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3 ディアナ号探査
 錨を2基引き揚げたことにより、「まだ別の錨や遺物があるかもしれない」「ディアナ号そのものが、海底に存在するかもしれない」というように、沈んだディアナ号の船体発見への夢が高まっていきました。
 
ディアナ号探査会設立総会
 
 作家大南(おおみなみ)勝彦氏がディアナ号船体引き揚げの夢を各方面に訴え、当時、豆州(ずしゅう)下田郷土資料館相談役肥田(ひだ)実氏と共に、下田、富士、戸田、沼津の各自治体の首長に、「ディアナ号調査、引き揚げ計画趣意書」を持参して、協力要請をしました。その後、組織や規約、予算など話が具体化され、昭和62年(1987)7月21日、富士市役所において設立総会が行われました。
 
ディアナ号探査会事業趣意書
当館蔵
 
 ディアナ号探査の方法を具体的に考えていく上で、東海大学の協力を求め、同大学の賛同も得られました。東海大学との打合せ会は何度となく行われ、過去の錨の引き揚げ箇所、ディアナ号の沈没に関する資料、地元民の話等により、沈没地点を推測しました。昭和63年(1988)3月に、第二南十字と第二北斗の2隻の調査船を使い、予備調査を行いました。予備調査の結果を踏まえ、音響測深器(そくしんき)・地層探査機により断面状に探査する「音波探査」と、海底面探査機により一定幅の平面で、海底の形状を探査する「海底面探査」を平行して実施することになりました。
 
探査船「第二南十字」
 
 昭和63年6月10日、探査が開始された。調査船は、みなと丸とアイアン号が使われました。みなと丸は海底面探査、アイアン号は、音波探査を分担することになりました。海の状況はきわめて良好で、調査は順調に進みました。怪しげな音響のイメージは、次々にリストされ、再測をしました。このような繰り返しを行い、沈船探査を続けました。問題箇所については、海底面探査の倍率をあげて調査をしたり、音波探査の再測、補測(ほそく)を実施しました。探査は、6月15日まで続けられました。しかし、最終的な結論としては、この調査海域には「ディアナ号は存在しない」と結論付けられました。
 平成元年(1989)4月18日、今までの探査結果概要や沈船探査報告書等を総会で報告し、探査会は解散しました。
 海中に沈んだディアナ号は、激しい潮流に流されてしまったのか、調査地点より他の地点に眠っているのか、また、ばらばらに壊れ、もう船体は無いのか、ディアナ号への想いはつきません。
 
ディアナ号音波探査測線図
(拡大画面:181KB)
当館蔵
田子の浦港から三四軒屋までの範囲をくまなく探査しています。


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