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2 追跡権行使の要件その2: 即時性
(1)即時性要件
ア 追跡権行使の即時性は、学説および実践で要件として認められてきていながら、公海条約も国連海洋法条約もそれを明示には規定していない。即時性に関わるのは、追跡は、「領海(又は接続水域)にある時に」開始しなければならないという点である。(18)
 上記の例で、再び領海に入域した外国船舶に対する追跡権は、「領海にある時に」の意味が、法令違反を行って領海を一旦出るまでの間に限定される(つまり、再び領海に入域した場合を含まない)と解されるのであれば、この要件を満たさないことになる。
イ 他方で、法令違反後(あるいは、法令違反が行われようとしている疑いが明らかになった後)「ただちに」追跡を開始したか、という文理的(物理的時間的)な意味で「即時性」をとらえれば、近年では、日本の実践も含めて即時性要件を緩和する傾向がある。
 日本の国内実践としては、第25号新亜号強制執行妨害事件がある。(19)同事件では、民事上の強制執行をまぬかれる目的で執行対象物件である船舶を東京港から出航させ、当該船舶は公海にでたが、その後それは内水で発見され、停船命令を受けたが逃走して、公海上に及んで追跡され逮捕された。東京地裁が指定した東京港を出航させること自体が、「強制執行をまぬかれる目的で財産を隠匿」したといえるのであって、東京港を出航させた時点で、違法行為は成立している。当該船舶は、一旦、公海に出てその後再び日本の領海、内水に入り、内水で発見されて、公海上まで追跡された、というものである。そこでは、違法が成立してから、しかも、東京港出航により違反が成立したことを日本当局が知った後に、内水で発見されるまでの間に時間の経過がある。かつ、違法行為が成立した後に、一旦は当該船舶が公海に出ているのであるから、「領海にある時に」日本が追跡権を開始したとはいえない(当該船舶が「再度」領海および内水に入った後に、「内水から」追跡を開始している)。
 諸外国の実践として即時性の観点から議論の対象となるのは、麻薬の瀬取り事例である。(20)これらの事例では、海上でA船からB船に麻薬の転載が行われてから、密輸船舶Bが陸揚げする時点まで待ってから、海上の船舶A(密輸船舶に麻薬を転載した船舶)に対する追跡を開始している。(21)このような事例を審理した国内裁判所の判断では、「即時性」は柔軟であってよい、という理由を付すものがあるし、(22)あるいは、密輸の「共謀」は、陸揚げの時点まで完了しないという理由を付すものもある。(23)
 
(2)即時要件の根拠からみた評価
ア そもそも即時性要件の根拠を何に求めるかという点について、歴史的には、即時性も追跡の継続性も、被追跡船を誤らないためであるとされてきた。追跡権は、沿岸国の管轄権行使を実効的あらしめるため、という点からすると、違法行為が成立してから、少なくともそれを知りながら沿岸国がこれを追跡しないで一定時間以上放置しておくような場合に、追跡権を認めることが妥当であるとはいえない。つまり、追跡権制度は、例外的に沿岸国管轄権が公海へ伸張することを認める制度である以上、沿岸国自身が、最善の努力をともなって管轄権行使をしないような場合にまで、追跡権行使を認める必要はないという趣旨である。かりに、このように即時性要件の趣旨をとらえるのであれば、つまりは、沿岸国管轄権の実効的行使の担保と沿岸国自身の意図や努力がともなえば、即時性要件は、それ以上厳格に解される必然性もないとはいえる。
 もっとも、法令違反の成立とその沿岸国による認識から時間が経過しているだけではなく、当該船舶が一旦は公海に出た後に再び領海にはいったような事例では、公海に出る前に、つまり、「領海にいる時に」追跡を開始するという要件までも無視できるかは、疑問も残る。後に検討する仮説例と同様に、むしろ、再度領海や内水にはいった時点で、(もともとの)違法行為を根拠として執行措置をとったところ当該船舶が逃走した場合に、この逃走をあらたな法令違反としてそれを根拠とする追跡権行使であると説明する方が適当であると考えられる。なぜなら、当初の法令違反が領海で行われてから、当該船舶が領海にいる間に沿岸国が追跡権を開始しなかった(できなかった)ことに対して、追跡権行使の要件(当該船舶が「領海にいるときに」)を緩和ないしは無視してまで沿岸国を保護しその管轄権の実効性を担保する必要はないといえるからである。
イ 他方で、麻薬の瀬取り事例のように、諸外国の国内裁判例では、洋上で麻薬搭載船から密輸船が麻薬の転載を受けてから(洋上転載の場所については、公海上および領海上のいずれの事例も存在する)、密輸船が領海を航行して入港し荷卸をしてから、洋上転載を行った船舶に対する追跡権行使を開始している。(24)
 その理由としては、一つには、まさに、沿岸国管轄権の実効的行使の確保にあり、麻薬の陸揚げ以前に洋上の転載船に対する執行措置を開始すれば、無線その他の連絡が転載船と密輸船との間で行われて、転載船が麻薬を海洋に投棄するなどの証拠隠滅をはかるおそれがあるという理由である。(25)二つには、麻薬が陸揚げされるまでは、転載船と密輸船の間の共謀が完遂しないと解すれば、陸揚げをまってはじめて転載船に対する執行措置を開始できるという理由である。(26)後者は、いわば犯罪の成立の点からすれば、洋上転載船への追跡は「即時に」行われているのであって、法令違反の成立時点をどこでとらえるかという「法的」な要因によって、「即時性」要件を解釈しているといえる。(27)即時性要件を「法的」な意味で解する以上、麻薬の瀬取り事例においても即時性要件は充足されているのであり、即時性要件の緩和というわけではないともいえる。
 法令違反をした外国船舶が一旦日本の領海を出て再び入った事例との比較において、かつ、ここで検討した追跡権行使の「即時性」要件との関連において、外国船舶が「他国」領海に入った上で、再び追跡国領海にもどる場合と、被追跡船が逃走に成功し、その後に再び追跡国領海にもどる場合が想起される。これらは、追跡権の「消滅」と「中断」の問題である。
 
3 追跡権行使の要件:消滅と中断
(1)追跡権の消滅
ア 公海条約23条2項および国連海洋法条約111条3項によれば、追跡権は被追跡船が第三国の領海に入った時点で消滅する。したがって、たとえば、日本法のAという法令違反を行った外国船舶が、一旦、他国の領海にはいってから再び日本の領海・内水にもどったところを発見された場合に、最初の追跡権の行使の過程で他国領海にはいったときに追跡権は消滅しているため、Aという法令違反を根拠に「再び」追跡権行使を行うことはできない。
イ 公海に出たにせよ他国領海に入ったにせよ、もともとの領海沿岸国の法令に対する違反状態が変わるわけではないという論理により、再び領海にはいったときに当該船舶に対して追跡権を行使することは認められない。(28)公海条約23条1項および国連海洋法条約111条1項により、「領海にあるときに」追跡を開始しなければならないという要件に照らせば、Aという法令違反を行った外国船舶に対して追跡もしないうちに、当該外国船舶が日本領海を出て公海や外国領海に入った後に再び日本領海に入ったような場合には、公海や他国領海へ入るまえに自国「領海にいる時に」日本は実効的に管轄権を行使すべきであり、追跡権を行使すべきであるからである。
 上述したように、再度領海や内水にはいった時点で、(もともとの)違法行為を根拠として執行措置をとったところ当該船舶が逃走した場合に、この逃走をあらたな法令違反としてそれを根拠として追跡権を行使するという可能性はある。無害通航権との関係では、そのような執行措置は、(つまり、X国領海内でAという法令違反を行い、一旦公海に出たか他国領海に入った後で再びX国領海にはいったときに、Aという法令違反を根拠として執行措置“停船命令”を発することは、)国連海洋法条約25条を根拠としうる限りでは、当該船舶の通航の有害性に対する措置として説明する余地がある。
 
(2)追跡権の中断
ア 一旦、Aという違法行為を行った船舶に対して追跡を行ったが、失敗(中断)して領海外に逃走されたときに、当該船舶がふたたび自国領海内で発見された場合には、中断により追跡権が消滅したと解する限り、Aという違法行為を根拠として、再び追跡権行使をすることはできない。
イ 即時性要件と同様に、追跡の継続性は、被追跡船を誤らないためという理由で説明されることもあるが、ここでもやはり、沿岸国管轄権の実効的行使という観点から、次のようにいえる。被追跡船舶に逃走を許すのは、換言すれば、沿岸国の追跡能力の不足の問題である。沿岸国管轄権の行使の実効性を担保することに追跡権の根拠があるとしても、沿岸国は、実効的に追跡権の制度を活用するだけの手段と能力を具備すべきであるからである。
 しかし、上記と同様に、Aという違法行為を行った後に逃走した外国船舶が再び領海に入った場合に、国連海洋法条約25条と整合する限り、当該船舶の有害性に対する措置として、領海内でAという違法行為について当該船舶に対する執行措置をとることはできる。それに対する「逃走」をあらたな法令違反として、それに対する追跡を行う可能性はある。
 
(3)第三国領海における追跡権の「継続的」行使
ア 追跡権は、被追跡船が第三国領海にはいった時点で消滅する。もっとも、第三国が自国の領海内において追跡国に追跡権の行使を認めれば、追跡国は追跡権を継続的に行使することができるのだろうか。(29)
イ 追跡国=A国、被追跡船舶の旗国=B国、被追跡船が逃げ込んだ領海の沿岸国=C国とする。ここでの問題は、C国がA国に、自国領海内での追跡権の継続的行使をみとめたときに、その追跡権行使に関する国際法上の評価である。
 A国とC国との間では、そのような合意がある以上、国際法上の問題は生じない。けれども、B国との関係では、C国がB国(船舶)の無害通航権を害することにならないかという問題が生ずる。C国がA国にC国領海内での(A国による)追跡権行使を授権することは、C国が領海沿岸国として有している領域主権にもとづく判断といえよう。他方で、C国は、自国領海内で外国船舶の無害通航権を尊重する国際法上の義務を負う。はたして、A国の国内法令違反をおかしたB国船舶(被追跡船)が、C国の領海内に存在し航行するときに、この航行を「無害ではない」といえるだろうか。すくなくとも、当然に、B国船舶の航行を無害ではないとはいえない。そうであるならば、C国は、領海沿岸国として自らB国船舶に対して執行措置をとりさらに追跡する国際法上の権利をもたない。それにもかかわらず、A国に対して自国領海内でA国船舶によるB国船舶に対する追跡権行使を授権するとすれば、それは、そもそもC国が国際法上もたない権利をB国に与えようとしているともいえる。あるいは、C国はB国との関係で、かかる授権をA国に対して行うことによって、B国(船舶)の無害通航権を侵害するともいえる。
 これに比して、A国とB国との関係では、C国領海内でのA国による追跡権の継続的行使の国際法上の評価は、第三国領海に被追跡船がはいったときに追跡権が消滅すると規定する国際法規則の根拠に照らして決定される。この追跡権消滅の国際法規則が、第三国の領海に対する領域主権の尊重を根拠とすると解すれば、この規則はA国とC国の関係を想定するものであって、その限りにおいて、A国とB国との関係には適用はないといえよう。かつ、この追跡権消滅の国際法規則は、B国船舶がC国領海内でA国により追跡されないという法的利益ないしは権利を保護する規則ではないということになる。C国がA国に自国領海内でのB国船舶に対する追跡権行使を認めることは、それは、特別法として一般規則である追跡権消滅の規則に優越するのであって、B国はこの特別法の適用の範囲外にある。その結果として、B国船舶がA国によってC国領海内で追跡されれば、B国(船舶)にとって事実上の不利益である。けれども、一般国際法(第三国領海に逃走船がはいったときに追跡権は消滅)上、この場合に、B国船舶が「C国領海内で追跡されない」というB国の法的利益が想定されていないのであれば、B国は、C国領海内でB国船舶がA国により追跡されるという不利益を、一般国際法上の法益に対する侵害と主張することはできない。
 他方で、ここにいう追跡権消滅の規則が、想定事例の場合にC国領海におけるB国(船舶)の無害通航権を保護する規則であるとすれば、結論は異なる。それは、無害通航権という権利について、B国の無害通航権はC国との間でのみ成立する権利ではなく、およそすべての国家に対してその保護を主張できる権利であるかという問題でもある。第三国領海に逃走船がはいったときに追跡権が消滅するという規則が、ここに示した意味でB国の無害通航権を保護法益として包含しており、また、無害通航権が、対領海沿岸国との関係においてだけではなく、他国(想定例では追跡国)に対しても保護(第三国領海内で追跡しない)を要求できる権利であるならば、そもそも、A国とC国の二国だけでB国の権利を侵害するような特別合意を締結することはできないということになろう。(30)
 これらの可能な解釈について、近年の麻薬違法取引の取締りに関する米国を中心とする二国間協定の集積や、違法漁業取締りにおける同様の実践がもつ意義を次にみておくことにする。
ウ 米国を中心として、自国領海内で外国による追跡権行使を認める合意の締結が集積しつつある。特に麻薬の違法取引抑止の分野における二国間条約の締結が顕著である。(31)米国とカリブ海諸国、英国、オランダとの間の二国間条約がある。(32)無害通航権との関係で、それらのほぼ共通した特徴は次の点にある。締約国の執行官は米国の執行船舶(コーストガード船舶)に乗船し、当該締約国の国内法を執行するが、それは、追跡権行使の一貫として実施される。(33)また、締約国の領海、群島水域、内水において、(締約国の執行官が乗船していない)指定された米国船舶による第三国船舶への執行措置を認める条約例もある。(34)しかも、米国と二国間条約を締結している諸国は、2003年の多数国間条約であるサンホセ条約の当事国になることが期待されている。(35)
 米国を一方当事国とする二国間条約にほぼ共通する骨子は、米国の執行船に締約国の執行官が搭乗し、かかる米国船における締約国執行官は、締約国の内水および領海において、(1)米国が追跡を行うことを授権すること、(2)麻薬違法取引に対する巡視活動を行うことを米国に授権すること、(3)(締約国の内水および領海とそこから外海に至り)追跡権の行使としてあるいは国際法に従って締約国の国内法の執行を行うこと、(4)米国の執行官が締約国の法執行を補助することを授権することなどである。(36)したがって、締約国執行官の授権に基づいて、米国執行船は締約国の内水および領海において追跡を行うことができる。この追跡の対象となる被追跡船は必ずしも締約国を旗国とする船舶には限定されておらず、第三国の船舶が追跡の対象にもなりうる。
 領海沿岸国と無害通航船舶の旗国の権利(無害通航権)との関係については、当該船舶が麻薬の違法取引に従事し(ようとし)ており、国連海洋法条約上も19条2項(g)(沿岸国の通関上の法令に違反する物品の積み込み又は積み下ろしが、「無害ではない」通航を推定する要因となる)に該当する限りでは、通航の無害性を否定することができよう。沿岸国の国内法令との関係では、国連海洋法条約21条1項(h)は、「沿岸国の通関上の法令の違反の防止」に関する法令を制定する権限を沿岸国に与えており、この法令に違反する行為が国連海洋法条約19条2項(g)には該当しない行為を含むとしても、国連海洋法条約19条の他の条項(19条1項、同条2項(1)など)に該当すれば、法令違反が成立すると同時に、当該船舶の通航の無害性を否定する余地はある。そこで、米国が締約国領海内で追跡を継続する場合に、被追跡船の締約国領海内での活動が通航の無害性を否定される場合には、米国の追跡権行使も、締約国がそれを授権することも、無害通航権との関係では問題にはならない。そうでない場合には、上述したとおり、無害通航権との関係が国際法上の問題になりうる。
エ 違反漁業取締りの分野でも同様に、違反漁業船に対する他国による追跡権行使を自国領海内で認める合意が締結されつつある。たとえば、2003年フランスとオーストラリア間の亜南極諸島付近海域での生物資源に関する海域監視および科学調査における協力協定がある。(37)もっとも、このキャンベラ協定では、他方当事国の領海内追跡においては、物理的な法執行は許されないとしている。(38)
 被追跡船が第三国の領海内に逃げ込んだときに、追跡を継続することを追跡国と当該領海沿岸国間で合意することに関して、無害通航権および追跡権に関する国際法規則の解釈上の問題点は、上記に検討したとおりである。
 それにもかかわらず、麻薬違法取引や違法漁業の取締りの分野(近年の追跡権の実践が集中する分野)でこのような条約慣行が成立しつつあることは、他国の領海に被追跡船がはいったときに追跡権が消滅するという国際法規則および無害通航権の性質に関する解釈論において、次のようにいえよう。これらの条約慣行は、追跡権消滅の規則が、追跡国と領海沿岸国との関係において領海沿岸国の領海に対する領域主権の保護を趣旨とする規則であり、かつ、無害通航権は、領海沿岸国以外の国による(当該領海における)追跡権行使からの保護を要求できる権利ではないという解釈に支持を与える側面をもちうるということである。(39)


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