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吟剣詩舞の若人に聞く 第67回
山本純子さん
 
山本純子さん(十一歳)●大分県大分市在住
(平成十六年度全国吟詠コンクール決勝大会少年の部優勝)
母:山本明子さん
伯母:岩田玲子さん
師:小野光翠扇さん
(詩舞道光翠扇流家元・淡窓伝光霊流大分詩道会副会長)
少年の部初出場で、優勝の栄冠を勝ち取る
 去る九月二十日に行なわれた、平成十六年度全国吟詠コンクール決勝大会の会場で結果発表の直後、優勝の喜びに沸く山本純子さんとご家族に、大会の感想や吟詠のことなどをインタビューしました。
 
――優勝おめでとうございます。
純子・明子「ありがとうございます」
――前に詩舞幼年の部で一度インタビューしたことがあるけど、詩舞だけでなく、吟詠も習っていたの?
純子「はい、小学校二、三年の時に、先生からやってみないかと言われて始めました」
――今年の剣詩舞コンクールにも出ていたよね?
純子「はい、出ました。でも、六位でした」(笑)
明子「詩舞少年の部に初めて出て、よく入賞できたと思いますし、頑張ったと思います」
――吟詠コンクールには、これまで出ていたの?
純子「はい、出ていました」
明子「昨年は九州止まりでしたが、その前の年は全国大会幼年の部で三位でした。今年は少年の部になって初めての年で、それで優勝できたことが信じられません」
――前回とは何か変わったことがあったの?
純子「自分では特に変わりはないと思いますが・・・」
――優勝できた理由は何だと思う?
純子「う〜ん、よくわかりません」(笑)
――吟じ終えたときに手応えはありましたか?
純子「いいえ、優勝できるとは思いませんでした」
明子「私も、まさか優勝とはという感じです」
――おばあ様には、もう連絡しましたか?
純子「連絡しました。喜んでいました」
――吟詠の楽しさや魅力は何ですか?
純子「うまく吟じられたときが一番楽しいですが、練習のときは楽しいとあまり思えません」(笑)
――うまく吟じられるとは、どういうことですか?
純子「先生から言われた所が全部できたときの吟が、自分にとってうまく吟じられたことです」
――先生はどんなことを注意するの?
純子「いろいろいわれるので、覚えていません」(爆笑)
――その中でも特にいわれることがあるでしょ?
純子「・・・」
明子「吟詠は漢詩を吟じるもので、その詩の流れを途切れさせることなく吟じなさいと最近よく言われており、そのタイミングというか間が難しくて、本人も納得いかないような状態で、先生のおっしゃっていることがよくわからないといっています」
――間とかタイミングは難しい?
純子「はい、うまくできません」
 
インタビューを終えて、左より山本明子さん(母)、山本純子さん(中)、岩田玲子さん(伯母)
 
――舞台度胸はいいほうなの?
純子「いえ、緊張するタイプです」
明子「年々、緊張度が高くなっているようです。最初に出たときは何ともないような感じで、のびのびしていましたけど・・・」
――舞台の怖さを感じるようになってきたのでは?
明子「そうでしょうね、それだけ成長しているということでしょうか」
――出るまでの間、他の人の吟詠を聞いたりするの?
純子「いえ、会場を見渡したり、ほかの事に集中したりしていました」(笑)
――詩舞もやっているけど、どんなところが面白いの?
純子「舞っていると何もかも忘れて、そのことに集中できるから、それが楽しいです」
 
結果発表直後のインタビューで優勝の喜びを語る山本純子さん(中)と母の山本明子さん(左)、応援に駆け付けていた伯母の岩田玲子さん(右)
 
――学校のお友達は吟詠のことを知っているの?
純子「あまり言っていないので、知らないと思います」
明子「詩舞のときは、『目指せ優勝』と書かれた寄せ書きまでもらいました。本人は詩舞のほうが中心だと思っているのでしょう」
――今回は優勝だから話す?
純子「はい、話すと思います」(笑)
――今後も詩舞と吟詠の両方で行くの?
純子「たぶん・・・」(笑)
――両方だと大変でしょう?
明子「ええ、大変だと思います。親も大変ですが」(笑)
――確かに先週は詩舞のコンクールで、今週が吟詠のコンクールですからね?
明子「大変ですが入賞すると、嬉しい大変さなので気になりません。そして、優勝ともなれば、気分よく帰れます」(笑)
――お母様として、コンクールに向けて気を使う点は何ですか?
明子「なんと言っても健康管理ですね。特に吟詠は声を使いますから、その時そのときで声が変わってしまいます。ですから、声に良いことはいろいろやってみましたし、大変気を使いました。姉弟喧嘩をしていても、大きな声を出すのだけはやめてと言いました。吟詠でそれくらい大きな声が出ればいいのにと思います」(爆笑)
――姉弟けんかの原因は何なの?
純子「弟が何かやったときなどです」
明子「この子の気に入らないことを、弟がすると喧嘩になるようです」(笑)
――これからの目標などはあるの?
純子「とくにありません」(笑)
――でもやり残したことがあるのでは?
純子「え・・・」
――詩舞で優勝するのでは?
明子「精進しますと、言っておきなさい」(爆笑)
――来年は中学で、勉強も大変だと思うけど?
純子「あまり気にしていません」(笑)
――弟さんは詩舞や吟詠をしているのですか?
明子「この子の下に二人兄弟がいますが、どちらもこれから本格的にとりくませたいと思いますが、まだ自覚はありませんね」
――純子ちゃんの自覚はいかがですか?
明子「まだまだという感じですね。本人の興味を高める為に、周りが一生懸命盛り上げているような(笑)。こんども詩や言葉の意味を教えるのに、父親も交えてインターネットを使って教えました。例えば、桃花潭と言う場所が、どんな所なのか、周りはどんな情景なのか調べて、詩の内容を理解できるように教え、それで吟じさせました」
――教えられて、意味はわかった?
純子「はい、わかりました」
――これ位の年齢のお子さんに教えるのは大変ですね?
明子「ええ、大変ですが、情景がわからないと吟じられませんから、それは先生のほうからも言われており、意味から考えて表現できるように目指しています」
――でも、家族中が応援してくれるね?
純子「はい、でもプレッシャーです」(爆笑)
――純子ちゃんに対して、アドバイスはありますか?
明子「これを機会に、いっそう精進してください」
――最後に純子ちゃんの決意を聞かせてください?
純子「う・・・(笑)、自分なりに頑張って行きたいと思います」
――本日はコンクールの合間を縫ってインタビューにお答えいただきありがとうございました。これからのご活躍を期待しております。
 
吟詠家・詩舞道家のための
日本漢詩史 第17回
文学博士 榊原静山
鎌倉、室町、桃山時代の詩壇【その一】
 この時代、中国では宋、元、明の時代に当り、彼我の禅僧の交流も盛んで、特に蘇東坡の詩風が喜ばれている。まずその先駆者は雪村友梅である。
 
雪村友梅(一二九〇〜一三四六)別の号を幻空といい、越後の白馬郷の出身で十八歳で元に留学をし、二十四年間、元で学び、言語に絶する辛苦をなめている。友梅は元の仁宗の時、スパイの嫌疑をかけられ、捕えられて拷問にかけられても決して屈せず、ついに斬首刑を宣告され、死に臨んでも自若として仏光禅師の偈を朗誦して動じない態度に刑吏を感服させ、死を赦された、このことが天下に有名になっている。
 後に凾関を越えて西方に入り、多くの役人や中国僧を教化し、十年後に長安へ帰り、皇帝文宗から特に宝覚真空禅師の称号を賜わり、四十歳になり商船に便乗して帰朝し、母の所在が不明なので方々を尋ねて相州の由比ヶ浜へ行った時、たまたま乗っていた馬がつまずいて友梅は泥沼へ落ちたので、路傍の人家へ行って衣を洗うために水を求めたところ、老婆が出て来て、友梅を見て、さめざめと泣くので訳を尋ねると、老婆は“私には二人の子供があったがみんな出家してしまい、その中の一人は海を渡って遠い国へ行ってしまった。私はこんなに年をとっても会うことができない、あけくれ泣いて待ちわびている”と語るので、よくよく見ると母であった。
 以来孝養をつくしたといわれ、足利尊氏が帰依して友梅を建仁寺の住職にした。
 友梅は五十七歳で入寂しているが、元に滞在中に詩を二百二十余首を収めた“岷峨集”四巻を残している。その中に元で金緑草というつる草が岩にからみついているのを見て、母を想って詠じたであろうと思われる次のような詩がある。
 
 
(語釈)幽根・・・細い根。沾湿・・・じめじめしている。条条・・・細長くからむ形容。蒼蘚・・・あおいこけ。
(通釈)金緑草は小さな根から伸びてじめじめとした岩かげにからんでいる。その細いつるは、金モールをたばねたようだ。蒼ごけが少しばかり欠けたところを金緑草が縫っておぎなっているようだ。それにつけても国の母の手の中に針をうがたないであろう――。つまり母は年をとったであろう、と母を思い出している詩である。
 またこの時代の名僧といわれた夢窓国師の門人の中で、義堂と絶海という二人の名詩僧が出ている。
 
釈 義堂(一三二五〜一三八八)本名は周信、号は空華道人といい、土佐の出身で、博学、詩文に長じ、円覚寺、常陸の勝楽寺、相模の瑞泉寺、建仁寺など多くの名刹に歴住した。
 最後に六十一歳の時、南禅寺の四十四世として入寺し、六十四歳で入寂した。
 李白、杜甫の流れを受け、詩を多く作り、“空華集”二〇巻を残している。この空華集の中に“雨中対花”の絶句がある。
 
 
(語釈)禁城・・・紫禁城のことで、ここでは京都をさす。簷・・・檐と同じで家の軒やひさしのこと。
(通釈)京都にもう三年も遊びに行かない。その間、東の風にそそのかされて都の空を偲び、思いに沈んだことが度々あった。今日も夕暮れの春雨が、ひさしに降りそそぐ雨の中に、花に対して、あの時の風流に遊んだことが思い出されてならない。


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