そうしている間に、ここに舵があるのですが、私はいま舵には触っていません。舵からロープが出ていますが、後ろにあるウインド・ベーンという装置があって、オートパイロットではなく、風で舵を取る装置で舵を取っています。このベーンが曲がっているのは、この風をこの方向から受けたときに舵がまっすぐになるように調整してやっているということです。たとえば仮に北から風を受けて西へ進むようにセッティングしておくと、風が南に変わった場合は知らない間に船はもと来た道、まったく反対の方向を向いて走っているということになります。ですから風向が安定していない場合は起きてずっとチェックしたり、見張ったりするということが必要です。
もちろん夜中もこういうかたちで走っています。ヨットの航海の場合、夜は1人だと寝てしまうのですかと聞かれるのですが、海上で船を止めることは大変危険なことで、走っているのが船にとっては一番安全な状態ですので、船は24時間走らせています。もちろん眠ります。原則としては夜眠るようにしたのですが、お天気が安定しているときは3時間から4時間くらいで目覚ましをかけて起きるようにして、昼間は起きて作業をしました。夜どうしても起きていなければいけなかったときは、昼間代わりに眠るようにしました。
これはお風呂がないので、海水で体を洗って、体を乾かしながら天測をしているところです。皆さんは飲むお水とお風呂をどうしましたかとお聞きになりますが、お風呂のことを聞くのはすごく日本的だといつも思います。お風呂は私は大好きで、リブ号の日本周航航海のときも、できるだけ港の近くに温泉があるところを選んで入るようにしましたが、基本的にはお風呂に入らなくても死なないというか、それも飛躍した考えですが、一生お風呂に入らないで死んだという症例はないようですので、安心しています。
ただ一応、海水でも使える石鹸を持っていって、何か機会があったら入ろうと思っていました。ただ、スコールで入ると、スコールというのは真水ですが、とても冷たくてかぜをひいてしまうからやめなさいと漁船の人から言われていたので、それはやめました。天気のいいときに海水をバケツで汲んで、沐浴というかたちをしました。すごく不思議なのですが、海水用の石鹸を使って、海水だったのですが、全然ベタベタしませんでした。髪も洗ったのですが、いまだにどうしてなのかと不思議に思っています。
これはリブ号ではないのですが、こんな形のこんな狭い船の上でこうやって位置を出してナビゲーションしていますというのをご覧いただくために、ほかのところから撮りました。子供と一緒に航海しているところで、コンパスでやっています。こんな狭いところでこんなふうにいつも見ながらやります。
先ほど夜は4時間ごとにというお話をしましたが、航海を重ねていくと、不思議なことに目覚ましを使わなくても、風向が変わったり、風の強さが変わると、自分で勝手に目が覚めてパッと起きてしまいます。もう一つパッと気がついたのは、ハワイが見つかるときに、予定していなかった時間に陸地が見えたのですが、そのときにとても変なにおいがしました。船内で作業をしていたのですが、変なにおいがして、飛び出したら遠くにハワイが見えたということがありました。
なぜにおいがしたのか、いまだにわかりません。とにかく人間が本来持っている六感まで働かせて、人間というのはすごい才能と能力があると思います。私がということではなく、人間一般の問題ですが、それがかなり眠っているのではないかと思います。1人で航海を始めて、非常な緊張の中で毎日時間が経っていくにつれて、動物として人間が本来持っていたもの、都会の生活ではカバーされていたものがはずされて、生きるためのいろいろなもの、自分の中に眠っていたものが起こされているという感じがすごくしました。
私は航海を通してずっと怖かったんです。怖いというのは、半分はいつも緊張があって、半分ではいろいろなことを考えたり、行動したり、寝たり、ご飯を食べたり、いろいろなことをしていました。そのストレスがとてもよく作用したと思います。いいストレスと悪いストレスという単純な言い方をしていいのかわかりませんが、ストレス、緊張というのは動物が生きていくために絶対に必要なものだと思いました。
それが前向きに自分で選んで、そういう環境に行って、自分で選んでこういうことをしようという目標があった場合、環境に合わせていろいろなものが出てくると思いました。ヨットに乗って海に出ることを、たとえば荒れた海に出て人様に迷惑をかけてとか、そんなことをわざわざしなくてもとか、いろいろなことを言う人もいますし、もちろん陸上にいれば安全なわけです。
しかし、私はそのへんのところが一つのキーになるのではないかと思います。日本だけではなく、世界のどこの国でも海に出たいと思って一生懸命お金を貯めては自分で船を買って出ていって、いろいろなことをしている人たちがいまでもたくさんいます。いま世界で一番厳しいと言われている、フランスから出発してフランスへ戻る世界一周レース、ヴァンデ・グローブというレースが行われています。
11月にスタートしたばかりですが、大西洋を南下して、南極大陸を一周して大西洋を北上してフランスまで戻るという、シングルハンドレースの大変厳しい、世界一厳しいレースです。これをフィニッシュできる船は本当に少ない、フィニッシュできただけで名誉なことだと言われるレースがいま行われています。そのほかにも家族連れでクルーズをしていたり、いろいろなことをしています。それは人間の根源に触れる何かがあるから、いろいろなかたちで海に出て行くのだと思います。
これは沖縄の近くで、間もなくフィニッシュというときです。ここにバケツが下がっていますが、これはきわめて重要な船の備品です。もちろん水を汲んでウォッシュデッキをするのにも使います。それからこれで水を汲んで食器を洗ったり、洗い物をするのにも使います。もちろんこれそのものではなく、バケツは別のバケツですが、きわめて重要な用途があるのですが、何だかわかりますか。
私はこれを近代的便宜式トイレと呼んでいるのですが、船のトイレというのは、なぜかいつも壊れるんです。基本的に船のトイレは水洗トイレです。水洗といっても、プレッシャーポンプで自分で圧をかけて流すトイレですから、トイレをするたびに船酔いするというケースがあるので、みんなトイレをがまんしてかえって船酔いしたりというケースがけっこうあります。
狭い個室に入って大変な作業をしたあと、全部終わったあとで50回くらい「はあ、はあ」言いながらポンプをしないと出ていかないんです。そんなことがあるので、リブ号のトイレも出航後すぐに壊れてしまったので、簡易式文化トイレというものを使いました。きわめて快調で、便利です。震災のときにももしかしたら役立つかもしれません。周りを毛布か何かで囲えば座っていれば見えませんし、丈夫でちゃんと座れます。そのあと処理をするのにもすごく便利で、持っていって林の中とか川へ処理するとか、非常に便利なので、これは震災グッズに入れておくといいといまでも思っています。
これは沖縄の近くを走っているときです。セールの風がちょっとまずいですけれども、沖縄の近くを走って、もうすぐフィニッシュというときです。これから一昼夜ほどしてフィニッシュしました。沖縄に入るときが一番大変でした。24時間以上全然眠れない、ほとんど仮眠、うとうととするくらいでした。
これは沖縄海洋博の会場にフィニッシュするときです。夜でしたので真っ暗でしたが、こんな感じでフィニッシュしました。いまは取り壊されてしまったアクアポリスという名前の構築物を見通す線をフィニッシュラインにしていました。海の上の場合、線を引けないので、二つのポストを決めておいて、その柱と柱の間を見通すとフィニッシュした、あるいはそこを横切ったというように確認します。
そんなふうにして見ますから、ヨットレースの場合、ゴールとは言いません。ゴールはないので、フィニッシュという言い方をします。もしマスコミでゴールと言っている人がいたら、あの人は何も知らないと思って、優越感を味わっていただきたいと思います。スタートとフィニッシュですから。そういうことで無事にフィニッシュしました。
いまの航海術とどこが違うかというのをリストにしたものもあるのですが、画面がうまく見つからないのであとで申し上げます。いずれにしてもこのときの航海術というのはそういうことで、原則に則ったやり方をしていたので、いまとは全然違うということです。そういうお話を中心にしました。
そういうことで無事に太平洋から帰りました。寝るのはそういうかたちで寝て、心配事はそうやって解決して、大変幸運にも無事に帰ってくることができました。水の問題と船酔いの問題、泳げないという問題、この三つがありますが、泳げないという問題に関しては、自分の無能を脇に置いて言いますが、教える人がすごく大事だと思いました。泳げれば楽しいかと思って、水泳教室に何回か通ったのですが、結局泳げなくて、しょうがないと思いました。
どっちみち泳げても太平洋を泳いで渡るわけにはいかない。船から落ちたら泳いで船に追いつくこともできないだろう。したがってこれはしょうがないと思って、航海の安全のためには必ずライフラインを付けて、落ちないようにする。それが基本問題だということで解決することにしました。泳げないこと自体は私は怖くないんです。ライフジャケットを付けて水の上でプカプカ浮いたりするのは大好きで、何かにつかまって浮いているのも好きですし、水は好きなんです。
これは余談ですが、2、3年前にまた思い立って水泳教室に行きました。泳げない間もプールには行っていました。ビート板を持って足をバタバタすると美容にいいということで、美容方面から頑張っていましたが、2、3年前にまた水泳教室に行ってみようという気になって行きました。そうしたらたまたま30代の若い女性のコーチだったのですが、日本泳法もやるというコーチに会って、その方が非常にやさしく教えてくれたんです。教え方がすごくよかったので、運動能力が低い私も1週間の水泳教室が終わるころには25メートル泳げるようになりました。
その先生は非常にやさしくて、一番教えてくれたことは、水と体を慣らすことです。横になってごろごろしたり、でんぐり返ったり、水と体の関係を体で覚えるようにしてくれて、そういう中で息継ぎの方法も教えてくれました。それができるようになると、手を引いてクロールをやりましょうと教えてくれて、安心して「ああ」と思っていたら、そのうち手を離しても浮かんで泳げるようになりました。
そうしたら後ろのほうに回って、息が苦しくて、水を飲んでしまったので立とうと思ったら、足をガッと押さえて立たせてくれないんです。そのときやさしさの裏にある厳しさを水を飲みながら思いました。とにかくそういうことで泳げるようになったんです。ですから教える人の素質といいますか、教え方というか、どういう人とめぐり会うか、人というのは本当に大事だと思いました。
泳げるようになったので、ステップアップで上のコースに行きなさいと言われました。上のコースは大学水泳部上がりの男の子だったのですが、その人のクラスに入ったとたん、全然上達しなくて、おもしろくないので自主的にやめて、自由水泳に切り替えました。でもいろいろやった結果、いま浮かんでぶらぶらして行ったり来たりするだけでいいというならば、スピードを問題にしなければ、500メートルくらいはできるようになって、いまでも楽しいと思ってやっています。
これは真水です。真水は医学的には1日1リットルから2リットル必要だと言われています。そうすると60日で1リットルだと60リットル、2リットルだと120リットル、20リットルのポリタンクで6個あれば足ります。それに予備のもの、たとえば遭難した場合などを想定して、予備の水を300リットルくらい、予備としては多すぎるくらいですが、備え付けのタンクに入れました。
それと太平洋の貿易風帯コースはスコールが来るところですから、真水に関しては何も心配しないということで、水はまったく心配しませんでした。ほかにミルクとかジュースとか果物など、水分のあるものがありますから、それもお水と換算できます。それとドクターに言わせるとビールは水として換算してはいけないと言いますが、私はビールも水と換算して毎日おいしくいただきました。
あと船酔いですが、この船は泊っているので全然揺れませんが、結論から言うと船酔いというのはしょうがないと思いました。たまたま船酔いについてという長い記事を書くことになって、いろいろ調べました。海上労働研究所の人に聞いたり、いろいろなところに聞いたのですが、一つだけ方法があると言っていました。何とかという何%かの水溶液を船に乗る少し前に注射して、それを2回繰り返すと船酔いはしないということで、海員学校とか商船高専の生徒たちなどに実験もして、実際にその効果はあったそうです。お知りになりたければ、あとで自分の書いた記事を見ますから、具体的なことはわかります。海上労働研究所のドクターがそういう方法を考えて、実際にやったそうです。それはたぶん有効だと思います。
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