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4 追跡権の性質の多義的展開
―「沿岸国管轄権行使の実効性」の意味の変質か
(1)追跡の対象となる違反法令事項の性質の多義性
ア 近年の追跡権の事例において、被追跡船による国内法令違反の行為としてもっとも頻度が高いのは、違法漁業と麻薬の違法取引である。追跡権の成立過程で内水および領海からの追跡権が想定された時期には、およそ包括的に沿岸国管轄権の実効的行使にその根拠が求められた。いかなる事項についての沿岸国法令の違反についての追跡かについては、とくに議論の焦点があてられなかった。それは、その事項がいかなるものであれ、領海沿岸国が原則として領海に対する包括的主権をもち、主権に基づく管轄権行使を実効的にするための追跡権が想定されていたからであると考えられる。(40)
イ 追跡権の成立は、接続水域の成立と密接に関連していた。接続水域は領海における沿岸国管轄権の実効性を担保するための水域であるが、接続水域での管轄権行使の対象となる事項は限定的である。(41)
 伝統的には関税、安全保障、および衛生が1930年のハーグ国際法典化会議に際して挙げられたように、それらが(領海を越えて)管轄権を拡大して適用する対象事項として諸国の実践において主張されてきた。第二次世界大戦後には、管轄権を領海外に拡大する対象事項としては、漁業に関心が移行した。1958年公海条約の起草過程で第一次国連海洋法会議においては、漁業は接続水域で沿岸国に管轄権行使が認められる対象事項には含まれなかった。(42)伝統的に管轄権の拡大が主張された対象事項が、沿岸「国」それ自体を保護する意義をもつ事項であるのに比して、漁業という事項は、沿岸「海域」それ自体でありその資源の保護という意義を持つ点で、両者には性質の相違があるという指摘はできる。(43)
ウ 上記のように、近年の追跡権の実践では、違反漁業船および麻薬の違法取引船に対する実践が多い。国連海洋法条約33条が規定する事項(関税・財政・出入国管理・衛生)との比較において、漁業という事項は、沿岸「国」ではなく「水域および資源保護」に関わるという相違をもつとはいえよう。麻薬の違法取引は、沿岸「国」保護に関わる事項であろう。しかし、別の観点からすれば、次の二つの点を指摘することができる。
 第一に、領海内であれば、漁業が「国」ではなく「水域」と資源に関する事項であるとはいえ、漁業に対する沿岸国管轄権も、やはり沿岸国保護の意義をもつ点は、必ずしも他の事項と相違しない。
 第二に、国連海洋法条約ではEZ制度が認められており、EZ沿岸国は、漁業に関して主権的権利をもつ。もっとも、「権利」とはいうものの、61、62条の生物資源の保存および利用に関する規定は、沿岸国に対しても「義務」を課している。その意味では、EZ沿岸国は漁業および漁業資源について主権的権利をもつが、それは、領海における包括的主権の一環としてのそれであり沿岸国の裁量が認められるような権利とは異なる。つまり、EZ沿岸国は、漁業および漁業資源に対する「主権的権利」はもつが、同時に、広大な海域における漁業資源の保存と利用については国際規制を受けるのであり、いわば、国際社会に対する責務を負っていると解することができる。麻薬の違法取引についても、領海沿岸国だけではなく、かりに、EZ沿岸国にも麻薬の違法取引に対する沿岸国管轄権を認めるとしても同様のことがいえよう。(44)そのような管轄権は、一義的には沿岸国保護の意義をもつが(45)、麻薬の違法取引を抑止することに国際社会の利益が確立しつつあることに鑑みれば、同時に、沿岸国は、自国管轄水域において、かかる国際利益の実現の分担的責務を担っているとみなすこともできる。
 こうした漁業や麻薬の違法取引という事項に対する沿岸国管轄権の性質に注目すると、近年の追跡権の実践や追跡権に関連しうる実践のもつ意味が浮かび上がってくるようにみえる。そうした観点から、最近の特徴的な追跡権の実践をみていくことにする。
 
(2)麻薬の違法取引をめぐる追跡権の実践および追跡権に関連しうる実践
ア 違反漁業船に対する追跡権の最近の事例として特徴的であるのは、オーストラリアによるウルグアイ船に対するオーストラリアEZから3900マイルにおよぶ追跡である。(46)加えてこの追跡には、オーストラリアから協力要請を受けて南アフリカ公船およびイギリス公船が加わっていることである。南アフリカ船やイギリス船が近接しても被疑船(ウルグアイ船)は速度を落とさなかったが、オーストラリアの追跡船が航路をふさいだところ、追跡が完了した。イギリス船から二艘のオーストラリアボートを使用して、被疑船に乗船したのはオーストラリアの関税・漁業官吏であり武装した南アフリカ漁業監視官である。
 同様の「多国籍」追跡の例としては、被疑船(トーゴ船)を、オーストラリアが自国EZより3300マイルにわたって追跡した例がある。(47)この事例では、南アフリカとフランスがオーストラリアから協力要請をうけ、いずれも合意した。ケープタウンが基地として活用されて、南アフリカの海軍供給船、巡視船が被疑船に近接して追跡は完了した。乗船したのは、オーストラリア官吏であった。
イ これらの実践におけるオーストラリア以外の国の船舶による追跡権への参加・協力は、公海の自由・旗国主義の原則および国連海洋法条約111条に照らせば、問題となりうるいくつかの点を指摘することができる。たとえば、「多国籍船」間での追跡のリレーがあったのか、協力国の船舶は、公海上で被疑船に対して、追尾、航路妨害などの、航行の自由に対する侵害を行ったのか、追跡および被疑船への乗船検査において、協力国の船舶や官吏がはたした機能は、航行の自由および旗国主義に対するどの程度の違反か、などである。(48)しかし、以下では、この「多国籍」追跡が、追跡権にもたらしうる変質およびそれが海洋法の基本構造に与えうる影響に焦点をあてて考察する。
ウ 被疑船による違法漁業海域は、南極海洋生物資源保存条約(以下、CCAMLR)の規制海域であり、かつ、オーストラリアのEZである。オーストラリアは、外国漁船に許可制をしいている。それに加えて、上記の実践が一つの契機となって、CCAMLR当事国間で、違法漁業監視における協力の実践が進展しつつある。たとえば、上記の2003年フランスとオーストラリア間の協力協定がある。また、1995年公海漁業実施協定がモデル規則を設定して、公海上で、違法漁船に対する旗国以外の国による執行を予定しており、それは、他の漁業資源保存条約でも踏襲されている。(49)
 こうした背景からすれば、「多国籍」追跡は、オーストラリアという沿岸国にのみ固有の利益を保護するために行われているとは必ずしもいえない。つまり、該当海域における違法漁業の取締りに共通の利益を見出す諸国が、「他国籍」追跡に参加し協力しているからである。この点は、麻薬・向精神薬違法取引取締りの分野での米国および欧州諸国を中心とする追跡権に関わる実践が、1988年麻薬・向精神薬違法取引防止国連条約(以下、麻薬違法取引防止条約)を基礎として、麻薬違法取引の取締りに共通の利益を見出していることと共通する。
 そうであるとすると、近年の追跡権の実践にみられる特徴は、追跡権による「沿岸国管轄権の実効的行使」の確保という意義は否定されないとしても、それだけにはとどまらない性質を追跡権に与えつつあるようにみえる。以下に、その点をみていく。
 
(3)追跡権の新たな性質の可能性
ア 麻薬違法取引取締りおよび違反漁業に対する追跡権の近年の実践をみると、そこでも、追跡権が、沿岸国管轄権の実効的行使に資する権利であることは疑いがない。しかし、同時に、国際的共通利益の意識が背景にあって、追跡権に関する伝統的規則(同一国籍の船舶よるリレー追跡のみを認める規則、第三国領海に被追跡船がはいった時点で追跡権が消滅するという規則)とは異なる実践が現れてきているといえよう。しかも、こうした特徴的な実践は、近年の追跡権の事例の大半を占める麻薬違法取引および違反漁業の取締りに関する事例において現れてきているのである。
イ EZからの追跡という点で、EZにおける沿岸国の漁業に対する主権的権利が、権利であると同時に、国際社会に対する責務の意義を帯びるとすれば、そのことと、EZからの違反漁業船に対する追跡が、国際共通利益の実現という性質を帯びることとは一貫しているといえよう。もっとも、上記のオーストラリアによる追跡は、CCAMLRが背景にあり、そうした条約枠組みが存在していなくても、EZからの違反操業船に対する追跡が国際的共通利益の意義を帯びるとは限らないともいえる。
ウ 麻薬違法取引船に対する追跡をめぐる実践では、EZではなく、領海沿岸国としての追跡が、合意により第三国の領海まで継続して行われることを想定している。麻薬違法取引防止条約の起草過程では、EZ沿岸国に麻薬の違法取引に対する管轄権を認めるという見解もあったが、これは受け入れられなかったという経緯がある。(50)もっとも、沿岸国の権利として認めないことは、麻薬の違法取引の取締りを国際社会に対する責務として沿岸国に委ねることの拒否も含むものであったかは不明である。
 
(4)機能的権利配分と追跡権
ア 追跡権は、接続水域の発展と密接に関連しながら確立してきた。接続水域は、領海沿岸国の執行権のみの行使が認められるという意味で、「機能的」に権利が配分された水域であり、追跡権も、領海沿岸国の執行権が、海域による権利配分(伝統的には領海と公海の区分)を越えて公海に伸張していくという意味で、やはり、権利の「機能的」配分を実現する制度である。もっとも、接続水域において領海沿岸国の執行権の対象となる事項は限定されているのであって、その点で、接続水域は、以下のような別の意味での「機能的」配分をも実現している。
イ EZや大陸棚は、管轄権の対象事項を基準として権利配分が行われるという意味での「機能的」権利配分を海洋法に導入した。(51)そして、EZからの追跡権が認められることは、ここに示した「二重の意味で機能的」な沿岸国管轄権の伸張を認める制度ということになる(「特定の事項に対する管轄権」でありかつ「執行権」の公海への伸張)。
ウ 麻薬違法取引および違法漁業の分野における、第三国領海での追跡権の継続的行使の実践は、たしかに、追跡国(当初の法令違反が行われた海域の沿岸国)管轄権の実効的行使の一環とすれば、沿岸国固有の利益とその保護のための実践であるといえる。そして、第三国領海内にまで追跡国の管轄権行使が及ぶことは、これまでの海洋法の発展のあり方としては、「公海に向かって」、領海を越える海域(接続水域、EZ、大陸棚)が「機能的」水域として成立してきたのに対して、(他国の)「領海に向かって」の、機能的(部分的)権利配分であるとみなすことができる。これらの実践は、あくまでも、当該領海沿岸国の合意を基礎とするにとどまっているが、すくなくとも、追跡権行使の範囲・限度で、執行権が外国領海に及ぶという意味での、「機能的」な権利配分である。(52)
エ それに加えて、そのような追跡国の管轄権の(他国領海への)伸張は、麻薬の違法取引や違法漁業の取締りについては、追跡国に固有の利益の保護にとどまらず、国際共通利益の認識が背景にあることは上記のとおりである。
 また、海洋法の構造において、機能的権利配分について、EZにおける沿岸国の主権的権利が「権利」であると同時に、国際社会に対して資源の利用・保存に関する責務の意義を帯びうることはすでに述べたとおりである。しかも、そもそもより伝統的な「海域」による権利配分であっても、公域と領域との区分が、国際社会の共通利益と領域国の固有の利益という区別との対応によって、つねに説明されうるわけではない。
 たとえば、公海の自由(旗国主義)に対する例外が、伝統的に一定の事項について認められてきている。国連海洋法条約110条に規定するように、一定の事項については、公海上の船舶に対する旗国以外の国による臨検が認められている。公海という海域の性質からすれば、こうした事項は、国際社会の共通利益を反映すると考えられやすい。すなわち、原則としては旗国主義によって、いわば「予定調和的」に公海秩序が維持されることが想定されている。しかし、一定の事項については、旗国主義の例外を認めてでも国際社会の共通利益を維持し保護するために、公海上の船舶に対して旗国以外の国による干渉が認められている。海賊は、まさにそうした例である。
 けれども、公海からの無許可放送が沿岸国に固有の利益の保護の意義を(も)もつことからすれば、110条の規定する事項が、すべて同じ意味であるいは同じ程度に、国際社会の共通利益を反映しているわけではない。その他に公海上の船舶に対して旗国以外の国による臨検が認められている事項についても、海賊行為の被害船舶や被害者の国籍国、自国の船舶が国籍詐称や国籍表示拒否をする疑いをもつ国籍国が、自国の法益を保護するためにかかる臨検を行うという意義もある。(53)
オ 追跡権は公海の自由に対する例外であり、それゆえにこそ、100年にわたる時間を要して確立してきた。また、公海の自由に対する例外であるゆえに、追跡権は厳格に解されるべきであると主張されてきた。(54)それは、公海の自由が国際社会の共通利益であるのに対して、追跡権は追跡国(沿岸国)の管轄権行使の実効性を担保するという、追跡国固有の利益を(領海あるいは管轄水域を越えて)公海上で保護する制度であるという対置を基礎とする発想である。けれども、たとえばEZにおける沿岸国権利の性質や公海における旗国主義の例外事項にみたように、公海上で保護される利益が、国際社会の共通利益であり、管轄水域で保護される利益が沿岸国固有の利益であるという対応は、必ずしも一貫していない。そうであるならば、「公海」で、「領海あるいは管轄水域」沿岸国利益(沿岸国管轄権の実効的行使)を保護する追跡権行使は、例外的であり、したがって厳格に解されるべきであるという論理は、単純にすぎるということになろう。
 たしかに、追跡権が公海の自由に対する例外であるというのは、原則的には該当する。けれども、公海上で保護される利益についてもここにみたような多義性がある以上、追跡権についても、単純に、公海の自由に対立するものとしてのみとらえることについては、現代の海洋法の基本構造の観点から、かつ、今後の発展のあり方をさぐるという視点から、再考してみる余地がある。(55)
 
おわりに
 本稿では、追跡権の根拠である「沿岸国管轄権の実効的行使」に焦点をあてながら、第一に、追跡権行使の要件を、「法令違反」を中心として考察した。そこでは、法令違反という要件と他の要件(追跡権の即時性・継続性)との関連を意識しながら、追跡権制度としての一貫性・統一性の観点からの要件の確定および解釈が重要であることを示してきた。要件論の検討に際しては、追跡権の根拠である「沿岸国管轄権行使の実効性」に照らすべきである。その「実効性」という観点からすれば、それは、沿岸国管轄権行使を実現するために、追跡権行使の要件を緩和することを許す根拠としてではなく、沿岸国が追跡権を行使して自国管轄権を実効的に行使する意思と努力をともなっており、手段や能力を具備すべきであるという意味にとらえられる。
 第二に、追跡権が、伝統的な領海と公海の二元制度においては、領海沿岸国の管轄権が公海に及ぶという「例外的な」制度として理解されたことに対して、追跡権の意義に変質(あるいは新たな意義)が生じつつあることを検討した。EZという「機能的」水域からの追跡は、EZ沿岸国の漁業と漁業資源に関する主権的権利が国際的責務という意義をも帯びうることに鑑みれば、EZ沿岸国に固有の利益のみを保護する制度ではなくなりうる。さらに、最近の追跡権の実践および追跡権に関連する実践から、伝統的な追跡権制度が想定していなかった実践(数千キロにわたる追跡、多国籍追跡、第三国領海への追跡の継続)が生じてきている。それらも、沿岸国(追跡国)に固有の利益の実現という意味だけではなく、違反漁業や麻薬違法取引の取締りにおける国際社会の共通利益意識の醸成を背景としていた。すなわち、「沿岸国管轄権の実効的行使」が追跡権の根拠であるとしても、追跡権は、「沿岸国」だけに固有の利益を保護する制度には収斂しなくなりつつあるのではないかという予測がもたれるのである。
 もっとも、これらの新たな実践が、特別な条約を根拠とする以上、一般法として追跡権規則を確立させていくか(国連海洋法条約111条の規定する一般法を変更するか)については、まだ、実践の定着を待つ段階にある。国際社会の共通利益を実現するという意義を(も)追跡権制度が帯びるとしても、それが、追跡国の独自の判断だけで乱用されないような制限が必要である。
 第一、第二のいずれについても、追跡権の要件整備と、ありうるとすれば既存の規則の修正変更に際しては、他の権利(特に外国船舶の領海内無害通航権)との関係において、海洋法が伝統的につねに求められてきたように、慎重な権利間調整がなによりも重大であることはいうまでもない。


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