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第1部
最近の展開
第1章
マラッカ・シンガポール海峡における負担共有問題の最近の展開
SOF海洋政策研究所 加々美康彦
 
I はじめに
II 日本の協力と最近の状況変化
III 2004年マラッカ海峡会議とその後の展開
IV むすびにかえて
 
I はじめに
 マラッカ・シンガポール海峡(以下、マ・シ海峡)は、年間7万5千隻を超えるとも言われる大型船の通航が集中する中東とアジアの貿易を結ぶ海の要衝である。その一方で、マ・シ海峡は海の難所としても有名であり、マラッカ海峡南端部の幅は、最も狭い部分で20km以下、シンガポール海峡では幅が2kmに満たない所もあり、水深も浅いところでは10−20mしかなく、海底にはサンドウェーブ(波紋状の砂州)が発生し、未確認の沈船も点在する。
 こうした海峡における安全航行を確保するために様々な取組がなされてきた。灯台や浮標といった援助施設の設置、最近では費用のかかる高度な科学技術を駆使した海上航行支援システムの導入とそれを支える施設などの海事インフラ(maritime infrastructures)の維持、整備が進められている。
 今日まで、こうした海事インフラの整備は、主に沿岸国(インドネシア、マレーシア及びシンガポール)が負担しているが、途上国である沿岸国には重い負担であるのは間違いない。たしかに、沿岸国にとっては海峡の航行安全を確保することで、自国の港に入港して経済を潤してくれる船舶が増加すれば利益を得ることができる。しかしながら、ただ海峡を通過していくだけの船舶に対しても等しく航行安全を確保していかなければ海峡全体の航行安全はままならい。つまり、国際海峡において沿岸国が行う航行安全の確保のための措置は、自国の利益のみを確保するためだけではなく、国際的な重要性を有するものなのである。それゆえ、海峡の通航から利益を得ている国にも応分の負担を求めることが衡平かつ公平であると考えられるが、今日に至るまでそうした国際的な協力の枠組みは実現していない。
 
II 日本の協力と最近の状況変化
 世界に数ある国際海峡の実行には、利用国が国際海峡における航行安全確保のために具体的な協力を行う例はほとんど見られない。自国船舶が国際海峡を通航している国−利用国−にとってみれば、海事インフラの整備、海峡における航行安全の確保という問題は純粋に沿岸国の問題であって、自国から遠く離れた国際海峡における安定を確保することに進んで協力するという考えは希薄であった。そのほとんど唯一の例外といえるのが、マ・シ海峡における日本の協力である。1960年代末頃から2003年にかけて、沿岸国に対して行われてきた協力は次の表の通りである。
 
(表1)日本の支援実績(1968年〜2003年)
支援事業 内容 支援額
航路標識整備 1968年〜1999年に航路標識を整備、沿岸国に寄贈(合計30基) 28億円
航路標識維持管理 1970年以降沿岸国担当官とともに保守管理を実施。これに必要な技術の指導・設標船の寄贈をあわせて実施 25.7億円
水路測量・潮汐流観測・海図作成 1969年〜1975年、1995年〜1996年に測量実施。衛星測地観測による統一基準海図の編纂 35億円
設標船寄贈 マレーシアに2隻(1975年、2002年“Pedoman”)
インドネシアに1隻(2003年“Jadayat”)寄贈
21.3億円
沈船除去 1972年〜1978年に沈船4隻を除去 14億円
浅瀬除去 1979年にシンガポール沖の浅瀬除去を実施 10億円
流出油対策 1980年に油流出事故に対する初期防除作業基金(回転基金)を設立。1973年に油集船をシンガポール沖に寄贈 5億円
OSPAR計画 沿岸国を含めた6ヵ国11カ所の油防除資機材備蓄基地に浮遊式大型オイルフェンスを供与 10億円
海峡諸調査 通峡船喫水調査、航行援助施設復興計画の策定、航行安全問題に関する調査、安全対策協力調査など 1億円
支援額合計 150億円
出典:日下部佳子「マ・シ海峡の責任分担問題、ようやく動く」『COMPASS』(2005年3月)、12頁
 
 こうした世界にも例を見ない協力を促しているのは、日本に輸入される原油のおよそ8割がこのマ・シ海峡を通過するという事実である。マ・シ海峡を通るシーレーンは、日本にとって「生命線」であるとも比喩されるが、それは決して誇張ではない。日本の協力は、まさにマ・シ海峡の利用国という立場から行われてきたものに他ならない。ただ、日本の協力は主に民間ベースで行われてきたものである。1960年代の末から2003年までの間に拠出された支援額の総額は150億にのぼり、そのうち約8割は日本財団がマラッカ海峡協議会を通じて拠出している。残りの2割は日本船主協会、石油連盟、日本損害保険協会、日本造船工業会、日本海事財団といった、いわば関連団体連合が支援を行っている。政府の支援は民間のそれに比べれば規模は少なく、(旧)運輸省や国際協力機構(JICA)などを通じた測量や安全対策調査費などの費用負担などが行われている。
 沿岸国はこうした日本の協力を高く評価しており、その継続と拡大を期待している。ただ、マ・シ海峡における日本の利用量は相対的に減少傾向にある一方で、逆に中国の石油輸入量とそれに伴う海峡利用量が急激に増加していることから1、そうした状況変化に照らした再検討が必要となってきている。激しい国際競争にさらされている日本の関連業界にとってみれば、中国を初めとする他の利用国にも実際の利用量にあわせた応分の負担を共有してもらい、平等の基礎(equal footing)でビジネスをしたいというのが当然の要求であろう。
 なお沿岸国には1980年に設立された回転基金の拡大を望む声が大きいが、現状ではその使途や管理運営がほぼ沿岸国のみに委ねられるため必ずしも透明ではないこともあり、日本国内での議論ではあまり好ましい選択肢としてはみなされていないようである。
 
1 1999年のデータに基づけば、マ・シ海峡の通過船舶は船主国籍別、輸出国別貨物量、輸入国別貨物量の部門でシェアの1位を日本が独占するが、2004年にはいくつかの部門で2位の中国が日本を上回る可能性が出てきていることが報じられている(平成17年1月20日付『日刊海事通信』)。
 
III 2004年マラッカ海峡会議とその後の展開
 (1)2004年までの経緯 マ・シ海峡における負担共有問題は、1990年代半ばから末にかけて、主にマ・シ海峡の沿岸国が中心となって開催された国際会議で頻繁に取り上げられてきた(表2参照)。これらの一連の会議で扱われた事項は多岐に渡るが、その中心的なものは国連海洋法条約との関係で利用国の協力を求める根拠条文となりうる同条約第43条の具体的な内容を明らかにすることであった。一連の会議の的確な整理と今後の見通しについては、既に昨年度の事業報告書においてロバートC ベックマン「マラッカ・シンガポール海峡における負担の共有−過去の議論と将来の展望」のなかで詳細に扱われたので、そちらを参照されたい(なお次章に邦語訳を掲載した。原文は平成15年度末の本事業報告書『国際海峡利用国と沿岸国の協力体制』に所収)。
 
(表2) 負担共有問題を主題として90年代後半に開催された主な国際会議
1994年 マラッカ海峡に関するMIMA*国際会議:「21世紀へのチャレンジ会議」(マレーシア)
1995年 マラッカ海峡に関するクアラルンプールワークショップ(マレーシア)
1996年 シンガポール政策研究所/国際海事機関会議:マラッカ・シンガポール海峡における航行の安全と汚染の規制−国際協力のありかた(シンガポール)
1996年 海洋汚染防止のための持続可能な資金調達メカニズムに関する地域会議:
官民パートナーシップ(GEF/UNDP/IMOの共催)
1999年 シンガポール政策研究所/国際海事機関会議:マラッカ・シンガポール海峡における海洋法条約第43条の実施に向けて(シンガポール)
1999年 マラッカ海峡に関する国際会議:マラッカ海峡の持続可能な発展に向けて(マレーシア)
*MIMA: マレーシア海事研究所
 
 しかしながら、90年代後半に集中して議論がなされた後、負担共有問題への関心は一時の勢いを失い、99年以降はフォローアップを行う会議はなんら催されず、沿岸三国間でのさらなる議論も行われていなかった。その理由として、ベックマンは、インドネシアの政治危機、SARSなど他の優先事項の存在を挙げている。
 
 (2)マラッカ海峡会議 そうしたなかで5年ぶりにマレーシアで開催された国際会議が「マラッカ海峡会議:包括的な安全保障環境の構築」であった2。政府系のMIMAとプトラ・マレーシア大学が共催して、2004年10月にマレーシアのクアラルンプールで開催された。この会議は、負担共有問題に焦点を当てるものではなく、どちらかといえばセキュリティ問題に焦点を当てたもので、これまでの議論の流れとは少々異なる特徴を持っていたが、それでも負担共有問題の転機となった。
 従来の理解では、中国政府はマ・シ海峡の問題について、これは沿岸国の国内問題として関与には消極的であるというのが一般的な理解であった。ところが今回の会議では、そうした理解がもはや時代遅れであることが明らかとなった。
 すなわち、中国の趙鑑華(Zhao Jianhua)(中国外交部アジア局参事官)は、「マラッカ海峡とこれからの挑戦:中国の視点」と題する講演の中で、「中国はこの地域において海上保安への脅威と闘い、そして永続的に安定した地域的海上保安環境を構築していくために他の諸国と協力する用意がある」と述べた。彼の発言は、「セキュリティ(海上保安)」を扱うものであり「セーフティ(航行安全)」を扱うものではなかったという点に注意が必要ではあるとはいえ、これまで中国政府がマ・シ海峡の問題は沿岸国の関心事項であるという立場を貫いてきたことに鑑みれば、「協力する用意がある」との発言は、態度変化を示す踏み込んだものであると捉えられ、会議の出席者を一様に驚かせた。
 
 
 講演につづいて行われた趙氏とフロアとの質疑応答では、「それは個人的意見かそれとも政府の意見か」との質問に対して「個人的意見である」としながらも「政府の線からさほど離れていない」と付け加えた。また講演後のロビーなどでの発言を総合すれば、中国政府はマ・シ海峡の問題について「協力する用意」があり、それは「資金拠出」さえ検討しており、だからこそ今回の会議にあのような「大規模な(中国からは高官含め6名)」代表団を連れてきているのであって、これまで協力をなぜ実施していないのかといえばそれは「沿岸国から話が来ないからである」という。中国政府としては、「沿岸国が何を考えているのか知りたい」のでこうした会議に参加しているとのことであった。ちなみにこの会議には韓国政府からの参加者はなかった。主催者であるMIMA所長のダト・チェア氏によれば「もちろん韓国政府にも招待状を出したが、残念なことに返事がなかった」とのことであった。日本からは国交省外航課の櫻井課長が出席し、「マラッカ海峡とこれからの挑戦:日本の視点」というタイトルで報告を行っている。
 会議の最終日にはさらに、マラッカ海峡協議会の金子専務理事が、「日本の公益法人であるマラッカ協議会は、これまで30年以上に渡り、海上安全のための資金拠出等を行ってきた。しかしながら、資金提供元の日本財団、石油連盟、船主協会などからは、海運業界が激しい競争にさらされる中で、日本だけがこうしたコスト負担を行うのはフェアでなく、他の利用国の負担共有がならないものかと毎年苦言を呈される。しかし、今回の会議で中国の趙氏が明らかにしたように、利用国である中国はこの問題に前向きである。そうであるならば何故、インドネシアやマレーシアは、日本以外の利用国に対して、負担共有に向けた働きかけをもっと積極的に行っていかないのであろうか」という旨の発言を行った。この問題提起に対して、インドネシア政府関係者が回答し、「確かにその通りで、この点については本国に持ち帰って直ちに協議を行いたい」と述べた。
 
 (3)マラッカ海峡会議以後の展開 会議後、インドネシアの担当官より、沿岸三国の調整会合である三カ国技術専門家委員会(TTEG)に利用国を招待するという提案がなされ、これを受けてマラッカ海峡会議から2ヶ月後の2004年12月初旬にインドネシアのジャカルタで開催されたTTEGにおいて、利用国である日本、中国、韓国の関係者が出席し、はじめて沿岸国と主要利用国が直接、負担共有問題を議論する場が設定されることになった。
 この会合の模様について『COMPASS』誌によれば3、出席者は沿岸国からインドネシアのグナディ航海局長、シンガポールのメアリー・シーチェン海事港湾庁政策局長そしてマレーシアのアマード・オスマン・マレー半島海事局次長が出席し、また利用国からは日本の櫻井国交省外航課長、中国の海上安全管理局次長、韓国は本国政府からではなく出先機関から在ジャカルタ大使館一等書記官が出席した。会議の席上、中国の海上安全管理局次長は「“主要利用国”として海峡の安全確保のために沿岸国のイニシアチブに協力し、実効ある形で支援していきたい」と発言したことが報じられている4。中国政府が初めて正式に協力することを表明した意味で大きな前進をみせた。
 また、会議で議長を務めたメアリー・シーチェン海事港湾庁政策局長は、沿岸国だけの取組みでは不十分であること、国際海事コミュニティやIMOの協力の必要性、国連海洋法条約との整合性などの基本方針を示した上で、2001年のTTEGがまとめた利用国の費用拠出を期待している(1)浚渫、(2)AIS地上局の設置、(3)沈船除去、(4)航行支援施設の遠隔監視、(5)測量−の5プロジェクトを説明した。これに対して日本は、マラッカ海峡協議会を通じて継続して行っている既存の航行援助施設の補修・更新も国際的な協力を求めるプロジェクトに加えるべきと発言したとされる5。これが意味することは、日本が念頭に置いているあるべき協力体制は、既存の協力そのものを見直して、他の利用国を含めた上で一から再構築することを目標としていることであるといえよう。
 
3 日下部佳子「マ・シ海峡の責任分担問題、ようやく動く」『COMPASS』(2005年3月)、12-3頁。
4 同上。
5 同上。
 
 なお、この会議は当初、「費用負担に関する周知会合」と位置づけられていたが、名称を「第1回海峡利用者フォーラム(Strait Users Forum)」とすることが合意され、2005年の春以降に第2回を開催することが予定されている(もちろん、TTEGそのものが名称変更したわけではない)。
 ところで、時を同じくして、国連海洋法条約において船舶通航に関する「権限のある国際機関」であると定められている国際海事機関(IMO)にも新たな動きがあることにも触れておかなければならないであろう。もともとIMOでは、1997年に英国がIMOの海上安全委員会(MSC)に「海事インフラのコストを利用者に課金する原則の発展」と題する文書を提出した際に、この問題を検討する機会があった。ただ、この問題はIMOの範囲とマンデートを超えるとの理由で「現段階ではこの問題をさらに追求しない」ことが討議の末に決定されていた6。実際に97年の決定以降、IMOでこの問題が議題に上ったことはない。
 しかしながら2001年9月11日のテロ事件以降状況は変化し、IMOにおいても海上テロの脅威に取り組むための議論が活発化し、さらにセキュリティ問題に関心の強いミトロプロス氏(前IMO海上安全部長)が2004年にIMO事務局長に就任して以降、戦略的に重要なシーレーンのセキュリティという側面からではあるが、この問題を扱おうとする動きが見られる。
 2004年6月に開催された第92回IMO理事会では、戦略的に重要なシーレーンを特定し、そこでの航行安全、環境保護に取組むことが決定され、つづく同年11月15−19日に開催された第93回理事会では、事務局がマラッカ・シンガポール海峡を戦略的シーレーンとして特定し、会議の議題を(1)マラッカ・シンガポール海峡の重要性、(2)情報共有、(3)能力醸成、(4)人材育成、技術支援に定めて意見交換するため7月にジャカルタでハイレベル会議を開催することが決定された(平成16年11月25日付『日本海事通信』)。さらに2005年3月はじめに開催された海事保安に関する東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)の場で、ミトロプロス事務局長がハイレベル会議は「閣僚級の会合とし、行動計画を採択したい」と述べたこと、また7月ではなく9月に開催することもあわせて発表された(2005年3月9日付『日本海事新聞』)。
 
IV むすびにかえて
 このように、マ・シ海峡における負担共有問題は現在大きな転機を迎えている。とはいえ、航行安全とセキュリティの問題に対して総合的に取り組むにはまだ多くの高いハードルが残されていると思われる。たとえば、マ・シ海峡の沿岸国は、シンガポールを除いて依然として同海峡が「国際化」されることに抵抗感を持っている。沿岸国としては、回転基金の拡大を好むことからも明らかなように、沿岸国主導の「金を出させて口を出させない」制度を期待し、また沿岸国の主権に関係するような海峡におけるセキュリティの問題を国際的に進めることを容易に受け入れるとは思われない。つまり、利用国には変化の兆しがあるけれども、沿岸国には変化がほとんど無い。これが高いハードルとなるだろう。また仮に中国の負担共有が実現した場合に、同国がマ・シ海峡に影響力を強めるようになれば、日本がこれまでこの地で築いてきたプレゼンスが相対的に弱まる効果も考えられる。
 国際的に先例のない「沿岸国と利用国が協力する」という国連海洋法条約第43条の精神を具体化していくに当たって、35年にわたるマ・シ海峡における沿岸国との協力の歴史を持つ日本がイニシアチブを発揮することが期待される。
 
* 本稿は、2004年10月開催のマラッカ海峡会議の出張報告書をもとに、平成16年度末までに得た情報を盛り込んで大幅に加筆、訂正したものである。
 
6 See IMO Doc. MSC 68/23 (12 June 1997), paras. 22.22-22.25. この結論に至る経緯について、本事業の昨年度末報告書『国際海峡利用国と沿岸国の協力体制』所収の加々美康彦「国際海峡と課徴金−マラッカ・シンガポール海峡における持続可能な資金調達体制の構築をめざして」、55-63頁参照。


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