吟剣詩舞の若人に聞く 第62回
岡本菜穂子さん
尾嶋美紀さん
岡本菜穂子さん(二十五歳)●愛知県名古屋市在住
(平成十五年度全国剣詩舞コンクール決勝大会詩舞青年の部優勝)
祖母:鷲尾たま子さん
師:杉浦英容さん
尾嶋美紀さん(十四歳)●愛知県刈谷市在住
(平成十五年度全国剣詩舞コンクール決勝大会詩舞少年の部優勝)
母:尾嶋鈴子さん
祖母:尾嶋サカエさん
師:大日方佳容さん
家元:杉浦容楓さん(北辰神明流分家剣詩舞)
楽しく舞い、そして人を感動させる舞をめざして
初めての全国大会で優勝した岡本さん。楽しく踊ることを心がけて優勝した尾嶋さん。その喜びの声と、剣詩舞への取り組みなどについて、ご家族、師、家元を交えながらお聞きしました。
――岡本さんからお聞きします。優勝されたご気分はいかがですか?
岡本「信じられない気持ちです。まさか自分が全国大会で優勝をいただけるとは思ってもいませんでした。嬉しいの一言に尽きます」
――青年の部は初めて受けられたのですか?
岡本「初めてです」
――全国大会が初めてで優勝はすごいですね。幼年、少年はいかがですか?
岡本「全国大会は青年が初めてです」
――青年の部だけですか。それも初めて出場されて優勝されたわけですか?
岡本「そうです」
容楓「少年の頃から出場して全部優勝しているわけではありません」
――それまでは出場したいとは、思いませんでしたか?
岡本「出場できるとは思っていませんでした」
――それはどのような理由ですか?
岡本「同じ教室で、先輩やお友達を見ていると素晴らしい方がいっぱいいらっしゃるので、自分には出場できる力がないと思っていました」
――今回、青年の部に出場しようというのは?
岡本「いつも県予選は出場させていただいておりますので、その流れで出場いたしました」
――初めての全国大会の舞台はいかがでしたか?
岡本「逆に予選に比べて落ち着いて踊れました」
――特に心がけた点というのは、ありますか?
岡本「気持ちを落ち着けて踊るということです。心がけているつもりなんですが・・・」
――でも、なかなか落ち着けない?(笑)
岡本「はい、そうなんです」(一同、爆笑)
――ご指導されていて彼女はいかがですか?
英容「小さい頃から見てきましたが、私の目から見ますと、優勝者や上位入賞者と比べて、特に差があるとは思えません。これまでたまたまチャンスが無かったのです。実力は蓄えてきていましたから。急に今年、格段に上達したというわけではありません。コンスタントに実力を蓄えてきたところに、今年の課題の『西宮秋怨』というのが、ちょっと特殊なムードの曲なのですが、本人にぴったりはまった曲でした。そのことは、私も本人に言いましたし、仲間からも言われて、珍しく彼女もその気になったかな。今まで怠けていたわけでないのですが、どこか私の番じゃないわ、という引いた部分がありました」
――お祖母様、いかがですか、お孫さんが優勝されたご気分は?
鷲尾「大変嬉しかったです」
英容「もともと、このお祖母ちゃんは詩舞をなさった方で、菜穂子さんに詩舞を勧めたのもお祖母ちゃんなんです。ですから、格別嬉しいと思います」
――舞台にはお祖母様もいらっしゃったのですか?
岡本「母と一緒に舞台を見に来ていました」
――では、次に尾嶋さんにお聞きします。どうですか優勝したご気分は?
尾嶋「大変嬉しかったです」
――今回は何か気をつけた点はありますか?
尾嶋「楽しく踊ることに集中しました」
――どこが楽しく踊れましたか?
尾嶋「踊り自体が楽しく踊る演目だったので、楽しく踊れたらいいな、と思って踊りました」
――そのとおり踊れた?
尾嶋「はい」(笑)
優勝の2人を囲んで笑いに包まれる前列(左)より杉浦容楓分家家元、尾嶋美紀さん、岡本菜穂子さん、杉浦英容宗範、尾嶋さんの師の大日方佳容さん、後列(左)より尾嶋さんの祖母尾嶋サカエさん、母の尾嶋鈴子さん、岡本さんの祖母鷲尾たま子さん |
――いま十四歳、中学生ですか?
尾嶋「中学二年生です」
――踊りは何歳から始めましたか?
尾嶋「三歳ぐらいです」
――誰かに勧められて?
尾嶋「お祖母ちゃんに。お祖母ちゃんが踊りをやっていたので、一緒に連れていかれて、やらされたのがきっかけです」(笑)
――そうか、やらされたんだ?(一同、爆笑)
容楓「連れていかれて、やらされたんだよね」(笑)
――お祖母様、いかがですか?
尾嶋(祖母)「その通りです。やらせました。おんぶしたり、だっこしたりして、孫をみんな連れて踊ってました」(笑)
――もう、最初から踊りをやらせようと思っていたのですか?
尾嶋(祖母)「はい、最初からそう考えていました。訳が分からないうちに連れてくれば、好きも嫌いもないうちに始めるだろうと思ってました(笑)。それに先生や仲間たちが教室の雰囲気をつくってくれました。扇子を玩具にして遊んだりしてましたから。今思うと、それが良かったなと思いますね」
――お母様も詩舞をやられていたのですか。
尾嶋(母)「いいえ。私は嫁に入ってから詩吟というものを初めて知りました。子供が踊りをやるものですから、一緒についてきました」
――踊りを習わせることは、全然問題になりませんでした?
尾嶋(母)「私は仕事に出ている関係で、すべてを義母(はは)に見てもらっていましたので、子供も義母を尊敬していて、義母に子供がついてきて、その子供に私がついてきたという感じです」
――大日方さんは、三歳の頃から指導していらっしゃるのですか?
大日方「三歳の頃は指導というのではなく、一緒に楽しく踊る仲間という感じですね」
――どんなお子さんでした?
大日方「最初は調子がよかったですね」
――それはいわゆる調子がいいという意味の調子ですか、それとも元気がいいとか、活発という意味ですか?
大日方「こうだよ、と言って教えると、わりとその気になって練習する子でした」
杉浦英容宗範(左)と大日方佳容さん(右)から演技の指導を受ける岡本菜穂子さん(中央後)、尾嶋美紀さん(中央前) |
――幼年の頃は全国大会には出られたのですか?
大日方「幼年のときは中部地区まででした」
――全国大会は少年の部が初めてだったんですね?
大日方「少年の部は二度目です。前の年は三位でした」
――三位から優勝になりましたが、どこか踊りを変えたところがありますか?
尾嶋「楽しく踊ることです」
――ところで、また岡本さんにお聞きしますが、自分で目指しているテーマというものがありますか?
岡本「中部地区の大会のときでしたが、本当に見ず知らずの人が楽屋まで訪ねてきてくれて、私の踊りをご覧になって、すごく感動しましたと言われたのです。踊りを始めて以来、知らない人に感動したと言われて本当に嬉しかったです。ですから、これからも人に感動を与えられるような踊りをしたいと思います」
――人を感動させるにはどうしたらいいと思いますか?
岡本「難しいですね。やっぱり、詩の中身に入り込んで、詩心をいかにどれだけ見ている人に伝えられるかだと思います。答えになってないかも知れませんが」
――幼年、少年から踊りをやってらして、途中で辞めたいと思ったことはありませんでしたか?
岡本「辞めたいと思うよりも向いていないのではないかと思っていました。ただ先生、先輩、お友達が大好きだったので続けられたのだと思います」
――杉浦先生の教室はそんな雰囲気があるのですか?
英容「あります」(笑)
尾嶋美紀さん(左より4人目)、岡本菜穂子さん(同5人目)を中心に真剣な面持ちでインタビューを受ける皆さん |
――コンクールの時はプレッシャーを感じましたか?
岡本「そんなことを感じている余裕がありませんでした」
――英容先生、最後の質問になりますが、これからどんなふうにご指導なされるおつもりですか?
英容「彼女は今まで一生懸命やっていたのに結果が出なかった。それは技術的なことよりも表現力がちょっと足りない、表に現す力が弱かったのですね。たまたまこの作品を一生懸命やったおかげで、かなり表情が表にでる、お客様に伝わるようになりました。一度、この表現力というものをつかむと、案外以後うんと良くなるのです。今年をきっかけに、他の曲をやってもずいぶん表現が良くなると期待しています」
――本日はお忙しい中、ありがとうございました。お二人の今後のご活躍を期待しております。
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