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 その意味では東京ではない地方に住んでいる人はずっと恵まれていて、海が近い。広島に住んでいればもっと安く動かすことができると思うけれど、それだってなかなかチャンスがない。実は「暮しの手帖」の取材のときに、誰かの船で海に出てみなければわからない。東京の川を通らなければわかりませんから、小林則子さんに相談したのです。そうしたら友達のモーターボートを出してもらって行きましょうということで、隅田川の上流のほうに行きました。そして堤の崖を上って向こう側の汚れている崖、いろいろなゴミがある、怪我しないように降りて、モーターボートがもやっているところに行った。ところがそれが潮の加減でどうしても出ない。それはあきらめて、また別の船に乗ったのですが、そういう船だって、東京は不法係留という呼び方をされています。横浜にもたくさん川があって船が係留されているけれど、これも不法係留です。
 しかし考えてみたら、これはとても変な話です。たとえば隅田川は誰が使っていますか。どこの船も通っていない。そこに大きな船がたくさん上がっていって荷揚げしているから、プレジャーボートがあったら邪魔だというならまだわかります。しかし誰も使っていない川です。それは私たち東京都民の税金でいろいろなことをされている川のはずです。それなのに誰かがそこにボートを泊めると、ボートはモーターボートに限らない、小さな船でもすべて不法係留というのは役所の発想です。
 そこが最初から間違っている。水というのは私たち皆のものです。国民皆が持っているもので、たまたまそれは建設省が管理していたり、運輸省が管理していたりするだけにすぎない。向こうは泥をしゃくり出すとか、石垣を直すとかする責任はあるけれど、私たちに、おまえたちは不法だという権利は、本当はどこにもない。ないけれども、それが既成事実でアクセプトされている日本は、私はとてもおかしいと思います。東京港の権利は建設省と運輸省と、それからこのへんは東京都ですから東京都のものになってしまい、私たちには何もできない。
 そのときの私の経験では、お台場を回るときに、あれは電話1本かけるのとお手洗いだと思いますが、お台場に船を着けたのです。そうしたら中からたちまち怒鳴られました。船を着けてはいかん。それはもうほんのちょっとの時間だから待ってもらいましたが、そういうふうに管理している人は、自分の海だと錯覚するのです。しかし海はすべての人に開かれているもの、しかもすべての国の人に開かれているものです。ところが日本はヨットハーバーが立派なものができていますが、それすら、ヨットハーバーに高いお金を払って船を係留している人の自由にはならない。たとえば5時に門を閉めてしまう。そうすると出入りができなくなってしまう。こんな不思議なことはないでしょう。
 堀江さんが大昔、1962年にヨットで太平洋を横断しました。そのときに彼はパスポートなしで行きます。覚えていますか。日本政府が何と言ったか。不法出国であるといって、たちまち取り調べたがった。ところがアメリカは拍手喝采です。パスポートなどは問題ではない。シングルハンド、1人で操縦して、船で太平洋を渡る。素晴らしいではないかと褒めた。そうすると日本政府もガラっと変わった。いつでもそうです。ですから船は自由である。海はみんなのものだということを、皆さんはせっかくここにいらしているのですから、心の中に溜め込んでいただきたい。周りの方にそれを広めていただきたいのです。海に国境はありません。
 どうして日本人は海に対してこのように狭くなってしまったのか、私は長年疑問でした。皆さんもそう思っているのではないかと思います。いま何か事故を起こすと、起こした人がすごく責められませんか。どうして危ないことをしたのか。しかし危ないことをしなかったら、それは冒険ではありません。冒険をみんなが拍手しない国は、弱虫の国です。日本は本当に弱虫の国になってしまったと思います。これは文部省が教えるから、家庭教育を何とかすれば直るものではなくて、いまの家庭教育などはあまりあてにしないで、もっと銘々が自分で生きることをやるべきだと思います。
 ちょっと余談になるかもしれませんが、アメリカの球団にいまイチローとか松井とか、日本の選手がたくさん行っています。娘が新聞で見つけたのですが、アメリカの新聞記者が松井にインタビューをしようと思って行った。どうやって見つけたか、おわかりですか。ロッカーに傘が置いてあるのが、松井の居場所である。日本人は弱虫だから、雨が降るとすぐ傘をさす。外国はわりと傘をささないで、帽子だけ被って濡れてきます。ですから日本人はとても用心深いと外で思われている国民だと思います。
 しかしもっと外に向かわなければ、海洋国にならなければだめだと思うのですが、日本は島国ですから、日本に入ってくるもの、それから日本から出ていくものはすべて船によっています。貨物船です。もちろん飛行機の輸送もありますが、インターネットで調べたら、間違いがあるかもしれませんが、輸出入の品物の99.7%は船によると、それには出ていました。もしも船の安全が脅かされたら、私たちはたちまち食べていくことができなくなる。海というのはすごく大切なものであり、船も大切な手段です。しかしいま商船学校に行っても船乗りになりたがる人はとても少ない時代だそうです。昔、商船大学は女を受けさせなかったけれど、いまは女の人も受けられますから、もっと女がどんどん海に出ていく時代になるべきだと思います。
 さて、陸と海の関係でいきますと、まず海を汚しているのは私たち人間であることを、残念ながら確認したいと思います。人間生活の汚れは、川を通して海に出ていきます。いまそのへんもすごくゴミが浮いているところがありました。それから農村地帯では街ほどひどくない代わりに、逆に家畜の糞尿が川へ出ていき、海を汚すということが起こっています。もちろん都会は下水がありますから、下水道を通したものはきれいな水になって出ていくので、東京都の調べによると神田川で70%、隅田川90%が下水から出たきれいな水を流していることになっていますが、やはりそのもとを汚していたら何もならないから、皆さんはおうちで気をつけていると思いますが、油をできるだけ下水に流さないようにするとか、みんなやります。しかし油断がならないのが、きれいなはずの農村地帯です。これは下水がないところが多い。そして動物のし尿が流れていく。
 汽水湖というのがありますが、これは淡水と海水が混じる湖です。それの汚染のワースト3のうちの二つは北海道です。あれは網走湖と風蓮湖だったと思います。なぜこんなことが起こるか。北海道では殺鼠剤を山に撒きます。それが川を通して流れていく。それから動物のし尿が流れていく。これはならじということで、小清水という網走の近くの大農業地帯では牛の糞尿をきれいな水で混ぜます。しかしもうきれいな水は北海道にはなくて、高松のあるところから貨車で運びました。そして混ぜてきれいにする。要するに循環農業をするために糞と水を混ぜ、巨大なプールに貯め、それを寝かしておいて粉にし、それを畑に撒くというのを10年続けた。農地が1万ヘクタールあるところですが、半分ぐらいはきれいになった。
 なぜそれをやったかというと、土がだめになるというのは、いまの地球上の大問題で、食糧問題の根底にあります。土がだめになるのを回復しないと、たとえば山で「雉を撃つ」といいますね、人間が山野でお手洗いをする。ところが排泄物が腐らなくなるのです。ブタ小屋で口を開けたらハエが入るくらい、そこらじゅうハエだらけになった。それが、土がよくなるとみんな腐ってくれる。土に力があって治る。そのぐらい土と水の関係は厳しいのです。
 いま水というのは地球上で本当に大事な時代になりつつあります。東京は水がジャージャー流れていますが、これが枯れたらどういうことになるか。皆さんはたぶんご承知だと思いますが、地球上の水は大部分が海水です。数字でいうと43億km3で、これは想像もつかない水の量ですが、その中で人間が使える水、淡水、真水はたった0.01%しかない。詳しくいうと97.5%が海水で、2.5%が真水である。しかしそれには氷河もある。深い地下水もある。使いやすい川や湖の水は0.01しかありません。
 だからこれを大事に使わなければなりませんが、そこで大問題は、いま地球上には60億人の人間が乗っています。ちょっと前には30億人を切っている時代がありましたが、いまや60億人です。これが2025年、たった20年後には80億人になります。人間は20世紀に3倍になった。そして使う水の量は6倍になったそうです。生活水準が上がるということは、水を大量に使います。水洗便所だけでも大変です。それから野菜しか食べなかった人が牛肉を食べるようになる。ハンバーガーコネクションという言葉がありますが、ハンバーガーのもとのビーフは大量の水によってつくられています。要するに牛が草を食べる。その飼料のもとは水です。
 そういうことで水を大事にということですが、レジュメの中にヴァーチャル・ウォーターという言葉を書きました。ヴァーチャルとは「目で見えない仮想」のということですが、ヴァーチャル・ウォーターは、この場合仮想輸入水だと思っていただきたい。人間の使う水は、農業用水が70%、生活用水が10%、工業用水が20%だそうです。そして生活用水と工業用水はどんどんまだ膨らんでいく。ということは農業用水に食い込んでいきます。しかし農業に水を使わなかったら、私たちは食べていくことができない。そして片方では砂漠化が全地球規模で進んでいます。「水ストレスの国」が増えています。
 皆さんご承知だと思いますが、日本は食糧自給率がとても低い国です。カロリー計算でも40%しか自給していなくて、あとは全部輸入に頼っています。これは家畜の飼料も含まれています。どのぐらいの水を輸入していることになるかというのが、ヴァーチャル・ウォーターです。穀物を1トン輸入することは、仮想水、ヴァーチャル・ウォーターを1000トン輸入していることになります。しかしそれを出している国が(一番多いのはアメリカとカナダ)、もし水不足になったらどうなるかを考えておいたほうがいい。カナダはまだ大丈夫ですが、アメリカは大きな国の中で、中西部から西のほうが非常な水枯れで困っています。ですから輸入に頼っている日本は非常に危ない国です。
 しかし日本は雨がたくさん降るからいいじゃないかという考え方ももちろんあります。降水量では、日本は世界3位です。ところが残念ながら人間がすごく多い。その人間が大量の水を使っていますから、1人あたりの水の量でいくと、日本は世界の平均より少ないのです。したがって水を大事に使うだけではなく、水を海に逃がさないようにする工夫がものすごく要ります。ということは森林を育てなければならないし、都会がいまみたいに舗装になってしまうと、雨水は全部下水から外に流れてします。あれをしみ込ませなければいけないので、できるだけしみ込み性のある舗装に変えようということになっているけれど、どこまで追いつくかなという大問題があります。
 それでさっきのリブ号で見たゴミの話になりますが、人間の出すゴミも大問題で、これを減らしたいわけです。しかし私たちはスーパーマーケットに行くと、まずレジ袋というのにボンボン入れてくれる。便利だからそれにゴミを入れてゴミで出してしまったりします。それからいろいろなものが全部塩化ビニールの箱に入っている。ああいう無駄をやめるべきだと思います。それから日本はそこら中に自販機がたくさんあって、皆さんもついお買いになると思いますが、私は自販機の水は買わないようにして、こういうものを持ち歩いています。(ボトルを示す)これは何年も前に買った水のボトルで、500cc入ります。これは皆さんもなさいますか。7分目ぐらい水を入れて、フリーザーに立て入れる。横にすると口のところが凍ってしまうからだめですが、立てて入れる。出かける前に水を足して出てくると飲みごろの水になっている。自販機の飲み物は1本たった120円かもしれませんが、これが電力を使い、ゴミを出しているのです。これはだいたい120円です。ところがガソリンの値段はいま値上げになっていますが、1リットル100円です。これが上がると大騒ぎをするのが私たちなのに、自販機に入れる120円は平気だというのはとても矛盾していると思います。自販機をやめさせる運動を、私はしたいのですが、つい不精でやっていない。スーパーマーケットでも、自分で要るだけ野菜を取ってハカリで測って袋に入れる。コンピューターですぐ紙が出てきますから、それをレジで精算すれば済むことです。いま事業系のゴミが、日本は33%で、生活系の家庭から出るゴミが67%だと言われていますが、大雑把に7対3と考えてもいいですが、これは私たちの責任ではないゴミが山のようにあります。つまり事業系が出したのを、うちへ持って帰らなければならないから、しようがないから事業系の代わりに私たちが出している。ですからちょっとした努力を事業のほうがやってくれれば、ゴミはもっと減ると思います。
 狂っている便利一点ばりの私たちの暮らしを変えなければいけないのではないか。水を持ち歩くだけでも違うと思います。これは余計な話になりますが、お米は自動炊飯器で炊いていますか。自動炊飯器とはいやな言葉ですよね。あれは電気釜という、もっとかわいい名前があった。自動炊飯器とは何事でしょう。電気釜でなく炊くという方はちょっと手を上げてください。いらっしゃいますね。土鍋で炊いたほうが絶対においしいですね。それもいま高いお鍋を方々の雑誌で売っていますが、そこらの荒物屋で買ったので十分です。私の家では四、五年前に電気釜が壊れたときに、高いのでいやだと思った。スタイルも新幹線の頭みたいな、いやな格好をしています。買うのをやめて、家にあった2000円で買った土鍋で焚く。1合がたった10分で焚けます。電気釜だと30分は絶対かかる。ああいうことからも、私たちの暮らしの見直しができるのではないかと思います。
 今日の話の中に水ストレスがあって、ヴァーチャル・ウォーターがあって、海の暮らしと陸の暮らしという項目があります。いよいよそれにかかりますが、海の上だったら電気は限りがあります。ことにヨットは、電気はそうは使えない。当然ガスコンロか何かで煮炊きすることになりますが、その暮らしの知恵を私たちの暮らしの中に生かしていったら、もっと自然で本当に豊かな暮らしができるのではないかと思います。
 先ほど“プレジデント・ウィルソン”に乗った話をしましたが、なぜ退屈するか。お客として乗っている船は、遊び以外は何もすることがない。夜ダンスをするとか、昼間はゲームをするとか、小さなプールがあって、そこで泳ぐ。しばらくはいいけれども、3日もすれば飽きてしまう。それに対して自分で動かす船は、やることがたくさんあります。まずワッチというのがあり、360度見張っていないと他の船にぶつかってしまいます。ですから東京港で帆を揚げて帆走してはいけないなんてばかな話です。大型船にぶつかったら、ヨットのほうが死んでしまうから、ワッチして、ぶつかるなんてことは絶対にない。それから船の行き違いは右ですれ違うことになっているから、これも大丈夫です。夜だったら舷側灯が付いていて、右が緑で左が赤だったと思いますが、それもすれ違いがわかる。要するに自分で律することができる能力を、船の上で養うことができます。
 レジュメのリストにも入っているし、お目に掛けたいのは、小林さんの「リブ号の航海」という本がずっと昔に出て、これを読むと本当におもしろい。船の本をお読みになるのだったら、帆船やヨットの本をお読みになるといいです。リブ号の航海は1975年だったでしょうか。サンフランシスコを出て、沖縄の海洋博のところまでのレースで行くのですが、彼女は初めてシングルハンドでその大航海をやります。そのときに船の上でまずいものを食べるのはいやだと思う。そしてハーブを24種類も積んでいきます。それから山のように食料品を、野菜も果物もお酒も、いろいろなものを積んでいく。当然積荷が重くなる。それでリブ号は沈むのではないかと、皆にからかわれて出航する。そしてもちろん台風にも遭うし、時化にも遭って大変だけれど、大丈夫なときはそれでとても楽しめる。これが本当の船乗りの感覚だなと思うのは、外国の船の記録を読むと、みんなそういう話が出てきます。


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