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■オゾンホール観測
 ご存じのようにオゾンホールという現象は、大気中のオゾンが1980年代の初めの頃から急に減ってきたことでその存在が知られてきました。オゾン層は上空20キロ付近の高さに中心をもつオゾン濃度が高い層ですが、オゾンホールはこのオゾン層がなくなる、あるいは濃度が減少する現象で、9月頃から減少が始まり10月に一気になくなってしまいます。そしてオゾンホール現象は、2カ月程でもとに戻ります。つまりオゾンホールは年中オゾン層がなくなっているわけではなくて、一時期なくなって、またもとに戻る。この原因がいったい何かということに関していろいろな観点から研究が進められています。
 上空15〜25キロ付近にできる極成層圏雲というのは非常に冷たい大気の中に氷晶ができる現象です。もともとそれほど悪さをしなかった塩化水素、あるいは硝酸塩素などが氷の表面で反応して、塩素原子をつくる。そして10月になって陽が当たると氷の表面で触媒作用が生じ、その瞬間に極成層圏雲の中に閉じ込められていたオゾンを一気にかつ効率的につぶすという仕組みがあると言われています。南極大陸の面積に対してオゾンホールの面積の拡大を見ると年代を追ってだんだん大きくなって、1990年以降は大陸の面積以上になっています。現在も大きくなっています。
 オゾンホールのもとになる大気中のCFCの量は2000年頃にピークを迎え、オゾンホールが最大になるのは、少し遅れて2020年頃、2050年頃になるとたぶんこのオゾンホールという現象はなくなるのではないかと言われています。
 地上から15〜30キロの高さにオゾン層があって、中心は20キロ付近ですが、このオゾン層がなくなってしまうと3000オングストロームの短い波長の紫外線が素通しで地上に到達し、その紫外線がペンギンや人間など生き物の生殖細胞に影響を与えるといわれています。がんを発生させたり、遺伝子に対しいろいろな影響があるのではないかと考えられています。これは生物にとって非常に大変なことなので、オゾンホールがどのように形成されるか、この現象はこれからいったいどういうふうに推移していくかということが研究対象になってきたのですが、現在では相当なことがわかってきていると言えます。
 オゾンホールが与えた一つの例として、ギンゴケの例があります。この蘚苔類はもともと透明なものですが、これにフラボノイドという色素が沈着して色が変ってきたといわれています。これは一種の生体反応で、蘚苔類のギンゴケは自らを守るために色をつけ、オゾンホールによる短い波長の紫外線を遮断する一つの結果と言えるかも知れないと生物学者は考えています。
 
■大気の観測
 南極上空の大気がどうなっているかということは現在大きな関心事であって、これまで衛星で観測したりしていますが、やはり実測する必要があり、現在ではさかんに大きな気球を揚げて実地で観測をしています。気球観測のひとつは周回気球観測といって気球を上空30キロまで揚げて南極の周りをぐるぐる回る風に乗せます。そうすると自動的な高層観測所のようなもので、成層圏の大気の状態が長時間にわたって観測できます。あるいはクライオジェニック・サンプリングという液体ヘリウムで大気を液化する装置をもつ大きな風船を30キロぐらいまで上げていくのですが、それぞれの高さの大気をヘリウムで液化して、そのままサンプルとして地上に持って帰ってきて調べる。あるいは国際協同で同時にたくさんの気球を揚げて南極上空の大気の状態を一斉に調べるということなどがいま大きな課題となっています。
 対流圏から中間圏に至る南極上空の大気構造にはまだ多くの未知が残されています。極域では、およそ10キロぐらいまでが対流圏、そしてその上空50キロまでが成層圏、90キロまでが中間圏で、そこから上空が熱圏となっています。地球の大気は上空にいくとしだいに冷たくなるのですが、成層圏では上空にいくにしたがって暖かくなってきます。そして中間圏では再び下がっていきます。なぜ成層圏で気温が上がるか。これは地球だけの現象で、ここにオゾン層というものがあって、太陽からの紫外線を吸収して熱をもらうために出現してくるわけです。しかし、不思議なことに太陽が当たらない冬でもここに高温域が出現します。また不思議なことに、中間圏では上空ほど温度が下がって、非常に低温になるのですが、太陽がまったく当たらない夏により低温になり、冬の方が気温が高くなります。こういったことがなぜ起こっているのかということを解明することがいま大きな課題となっています。
 地球の大気は南極、赤道、北極の上空で、循環系を作っています。地上から10キロくらいまでが対流圏、人間が住んでいる世界です。ジェット機はその上を飛んでいますが、その付近は成層圏の下部です。さらにその上に中間圏があってその中に大きな循環があります。その循環は夏の北極から冬の南極へと大きな循環をしています。こういった地球の周りの大気圏の三層の循環は南極、北極、赤道といったところでのきっちりとした観測をしないとその大気構造、大気運動の仕組みをあきらかにできません。特に南極、北極域は赤道域に比べて面積が10分の1になりますから、赤道などで見えにくい現象がはっきり見える。あるいは低緯度では小さな現象が極域では大きな影響を大気の状態に与えるというようなこともあります。つまり、いま南極の観測は南極上空だけに留まらず、南極と北極との関係、あるいは赤道との関係というように地球の大気を通じて地球の気候のシステムがどうなっているかを明らかにする上で非常に重要な場所になってきたと考えられています。
 
■地学観測
 内陸の奥地には氷だけではなくて、大陸基盤が顔を出しているところ。つまりヌナタークが分布します。
 太古以来、大陸は離合集散をくり返し今の大陸分布になってきました。かつて南極大陸はアフリカやオーストラリア、インドの大陸と一緒になってゴンドワナという大陸を形づくっていました。現在たまたま南極は極点付近に位置していますが、かつては南極大陸のすぐそばにオーストラリアが位置し、オーストラリアはだんだん離れていったのです。もっと前にインド大陸が分かれていったのですが、昭和基地付近の地質はセイロンの地質とほとんど同じだと言われています。何億年という大きな時間スケールの話で、南極大陸の基盤岩石の構造などを調査して南極の地質構造から地球がどのように変わってきたかという研究もされています。
 何十万年にわたって内陸氷床の上に落ちてきた隕石が、氷の流れに従って下流に移動し、沿岸近くに山地があると、氷床の氷の流れは上向きになり、氷床表面に出てきます。山地がないとそのまま氷海に流れ出てしまいます。上向きの氷は氷床表面で流れてくる量と同じぐらい昇華蒸発します。すると氷の中に入っていた隕石が氷床の表面に浮き上がってくるわけです。40年程前に日本の観測隊が大和山脈で九つの隕石を偶然見つけました。それをよく調べてみると6種類の隕石でした。つまり9個の隕石が6種類ということは異なった時代に、いろいろな場所に落下した隕石ということです。たとえば隕石シャワーのような一気に落ちてきたものではなくて、たぶん氷床には何らかの集積機構があるのだろうと考えられたのです。
 それからわが観測隊は一生懸命に隕石を採集して、現在1万6000個の隕石を持っています。これまでに地球上で採集された隕石は2万6000個ということですからそのうちの60%を日本が持っているということです。この中には月起源の隕石とか、火星起源の隕石があって、惑星科学の研究にとっても非常に重要な試料になっています。
 
■雪氷観測
 南極大陸は基盤岩の上に平均して厚さ2600メートルの氷が載っていて、その氷体はいつも流れている。つまり、いつもゆっくりとした固体の水循環をしている、それが南極氷床の実態です。かつては小さな雪上車でそれなりに氷床内陸部を苦労して調査していたのですが、私たちはこの40年の間に内陸を詳しく調査しました。ひと夏およそ3000キロ、1日に30〜40キロの行程を進めながら、まず氷床地形図をつくり、気候や雪氷の観測をするわけです。標高を測る、氷の厚さを測る、雪の積もり方を測る、そういう観測をしながら南極氷床というものがどうしてできているかを調べるわけです。
 南極の内陸の風景としては、どこまでも続く平坦な地形の雪原ですが、雪面をよく見ると一定方向に伸びたサストルギーがまず目にはいってきます。
 その長軸の方向は、カタバ風が流れる方向です。内陸の雪原は非常にかたく、重たい雪上車が進んでも、サストルギーはほとんど割れません。雪面は非常に硬い、洗濯岩みたいになっています。ふわふわした雪ではなくて、非常に硬い雪ですので、サストルギーの長軸方向に走るときは比較的やさしいのですが、これを直交するときはものすごく大変です。雪面の凹凸は平均して30〜40センチの高さですが、大きなものになると1メートル近くもあって大変な障害物競走みたいになります。そういったところをひと夏3000〜4000キロ、1日に30〜40キロ調査しながら行くわけです。
 昭和基地から300キロ奥地に日本で最初のみずほ基地が作られました。ここでは1万年の昔に遡る雪氷層の掘削が行われました。旅行中にも手回しのコアドリルで雪氷層を掘って、抜き取った雪氷コアを分析します。それにはいろいろな目的があります。氷の堆積年代を知るには核実験の痕跡を氷の中に見つけ出すという方法もあります。過去年々、どのくらいの雪が積もったかということ、つまり降水量もさまざまな方法で推定できます。また10メートルの深さの雪層の温度がその場所の平均気温に非常に近いということが理論的にわかっていて、それによってその場所の平均気温がわかるのです。南極氷床の内陸部にはまったく気象観測所はないわけですから、すべて積雪層に記されたシグカレから読み取るわけです。積雪量の測定は、雪尺を使うこともあります。同じルートを通る度に雪尺の高さを測っていくのです。
 そして、この約40年間に昭和基地南方の1000キロ×1000キロの広さの内陸域について雪氷環境がほぼわかってきたということが言えます。東南極大陸のみずほ高原はいくつかの単元的な流域から成り立っていますが、そうした流域の質量収支がほぼ平衡した状態にあるということも内陸調査の成果をもとにわかってきました。
 南極氷床の雪氷層の中には古い時代からの積雪が融けずに残っていて、層中にはぎっしりと過去の気候や地球環境の情報が記されています。その情報の中には赤道付近を中心とする低緯度から極域に大気大循環で輸送された、たとえば火山活動によって大気に放出された物質、海洋からの物質、あるいは核実験、山火事といった、地上で起こった大規模な事象が含まれています。対流圏の大気大循環、あるいは成層圏の循環を通じて、地球上で起こったすべての事象を示すシグナル物質は南極、北極の両極域に輸送されてくるといってよいでしょう。
 内陸の基地としては、一番標高の高いところに「ドームふじ」という基地があります。これは3810メートル標高にある基地で、昭和基地から1000キロ離れています。片道約25日かかりますが、ここに基地をつくって氷床雪氷層を掘る計画が進められました。最初に行ったことは、氷床の頂上域のひとつ、ドームの頂上がどこにあるかを見つけることでした。なぜドームの頂上を探すのかという理由は、その場所で掘削するとほぼ全層が、その場所で降り積もった雪だからです。
 そうした場所に基地を作り、南極氷床の雪氷層中に保存されている過去100万年に及ぶ地球の気候変動の歴史を再現してみようということです。掘削を始める前にアイスレーダーで氷の中の状況や氷の厚さを調べます。掘ったときに氷床下に山があったりすると深く掘ることができないので、アイスレーダーで氷床下の地形を調べるわけです。
 ドームふじ基地は、年間の平均気温がマイナス54度、夏はマイナス40度くらいになります。越冬して掘削しましたが、それなりに大変なので現在は夏期だけ深層掘削を行っています。まず掘り出された氷床柱の表面をきれいに削り、層構造を調べるとともにコア表面の電気伝導度を測ります。電気伝導度の高い箇所には低〜中緯度の、あるいは南極の周辺で起こった火山活動からもたらされた硫酸イオンである可能性があります。


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