ただ私の場合、ものすごく船酔いします。いまリブ号の航海が出ていますが、港を出てすぐに船酔いするのは私です。真っ先に船酔いして、これはどうしようもない。太平洋のときも5日間くらいずっと船酔いで、3日間くらいはベッドに倒れていました。3日か5日くらいすると、船に体が慣れます。そうすると船を降りるまで二度と船酔いしませんでした。降りて陸上の生活をしてまた乗ると戻ってしまいますが、どんなに台風の中でも、逆さになっても、何をしても、お料理をしても、油ものを食べても、お酒を飲んでも、全然船酔いはしませんでした。
皆さんも3日だけ死ぬ思いでがまんをすれば、それ以後はだいたい大丈夫です。ただ、3日か4日で終わってしまう航海は一番困りますね。船酔いしたままで終わってしまう。ですから長い航海を選んでいただきたいと思います。私の場合、外洋レースは3日か4日で終わってしまうので、いつも船酔いしている間に終わってしまいます。
問題は船酔いするかしないかではなく、船酔いをしていても船の自分の作業ができるかどうかというところにいくと思っています。私たちの船では、このオレンジの女の人も船酔いするのですが、船酔いセットというのがあります。皆さん船に乗る前には船酔いセットを用意してください。船酔いセットというのは、ビニールの袋です。それをすぐに開くようにしておいて、あらゆるポケットと、自分の立ち回り先のあらゆるところに置いておきます。トイレにも、ベッドにも、座るところにも、あらゆるところに置きます。
それで船酔いをして、気持ち悪いと思ったら、それをパッと出してピュッと吐きます。男の人はお気の毒だと思うのですが、なぜか男性は船酔いをして人の前で吐くというのは沽券にかかわると思っているところがあるようです。女はなぜか沽券というものがないんです。すごくラッキーだったと思っていますが、沽券がないので、酔ったら吐く。吐くととりあえずすっきりしますから、酔ったら吐くということを絶対にやる。
それから船酔い食を探しておく。酔っても食べられるものというのは必ずあるはずですので、自分で見つけてください。私はお煎餅とか、すごく変な顔をされますが、カロリーメイトのフルーツ味というのが食べられます。それとぬるま湯を飲む。酔って吐いたらそれを入れる。また吐いたらそれを入れるというようにして、胃を空っぽにしないようにしています。人によっては梅干だったり、レモンだったり、お煎餅だったり、不思議な人はカップヌードルだったりします。それぞれ自分の船酔い食を持って船に乗ります。
酔っ払ってもピュッと吐いて、片手でお料理したり、リブ号の女性クルーたちはそういうことをしています。それができれば、かなりしたたかなベテランというようになります。その場合、吐く場所とフライパンの場所を間違えないように、フライパンのほうにやらないように気をつけないといけない。それだけは気をつけています。ですから船酔いは陸に住んでいる人間の仕方がないことで、仕方がないと思うことも大事だと思います。
もう一つ言いますと、船を動かす要員ではなく、お客さんで乗る場合、船酔い薬も自分の体に合ったもので効くものがあります。固有名詞を挙げると、トラベルミンなどは私には効きませんでした。ただ、アメリカに行ったときに、日本ではまだ売っていなかった船酔いの薬をコーストガードの人から勧められて買いました。いまそれは日本でも売られていて、私にはすごく効きます。
でもお客さんで乗る場合は飲みますが、ヨットに乗る場合は飲みません。なぜかというと、ちょっと違う感覚になってしまうんです。船酔いをしていても感覚はノーマルです。ですから揺れているときとか、作業をするときに、判断力、六感まで含めた感覚はノーマルです。だけど船酔い薬を飲むと、その上に一枚カバーがかかったようになって、ちょっとテンポが遅れたり、反応ができない部分ができてしまいますから、怖いのでヨットに乗るときは飲みません。客船に乗るときは、飲むときもあります。取材で客船に乗ったり、貨物船に乗ったりするときは、状況によっては飲むこともあります。そんなことでやっています。
次に日本周航の航海を駆け足でやります。先ほど申し上げたように、私たちは78年から日本の歴史を回る航海をしていますが、これは女の人を中心にしたクルー編成で、たとえば子供を抱えている人は女性のクルーで、クルーになってリブ号に乗ったあとで結婚して子供ができました。これは彼女の郷里の紀州の港に入ったときのものです。男の人が後ろでうつむいているのは、リブ号の上で男性がいじめられているからではないなんです。たまたま彼が下を向いただけで、男性クルーも大変大事にしていますので、そのへんは誤解のないように申し上げておきたいと思います。歓迎もしていますので、どうぞ。
78年から長い間回っていると、日本というのは言葉ではなく海の国だというのを感じました。これは下関の、平家800年の航海のときの様子です。この女の子たちは固有のクルーですが、私たちの船はクルーのほかにたくさんのゲストの人たちにお乗りいただいています。地元の人が自分の港から次の港へ乗っていったり、地元の高校生を乗せたり、地元の新聞記者とかメディアの人を乗せたり、興味があって乗りたいと言ってきた物好きな人たちは、乗せられる限り全部歓迎して乗せています。
このときは外国からの人も2人乗っていました。たまたま外国のヨットの人が日本にバックパックで来ていて、タイミングよく電話があったので、一緒に乗りましょうと言って乗りました。海の上のすごくいいところは、狭いところで一緒に航海していても、ヨットに乗っている人たちは言葉が通じなくてもお互いに窮屈を感じないで一緒に生活ができてしまいます。
私たちは港にたくさん寄るので、昼間走って夜港に入るという航海の方法をしています。日本の沿岸は魚網が大変多くて、それは海図には書かれていない。そしてライトがついていない。仮にライトがあったとしても、海が荒れていた場合は大変危険であるということで、基本的には昼間走って、夕方になる前に港に入るという航海を続けています。したがって夜に港へ入ってから、地元のお酒とか、地元のおいしいものを探してきて、ヨットの上で調理をしていただくということをしていました。これはたまたまお酒が重なっただけで、決してドランカーセイラーではありません。お酒で乾杯している人もいれば、そうでない人もいます。
後ろがごちゃごちゃしていますが、この後ろは二段ベッドになっていて、ここもベッドです。前も二人分のベッド、こちら側も上のベッドと下のベッド、手前の奥のほうがクォーター・バースというところで、コックピットの下は片側がベッドになっていて、片側が物入れになっています。9メートルのヨットで7人寝られます。ただ、ベッドが小さくて、本当に棺おけのようなかたちですが、そのほうが体がゴロゴロと動かないのでいいんです。なまじっか広いと傾いたときにゴロゴロとなってしまうので、体が固定されるほうが安定するというので、ベッドは小さいです。そこにシュラフと毛布を使って、シーツだけは自分のものを持ってきて使うようにしています。手前にあるのが台所で、非常に小さい台所です。
日本が海の国だというのは、航海そのものでも検証したのですが、航路がたくさんあるということ、それからもう一つ、地方に行くとそれぞれの海の文化がちゃんと根づいて、いまでも生きている。知識とか伝統、食べ物、風習、そういうものにしっかり生きています。これは男性、女性、子供にも生きていて、そういうところをとても強く感じました。
それと周りを航海してみて、すごく船が多いんです。特に伊豆半島の石廊崎から東京までは、ハイウェイで言うと一番にぎやかなハイウェイにあたるところで、夜間に航海すると航海灯が点々と連なっていて、本当にハイウェイという感じがしました。そんなふうにして日本の周りをものを運ぶベルトが取り囲んでいて、その一つひとつの航海灯の後ろには、ヨットの場合は4人くらいですが、何人もの船員の人たちが夜中も眠い目を開けて見張りをして、安全に荷物を届けるという仕事に携わっているという、生きている人間の鼓動を一つひとつの航海灯の後ろから感じました。すごく人の息吹きを感じられて、とても感動しました。
そんなことでリブ号の歴史航海はいまでも続けていますが、まだまだ回っていない航路がたくさんあるので、続けたいと思っています。これは靹ノ浦という歴史的な港です。いまこういう歴史的な港はだんだんなくなってきています。入り口のところになぜか知らないけれども大きな橋ができてしまったり、雁木の歴史的な岸壁をコンクリートにして埋め立ててしまったり、水辺にあった白壁の土蔵が水辺から離れた奥に入ってしまって、景観的にはかなり壊されています。
港の機能としても、それだけの広い場所が必要なのかどうかというのは、それを使ってにぎわっていると思えないような様子もずいぶん見てきました。ですから港に関しても、日本の歴史的なもの、なぜそこにそういうものが必要だったかということをきちんと考えて港をつくる。自然を壊さないで港をつくることも大事だと思いました。日本を回ってみますと、本当に緑がきれいです。
これは全部お話ししたことですが、位置を出す航海術、それから操船作業です。セールを自分で作業したことと、オートパイロットと連動したアラームが付いているということが違います。それから安全情報も、いまはそういうかたちでいろいろ自動的に入ってきます。それから安全の確保も、いまは自動的に自分の位置を知らせてくれます。最近、誘拐事件なんていう嫌なことがありましたが、あれはGPSで自動追尾ができるようになっています。
GPSではなく、アルゴシステムというフランスとアメリカで開発したシステムがありますが、それをレンタルして船に載せておくと、四六時中船の位置がわかります。船が動いていれば、もちろんプロットされる位置も動いていくわけで、それで安全かどうかもわかります。それとボタンを押すだけで船の状態が通信できるようなシステムになっています。いまは嵐の中とか、気象情報も送れるようになっているというすばらしいシステムもあります。
世界一周レース、シングルハンドレースに参加するヨットはアルゴシステムを必ず積んでいて、アルゴシステムのために助かったという例がたくさんあります。救助の船が行き着いて救助されたというケースがたくさんあります。非常にいいシステムなので、どんどん使うといいと思いますが、日本の場合、法律的なバリアがあって、外国ならば五、六万で使えるところ、日本の場合は申請して許可を得て、何やかんやでエキストラのお金が10万とか20万かかってしまいます。そのお金は誰が取るのか、皆さんよくご存じだと思いますが、いずれにしてもそんなことで世界標準からはずいぶん遅れていると思いました。
もう一つ、そのほかとして船の素材がずいぶん変わっています。カーボンファイバーを使った軽くて丈夫なロープができたり、セールのクロスも軽くて丈夫になったり、マストの素材や船体の素材も軽くて丈夫なものができるようになっています。そういうことでずいぶん変わってきていて、航海の様子はずいぶん違ってきていると思います。ただし、そういう中でいまでも昔と同じような航海をしているヨットもたくさんあります。
これはマストに登ってレース前の点検作業をしているところです。日本でマスコミの話題になるようなときは、最年少とか最年長といったことが多いですが、たとえば中学生が太平洋を渡ったということに関して、私はこれはかなり疑問だと思っています。1人で航海する場合、自分で社会的に責任が取れる年齢とか立場になってやるべきことだと思います。
それと中学生の航海の場合、航海中、本当に怖くなって、SOSブイを何度も押したと言います。何度も押しているうちにサンフランシスコ湾に入ってしまって、サンフランシスコ湾の中でもSOSブイを押したと言います。ただ、SOSブイが作動しなかったために湾の中に入って、コーストガードが「何ですか」と来て着いたというのが実態だったんです。これはラッキーだったと思います。ですからそれを最年少記録とか、そういうかたちで航海と言うのは、本人の安全のためにも、海の文化のためにも問題かと思っています。
最近、台風とか災害とかいろいろあるので、ご参考までに駆け足でいきますと、これは船の安全備品です。フレアーとか救急用品などを積んで航海します。これはSOSブイです。これはオイルスキンと言って、海が荒れているときに着るものですが、これにライトとか自動のブイとか、反射テープとか、ライフベルトとか、いろいろなものがユニットでセットされています。ですから落水したりしても、それで助けられやすくなるような工夫がされています。そういうものをレースのルールで積んで長期航海とか外洋レースなどが行われます。
これはリブ号の航海とは直接関係ないのですが、日本の外洋ヨットでグアムレースというのが何年か前にあって、92年のグアムレースで14人が亡くなったという悲劇がありました。外国のレースでもたくさんそういうようなケースはあります。1998年のシドニーホバートレースの事故の記録は本としても残って、貴重な記録になっています。このときは風力10を超えるしけになったそうです。しけの中で波は80フィートという記録も残っています。
ヘリで救助されたのですが、救助中、80ノットを超える風が吹いたという状況の中で、船が遭難したり、ヘリコプターによる救助がされたりしました。このとき115隻が参加して、参加人数は1135人です。115隻の中で安全にフィニッシュしたのは44隻です。風力10の中だったのですが、沈んだ船は5隻に済みました。亡くなった人の数は6人ということで、先ほどのグアムレースと比べるとずいぶん違う人数です。これは悲劇ではありましたが、被害がそれだけ少なくて本当によかったと思っています。たくさんのヘリコプター、救助ヘリとか海軍のヘリとか、いろいろなヘリが出て救助しました。これもそのときの様子ですが、マストが本当にしなうくらいすごい状況で、真横になりながら、海は波がこんなかたちになるような状況です。
この前の1979年にファストネットレースというイギリスのレースがありました。これは夏、8月に行われたレースで、このときのヘリコプターの救助の様子ですが、このとき参加した船は303隻、シドニーホバートの倍くらいでしょうか。フィニッシュした船が85隻、リタイアした船は194隻、沈んだり、あるいは放棄された船が5隻と非常に少なかったと思います。亡くなった方は15人という、これもものすごい災害にしては非常に少ない人数だったと思います。
救助システム、救助の方法がずいぶん違うんです。私は現場にいなかったので何とも言えないのですが、台風のときに洪水で流されそうになって、バスの上で一夜を明かして幸いに全員助かったのですが、暗い中で風雨があったとしても、ヘリコプター救助の方法はあるのではないかと思います。暗ければサーチライトを照らせばいいわけで、陸上で夜の火事のときは必ず巨大なサーチライトが何台も出てきて、昼間のように明るい中で消火作業がされます。そういうことを考えると、水の上の救助の仕方を国際的なところに目をやりながら、具体的に訓練する必要があると思います。
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