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猪澤 ボランティアという言葉の語源は、ボランタリーで、自発的にする、という事だと思います。人が何か自発的にする、ということは、動機があります。必ず。で、動機は何かと言うと、環境や自然を美しくすること、というのを動機に持てる人はそうそういないのです。まだまだいないと思います。今、沖縄が長寿で無くなってきている原因の中に、海辺に背中を向け始めたのです。沖縄ですら・・・。要するにもともと沖縄の人は、海辺に行くと海草が落ちている、朝、味噌汁作る前に、浜辺に行って、海草集めて、それを食べて、その海草を食べて長寿になるという以上に、海辺を裸足で歩くことは、癌も治るぐらいのすごく大きな力があるんです。海辺には本当に元気の素がある。人間はもともと海の中から出て来れた場所ですからね。
 
大塚 原点に戻る感じですね。
 
猪澤 そうです。いわば、子宮に戻って、もうちょっとしたら、癌になりそうな人も、海辺を歩くと、また赤ちゃんみたいに再生されるような・・・。もともと沖縄ではみんな裸足で歩いていたのですが、今は海に行く人なんていないんですよ。海に背中を向けています。みんな、海に背中を向けてしまっています。海にまた行く動機ですよね。これは、自然のためではない、自分のためなんですよ。自分が長寿で元気でいたいために、また、具合が悪いので元気になりたかったら、海辺に行って裸足で歩いたり、泳いだりすれば、あっという間に元気になるんです。これは、宮古とか沖縄だけの話ではなく、例えば、この近くの海になるような海ではないんですよね。この辺の海辺を歩いたら、足の裏に何か刺さってしまいそうな海が沢山あると思うのですが。だから、病気になっているんです。その地域の人は。
 
大塚 歩ける海辺を作る、というのは、とても大切な公の意味の「仕事」ですね。
 
猪澤 それを誰がやるか、というといわゆるシニア。シニアの方がゴルフとかゲートボールをやるのもいいのですが、せっかくなら、海辺に行って今若者達が蝕まれているから、海辺をきれいにして、歩ける海辺にしようというシニアの自発的な動きが出てきたときに、僕は先ほど言ったボランタリー、いわゆる自発的な動きになってきて、と言う風に見ているんですね。
 
大塚 有難う御座いました。では、下津さん。ボランティアのことだけでなく、地域が一緒になって、何かをやっていく、ということに関して。
 
下津 私はボランティアという言葉はあまり使わない方で、団体を運営していると、一緒に色々な活動をしてくださる方に少しでも交通費も出してあげたいし、必要経費もだしてあげたい。維持するための家賃とか、そう言うものが出てくるとどうしてもひとつの事業として捉えて行きたいというのがある。ボランティア的な考え方は自発的に自然になっていることで、それを特別にボランティアという言葉を使うから、変に誤解された使い方をされていると思う。こちらが提案したものが良いテーマであれば、少し時間があるから参加させてくださいという人達は随分多いと思うんですね。
 
大塚 ボランティアでやっているのではなく、好きでやっているんですと。
 
下津 そうです。そのことが一番大切だと思うんです。変に使う側も、貴方達はどうせボランティアでしょう。という言葉になってかえってくる。ボランティアの意味が随分幅広く、やっている人にとっては、そういう意識も無く自然な気持ちで起こることである。
 
大塚 外からきた言葉。多分、元の英語の言葉はそういう「ゆい」のような意味があったのかも知れませんが、日本に入って来たときに、ちょっと違う風になったのかもしれないですね。
 
下津 僕はあまりつかわない。
 
森野 日本でやるときには、やはり好きでやっているというのが、とっても大事なことなんです。好きでやって、楽しい。社会的な取り組みと言うのは、いつも上手く行くとは限らない。ところがこれが、号令を受けて、ねばならないという事になると、ほら上手く行ってないじゃない、という話になります。ところが好きでやっていると、上手く行こうがいくまいが人に言われる筋合いはないですね。その素朴な感覚というのが、地域社会を隅々まで変えて行くんではないか。多くの日本人が、海に背を向けると同時に好きで物事をしなくなりました。大体お父さん方が、会社にいって働いてをおそらく嫌々やっていると思います。嫌々やっているのはたいてい身体に悪い。そういう意味ではどこかで楽しさを感じられる。好きで出来ること。それは海辺をを歩くのも良いですね。
 
大塚 そうですね。海辺を歩くという機会を作ると言う意味で、このゴミの活動は良いんですね。
 
猪澤 海辺を「裸足で」歩くことです。
 
大塚 わかりました。「裸足で」がいいんですね。ゴミの活動の取り組みに関して、好きでやっている方達と企業、学校の方達と連携していくことが多いと思うんですが、好きでやる方達が集まるきっかけ作りとか、形作りにかんしては何かありますか?
 
猪澤 僕は現場にいるので、現実的な話なんですが、自発的にやる動機を好きでやると言う人は少ないです。これは「運動」に繋がるまでに時間がかかります。皆さん、経済のしくみの中で、お金や、メリット、そういうものがあった時にモチベーションが上がるという教育を受けちゃっているんで、それは沖縄も同じです。そこから入り口にしていって、やってみたら楽しい、好きになる。もちろん、最初はもともとは好きな人が引っ張っているが、底辺に広がりをつけるうえでは、「アレに行くとどこどこのレストラン半額らしいよ〜」という話とか必要。そういう教育を受けているんだから、それを不純な動機と思わないほうがいいですよ。そういう教育を受けたのだから。ある程度のメリット、それも、突然ICカード的なものにすると、わからなくなるので、誰でもがわかるラジオ体操的方式のものがいい。
 
大塚 分かりやすい、楽しいものにしておくといいんですね。
 
小山 「好きでやっている」という事で救われた感があるんですが。皆さんに教えて頂きたい。山形に飛島という島がありましてクリーン作戦で、NPOの人達と市民がみんなで島中をきれいにしたんです。何百もの袋になった。持ちかえれないから、次の船がくるまで置いておくことにしたら、船が行くまでに台風が来てしまって、どっかに行ってしまった。本当に皆がっかりしたんですが、そんな時はどうしたらいいんでしょう。
 
大塚 拾ってくれた方達に対してという意味?
 
森野 ゴミ問題で一番大きな問題ですが、皆で海浜清掃をしました。では集めたゴミはどうするか。家庭から出たゴミではないので、行政は処分できません。でも、集めたゴミは実物としてそこにあるわけです。それをどうするか。集めた人は誰かに手渡ししたら、それで解決したことになるのか。そうするとゴミを集めるという事は、ゴミが行きつく先まで考えを及ぼさないといけない。そうすると次の動きがついて来るという事になると思います。実際、今の日本で家庭から出るゴミ、事業者から出るゴミ、行政の清掃局が清掃するゴミ、事業者が処分するゴミ以外に出たゴミを誰がどう処分するかというのは非常に大きな問題としてあります。家電メーカーさんは家電については完全に再利用する。99%くらいまで再利用するという取り組みをしているところがあります。作る段階から再利用できるようにしようという取り組みも有ります。しかし今現状にあるゴミをどうするか。それに対しては、それほど動きが無い。誰かに押し付けられています。
 
大塚 小山さんの御質問は、ちょっと違うんですよね。
 
小山 そうです。そのままだったら自然に解けて行くゴミもあったでしょうが、袋というものに入れてしまったので、どこかの国に流れて行ったでしょう。やきりれないです。私達の苦労どうなったんだろう。更にゴミになってしまった。
 
鯉江 海岸のゴミを拾うタイミングがございまして、気象データを全国から集め、海を見ながらデータを見る。気圧配置を見て、山間部で雨が降るだろう。降った後は海に来る。潮位差が少ないときは、ゴミは流れてくるんですが、砂浜の下のあたりでやり取りされる。一旦溜まっても、あくる日にそれ以上の潮位がくれば、次に流れて行くんですよ。実は、ゴミを拾うタイミングがある。周辺の地形の条件と気象。参加する人には言わないが、地形や気象データを見ながら、考えながらやる。
 
大塚 専門的な知識も少し必要ですね。SOFモデルというんですか、それを全国に広げていくのに鯉江さんのところは、大変力になっていただいている。宅急便で全国に材料を送ったりしている。さらに2−3人の人が来てくださって、各地で学校や役所が動いてくれれば、子供達や親御さんたちが集まっていろんな活動が出来るという事になっていますね。その辺の仕組みを説明をお願いできますか。聞いていらっしゃる方々のなかにも、「面白そうだ、やってみたい」と思われているかたに、どうすれば出来るのか御説明ねがいます。
 
鯉江 パッケージングして綺麗に用意することによって、海岸清掃後にカードを貰って、アレを手に入れて持って帰って家での会話が増えるとか、旅行に行ったときでも、ああいうものがあって、使ってきますと、無くなると入れるきっかけになる。子供が気付かなくても、両親がヒントを与えることによって、一回で終わらず広がりを持つ。
 
大塚 元から話すと、子供達が海岸清掃をし、チケットを貰い、チケットを持っていくと工作教室に参加できる。工作教室に参加するとちいさな工作の材料のパッケージを貰える。それを持って帰ることも出来る。おうちで、今日こんなことをしたんだよ、こういうようにゴミがあったんだよ、と話せる。小山さんがおしゃっていたように、子供をターゲットに何かすると、親がついてきて、おばあちゃんが着いて来てと大きく広がっていくと、そういった意味では子供を中心にプロジェクトを考えるのはいい、と言うことを仰ってましたが。
 
鯉江 今色んな問題が起きているのが、近過ぎるし見え過ぎるし、聞きすぎる。僕がやっている海の教育と言うのは、お母さん方に「海の教育ってのは危ないですよね」って言われて驚くんです。「ライフジャケットでもをつければ、そんな危なくないよ。街中の事件や事故の方がよっぽど危ないでしょう。」って思うのです。僕達のやることは広いところでやるのでリスクは無い。信号がないところで左右を見ながら活動をやるので、これをやることが、町に出たときに活きる。工作パックにおいても、そうなんですね。あれを使ってどうのこうのではなく、あれがあることによって、会話が弾んだりという、次のきっかけとなるのです。SOF財団と話したんですが、ゴミ、ゴミと言うと余りイメージが良くない。財団としては、地球全体のことや人材育成が非常に重要だということが最初にあったものですから、あれはひとつのきっかけである。遠くを見る。海に海岸清掃に来て、普段あまり見ていなかった子供達の姿を親が後ろで見ている。危ないな、と親が思って止めようとするときも、子供達が考えながらことを進めている。こうした子供の成長を見ることにもなる。あのパックひとつとってみても、いろいろなことがある、ということなんですね。それが目的だったというわけです。
 
大塚 まだ見てない方は帰りにパックを見ていただいたら良いと思います。いろいろな工夫がこめられています。是非、発言をなさりたいというお客様がおります。二人ほどお願いしたいと思います。環日本海の環境協力センターの土井様、おねがいします。
 
土井 パネルがありますけど、富山県は平成8年から県が、日本海側の自治体に呼びかけて海ゴミの漂着物調査をやっております。現在では、日中韓露、26自治体48海岸やっております。実際は自治体がやっているのではない。皆さんの児童、生徒の協力があって初めてなされています。感謝の気持ちを込めて、今後とも宜しくお願いします。来年度も日本財団さんにも働きかけて太平洋側も含め充実した調査をやってみたいと思っています。ご協力お願いしたいと思います。最後に、このゴミ問題、参加した人は自分では捨てなくなります。今、悩んでいるのは、拾わせるのではなく、捨てないようにする社会を作りなさいと言われ、日々悩んでおります。今日は参考になりました。有難う御座いました。
 
大塚 有難う御座いました。もう一方、東京学芸大学の教育学部教授で、附属世田谷区小学校校長先生の福地さん、いらっしゃいますか。
 
福地 私は学校教育の立場で、大変良い勉強をさせてもらい、地域で取り組まれている活動に大変敬意を表します。そこから私共の学校教育での立場での経験をお話出来ればと思っています。校長をしていますが、附属小学校で取り組んでいる環境的プログラムといえば、普段の授業を継続的にやるということもありますが、このあいだ3年生が東京都の最終処分場の見学をしました。そこで、ゴミと言う物を認識し、改めて自分の生活を考え直すというかたちで戻って行く姿というのを、特に小学校3年生で見まして、発達段階というのが環境教育の場合非常に重要なんですけど、そのなかで感じることを、環境教育のいくつかの学校教育の中で行う第1段階というものは、子供達が親といっしょにやる幼児段階から、低学年あたりで心や命の教育を主体的になると思う。生き物を可愛がるという姿から、そして子供たちが純粋に物事を考えられる第1段階の最終学年が小学校3年生なんです。その3年生を逃しては大変なことになると実感しています。4年になると一旦、物事を壊すギャングエイジと言われる段階ですので、考え方をまた改めて問い直すと言う学年になってくる。自分が取り組んでいる水環境学習という、主に河川が中心なんですが、その入口として、水処理施設の見学が4年であります。命と関る水です。こどもたちは3年生も、4年生もリサイクルと、リユースと、リデュースという言葉をパネルで学んでくるんですが、一体どう言う意味なのか子供に分かる形で、資源とゴミの中に有るまだ使えるものについて、また、どうやったらゴミを減らせるかという問題を公開授業で社会科でやりました。身近なところの街へ行って、プラスティック製品やラップなど、そんなに必要無いんじゃないのという問題意識を持った授業展開をしています。継続してやっていく活動というものを、カリキュラムとして体系的に、環境教育をやっていかなくてはいけないということを、今日お話を伺いながら、益々実感し確信した次第です。
 ペットボトルの中に入っている魚、小さな命を育てるという活動から始まるんです。単なるお土産というのではなく、小さい命をどう大切にしていくかということを取り組んでいって、その先に水の汚れや色んな問題に関りながら、小学校6年間の体系的なカリキュラムの開発に取り組んでいます。やはりゴミの問題を考えた時に、いかにして子供が意識化出来るか、環境問題を小学生なりに考える取り組みと言うのは、地域の方が取り組まれている活動だけで、それを意識化させるのではなく、実は私ども学校の責任ではないかと痛感しています。いかにお互いが連携して行くかが次のステップとして必要ではないか。例えば海をフィールドにして学習するという体制を学校がわにどうやって提供して行くか、ということを考えると先生方も動き出すんです。私は大学では教員養成をしているので、環境教育の指導者が若者から育たないことが非常に残念で、どうしたらいいのか、というのが自分の問題意識の中にもあります。先ほど、ボランティアの話がありましたが、学生の若いエネルギーがそういうところで使えないのか、というように思います。教育の場の受け皿としての活動というものも意味があるように思います。結局のところ、私共のところで育って行く先生達が学校へ行って、それを子供たちへ伝えてくれればいい。一番鍵を握っているのは教師だと思っています。それを支えている、特に子育て中の母親の教育。これが環境を子供たちレベルで良くして行く力になるのではないかと思います。これからも勉強をする機会に多く参加したいと思います。ありがとうございました。
 今のお話にあったように、こういった活動を学校を受け皿として、或いは他のところを受け皿として、こうしが活動をネットワークとして広げて行くときに、どのように広げて行くかもひとつのテーマだと思うのですが、御意見が御座いましたらお願いします。
 
下津 今、ちょうど、その活動をやっている最中ですが、本当に多様な分野の人達が連携を取れて、役割分担を出来れば、かなり素晴らしいことが起こると思うのですね。ですから、私はいつも思うのですが、おそらく、新しいシステムを作って行くとか、そういうものというのは、誰も作ったことのない世界ですから、前例が無いわけです。ですから、その前例を作って行くには、ある程度冒険的なこととか、実験的なこととか、まず、実際にやってみなければいけない。だけど、例えば、行政あたりは、それが、一番苦手であるわけで、その役割は民間の団体に任せてください、と。そして、行政が出来ることは一杯あるわけですね。いろいろな情報を持っていたり、行政でしかできないこともあるわけですね。今、先生も言われたように、例えば教育の分野が入ると、どんな活動をしていても、一番最終のところは教育に帰っていくんですね。この教育がいろいろ変わってきたから、いろいろ多様な考え方が生まれて、若者がいろいろな地域の活動に参加できなくなったとか。ですから、多様な、意識の有る人達がまず、結びつくこと。そしていろいろ話し合いをやって、まず一歩を踏み出すことが一番重要ではないかと思っています。
 
大塚 そうですね。小さいときは色々なことに興味があるのに、段々段々削ぎ落とされてしまっていますね。
 
鯉江 今、僕がやろうと思っているのは、現代版の臨海学校をやろうと思っているのですね。私のところは、空港も先週できましたし、もうすぐ万博も始まるんです。現実的には海の前にある観光業者さんたちは大変なんですよ。そこで、何度もお話にでている、ライフセーバーの若者と私が多少でも財団さんと一緒にやれたシステムであるとか、他のプログラムを導入しまして、あと1ヶ所我々が常時いられる体制を作って、我々がPRをして行く。現代版の臨海学校を作ったらどうかな、と考えているんですね。先ほど、先生からお話があったように、ライフセーバーの子達が安全面を主に面倒を見る。家にはいろいろな専門家がいますので、お手伝いにあがる。そこに先生方とお話をして、そのような現代版の臨海学校を作る、ということが、非常に手っ取り早いかな、と。当然、そういう要望と言うのは旅館組合さんとかも、今までも単なる観光ではなくて、いろいろな教育を含んだそういう観光と言うのを相当考えておられるんで、ひとつのいい例としては、先ほど杉浦さんからお話があった日間賀島ですね。日間賀島などは私共の方にしょっちゅう御相談をいただくんです。ですから、知多半島に一ヶ所か二ヶ所、島の方でも積極的にやってくる。海はもちろんきれいになるし、自然と向き合ったいろんな教育の場も出来る。それが、一番手っ取り早い方法かな、と思っています。
 
小山 先ほどお話したのですが、酒田市では、2校で黒松の林と海を中心とした総合学習をやっております。現場で一番苦労された方が、ここにいらしていますので、その方にお話を伺おうと思います。工藤さん、ちょっとお話していただけますでしょうか?


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