流とか、そういう体験を通じて子供の目的意識とかやる気とかを明確にさせて、いろいろな刺激を与えることが前頭連合野の活性化にはいいという話が出た反面、ただ、それが本当にどういう影響を及ぼしているのか、そのメカニズムの部分がもう少しよく分からなかった。
 あと、情動の研究会だけではなくて脳科学の知見を使えば、もしかしたら学習面での成果も見いだせるのではないか。例えば子供が勉強するうえにおいては、本当に単純に、この教科が好きとか、この教科は面白い、または先生が好き、そういう情動面がその教科に集中させる、その教科を勉強しようとさせるという一面があると言われます。いわゆる学習効率の制御においては、どうもこの情動の絡みも無視できない。脳科学の研究が進めば、この部分に対しても貢献できるのではないか。
 あと、学習の中では、いろいろと繰り返し学習していくことが重要なものもあれば、体験的な活動を通じて身に着けていくようなものもある。今、一律に座学形式で1対40というかたちでやっている。時々、体験を交えているものの、果たしてどの学習において繰り返し学習が必要なのか。これも現場の先生は、別に科学的な知見がなくてもこれまでの経験値、実践値である程度経験があるところだと思いますけれども、繰り返し学習が効果を見せる学習もあれば、体験的な学習が効果を見せる学習もある。そこら辺についてもう少し脳科学の知見が進めば、どの教科についてはどういう学習方法でやるべしということも言うことができるのではないか。ただ、そこについてはやはりまだ分かっていない。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION