なぜなのかいまだに不思議なのですが、両側に港の防波堤があって、入り口を示すライトがあって、真正面に漁協があって、漁協の桟橋が出ている。その前は何もない。それでまっすぐ入っていったら、一文字に沈んでいました。それも満潮とか高潮だから沈んだという感じではなく、1メートルくらい沈んでいました。喫水が1.5メートルくらいありますから、引っ掛かってしまう状況でしたが、とにかくそれは助かりました。そういうケースがあるので、入港のときは慎重に走っていきます。
しかし、みんなが見ていたのにものすごい衝撃で、ガガガッという音がして、乗り上げた音がしました。あわててエンジンを切って、状況を見て、ロープなどはなさそうだからバックに入れて、何事だろうと思ったら、上からバサッという音がして電線が落ちてきました。それでみんなビックリして、それから出入港のときは水中だけではなく、上空も見張りながら航海しなければいけないと思いました。
岸壁と岸壁の間を電線が通っていて、とにかく大変なので、すぐに一升瓶を持って漁協に謝りに行ったのですが、ぶつかる人が多いようで、誰がぶつかったのかわかりませんが、ちゃんと留めていなくて、フックになっていて、衝撃があったらすぐに落ちるように簡易な留め方をしていると聞いて「おやおや」と思いましたが、それ以来、港に入る前は空中も見て、水中も見てという、なかなか立体的な航海ができるようになって、大変いい体験をしたと思っています。
そんなことで1975年に航海した人間と船はこんな感じです。マストの長さは10メートルくらいですから、1辺が10メートルのセールを扱うということです。自分の力でセールを上げたり降ろしたりします。このときの航海はエレクトロニクスを使ってはいけないというほかに、ほとんどの船が自分でロープを引いてセールを上げたり、セールを転回したりということをやっていました。いまはコックピットと言って、操縦席からロープを一本引くと、それでセールが出たり開いたりしますので、船首まで行って取り込んだりということをしなくても作業ができるという、かなり楽なかたちになりました。
マストの後ろのブームの太さが大体こんな感じす。降ろした場合は巻きつけて暴れないようにしていきます。これはキャビンの上で、こんな感じで航海します。お天気がいいときはいいのですが、揺れたりしますから大変です。
75年にこういう航海をするまで、外洋のレースにはかなり出ていて、日本で一番長い航海は沖縄から三浦岬までの900マイル前後の沖縄レースというものでした。1972年が第1回で、これに何回か参加したり、あとは年間行われる外洋レースにはほとんど全部参加したりというのを何年かして、とりあえず日本の周りの外洋レースでの経験は積んでいました。
ただ、それと太平洋横断というのは全然違います。それと1人というのもまったく違う状況です。ですからこの航海をするにあたって、その二つの点でできるかできないかというリストをつくって、できるリストではなく、何があったら危険かという危険リストをつくっていきました。これはある程度できる、これは大丈夫、これはバツというかたちでチェックしていきました。
まあまあ何とかできるのではないかということで始めたわけですが、一番怖かったのは、航海に出て台風に遭ったときとか、船なんか全然いそうもないところでスコールの中からいきなりタンカーの黒い壁が見えてきてびっくりしましたが、そういうときではなく、やろうと決めたときです。本当に膝がガクガクするくらい怖い決断でした。船の上で作業をするときは、必ず革の作業手袋をして航海をします。足元は必ず革の靴かブーツにします。
いま頭には何もかぶっていませんが、これはいけないので、必ず帽子をかぶります。どんな帽子でもいいのですが、マストより前の作業をするときはヘルメットをかぶって作業をしていました。腰にはシーナイフを下げています。1人のときは、猿回しの紐のようなライフベルトというのを付けて、滑り落ちても船が引きずってくれるような感じで、船に置いていかれないようにしていました。このとき私は泳げませんでしたので、置いていかれると追いつけないということがありました。走っている船というのは意外と速いもので、泳げても無理ですけれど・・・。そういうふうにして航海をしました。
たとえば船体が壊れたらどうしようとか、いろいろなことがありましたが、一番の心配は自分の健康のことです。病気とけが、このことだけは心配でした。これをどうするのか。どうしようもないと言えばどうしようもないのですが、病気とけが以外でしたら、たとえば船が壊れても、マストが折れればそのへんにあるもの、デッキの上には長さ二、三メートルくらいのポール状のものがありますから、それを立てて毛布でも上げれば風下には走る。だからそれは心配ではない。もし船体が壊れたらライフラフトがありますから漂流すればいい。すぐには死なないということがあります。
寝ている間にいきなり沈んでしまったら、仕方がないですね。これは実際にあるんです。寝ている間ではないのですが、大西洋でもそういうケースがありました。それから太平洋でもありました。結論から先に言うと、クジラにぶつけられたんです。衝突ではなく、助かった人は襲撃されたようだったと言っていますが、クジラにぶつけられて5分もしない間に沈んでしまった。両方とも昼間だったので、全員脱出して助かりました。
これはヘルメットをかぶって、ライフベルトをして作業をしているところです。助かったから言えるのですが、本当に5分くらいで沈んでしまったので、あわててライフラフトを開いて、そのへんにあるものを全部かき集めてビニールのバックの中に入れて飛び出したということでした。そんなことでもない限り、何となく時間的猶予があるのでいい。動ければ何とかできるし、何とかする考えもわいてくる。しかし、病気とけがだけは困ると思いました。
病気に関しては仕方がない。ただ、ヨットに乗っているお医者さんにいろいろ薬を用意していただきました。抗生物質から、たとえば簡単に皮膚の麻酔をして縫えるものまで用意してもらいました。ですから病気はあきらめようということです。次がけがですが、できるだけけがをしないようにするしかない。しないようにするといっても、とにかく細心の注意を払うことと、よく食べてよく眠ることです。
それからちょっとばかばかしいけれど、必ず原則は守るようにする。その原則というのは、必ず手袋をして手にやけどをしない。やけどというのは、ロープをつかんでいて、いきなり力が入ると、人間というのは離せばいいものを反射的につかんでしまうのです。そうすると手のひらをやけどして何もできなくなってしまう。外洋レースなどでもほかのクルーがハリヤードというセールを上げ下げするロープの作業をしていて、まだ風を入れないのに、いきなり風が入ってしまって、力がかかって思わず両手でつかんで、両手をやけどしてしまいました。手が使えないと本当に何もできません。そういうけがをしたケースもあります。
それからブームというメインマストの下を支えるものが左舷側に出ていますが、これがいきなりワイルドジャイブと言いますが、船が揺れたり、風が振れたり、コースが振れたりして反対側から風が入って、右側のほうにバタッと変わってしまって、頭にぶつかって頭を切ったとか、そんなケースがけっこうあるものですから、ばかばかしいけれど原則を大事にして、けがをしないようにする。
それと調理をするときはやけどをしないように、必ず長ズボンと長袖を着る。それから台所には馬の油を置いておく。ドクターがいたらお笑いになるかもしれませんが、馬の油ってすごく効くんです。私もたくさんやけどをしましたが、たっぷりベトベトにつけておくと、ミシミシ痛むような痛みも取れてきて痕が残りません。これはドクターが何と言おうと言うまいと、絶対にお使いになることをお勧めします。皮膚の修復をする作用があるような感じです。とにかくそういうことでやりました。
それ以外のことはボツボツと、自分ができる範囲で、私は力がありませんから、力のある男の人ならば一息で引くようなロープも時間をかけて引くとか、ロープを巻き取るウインチを大きいサイズにする。それから天気はまだ大丈夫だと思っても、いま一番大きいセールが張れるのにと思っても、変わりそうな兆候が見えたら早めに一段下の小さいセールに変えておくとか、そんなことでしのいで無事に航海ができました。
これはハワイの沖を通っているところです。太平洋を渡るコースは北のコース、南のコース、いろいろ引けるのですが、距離が短くなったり、長くなったりします。でもこのレースではハワイのモロカイ島とオアフ島の間を通るという決まりがあったので、その海峡を通っているところです。面倒だったのですが、毎日お昼に無線で定時位置の報告をしますので、それを聞いて飛行機が撮影に来て、飛行機の上から撮影したところです。
無線で航海というのはけっこう大変です。電話も無線ですから簡単にお使いになっていますが、私たちのような小さいヨットの場合、無線で毎日定時に連絡するというのは、その時間に連絡できる状態にあるかどうかというのがわからないわけです。お天気が大変だったらデッキで作業をしているということで、タイミング的にわからないということがあります。
もう一つ、無線機を使うには電気が要ります。エンジンのシャフトは固定して動かないようにしていますが、エンジンをジェネレーターとして使いますので、エンジンを回して充電をしなければいけません。そのために20リットルのポリタンクにいくつか燃料を積んでいきました。エンジンを動かして充電をして電気を取って、それを使う。しかも船の上ですから、しぶきがすぐに入るようなところにチャートテーブルがあって、その前に無線機も置いてありますから、何かの加減でしぶきが飛んでくれば使えなくなってしまうということもありますので、とても大変なことなんです。
これは無線連絡のほかの話ですが、先ほど航海の様子が全然違うというのをお話ししてくださいました。無線のほかに安全な航海のためにとても大事な要素は、自分がどこにいるかというのがわからないと何もできないわけです。そのために古代から船に出る人たちはとても苦労してきました。『オデュッセウス』などを読みますと、「オリオンを見て走れ」という航海の指示が叙事詩にも残っています。つまり、何を目標にしてどういうふうに走るか、自分はどこにいるか。このことが古代からいままで大変な問題だったわけです。
ところがいまは自分がどこにいるかというのは、ボタンを一つ押すと、あなたはここにいますというのが数字で出ます。それと機械によっては画面の上でカーナビと同じように海図が出て、そこの上に自分の位置がプロットされます。もう一つおまけに、あなたはこれから何度のコースを通って、どちらに向かいなさいというのまで親切に指示してくれます。
これは航海に出る前に、たとえばサンフランシスコから沖縄まで行く間に、コースを変える点を自分であらかじめプロットして決めておきます。そこの位置とどういうふうに変えるかというのを全部プロットして、安全に航海できる線を引いておくと、そこまで行くと、あなたのコースはこのように変えなさいというように、すごく親切に教えてくれて、それに合わせて変えればいい。ずれた場合、ずれていますからどれくらいどちらの方向に戻しなさいということを教えてくれます。さらに親切に、この地点への到着時間はと聞くと、いまのスピードならばどれくらいというのも教えてくれます。ですから何もしなくても、ボタンを押していけばゲーム機のようにやればできてしまいます。
これはセクスタントを持っていますが、セクスタントにちゃんと紐をつないで、首からかけて、手が滑っても落ちないようにして使っています。セクスタントで水平線がこれくらい傾いているというのを測ります。これは船に固定したカメラから撮っているので、船が平らで、水平線が傾いているというようになっています。これが左右にローリングして傾きますから、一定している動きではありませんが、右にも左にもこのように傾いているところで太陽を測ります。
時間はクォーツの腕時計で取ります。もちろん時計は狂ってきますから、これを合わせるのにラジオの時報で合わせて、何秒進んでいるか、遅れているかというのをプラスマイナスしながらやります。これを何回か測って、一度に5回か6回続けて取って、このそばにメモがあるのですが、メモに書き留めて、それをグラフ用紙にプロットしていって、それがほとんど一直線に並ぶと計測といいますか、観測が正しかったということになります。その中で一番真ん中にありそうなところを取って、計算をして、海図の上に作図するということをします。
太陽ですと一度には出ませんので、午前とお昼と午後とか、3回取れれば3回、2回しか取れなければ2回というように観測して、あとの観測のときに位置がここだというのがわかる大変に悠長なやり方をしています。スピードが大体5ノット、時速10キロくらいですから、それくらい悠長でも何とか問題なくできるという感じの航海をしていました。
ですから要るのはセクスタントとマグネチックコンパス、本当の磁石です。それと紙と鉛筆と三角定規、あとはディバイザーという両足コンパスです。あとは消しゴムと足し算、引き算のできる計算機、日常みんなが使っている計算機です。あとはちょっと必要な書籍がありますが、そんなものを見ながらやるということをしました。実際にこの天測を使って航海したのはサンフランシスコを出てからです。でも練習のかいがあって、観測も計算も位置も正しい、信頼できるかたちになってよかったと思いました。
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