<第2回>暮らしと海〜人生を楽しむところ〜
評論家 犬養智子氏
司会 皆様大変お待たせいたしました。船の科学館開館30周年記念 海・船セミナー2004「この人 海と船を語る」と題して、本日第2回目の講師をお迎えしたいと思います。評論家の犬養智子さんです。今日は「暮らしと海〜人生を楽しむところ〜」ということでお話ししていただきます。それでは犬養さんどうぞ。皆さん拍手でお迎えください。(拍手)
犬養 今日は私もとても楽しみにまいりました。ここはちょっと馴染みのある場所で、この写真は1986年のものですが、あとで、こちらでご覧ください。ここがずっと砂浜になっていますが、まさにいまこの船が泊まっているところがこれです。船の科学館から1986年に私が撮った写真で、「暮しの手帖」に、東京から海がなくなったという記事を書いたときのものです。今日は海と暮らし、海は楽しむところという題ですが、私はちょっと日本の海に怒っていて、ことに東京の海に言いたいことがたくさんあります。
皆さん、東京で、海で遊ぶということがすごく難しいでしょう。私などは久しぶりに、「ああ、海を見た」と今日も思ったのですが、本当に海が遠くなってしまいました。私は海と船が好きで、子どものときから葉山の海でさんざん泳いだり、遊んだりしました。土用波のときでも泳いだけれど、いまはたぶん土用波のときは遊泳禁止で、最初から泳がせないと思います。高い波のところで泳がなかったら、高い波の中で泳ぐことを絶対に覚えない。しかもいまの子どもは、学校のプールで始める。プールというのは、平泳ぎは教えなくて、クロールを教えます。クロールなどでは、もし何かで船がひっくり返ったときにとても泳げません。やはり平泳ぎでかろうじて泳ぐ。それだってアップアップです。
そういうことで海が私たちの暮らしからとても遠くなってしまっている時代に生きています。こんなに遠くなったのは、生活が便利になったからということもありますが、むしろ一番の原因は、日本は「管理する国」だということに原因があると思います。たとえば今日いらして東京港をご覧になったと思いますが、ヨットが1艘も走っていないでしょう。どこのまちでも、休日には海にヨットがたくさん浮いています。こんなのは日本だけです。東京港は、ヨットが帆を上げて走ることを禁じています。だから1艘だけ走っていたのは、かわいそうにスクリューを回して動いていました。これは海が、私たちが楽しむ場ではなく、行政が管理する場というしるしです。
いまは誰でも外国に行く時代ですから、皆さんはいろいろな経験を外国でなさっていると思いますが、私が一番感心したのは、アムステルダムは運河がたくさんある町ですが、ダウンタウンで車に乗って橋を渡ろうとすると、いきなり橋のたもとで止められます。何かと思うと跳ね橋で上げる。そこの下を1艘のヨットが、マストは帆掛けでなくても、普通倒しませんから悠々と通っていきます。それでツーっと行ってしまうと橋が降りる。日本だと、そんなときは一生懸命お辞儀して通ると思いますが、ヨットのほうは当然の権利だからスッと行くし、待つほうも当然のこととして待つ。これが海と人間が一緒に暮らす街なんだなと、思いました。
さらに感心するのは、ああいう小さな国ですが、オランダは街から外に出て行くと広い道があり、脇に芝生の土手があり、柵は一つもなく、その向こうに川が流れている。これが生きている水だなと思うのです。ところが日本はどこへ行っても柵がしてあります。そして水に近づけない。それは落ちたときに責任を問われるのが怖いから、自治体が全部柵をする。こういうことをやめていかないと、私たちは水を楽しむことができない。たぶん皆さんもお子さんとかお孫さんがいらっしゃると思いますが、率先してもっと自由ということをやらないと、私たちは水から遠くなるばかりだと思います。
さらに日本は埋立地がすごく多い。そして海岸線がすごく長いのはご承知だと思います。3万4000kmあるそうです。ところが日本本土でいうと、自然海岸は45%しかない。東京港、東京の海でいえばゼロです。本当に海に触ることができない。しかしたぶん皆さんはいろいろな本で海には親しまれたと思います。お配りしてある中に本のリストがありますが、これは後でゆっくりご覧ください。実際に海に出なくても、私たちは本によって海を楽しむことができます。それからテレビ映画でもたくさんやっていますから、海に関係あるものは、ご覧になると、「あ、いいな」という感じで心が開けると思います。
しかし自然海岸がなくなってしまったということは、横浜のほうからいらした方もあると思います、千葉からいらしている方もあると思いますが、一昔前には、70年代に根岸の辺は片側が全部海でした。いま横浜プリンスホテルがある下です。それから千葉に行くときも、東京から行くと右側は海だった。いまは一つも海の見えないところを私たちは走らされています。とても悲しいと思います。これが海洋国と言っているのはおこがましいのであって、日本は海洋国では全然ないと思います。ありがたいことに船の科学館があって、いろいろな行事をやっている。それから子どもたち向けのクラスとか講習会もあるようなのでぜひお願いしたいのは、自分で判断して動ける人間になること、そして海を私たちの手に取り戻すことに一生懸命になっていただきたいと思います。
皆さん、ここにいらっしゃる方はどんな船に乗りましたか。船に乗ったことがある方、ちょっと手を挙げていただけませんか。フェリーの方、それからどこか外国へ行く船。
結構お好きですね、皆さん。私もずいぶん船に乗りました。フェリーでいうと、私は実は飛行機が嫌いなものですから、国内の旅行はできるだけ列車で行きますが、いろいろなものがよく見えます。瀬戸内海を渡るフェリーはほとんど全部乗りました。いまはもうなくなってしまいましたから、よかったなと思っています。それからこの近くから出るのでは、“まりも丸”と“摩周丸”というのがあって、これは釧路まで30時間ぐらいかかりますが、これも乗りました。いまはなくなってトラックの運送だけになっています。日本の船は本当にいやだなと思う理由は、指示が、命令がすごく多い。そう思いませんか。これから食事の時間だから食堂に来いとか、そんなことは時間でみんな知っているわけです。命令しなくていい。そのアナウンスが部屋に入ってくるのがすごくうるさい。仕方なくて上のほうを見たらこういう一面に孔のあいた板があって、そこから声が出てくるので、ティッシュペーパーを千切って詰め込みました。そのぐらい日本の船はうるさい。
そもそも一番最初に大きい船に乗ったのは、アメリカに留学するときに、当時は“氷川丸”で行くので楽しみにしていたのですが、ちょっと事情があって遅れたために飛行機でした。帰りも飛行機になって、船に乗りたいなと思っていたらチャンスがありまして、1970年に“プレジデント・ウィルソン”というアメリカの大きな船に乗りました。3万2000トンの船で、これはなかなかいい経験をしました。1週間かけてホノルルまで行くのですが、ご承知のように船は立派で、食堂はすごいけれど、ここで学んだことは二つあります。
一つは、どこにも寄らないクルージングは退屈である。好きな男か何かと一緒に乗っていないと、全然時間が持たない。ダンスパーティなりゲームなり、いろいろなことをしていますが、結局退屈です。それからもう一つ、外国船がいいなと思ったのは、あらゆる空間にいろいろな用意がしてあり、図書室もあるし、手紙を書くところもある。一番おもしろかったのはアーリーバードというのがあり、朝早く起きてデッキに上がっていくと、散歩を大いにしましょう。そこに大きなテーブルが出ていてフリードリンクとフリーの食べ物がある。いろいろなパンが置いてあり、ドーナツがある。
ところがこれも日本船との違いは、日本船ならアナウンスをして知らせると思います。そうすると寝ている人も起こされてしまう。彼らはどこかに張り紙がしてあり、それを見て気がついた人が行けばいいという建て前です。これが海や船での一番大きな違いだと思います。考えてみると、日本の暮らしはあらゆるところが張り紙と命令ではありませんか。駅に行くと、白線の後ろにお下がりください、並んで下さいとか、これは、私たちは慣れっこになっているから何とも思わない。もちろん危ないことをしないプラス面もあります。しかし、これに慣れると自分で考えて行動することがなくなってしまうので、日本の安全第一の環境は本当に気をつけなくてはいけないということが、船に乗っているとわかってきます。
一度ひどい船に乗ったのは、たった300トンの“椿丸”というのが東京都の船でありました。これは小笠原がまだアメリカの支配下にあったときのチャーター船です。私は取材で乗ってすごくおもしろい経験をしたけれど、もちろん冷房はない、ひどい船ですが、冷たいものなど全然飲めない。帰りに船長さんがくれたアルマイトのやかんに氷の入ったカルピスが出てきて、甲板で飲んだときは本当においしいと思って飲みましたが、いまはカルピスなど見向きもしないと思います。
それですごかったのは、ご飯を食べるときに船倉みたいなところに下りていくと、汚い赤い敷物があるところにちゃぶ台が並んでいて、そこで食べる。ぬるいマグロのお刺身が出てきたりして、とても食べられない。お皿は、階段を船倉に向かって降りていくと、大きなブルーの箱が二つ置いてあり、そこでまず洗う。どろどろの水ですが、消毒水だと思います。もう一つのほうですすいで上げていく。これは相当にすごい船でした。ですから船もいろいろあるということで、いい経験をしたと思います。
最後、一番ありがたかったのが、小林則子さんというヨット乗り、海洋ジャーナリストを皆さんはよくご承知だと思いますが、あちらの船は代々“リブ号”という名です。ウーマンリブのリブではなく、rib、肋骨のリブです。1985年に誘われてこの船に乗りました。
「平家滅亡八百年」の記念クルーズです。音戸瀬戸という、平清盛が、夕日が沈むのを扇ぎ返したところですが、そこで一緒になって瀬戸内海をずっと航海して、四国に行ったり、岡山に戻ったりしました。このときに私は初めて小さな船に乗り、自分で舵を握って操縦させていただいた。とても心の広い人だと思います。ずぶの素人にやらせてくれたのです。娘も一緒で、娘は子どものときからヨットをしていましたし、大学もヨット部だったから彼女はわかりますが、私は本当に初めてです。そのときの経験が私の目を開かせてくれて、その後の私の一部になったと思います。
それはあとで詳しく話しますが、何が一番驚いたかというと、水の上がいかに汚いかということです。瀬戸内海は水がきれいで有名なところのはずです。普通にフェリーで走っていると、きれいです。ところがヨットは、ここに乗っていると、このへんに水があります。(手で示す)水の距離がすごく近い。そうすると、絨毯を仕舞うときに巻きますね、その巻いた絨毯のようにして、水の上に汚れが流れてきます。それはプラスチックもあるし、いろいろな紙もあるし、流れてくる。ビニールの袋などはスクリューに引っ掛かってしまう。小型船のスクリューにそういうものが引っ掛かると、水の中に入らないと取れない。そういうことで、これは何という汚れかと思いました。
それから水島は岡山倉敷にある大工場地帯ですが、水島のハーバーに着けるので四国のほうから行きました。そうしたら水島の上には傘のように茶色の雲がかかっている。これは1985年です。本当にこれは驚きました。陸にいると気がつかないで、あの空気を吸っているんだなと思いました。たぶん東京の上にもああいうのがあるのでしょう。そういうことで、私たちは船に乗るべきだなと思った。船に乗って陸を見ることは、いろいろな面で自分たちの暮らしがおかしいことを実感させてくれる大きなきっかけになると思いました。
いま子どもたちにできるだけ海を味わわせることを、皆さんも心がけていらっしゃるでしょうが、なかなか親にはそれができない。自分たちが忙しい。時間がない。海にいくとお金がかかります。海で遊ぶことがこれほどお金のかかる国は、先進国でないのではないかと私は思います。どこの国でもプレジャーボートはもっと安くて、日本はヨットがすごく高い。それだけではなくて、ヨットハーバーがものすごく高く、1フィートいくらという値段で決まっています。外国に行くとそんな立派な設備がない代わりに、あらゆる入り江にたくさん船が泊まっている。それは棒だけ立っていて、そこに結びつけておくという感じのもやい方をしている。それで十分なのです。
レジュメのリストに入っているアーサー・ランサムの全集が岩波書店からずっと昔に出ましたが、今は文庫本で出ていますが、これをご覧になると、子どもがどうやって水に親しんだか、船を操れるようになるかがよくわかります。古本屋で見つけたらぜひお買いになってください。私が本当に残念だと思うのは、これほど管理されている海に、私たちが慣らされてしまっているということです。よその国に行くとこんなに自由なのに、どうして日本はこんな状況なのかという不思議さ、それを知ることが一つのきっかけになるのではないかと思います。
|