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 『下田日記』には、「原、吉原等東海道を通行中は、下官共には銘々(めいめい)に食料を持たせ候て、三行に並び、かたがわをあけ候て歩行、少にても外へはり出し候ものこれ有り候得ば、直に下官は撻たれ(むちうたれ)候事の由。所謂、整々堂々(せいせいどうどう)のけしきにて、扨(さて)又宿々にては、前代未聞の事に付、夥しく(おびただしく)見物いたし候処、御目付方より達に付、雨だれ落より一寸も出候ものこれ無く候由」と記述され、ロシア兵が道を整然と行進した様子や見物の日本人が多かったことが分かります。
 また、ロシア人通行の一件として、「其宿村当月六日七日両日、駿州富士郡宮島村より豆州君澤郡戸田村迄魯西亜人通行いたし候ニ付、跡(あと)取調べとして我等儀罷り越し候ニ付其節差出し候人足賃休泊所に於て賄向(まかないむき)ニ差出候品々員数直段書(ねだんがき)共前以て取調べ置き差出し申すべく候此書付早々順達(じゅんたつ)留り於戸田村相返すべく候」の廻状が韮山代官所の役人より、宮島村から戸田までの村々に出されました。通行の時、人足賃や休憩や宿泊にかかった品や人数を出せとの急状です。これが、宮島村から戸田村までの村々に出され、書状が12月9日から10日まで約二日位で届いたことは、村々の組織や連絡体制がきちんと機能していたことが分かります。
 
『御用書付 ロシア人通行につき』
勝呂安氏蔵
勝呂家はヘダ号造船時、造船御用掛となり、勝呂宅に仮奉行所が置かれました。書状が廻された宮島村、吉原宿、原宿、沼津宿、江の浦村、重寺村、木負村、古宇村、江梨村、井田村等の請状が残っています。
 
 これを受けて各村々では、かかった経費を差し出しました。沼津江梨村では、芋(七日分)の11俵代やロシア人が乗った9挺(ちょう)分の駕籠代、そして駕籠の人足代等を請求しています。
 
『異人通行諸入用書上』
高野訓久氏蔵
(沼津市歴史民俗資料館保管)
芋代や駕籠人足賃等の請求が書かれています。
 
 また、江川代官の手代より、幕府の勘定留役の中村為弥、勘定役の上川傳一郎へ小屋を造った代金や戸田村までの道中の費用、宿泊に要した費用、食料費等の請求を行っています。
 
『魯西亜人逗留中小屋掛其外諸佛金手形』
(財)江川文庫蔵
ロシア人が逗留した時に掛かった費用の請求をしています。


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