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剣詩舞の研究
石川健次郎
―持ち道具を考える―
※連載'05剣詩舞の研究(平成17年度分)は、前月・2月号で終了しました。平成18年度の剣詩舞コンクール課題曲は近々財団事務局から発表されますが、その間は剣詩舞コンクールの舞台上演に必要な問題点を取り上げます。今回は久しぶりに剣詩舞の“持ち道具”について考えてみました。
 
剣舞の刀
 
詩舞の扇
 
〈刀と扇〉
 “刀”と剣舞、“扇”と詩舞、この両者の関係は、他の芸能に類をみないほど密着したものがある。
 とりわけ多くの芸能で、その演技の中で使用する持ち道具(小道具)が、例えば歌舞伎舞踊のように一つの演目の中で扇以外に、笠、傘、花技、杯(さかずき)、煙管(きせる)、杖(つえ)、笛、鼓(つづみ)、槍、等々の実物か、またはこれを模造した小道具を使用するのに対して、剣詩舞では殆ど刀と扇だけで持ち道具となるべきものを表現している。
 これが演劇の分野になると、小道具は一段と写実的になり、特にテレビドラマなどでは全く実生活の品物が小道具として登場してくる。これは見方によっては同じ芸能でありながら、剣詩舞だけがどうして持ち道具の使用に厳しい制限を受けるのかと云うことになるが、これには次の二つの理由があげられる。
 その一つは、剣詩舞が象徴性の高い舞踊としての特徴があるからである。すなわち、剣詩舞の地(伴奏)の音楽となる吟詠の内容が、漢詩や短歌など、文学的にも象徴性の高いものである関係から、舞踊化した場合その振り付け表現は、具体的な小道具を持ち替えるよりも、刀や扇を象徴的に扱うことのほうが便利だからである。
 もう一つには、剣詩舞の特徴である精神性が小道具にも強く影響していると考えられる。一例を挙げれば、剣舞だから当然、刀を持ち道具として舞台に登場するが、作品によっては全く抜刀しないこともある。それなら最初から帯刀せずに登場すればよいのではないかと云う気もするが、これは大変な錯覚である。即ち舞い手が男性でも女性でも、刀を持って登場することで、舞い手が武人の性格を持ったことになるので、刀は単なる小道具ではなく、武人としての精神的な拠り所と考えられるのである。
 この考え方は詩舞において扇を持つことの意味にも通じ、古来より日本の舞踊の通念である舞い手としての資格を得るために、神からさずかった鑑札(かんさつ)としての効果を持つもので、これを“採り物(とりもの)”と呼んだ。
 更にこの考え方は吟詠家のような音楽の芸能者でも同様に、吟者が舞台で扇を手に持ったり帯にさして、外見では一種のアクセサリーと見られるが、何故それが「扇」なのかという疑問も、扇の歴史やその効用について解明して行こう。
 
〈採り物〉
 芸能の起源をたずねると、それは一般観客に見せるのではなく、“神”に捧げて霊(たましい)を慰めることが目的だった。従って芸能の演技者は神社拝殿の前や、そうでない広場などでは榊(さかき)の枝を御幣とともに飾って、これを御神体としてその前で演じるのが仕来り(しきたり)となった。これは神が天界から榊を導わって降下された事を意味するものである。
 一方芸能演技者も、古代は超能力を持つ者として、神がその人にのり移らなければならないと考えられていた。例えば神楽舞の巫女(みこ)などは精進潔斎して、榊の枝とか御幣、鈴、扇などを持つことで容易に神とのつながりが持てた。
 
天の岩戸図
 
 この持ち物がすなわち“採り物(とりもの)”の発想なので、その後の芸能の持ち道具の根源をなすものとなった。次にその実例を少し述べよう。能狂言や歌舞伎舞踊の『三番叟』は、演舞者が採り物の鈴を受け取って、五穀豊穣の祈願を舞い始めるキッカケをつくる。『道成寺』などは、「ここに鳥帽子(えぼし)の候、これを着て御舞い候」と誘いをうけ、鳥帽子をかぶることから女性が白拍子舞を見せる。冠り(かぶり)ものといえば、神話で有名な天の岩戸の前でアメノウズメノミコトが舞ったときも、まさきの枝で作った鬘(かつら)を冠り、手には笹を束ねて持った。と『古事記』に記されているが、このそれぞれが採り物の性格を持っているのも興味深い。
 さてこの採り物の考え方は、その後、神を迎い入れる道具立といったものから、採り物自体が神格化し、それに相応しい物として“扇”がクローズアップされるのである。
 
〈扇の誕生〉
 日本古代の装飾文化は、埴輪(はにわ)や壁画などから伺い知ることが出来るが、その多くは飛鳥・奈良時代に大陸の唐から移入されたものが多かった。特に中央の役人などは男女とも唐の服装を倣い(ならい)、公式の場で男は細長い板の“笏(しゃく)”を持った。平安朝になると衣服は次第に日本独自のものに改善されて、上流社会の男性は衣冠束帯、女性は小袖形式(五衣、十二単衣など)が定着した。そして持ち物は男性は笏(しゃく)、女性は桧(ひのき)を極く薄く削いだ(そいだ)板を数多く重ねて、一方の端を要(かなめ)とし、反対側は糸を通してつなぎ、開閉自在のものとして“桧扇(ひおうぎ)”と名付けて使った。これが我が国で創り出した扇の原形である。
 
笏を持つ貴族
 
 丁度その頃、大陸から移入された舞楽や散楽などが日本に根付き、また我が国固有の神楽や民俗舞踊が芽吹いた時代でもあり、これらの芸能が採り物(持ち道具)として、この桧扇を大いに利用した。その例として奈良の春日神社に伝わる「一人神楽」や「大和舞」には写真の様に桧扇が使われているのが見られる。
 やがて時代が少し下がって平安末期、鎌倉、足利時代になると、「和紙」の開発によって、竹の骨に紙を張った“扇”が考案され、これが「延年」や「能」などの芸能の採り物として使われる一方、公家や武家社会の儀礼用にも扇が広く使われるようになった。
 
春日神社「大和舞」
 
白扇を構えた吟者
 
〈扇の神格化〉
 さて次に「笏」から変化して生まれた扇の、採り物としての性格を述べることにしよう。
 冒頭でも述べたように榊や御幣が神社の御神体として飾られるが、扇も御神体として祀った例がある。これは扇が誕生して以来、扇の持つ品格や神秘的な感覚がもたらしたものであろう。俗説としては、扇を開いた形が“末広がり”とその形態から縁起をかつぐ例もある。また伝説としては安芸の宮島で平清盛が没み(しずみ)かかった太陽を扇で招き返して扇の持つ超能力を示した例がある。これらのことは扇は涼をとるための道具と異なった効力のあることが伺え、扇を持った舞い手が自然に神からのエネルギーを授かると考えたのが“舞扇(まいおおぎ)”の発想につながった。
 然し、現代の人達がこのような事を本気で納得することはないだろうが、扇の神格化を、伝統的な舞踊の作法として様式化して来たと云っても過言ではない。例えば演舞の前後に、舞踊家は扇を自分の前に置いて礼をする習慣は、扇によって結界(けっかい)を引き、実際は客席なのだがそこを神の座として、神をお迎えしたと考えるのである。また演舞の最中も扇は手に持つか、または帯にさし込んで、常に扇を身につけて置くことが神との均衡を保ち、神の前で演舞することが許されると考えた。こうした例は同じ舞台に立つ吟詠家が実用としない扇を手に持ったり、帯にさして出演するのも同じ意味からである。従って昔から心ある芸能者は、常に扇の扱いが慎重で礼儀にかなった作法を心得ている。
 次回は持ち道具としての扇の種類や現代的な効用を述べる。


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