優秀観光地づくり賞
登米市登米町
武家屋敷通り
[受賞理由、高く評価されたポイント]
地域住民の居住空間整備も合わせ、粘り強い努力で落ち着いた町並み景観を整備している。
[活動概要]
登米町は、明治維新までは登米伊達藩の城下町として栄え、明治維新後も岩手県南の地域政治、経済、文化の中心地でした。しかし昭和40年代の高度経済成長からは取り残され、過疎化が進行する中で地域の活力が低下してしまいました。
このような時代の変遷を経て、昭和60年5月に隣接する過疎の町4町でミニ独立国「みやぎ北上連邦」を建国。それぞれの町の特性を生かし、活性化に取り組むこととなり、登米町では「みやぎの明治村」をメインテーマに位置付けました。町内に残存している歴史的建造物の保存復元を行い、後世に伝え残すとともに、美しく調和の取れた町並みで地域の活性化を推進するため、昭和61年度には学識経験者、町内の文化財保護委員、成年会、婦人団体代表者などの構成員による「町並み保存懇談会」が設置されました。
昭和61年度以降、明治時代に建造された当時としては全国的にも珍しい洋風学校建築を代表する建築物で、現在登米町の観光施設の中心施設でもある旧登米高等尋常小学校校舎(現:教育資料館)や、旧登米警察署庁舎(現:警察資料館)、江戸時代から残されていた武家屋敷(現:春蘭亭)等の整備を行いました。
このような整備を行う一方で、「地域に根ざした住まいづくり」をテーマに実施されていた建設省の地域住宅計画(HOPE計画)の指定を受け、将来に継承し得る質の高い居住空間整備のための計画を作成し、良好な地域社会の形成を目指すこととなりました。この計画の中で町並み景観整備方針が提案され、古くから残る伝統的な町並み景観を大切にし、景観に配慮した建築のあり方を地域全体で理解し、積極的に推進することとなりました。平成5年度からは町単独事業として「登米町まちなみ景観整備事業」を実施しており、町並み景観に対する地域全体の意識の高揚につながっています。
警察資料館
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