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吟剣詩舞だより〔ダイジェスト版〕
第十五回岡山県吟剣詩舞青少年大会
平成十六年八月二十二日
御津町文化センター
 
 メモ=本年の大会も、昨年と同じく午後一時から開会〜午後三時終了ということで、二十八名の吟剣詩舞の青少年が日頃の練習の成果を披露した。
 第一部は、吟詠の部六名、少数ではあったが、小学生低・高学年、中学生・高校生・一般と、それぞれ年齢に相応しい素晴らしい秀吟であった。
 
詩舞「祝賀の詞」山本麻衣さん(高校3年)、前原亜記さん(小学6年)(早淵流)
 
 第二部は、剣詩舞の部二十二名の、これも素晴らしい好演舞で、特に、岡山県が生んだ剣聖、宮本武蔵「ガキ大将」のあどけない演技が印象に残った。
(岡山県吟剣詩舞道総連盟 青少年部長 平坂皓泉)
第五回東京都幼少青年吟剣詩舞発表大会
平成十六年八月二十八日
赤羽会館
 
 メモ=大会プログラムに従い幼稚園生、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人等三十余名の個性あふれる独吟や見事な詩舞が発表された。
 この度は大人の会員も賛助出演し、城東、城南、城西、城北、多摩地区より九チーム合吟の出場があった。また、今年度武道館合吟コンクール出場の東京都女子チーム、男子チームの合吟披露も行なわれた。
 
企画構成吟・日本の城―名城紀行「春日山懐古」から
 
 企画構成吟「日本の城―名城紀行」は各地の有名な城にまつわる吟や剣舞で構成され、都総連推薦青少年が出演し全番組が無事に終了した。
(都総連・広報部)
第四十六回愛媛県青少年吟剣詩舞道大会
平成十六年八月二十九日
松山市農協八階大ホール他
 
 メモ=三歳から二十七歳の青少年が集い、独吟、剣詩舞、合吟の計二〇八番、のべ三百三〇名が競演した。昨年以上に申込者が多く、二〇〇組を超したので、急遽二会場にする。
 県総連盟伊藤竹外会長、ならびに石丸翠風理事長はじめ役員先生方のご理解で県の予算の五割を青少年大会のために使用している。日本吟剣詩舞振興会の毎年のご支援に感謝致します。
((財)愛媛県連 青少年部長 大西清山)
 
予子林小学校の合吟
 
第三十三回泰洲流吟剣詩舞道大会
平成十六年九月五日
四日市市文化会館
 
 メモ=まず開会の辞があり、会員吟詠に移り、宗家の作詩になる「四季のうた」を朗読の後、「春夏秋冬」を詠った名詩が詩情豊かに吟じられ、舞台の演出も活かされて、季節の遷ろいが表現された。続いて県内友好団体による合吟と、当流上席・大師範吟詠があり、式典。初めに宗家山路泰洲の謝辞があり、続いて地元ご来賓の祝辞を頂き、午前の部が終了した。
 
企画構成吟剣詩舞「炎の文豪・頼山陽」フィナーレ
 
 午後の部、圧巻は「炎の文豪」頼山陽で、詩豪の機智に富んだ珠玉の名篇が次々に吟じられた。
 最後は泰洲流宗家の自作に為る「稲葉三右衛門を懐う」が堂々と披露され、盛会裡に幕を閉じた。
(泰洲流事務局)
 
長野県県民芸術祭二〇〇四参加長野県吟剣詩舞道総連盟
平成十六年度吟剣詩舞道大会
平成十六年九月十二日
篠ノ井市民会館
 
 メモ=今年は、吟剣詩舞愛好者の高齢化に伴い、大会参加者ならびに会場近隣周辺の観客の呼びかけを行ない、各流会派合吟各流会派構成吟剣詩舞・中部地区大会入賞者吟詠剣詩舞・全国大会出場者吟詠・少壮吟士模範吟詠・常任理事吟剣詩舞・各流会派宗家会長吟剣詩舞を盛り沢山観賞していただく有意義な大会であった。
(広報部 清水記)
 
各流会派構成吟剣詩舞「真田節」
 
第三十一回岡山県寿吟剣詩舞道大会
平成十六年九月二十三日
岡山市本町山佐本陣
 
 メモ=出吟舞者、岡山県総連盟四十九流会派の中、二十七流会派の会員さん、一六〇名の出演で、早朝より熱気あふれる大会となる。まずは傘寿、従野志麻さんの「月夜三叉口に舟を泛ぶ」、最高齢者北山定泉さん(九十六歳)の合吟、また剣詩舞では木安二良さん(八十歳)ご高齢にもかかわらず見事な剣舞を披露。
 式典では大会委員長大本旭章先生のご挨拶、大会会長河田神泉先生のご祝辞を頂き、祝舞にひきつづき喜寿から卒寿まで三十八名に祝賀のトロフィーの贈呈を河田会長より行なった。
((財)岡山県総連盟 事務局長 明石薊照)
 
河田神泉大会会長より祝賀のトロフィーを贈呈された皆さん
 
淡窓伝光霊流宮崎詩道会発会三十周年記念吟剣詩舞道大会
平成十六年九月二十六日
宮崎市民プラザ オルブライトホール
 
 メモ=大会は、午後一時より、男女合吟・幼少年吟詠・青少年選抜吟詠・少壮吟士吟詠の部で、辻島鑑霊、藤原光伶子、中武岳玲、八代光晃子の各吟士が出演して見事な吟詠を披露。
 
式典で挨拶を述べる八代輝霊大会会長
 
 式典は、大会会長八代輝霊の挨拶、(財)常任理事坂本岳雄先生、淡窓伝光霊流「宗家」家代表深田發子先生のご祝辞などを賜る。
 今大会のクライマックスは「企画構成吟」で、郷土の偉人、安井息軒作の短歌から端を発し、名詩の数々を剣舞・詩舞を交えて、演出も効果的。松口月城作「母」獄中感ありは八代光晃子吟士と演舞者、演出の三位一体の結晶は見事、感動の一場面であった。
(八代輝霊)
 
第二十回国民文化祭・ふくい二〇〇五
プレフェスティバル吟詠剣詩舞道祭
平成十六年九月二十六日
福井県鯖江市鯖江市文化センター
 
 メモ=来年十一月三日に福井県で開催される「全国吟詠剣詩舞道祭」に備えて「プレフェスティバル吟詠剣詩舞道祭」を、開催。
 
四海波(本宮三香作)を吟じる越野豪世氏とこれを舞う宗生流剣詩舞道会女子の皆さん
 
 プレ大会は、本番と違って県外からの出演はなく、また会場も違うため本番を想定しての運営が大丈夫かと不安であったが、プレ大会前日のリハーサルで、蓋を開けてみると、意外に出来がよくて、プレ大会本番も、上出来で舞台も予定通りスムーズに進み、その成果に胸をなでおろした。全国各地からの皆さまのご来場をお待ちしております。
(福井県吟剣詩舞道総連盟 理事長 清水紫皓)
 
(社)関西吟詩文化協会哲滄会創立四十五周年記念大会
平成十六年九月二十六日
三原市文化会館大ホール
 
 メモ=今は亡き会主・向山哲滄先生を偲び、会員約一千名が集い来賓として(財)日本吟剣詩舞振興会会長・河田和良先生、日本吟詠総連盟理事長・小野静蓉先生、(社)関西吟詩文化協会総本部会長・伊東鷺伸先生ほか六十数名の諸先生のご来駕を賜る。
 大会は、春夏秋冬「四季の詩」の合吟からはじまり、構成吟劇「野口英世・母からの手紙」に続き、みやび(雅)舞の協賛による剣詩舞五題で午前の部を終了。
 
式典で謝辞を述べる忠保滄将大会会長
 
 午後は会員のふるさと広島県、山口県、島根県、福岡県の各地にゆかりのある和歌や漢詩をみやび舞の剣詩舞を交えて演じた。
(大会実行委員長 坪内滄堂)
 
第五十一回清吟堂吟友会吟剣詩舞道大会
平成十六年九月二十六日
松山市民会館
 
 メモ=開会式を終え、二十三番の合吟コンクールを行なう。
 続いて十一月十四日(日)開催の全国吟詠コンクール出場予定者香川女子五十五名の合吟発表があった。
 式典では、各種表彰を行ない、野中清峰大会会長の挨拶、国会議員、愛媛県知事(代)、松山市長(代)、松山文化協会会長等からご祝辞を頂いた後、(財)日本吟剣詩舞振興会会長河田和良先生他多数の祝電が披露された。
 
合吟コンクールでの熱吟
 
 最後に特別構成吟「盛唐の詩仙 李白」を清吟堂吟友指導部の吟、清吟堂吟友会剣詩舞部、紫雲館吾妻流指導部の剣詩舞により、熱吟、熱演し、本大会を締めくくった。
(本部 広報部)
 
神奈川県吟剣詩舞道総連盟創立五十周年記念大会
平成十六年九月二十六日
鎌倉芸術館大ホール
 
 メモ=開会セレモニーに引き続き五十五団体の会員合吟、財団全国合吟コンクール優勝団体ならびに全国優勝者吟剣詩舞と名吟・名演舞が披露された。
 
式典で挨拶を述べる西形興信神奈川県連理事長
 
 式典では、新調の神奈川県吟剣詩舞道総連盟旗が西形理事長に手渡される。続いて財団顧問横山岳精先生、東日本地区連協議長鈴木吟亮先生、近県総連盟を代表して群馬県総連盟理事長金井心將先生の祝辞を頂く。
 また、青少年吟剣詩舞道育成基金贈呈目録を工藤龍堂東日本地区連協幹事長に託し、贈呈した。
 午後は五十周年記念特番「輝ける日本賛歌」を県総連の代表女性・男性合吟他で高らかに吟唱した。
(県総連広報部)
 
表紙説明◎名詩の周辺
秋思の詩―菅原道真 作
京都・北野天満宮
 菅原道真は、平安初期の政治家・学者・詩人。世に菅公また菅丞相と称されています(表紙の楼門の写真中「菅公御歌」とあるのはこのため)。家系は代々学者でありましたが、宇多天皇の寛平三年、藤原閥の中心であった太政大臣藤原基経が五十六歳で没したとき、道真は讃岐守から抜擢されて蔵人頭に補せられ、その後急ピッチで出世し、八年後の醍醐天皇の昌泰二年には五十五歳で右大臣となりました。そして、二十七歳の左大臣藤原時平と対立する形となるのですが、これは、道真の出世があまりにも異例のものであったので、藤原一族やその一味からねたまれ、朝廷で孤立のやむなきに至ったのです。
 
 
 字多天皇が在位九年で醍醐天皇に譲位されたとき、醍醐天皇はわずか十三歳。そのため時平と道真が天皇を補佐することになりましたが、時平は年も若く、学識・経験とも道真に及ばず、道真の信任が特に厚かったのは仕方のないことでした。そのため天皇は宇多法皇と相談され、道真を太政大臣に任じ、政務を専決させようとしましたが、これが外部に洩れ、道真の反対派は結束を堅め、道真が女婿に当たる皇弟斉世親王を奉じて天皇の廃位を謀っていると讒言し、延喜元年正月、道真はにわかに九州の太宰権帥として左遷されてしまいます。
 
日光東照宮にも影響を与えたといわれる華麗な彫刻や装飾が施された社殿正面
 
 その後二年、道真は配所にとどまったまま延喜三年二月二十五日没してしまいます。享年五十九歳でした。
 没後、道真の冤罪は晴れますが、その後京都では雷火・地震などの災厄があい次いだため、これを道真のたたりであるとして、京都の北野にその霊をまつる祠が建てられその後、藤原師輔が社殿を造営、「北野天神」と称し、今に至るまで学問の神様として崇敬を集めています。現在の社殿は慶長十二年豊臣秀頼が造営したもので、典雅な桃山建築の様式を伝えています。
 
【北野天満宮】京都市営バス北野天満宮下車、北側すぐ。大きな石造の鳥居にかけられた「天満宮」の文字が目に入ります。本殿までは徒歩八分。


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