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 ところで、帆船による人間教育によって何が期待できるのでしょうか。考えられる効果を列挙しますと
 第1は、一人一人が手にマメをつくり、額に汗して航海を成就することによって働くことの喜びを知ることができます。
 最近、テレビや新聞でよく話題になる「ニート(NEET)」という言葉がありますが、この言葉はイギリスの労働政策のなかで生まれた言葉だそうです。「NEET」とは、「Not in Education, Employment or Training.」の略で、「学校へ行こうとせず、就労もせず、そのトレーニングも受けようとしない」人たちのこと、要するに汗をかくことを嫌う連中のことを指しているのではないかと思います。
 第2は、大自然を相手に生活するので、自然とのバランスを考える均整の取れた人間が形成されます。帆船が一番美しいのは、自然とのバランスが保たれているときです。また、その時に一番よく走ります。風が弱ければ帆をいっぱい張り、風がなくなれば風が出るまで待ちます。風が強くなれば、当然、帆を畳んで少なくしなければなりません。このように、帆船では自然とのバランスを考えながら生活するようになります。覚えておいて頂きたいのは、帆船が一番美しく見えるのは自然とのバランスがとれている時だと言うこと、操船者も、そういう感覚で帆船を動かしているということです。
 第3は、帆船による集団生活は人間同士あるいは人と船とのバランスをとることを学びます。つまり、集団生活に必要な我慢と意志の力で自分の衝動・欲望・感情などをおさえる、いわゆる、自分をコントロールする術を学ぶことができます。また、船の中で集団生活をするためには規律が必要で、それを守らないと集団生活はできません。集団生活は人間が法に従う、ルールを守るという基本を自然に体得する場であります。
 第4は、自分を集団の中の一員として置くという経験は、お互いを認めあうことを知ります。自分が集団を作っているという自覚を持つためには、互いをよく知らなければなりません。そして、お互いをよく知ったならば「次は君が○○当番で、当番長だ」と指名されても「よし、やろう」となる。これがリーダーシップの基本なのです。つまり、リーダーシップの基本はお互いを認め合うことであり、帆船ではそれを体得することができます。
 第5は、船は運命共同体ですから、船で同じ釜の飯を食ったという連帯感は、友愛と協調の精神を育てます。そして、他の者のためにも尽くさねばならぬという自覚を起こさせ、ボランティア活動の啓発になります。
 私と一緒に練習船に乗ったことのある事務長に、三橋敏雄という方がおられました。すでに故人となられましたが、この方から戴いた句集に、
 「手をあげて この世の友は 来たりけり」
という句がありました。同じ釜の飯を食った仲間同士は、歳をとっても「よっ」と片手を挙げれば、それで全て了解なのです。この方は高名な俳人であったということをあとで知りました。
 第6は、練習船に乗船中の実習生は一度は外国へ航海するので、国際人としてのマナーを身につけることができます。遠洋航海に出かけるとき実習生に注意するのは、「外地では服装に気を付けて、日本人としてのプライドを持つこと。絶対に腰を下ろしたり、しゃがみ込んだりしないこと」などでした。
 ところが最近、町中でも乗り物の中でも、しゃがみ込んだり座り込んだりする若者が目立ちます。恐らく幼児教育のときから、「疲れるから腰を下ろしなさい」という風に育ったからでしょう。地べたに座り込んでいる若者を見ると、どうにかならないものかと悲しくて悔しくて仕方ありません。
 
 さてここで、帆船訓練の状況をあれこれ説明しても理解は困難と思い、私が“日本丸”の船長時代に撮影された「練習帆船“日本丸”―アメリカ建国200年記念帆船パレード」の映像を用意しました。この映像は昭和51年度芸術祭参加作品で、監督は篠田正浩、脚本・富岡多恵子、音楽・池辺晋一郎、ナレーションは岩崎加根子です。
 内容は、学生の乗船から羽田沖でのマスト登りの訓練、セールの運び出しと取り付け、帆走訓練から始まります。この頃までは、東京湾内の浦安沖―いまのディズニーシーの沖合と木更津沖合の間で帆走訓練を行っていましたが、翌年の昭和52年(1977)以降は東京湾内での帆走訓練は危険となり外洋に移りました。
 つづいて東京出航、時化との遭遇、太平洋上での怪我人の救出、ロングビーチ入港と怪我人の搬送、海の生き物との出合い、パナマ運河通航、大西洋に出てからハドソン河での帆船パレード、東京帰航というものです。
 7月4日の帆船パレードでは、“日本丸”は正午きっかりにフォード・アメリカ大統領座乗の空母フォレスタルの横に並航しました。その時、空母からは21発の礼砲が発せられ、“日本丸”も登檣礼で独立記念日を祝ったこと、自由の女神像の手前で海上自衛隊練習艦“かとり”(練習艦隊司令官左近允海将補)から「栄誉礼」で迎えられたことなどが思い出されます。後年、左近允さんに再会したとき「民間人で栄誉礼を受けられたのは日本丸だけですよ」と言われたときには、さらに感激しました。
 昭和51年(1976)4月15日東京出航、9月22日に帰港しました。航海日数161日、航海距離は22,171海里(≒41,000km)で、地球の赤道を一周するのと同じ距離でした。
 この映像から帆船訓練の厳しさ、苦しさ、楽しさの一端を、また、大自然のさまざまな顔も見ていただきたいと思います。
 
〈ビデオ上映〉
 
 以上が“日本丸”の遠洋航海の映像です。映像の中で実習生が「帆船は見るものであって、乗るものではない」と愚痴っていましたが、そのくらい訓練は厳しいものであることが、ある程度ご理解頂けたかと思います。
 さて次に、いま我が国の海運界はどうなっているかを紹介しようとおもいます。
 現在、船を使って日本に出入りしている貨物の量は、平成15年(2003)は年間約9億1,677万トン(前年比4.0%増)、1日分に換算しますと10トン積みトラック約251,170台分にもなります。この10トン積みトラックの長さを11メートルとしてJRの線路上に並べますと、九州の鹿児島から北海道・岩見沢(函館・室蘭・札幌経由)の先までの長さになります。
 また、私たちの生活や仕事で、料理を作ったり、テレビを見たり、車でドライブを楽しんだりしていますが、どれを見てもガスや電気やガソリンなどを使用しています。また、工場でもたくさんの電気や油、ガスなどを使用していますが、そのほとんどの原料は外国に頼っているのが現状です。なかでも原油の輸入量は、平成15年(2003)は年間約2億4,900万キロリットル、東京ドームに注げば、およそ200杯分にもなるという膨大なものです。
 最近、クリーン・エネルギーとして、つまり二酸化炭素などの有毒ガスを発生しないエネルギーとして注目されているのがLNG、Liquefied Natural Gasといわれる液化天然ガスです。天然ガスはマイナス162℃という超低温で液化しますが、そのとき体積は600分の1になります。サッカーボール4個分の体積の天然ガスがゴルフボール1個分の液体になるということです。天然ガスは液化して体積を小さくして運送するのです。このような液化天然ガス専用船をLNG船といいますが、お渡ししました日本船主協会のシッピング・ナウ(Shipping Now 2003)の写真のLNG船は約72,000重量トンあります。重量トンというのはその船で運ぶことのできる貨物の総重をいいます。このLNG船1隻で運ぶ量は100万戸の家庭で使う1カ月分の量にもなります。2004年8月1日現在の東京都の人口は12,359,241人、世帯数5,690,310なので、このLNG船5.7隻で約1か月分(1隻で約5.2日分)のガスが確保できることになります。
 
 次に、我々の暮らしを支える主要物資の輸入依存度はどうでしょうか。Shipping Now 2003を見て下さい。この統計によりますと、「衣」については綿花100%、羊毛100%です。また「食」については、小麦89%、大豆95%、とうもろこし100%、野菜18%、果実56%、肉類48%、魚介類47%、砂糖類71%となっています。さらに、「住」については木材81%となっています。
 このように、私たちの暮らしと日本の諸産業は、外国と日本を結ぶ船によって大きく支えられていることを忘れてはなりません。
 
 ところで、日本の海運界は現在どうなっているのでしょうか。
 ここで「日本商船隊」というのは、我が国の外航海運会社が運航する2,000総トン以上の外航商船群をいいます。つまり、日本の海運会社が所有する日本籍船―日本国籍を持つ船舶―のみならず、自らが設立した外国現地法人を含む外国企業から用船(チャーター)した外国籍船も合わせた概念です。
 平成15年(2003)の日本商船隊の船腹量は1,873隻(前年比115隻減)、重量トン数ベースで1億160万トン(同0.3%減)ですが、この日本商船隊に占める日本籍船はわずか103隻(5.5%)、重量トン数ベースで1,081万トン(10.6%)となっています。外国用船については1,770隻(94.5%)、重量トン数ベースでは9,078万トン(89.4%)となっています。
 日本籍船のピークは昭和47年(1972)の1,580隻で、外国用船は655隻でした。また、日本商船隊のピークは昭和55年(1980)の2,505隻で、日本籍船は1,176隻(46.9%)、外国用船は1,329隻(53.1%)でした。
 ここで問題となってくるのが、シーレーン構想の存在であります。シーレーンと言いますのは昭和56年(1981)に当時の鈴木首相が提唱した「日本の輸送ラインは日本人の手で守れ」という、いわゆるシーレーン構想であります。ところが最近、かってあれだけ口にしていた政治家も評論家も一切口にしなくなってしまいました。これからの時代は日本商船隊に外国人がどんどん乗ってきます。これからの船は日本人船長・機関長の2人と、あとは外国人でいいのです。この態勢で、平成2年(1990)8月の湾岸戦争の時のような原油輸送の危機が発生したときに、日本の国は一体どうなるのでしょうか。船長・機関長の2人で船は動かせるものではありません。政府はシーレーン問題について、もっともっと真剣に取り組んでもらいたいのです。我々も言いますが、皆さんも声を荒げて言ってもらいたいのです。
 
 時間もなくなりましたが最後に一つ、平成元年(1989)に大阪市で小学校5年生の教科書のために書いた司馬遼太郎の『二十一世紀に生きる君たちへ』が世界文化社から出版されています。あとで読んでいただきたいのですが、このなかで司馬遼太郎は、人間にとっての道徳は訓練によって身につくものであることを子供たちに説いています。
 例えば躾がそうです。躾と「いじめ」を混同してはなりません。躾は教えながら訓練し、身についたものにするのです。
 ともあれ、訓練は非常に厳しいものです。それも基本的な訓練ほど苦痛をともなうもので、苦痛をともなわない訓練はあり得ないと私は思うのです。


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