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追跡権の根拠としての「沿岸国管轄権の実効的行使」
立教大学教授 兼原敦子
はじめに
 1982年国連海洋法条約111条が規定する追跡権は、1958年公海条約23条を踏襲しているばかりではなく、条約上の規則であることをはなれても、慣習法として成立していることについては疑問がもたれることはほとんどない。もっとも、追跡権の確立は、公海の自由、すなわち、旗国の排他的管轄権に対する例外であり、学説および実践において一般的な承認をみるまでは、およそ100年の長き年月を要したといえる。(1)
 追跡権が一般法および慣習法上の権利とみなされるようになったとしても、その要件群が、すくなくとも一旦は、堅固に成立したという時点を経て、その後に修正や変更を受けるという過程をたどっているとは必ずしもいえない。(2)、むしろ、追跡権自体が確立し定着していく過程において、ほぼ時期を並行して、追跡権の要件と「想定される」ものが、学説や実践において柔軟に緩和され要件としての意義を変更され減少させてきたとすらいえる。たとえば、19世紀末よりすでに構成的存在論は、国内裁判例において承認されていた。構成的存在論は、そのまま公海条約23条4項に規定され、さらに国連海洋法条約111条4項もこれを踏襲している。しかも、「被追跡船舶を母船としてこれを一団となって作業する船艇」について、「拡大」構成的存在論が実践により支持されつつある。典型的には、麻薬の瀬取り事例である(3)また、より技術的な要件(被疑船の位置確認や停船命令の方法、追跡の方法)においても、技術的進歩により緩和するかあるいは変更することが合理的であると、しばしば学説が指摘している。(4)
 そうした追跡権制度の展開における特徴を考慮すれば、追跡権の要件を考察し、その「変更や修正」とされる実践の評価においても、次の点に留意すべきであろう。すなわち、追跡権が公海の自由に対する例外であることから、追跡権行使の要件を緩和することについて、いわば「硬直的に」厳格に判断(否定)することは必ずしも追跡権制度が展開してきた実体にはそぐわないということである。他方で、海洋法の基本構造という観点からして、管轄水域から沿岸国の執行権だけが公海上に伸びていくという追跡権の特異な性質に鑑みれば、海洋法における繊細な権利配分の構造に照らして、追跡権行使の要件の整備においては、慎重な権利・利益バランスの意識が不可欠となる。
 そうした意識に基づいて、本稿では、はじめに、追跡権の要件のうち「法令違反」を中心として検討を加える。それをふまえて、他の追跡権の要件(「即時性」、追跡権の消滅・中断など)に考察をすすめていく。それに際しては、個々の追跡権の要件を個々に検討するというよりも、各々の要件の関連性を意識しつつ検討を行う。なぜなら、追跡権の各々の要件は相互に関連しているばかりではなく、また、追跡権という一つの制度が、その趣旨や目的を達成するために要件が整備されるべきであり一つの制度としてのとしての統一性・一貫性が保たれるように、各々の要件が意義をもつべきであるからである。
 そこでは、日本の不審船をめぐる実践が提起した問題も密接に関連してくる。すなわち、必ずしも説得力のある漁業関連法令違反の疑いが証明されないままに、被疑船舶が停船命令に従わずに逃走した場合に、漁業法74条3項上の検査忌避罪により追跡することの国際法上の妥当性という問題である。そして、そもそも、沿岸国の「法令違反」によって不審船に対する追跡権行使を根拠づけることができるのかという問題である。
 つづいて、追跡権の根拠である「沿岸国管轄権の実効的行使」の意味と意義の検討を行う。追跡権の要件が柔軟に緩和されたり変更を受けたりする傾向を評価するに際しては、根本的には、追跡権の制度趣旨にてらして、その合理性を判断すべきである。追跡権の根拠が「沿岸国管轄権の実効的行使」にあることは、追跡権の確立する過程から現在に至るまで、表現上の差異は存在するにしても、学説上ほぼ一致しているといえる。(5)けれども、「沿岸国管轄権の実効的行使」は、そもそも一義的な意味にとどまるのだろうか。とくに、追跡権行使の要件が緩和される傾向にある状況で、「沿岸国管轄権の実効的行使」は、その傾向を容認する理由にはなりやすいであろうが、逆に、追跡権行使の要件にある程度の厳格性を担保する理由にはなりにくいであろう。それは、追跡権が、公海の自由(旗国主義)の「例外」であり、それを理由とすれば、追跡権行使の要件は厳格であるべきであるという結論に至りやすいことと対立する。つまりは、「沿岸国管轄権の実効的行使」は、追跡権の要件の厳格さや些細な内容に至るまで、キメ細やかな考察と決定を行うためには、必ずしも有用ではないともいえるのである。少なくとも、「沿岸国管轄権の実効的行使」の意義をあらためて検討することが求められよう。追跡権をめぐる最近の国際実践に鑑みても、その必要性が認められるのである。
 そうした最近の国際実践としては、以下の二つのタイプの実践を考察する。
 第一に、追跡権は、第三国領海に被追跡船が逃げ込んだ時点で終了するが、二国間条約あるいは特別条約を基礎として、被追跡船が第三国領海に逃げ込んだときに、当該領海内で追跡を継続して行使する実践である。他国領域内への管轄権行使の伸張(逆方向追跡権?)である。第二に、追跡権の実践と解される例であっても、従来の追跡権関連規定が想定していたとはいえない実践が展開している。それらは、3900マイルにもおよぶ長距離の追跡であり、もともとの追跡国の船舶に複数国の船舶が加わって協力するという「多国籍」追跡である。
 これらの実践は、条約に基礎をおき当事国間のその適用に限れば、さしあたり、国際法上の問題を提起することはない。けれども、第三国が関与すれば、一般国際法上の通航権(公海における航行の自由、領海における外国船舶の無害通航権)との整合性がただちに問題となる。とくに、条約を根拠として、追跡が被追跡船の旗国以外の国の領海に及ぶことが、当該領海沿岸国と追跡国との間で合意されているとしても、被追跡船の当該領海における無害通航権と追跡国の権利との関係という問題が残る。
 それのみならず、これらの実践は海洋法の基本構造に関わる問題をも惹起する。
 第一に、海洋法における海域単位と事項を基準とする権利配分という構造との関連で、これらの実践がもつ意義である。追跡権は、領海沿岸国の執行管轄権だけが公海へおよぶという点で、それ自体がすでに、海域単位での権利および管轄権が配分されている海洋法の構造に対する例外である。他方で、国連海洋法条約では、接続水域、排他的経済水域(以下、EZ)、大陸棚という「機能的」海域が設定されており、それらからの追跡権が国連海洋法条約により承認されている。(6)したがって、これらの「機能的」水域からの追跡権は、「二重の意味」で、海域単位での権利配分という構造に対する例外である。この点で、第三国領海への追跡権の継続的行使は、あらたな「機能的」権利配分を導入するのだろうか。
 第二に、伝統的には、追跡権はもっぱら沿岸国管轄権行使の実効性を担保する制度であり、その意味で沿岸国保護の意義をもってきた。けれども、違反漁業や麻薬の違法取引取締りの分野に追跡権の実践が集中しており、かつ、これらの事項がもつ性質に鑑みると、追跡権が国際共通利益の実現という意義をも帯びることになるのだろうか。「多国籍」追跡は、そのような意義において評価されるのだろうか。
 これらのいずれの点についても、追跡権制度の根拠である「沿岸国管轄権の実効的行使」の意義の再検討が不可欠で重要となるのである。
 
1 追跡権行使の要件その1: 「法令違反」
(1)国連海洋法条約111条の法令違反の解釈
ア 国連海洋法条約111条は、「法令に違反した」と規定するのみである。その解釈としては、軽微な法令違反も含むとされている。(7)また、違反される「法令」についても、特に限定はない。したがって、漁業・環境関連法上の実体規定の違反(無許可の漁業、油の排出など)であっても、あるいは、立ち入り検査を忌避・妨害した場合のように、立ち入り検査規定に対する違反であっても、国連海洋法条約上は、とくに区別なく111条にいう「法令」とその「違反」に含むことは解釈として否定されない。
イ 日本の1999年の不審船事例でも2001年の工作船事例でも(8)、漁業法と、EZにおける漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律(以下、EZ漁業法)違反の疑いを理由に当該船舶に停船命令を発したところ逃走したために、漁業法74条3項の検査忌避罪が成立し、かかる法令違反「も」根拠として、追跡権が行使された。(9)
ウ 領海内で、対象船舶による漁業法違反の疑いには必ずしも十分な理由がなくても、停船命令を発したところこれに従わずに逃走した外国漁船を、同じく検査忌避罪を根拠として、公海まで追跡する例を想定して検討してみる。(10)領海では沿岸国は包括的に主権をもち、特定事項に関する実体的規定の違反にとどまらず、取締り規定に対する違反であっても、それは、(漁業に関する沿岸国の主権は必ずしも害さなくても)、沿岸国の秩序を侵害しているのであり、追跡権行使を沿岸国に認めることに、合理性がないわけではない。ただし、領海内の外国船舶の無害通航権との関係が問題として残る。
 当該外国船舶の行動が、国連海洋法条約が19条2項に列挙する事項に該当しない限り、かつ、18条の通航要件をみたしている限り、通航の無害性を否定するためには、19条1項により沿岸国がこれを立証する必要がある。あるいは、国連海洋法条約25条により無害ではない通航を防止する措置として、停船命令を根拠づけることができるのであれば、それに対して当該船舶が逃走した場合には、取締り規定違反を根拠として沿岸国による追跡権行使を認める余地はある。この場合には、25条にいう無害ではない通航を「防止」する措置として停船命令を根拠づけるだけの事実状況の立証が必要となる。
エ 2001年の工作船事例では、「EZ漁業法5条1項の違反のおそれがあった」という公式の発言が国会でも繰り返しなされた。(11)けれども、漁船としての形状の異常さや、1999年不審船事例における船舶と同種の形状であることが追跡以前から判明しており、それ以上に、当該船舶が違法漁業を行っていたとか行うおそれがあったなどの、合理的な疑いを裏付けるような「信ずるに足りる十分な理由」が、公式な見解として明らかにされたとはいえない。それにもかかわらず、EZ漁業法とEZ漁業法施行令によりEZにおける外国人漁業に適用のある漁業法74条3項を根拠として、停船命令に従わず当該船が逃走したことをもって検査忌避罪を認め、日本による追跡権行使が行われた。
 原則として沿岸国が領域主権を包括的にもつ領海とは異なり、EZでは沿岸国は漁業という事項に関する主権的権利をもち、国連海洋法条約62条4項Kは、沿岸国の法令制定権に含まれる事項として「取締り」を規定する。沿岸国の主権的権利が限定されており、あくまで限られた事項についての権利行使の実効性を担保するという趣旨で62条4項Kを解するべきである。そうした趣旨からして、実体規定であるEZ漁業法5条1項違反のおそれについて、十分な理由が説明されないにもかかわらず、停船命令を発してみてこれに従わず逃走したことをもって検査忌避罪の成立を認め、これを(も)根拠とする追跡権をEZから行使することについては、疑問が残る。これについては、すでに別の機会に検討したので、ここでは問題の指摘にとどめておく。(12)
オ これらの検討と関連しうるのは、海上取締り船舶や軍艦に遭遇した「だけ」で外国船舶が「逃走」するような場合に、この「逃走」をもって、「法令違反を信ずるに足りる十分な理由」があるとし、停船命令を発してもなお逃走すれば、これを追跡することができるかという問題である。(13)領海については、上記のように、取締り規定違反によっても、追跡権の行使が認められることに合理性と理由がある。ただし、無害通航権との関係では、無害性を否定しない限りそもそも停船命令を発することが、無害通航権の侵害にあたりうる。それも先に明らかにしたとおりである。
カ 領海に不審船が存在しており、国連海洋法条約18条の通航要件を満たしており、かつ、19条2項のいずれかの態様に該当する行動を行っているとか行おうとしていることを疑うに十分な理由がなければ、19条1項により「沿岸国の平和・安全又は秩序を害する」として無害ではないことを沿岸国が立証しない限り、当該船舶の航行を無害ではないとはいえない。さらに、沿岸国法令の違反を疑う十分な理由もない場合には、沿岸国は追跡権を行使することはできない。(14)
 日本の国内法令の観点からすると、行政警察権の行使として、法令の励行のために立ち入り検査をする場合がある。それは、漁業、環境などの関連の国内法令における立ち入り検査規定とともに、海上保安庁法の17条を根拠としうる。立ち入り検査は、「ある特定事項の確認が必要であると判断される外見的な状況または事象」が存在する場合に行われうると解されているが、取締官の裁量の余地が残る。(15)
 国際法上は、「ある特定事項の確認が必要であると判断される外見的な状況または事象」が存在する場合に、かつ、取締官の裁量をもって停船命令を発して立ち入り検査を外国船舶に対して行うことは、それらの措置が、国連海洋法条約25条の無害ではない通航を「防止」する措置として認められない限りは、無害通航権の侵害にあたる。不審船が、通航要件を充足しており、国連海洋法条約19条2項に該当する行為や沿岸国法令の違反の疑いに十分な理由がなく、19条1項により無害ではないことを沿岸国が立証できないのであれば、当該船舶の無害性を否定することはできない。また、法令違反の疑いに十分な理由がない以上は、沿岸国は追跡権の根拠ももたない。というよりも、そもそも、追跡権を行使するために当該船舶に停船命令を発する必要があるが(国連海洋法条約111条1項、4項)。その停船命令が当該船舶の無害通航権を侵害することになる。
キ 加えてこれらの事例(想定事例)に関連するのは、領海内で法令違反を行った外国船舶が、一旦領海を出た後に再び領海に入った場合に、これを領海沿岸国が追跡することができるかという問題である。無害通航権との関係では、当初の法令違反が通航の無害性を否定するものであり、一旦領海を出たことによってかかる法令違反が治癒されると擬制しない限りは、領海沿岸国は、当該外国船舶が再び領海にはいったときにこれに対して、国連海洋法条約25条1項の措置をとることはできる。(16)また、追跡権については、そのような執行措置をとろうとしたところ、当該外国船舶が逃走したときに、この「逃走」をあらたな法令違反と構成することができれば、それに対する執行措置の実施および追跡権の行使を考えることはできる。(17)
 他方で、追跡権にのみ焦点をあてると、(再び領海に入域した後に、執行措置を忌避しようとして「逃走」することをあらたな法令違反と構成しないで)、かりに、当初の法令違反に対する追跡権を認めるとすると、追跡権の要件として伝統的に認められてきている「即時性」の問題が残る。項をあらためて、以下にこれについての検討を行う。


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