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新進少壮吟士大いに語る
第八回
伏尾琵城さん=和歌山県橋本市在住
(賀城流吟詠会)第二十五期少壮吟士
塩澤宗鳳さん=長野県長野市在住
(寿岳流信濃吟詠会)第二十五期少壮吟士
 
伏尾琵城さん
 
努力、望み、そして少壮吟士
 ともにご苦労をなされた、伏尾琵城さんと塩澤宗鳳さんのお二人。少壮吟士までの道のりをお聞きすると共に、今に思う吟詠のあり方や心境などをお聞きしました。
 
――まず、お二人は少壮吟士になられるまでに、どれくらいかかりましたか?
伏尾「そうですね、十一年ほどかかりました」
塩澤「私は七年かかりました」
――三回通過するまでの経緯をお聞かせください?
伏尾「資格ができる三十五歳から受けさせていただきまして、一回目、二回目はスムーズに続けて通していただきましたが、それから八年間落ち続け(笑)、九年目で三回目を通していただき、少壮吟士になれました。トータルで十一年ですね」
――その八年を振り返って、何が原因だったと思いますか?
伏尾「二回入賞させていただいた、それ自体半信半疑でしたし、少壮吟士になろうという意欲も薄かったように思います。また、吟に対してもいろいろと迷いがありました」
――その迷いとは何ですか?
伏尾「当時、賀城流会長の白神錦城先生から、挑戦してみたらと言われ、勉強もせず何もかもわからない状態で始めてしまいましたので、自分でもしっかりした信念を持たずに挑戦したことが迷いになったのだと思います」
――初めて挑戦したときの印象はいかがでしたか?
伏尾「私は和歌山ですが、吟のお勉強は大阪府でさせていただいています。大阪府には多くの少壮吟士の先生がおられますし、また受けられている方も多くいらっしゃいます。そうした方々から笹川記念会館は怖いところだぞ(笑)と教えられていましたから、そういう先入観念で初めて足を踏み入れたところ、自分としては言われているほどの違和感は覚えませんでした。あまり怖さも感じませんでしたが・・・」(笑)
――その後に苦しい八年が続くわけですね?
伏尾「はい。その八年の間には、家族の病気などもあり、また自分もそうしたことに逃げ込んでいたこともありました」
――塩澤さんにお聞きします。挑戦するきっかけは何ですか?
塩澤「父が宗家ですから、その関係から三歳ぐらいから吟の世界にいました。また、父は一回目の少壮コンクールを受けて通りまして、そのあと年齢的なことでだめでしたが、一度通っているということを自慢にしていました。ですから、私も資格ができたら挑戦して、父が成し得なかったことを果たしたいと思うようになり、父の夢がいつのまにか私の夢でもあるようになりました」
――挑戦した感想はありますか?
塩澤「先生方から情報はいただきますが、一回目は怖いもの知らずで、思い切りやってみようと思いました。二回目からはうまくやろうというのが出てきて、無心さがなかったのか駄目でした。そこから二年あいて二回目が通り、三回目も時間がかかりました。その時は予選すら通りませんでしたし、詩文を忘れることもありましたから(笑)。簡単に県は通れるという驕り、自分の姿勢が問われた時だったと思います。それで、その事実を謙虚に受け止めて、しっかりやらなければということを学びました」
――かなりショックでしたか?
塩澤「楽屋に戻ってワンワン泣きました。それで、父や母の顔も見ずに会場から去りました」(笑)
――十一年を経て少壮吟士になられたことは、やっとという感じですか?
伏尾「はい、そうですね。とくに、ブランクである八年の間に、大阪の先生方や友人などから、いつまでそんなことしているのだと言われ、このままで終われないと思い、八年間の最後の二、三年はとにかく一生懸命にお稽古しました。やっとの思いで三回目の入賞を果たしたとき、出吟番号を呼ばれても返事ができず、声が小さいと叱られました(笑)。やっとという感じですね」
――その喜びをまず誰に伝えましたか?
伏尾「主人の母です。詩吟を始めるきっかけは実の父ですが、私が年に六十回以上、詩吟のことで家を空けますが、母がいろいろ面倒を見てくれ、いやな思いで家を出たことは一度もありませんでした。電話で報告したときは、皆がひとつの部屋にまとまっていまして、電話の向こうで歓声がおきました。家族にとっても苦しい十一年だったのでしょう(笑)。本当に嬉しかったです」
 
インタビューを終え静岡名流大会会場前で。
(左)塩澤宗鳳さん(右)伏尾琵城さん
 
――塩澤さんは三回目を通ったとき、どうでしたか?
塩澤「三回目にノミネートされた時、もう一吟、律詩を吟じなければなりませんが、これは絶対がんばらなくてはと思い、二度目の舞台に上がりました。そして、呼ばれた時には伏尾吟士と同じで、嬉しくって涙が止まりませんでした」
――お父様は会場にいらしたのですか?
塩澤「父も母も会場にいました。一緒にその場の感激を味わうことができたことが、なにより嬉しいです」
――長野県の少壮吟士は少ないですね?
塩澤「はい、男の方がお二人いますが、少ないほうだと思います。女性では私が初めてです」
――少壮吟士に対して、お二人はどのようなイメージをお持ちでしたか?
伏尾「三年に一度、少壮吟士のリサイタルが近畿に回ってきまして、二度ほど聴かせていただきましたが、別世界の方々だと感じました」
塩澤「私はとくに別世界というイメージは持ちませんでした(笑)。私自身まだ若いので、もっと吟を楽しみたく、いろいろなことがしてみたいと思っていましたから。いま若いって言ってしまいましたね」(大爆笑)
 
塩澤宗鳳さん
 
――少壮吟士になってから、自分の吟に変化がありましたか?
伏尾「吟を味わったり、楽しんだり、ゆとりとまでは行きませんが、そういうものが出てきたように思います。以前は吟を、たとえばコンクールには、こんな吟をと言うように、しっかり枠にはめていた感じで、そのことだけに頭が行って、楽しむことができていませんでした。最近は、周りからも楽しんでいるねと言われるようになりました」
塩澤「吟の変化というより、この間、関東甲信越で行なわれた少壮チャリティに出させていただきましたが、それ以後、自分でも吟のリサイタルのようなものを開いてみたいという意欲が出てきました」
――楽しみが広がっていますね?
塩澤「はい、でもやるときはドキドキですよ」(笑)
――これからの目標などはありますか?
伏尾「あります。障害のある方たちとか、子供さんに詩吟を教えていますが、その方たちが詩吟を楽しんでいる姿を見て、自分も楽しんでいますし、もっと多くのお子さんに教えたいと思っています」
――塩澤さんは、いかがですか?
塩澤「父が地元の文化ホールのこけら落としでリサイタルができ、私は父が元気なうちに、もう一度別の形でリサイタルをやりたい、というのが自分の中にあります」
――これまで、お父様の影響があると感じましたが?
塩澤「そうですね、詩吟は父からですし、詩吟を嫌いになったことはありませんし、だから続けているのだと思います」
――最後に、少壮吟詠家コンクールを受けようとしている方へ、アドバイスをお願いします。
伏尾「努力と、諦めないこと、そして一日一日を大切にすることでしょうか」
塩澤「健康と周りの協力、最後まで挑戦し続けて諦めないことが大事だと思います」
――本日はありがとうございました。これからの、お二人のご活躍を期待しております。


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