日本財団 図書館


3.2. AIS(Automatic Identification System)
 AISは遠隔の船舶の識別を目的としたIMO規制の切り札であり、船舶に搭載したAIS機器により、自船の船名・位置・速度などの情報を放送あるいは応答するものである。もともとレーダーとは目的が異なるが、レーダーと比較した場合の特長として、VHF帯通信を使用するため、見通しがない船舶の情報も得られること、有効範囲がはるかに広いこと、また導入に掛かるコストが格段に低いことが挙げられる。
 AISには船舶局、陸上局という別があり、陸上局とは主にVTSセンターである。VTSにとってAIS情報の統合は革新的な進歩で、以前の業務のうち大きなウェイトを占めていた船舶の識別が自動化される。従って、現在各国のVTSセンターではAISとの統合が積極的に進められている。
 わが国の東京湾海上交通センターでは、国内の他の海上交通センターに先駆けて、2003年7月1日よりAISをVTSと連携させて運用している。この連携により、AIS-VTSマッチングを行うことで自動的にコンソール上の船舶を識別でき(塩地他, 2001)、その面での管制業務は減少している。また、Figure 2に示すとおり、レーダーより監視可能な領域が拡大したことにより、監視性が向上し、安全性の向上にはメリットが大きい。ただしその分の監視業務は増加している。
 
Figure 2 : 東京湾海上交通センターのレーダーおよびAISによる監視可能域
(東京湾海上交通センターウェブページより)
 
 AISの問題点として、情報の入力が船側に任されていることがある。船員の知識不足により誤った入力がされている場合、または情報を隠匿するために意図的に正しい情報を入力しない場合も考えられる。加えて、機器の異常による情報の誤りを検知する方法がないことがある。例えば位置情報の誤差は、たとえ10m程度でも海峡の通航には致命的である。東京湾海上交通センターでは、明らかに間違いと思われる情報を発信している船舶に対しては、データベースからの誤情報の除去、あるいは船舶への訂正勧告を行っている。
 SOLASにより2002年7月から始まったAIS搭載義務化により、他船情報の取得という問題は解決しつつある状況にある。しかし仮に全船舶がAISを導入したとしても、正しく運用されなければ逆に害となる。従って、いかにAIS情報の質を高めるかが今後の課題であり、現在のところAIS情報を補う手段の併用も忘れてはならない。
 
3.3. 海洋ブロードバンド
 MEHでは情報を共有するためのネットワーク化が必須であり、情報通信路の構築が重要である。特に船陸間の通信路を構築しなければならず、そのためには無線通信を行う必要がある。従来の技術では衛星電話回線を利用した通信路しか選択肢がなく、その速度はMbpsには程遠く、大量のデータのやり取りには適しない。例えば船陸間の通信路として広く利用されているインマルサットによるFleet77サービスでは、64kbpsのデータあるいはパケット通信が上限である。現在開発が進められているのは、Ku帯(10〜15GHz)の電波を利用した衛星通信であり、これは1.0Mbpsを超える速度の双方向通信を可能にする。
 Ku帯通信で使用される衛星はJCSATなどの通信衛星で、他にも既に多数が運用されている。最近の航空機上でのインターネット通信もこの技術を用いているが、船舶で用いるためには受信アンテナの動揺を抑えることが課題で、この問題はアンテナの動的制御を行う技術が開発されることで現在解決されつつある状況である。また豪雨に弱いという面を持つので、特に信頼性が必要な業務には、別の無線通信路の確保が必要である。
 海洋ブロードバンドが実現すると、MEHでは船舶運航の陸上支援を高度化することができる。例えば、船舶上にテレビカメラを設置し、その映像を陸上の設備に送信することで、陸上からの船体コントロールが可能になる。あるいは港湾における接岸も、陸上からの支援で安全に行うことが出来る。こうした船陸間の協調をねらいとした海洋ブロードバンドの実現に向けての取り組みは、現在わが国でもプロジェクトが進行中である(大津,2004,織田他,2004)。ここで提案されているシステムの概要についてに示す。
 特に映像を送受信できることによる応用は広く、陸上からの機関の監視や事故対策、船橋における運航支援、気象などの情報提供にも利用できる。中でも、船舶は陸上からの目の行き届かないところを航行するので、海洋学や気象学あるいは地球物理学に関するリアルタイムの科学データを取得して送信できれば、学術的に価値が高いものになると考えられる。
 
Figure 3 : 海洋ブロードバンドを利用した船陸間通信プロジェクトの構成図
(東京海洋大学技術シーズ集・ポスターより)
(拡大画面:88KB)
 
4. まとめ
 MEHは、船上の操船に関する情報を高度化し、陸上からの支援を活用しながら航行安全性を高めるシステムである。陸上側から見れば、船舶の動向を広い範囲で監視し、船舶からの情報を整理して、その航行についての最適なプランニングを行うものである。そしてシステムから派生する能力として、様々なリアルタイムデータを蓄積することにより、沿岸の環境、あるいは船舶通航の安全性に対して間接的なフィードバックを与えることが出来る。
 MEHは海事のIT化とも呼べるマインドシフトである。特に陸上からの支援を受けながら航行するというのは、従来の船舶運航の常識を覆すコンセプトであろう。しかし近代において陸や空の交通網のIT化・最適化が急速に進んだ一方、海運だけは動きが鈍かったことは否定できず、まずインフラの整備から始めなければならない。MEHはその一端である。
 上で述べた機能に対する技術的要件は、船上での情報インターフェース、船からのデータを処理する陸上支援設備、船陸間の高速な通信路であり、本稿では特にVTS、AIS、海洋ブロードバンドについての現状をレビューした。結論として、現在の技術水準を持ってすれば、MEHは十分実現可能であり、MEHは様々な業界がそれぞれメリットを見出すことが出来るポテンシャルを持っている。わが国でも国土交通省により船舶運航支援の高度化がプロジェクトとして進行しているが、将来的にはMEHの視野まで扱いを広げて、省庁の枠を超えた連携によって推進されることを期待する。
 
あとがき
 本稿は、日本財団の助成を受けて行われているシップ・アンド・オーシャン財団の事業成果物である。ただし、本稿は筆者の私見であり、当財団を代表するものではないことを記しておく。
 本稿を纏めるにあたって、海上保安庁本庁および東京湾海上交通センターを訪問し、職員の方々にいろいろとご教示いただいた。ここに記して感謝の意を表する。
 
参考文献
Sekimizu, K., J.-C., Sainlos and P. N. James. "The Marine Electronic Highway in the Straits of Malacca and Singapore." Tropical Coasts, 8(1): 24-31, PEMSEA, 2001.
 
日本海難防止協会シンガポール連絡事務所. “SRO年報平成13年度版(マラッカ・シンガポール海峡の情勢).” 2002.
 
"USCG tracking plan is 'data for data's sake'." SAFETY at SEA INTERNATIONAL, Nov.:26-27, 2004.
 
小栗滋人. “シンガポールに海事サービスセンターの設置を.” 海洋展望, 17, 2002.
 
シップ・アンド・オーシャン財団. “北極海航路.” 2000.
 
Haare, I. "An Integrated Approach to Vessel Traffic Management and Information Services." 1st Annual European Energy and Transport Conf., Barcelona, Oct. 2001.
 
IALA Recommendation V-103 on Standards for Training and Certification of VTS Personnel. IALA, May 1998.
 
IALA Guidelines on Universal Shipborne Automatic Identification System(AIS), Version1.0, Dec. 2001.
 
高橋啓史, 岡本和男 中島敏和. “海上交通システム.” 沖テクニカルレビュー, 187, 68(3), 56-58, 2001.
 
塩地誠, 水城南海男, 矢内崇雅, 中島敏和, 小林健, 大塚賢. “AIS情報による海上交通管理システム高度化.” 電子航法研究所第3回研究発表会, Jun. 2003.
 
海上保安庁. 海上交通情報機構(Vessel Traffic Serices)パンフレット.
 
東京湾海上交通センターウェブページ <http://www6.kaiho.mlit.go.jp/tokyowan/>
 
大津皓平. “海洋ブロードバンドプロジェクトについて.” 東京海洋大学創設一周年記念事業第7回産官学フォーラム. Dec. 2004.
 
織田博行, 三好晋太郎, 大津皓平, 庄司るり. “船陸間通信によるリアルタイムモニタリングと制御の可能性.” 東京海洋大学創設一周年記念事業第7回産官学フォーラム. Dec. 2004.
 
東京海洋大学知的財産本部 技術シーズ集・ポスター(海洋工学部系)ウェブページhttp://chizai.s.kaiyodai.ac.jp/e_seeds.php


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION