日本財団 図書館


 日本映画でいえば市川雷蔵の『新平家物語』です。ラストシーンで勝った側が白衣を着て、桜の木の下で酒盛りをして踊っている。それを敗れた青年の日の平清盛が睨んでいる。「踊れ、踊れ。しかし明日は俺の時代だ」。これでエンドマークが出るのです。子どものときは、こういうものに非常に感動します。これは少年の気概を描いているわけです。
 当時私は漫画でずいぶん首も飛びましたし、いろいろなときに描いた漫画の中にあります。「しかし俺は15だ。まだ未来はあるぞ」というのは、実はこの変形です。そういうものに感化を受けるのです。小さいときに刷り込まれたものは生涯を律するのです。少年少女の小さいときの思いというのは、何歳になっても生きているのです。
 『新平家物語』でも、実はその映画の比叡山の僧兵のエキストラには一昨年亡くなったソニーにいた私の親友が、目立ちたくてカメラの前にしゃしゃり出ては張り倒されていたといういわくが、あとでわかりましたが、どこかで不思議な因縁があります。
 それでも幼少のころの悔しい思いなどが、あとで自分を助けてくれる。未来というのはどこにあるかというと、いまから言う未来というのはすべていまの子どもたちの心の中にある。だから子どもたちを侮ってはならない。大人たるもの、子どもたちの前でみっともないこと、それこそ私が「亡国の民よ」と思ったような惨めな姿をさらしてはならない。子どもたちの前では毅然としてほしいと思います。
 私はストーカーにやられたこともあります。無言電話を8000回ほどくらいました。逆探をかけて本人を確認したとき、出たのは少年でした。「お母さんを呼びなさい」と言うと「どちら様でしょうか」と、すごく礼儀正しいのです。替わったときに「俺か誰だかわかるか」と言うと、「わかりません」と言う。
 では「なぜこんなに電話をするのか」と言ったら相手ははっとして泣こうとした。そのとき、思わず「泣くな」と怒鳴りました。「その子はあなたが頼りなのだ。子どもの前で泣いてはだめだ。だから公衆電話か携帯か、どこか外から電話をくれ」ということで話をした。
 そうすると、向こうの勘違いだったのです。私が対象ではなかった。一種の間違い電話です。「それならば、これはこれでいい。すべて忘れるから、子どもの前では頑張りなさい。泣いてはだめだ」と言いました。それはよかったと思っています。子どもの前でその女性に泣かれたら、目も当てられません。そういうことも含めて、大人たるもの子どもの前で不埒なことをしてはならない、醜態をさらしてはならないというのが信念です。
 その子たちが未来をつくるのです。だから若者を侮ってはいけない。これは日本の若者だけではなく世界中の若者もそうです。私は自分でつくったカメラで終戦直後の自分を写しています。ボロボロの難民状態です。その少年が米軍の戦車を睨んでも、涙でかすんで見えなかったのです。どこの国の少年少女でもそうだと思います。みかけよりも子どもの心は進化しています。ですからいかなる国の子どもの前でも、不埒な振る舞いをしてはならない。若者や子どもを侮ると、その子どもたちの未来から痛烈なしっぺ返しを受けるというのが信念です。
 若者にはエールを送るべきで、絶対にそれを邪魔してはならないと思います。エールを送って、うまくいけばにっこり笑う。未来はその子どもたちの胸の中、若者たちの胸の中にすでに実在している。なぜならいまここから見ている高層建築のいろいろなものは、これは実はわれわれの世代が夢見て憧れた世界です。こういうものに猛烈に憧れたのです。つまり、われわれの世代がそれぞれの職域で責任を持ってそれをつくれるときになったとき、これをつくってしまった。これはわれわれの夢が具現化した姿です。
 長所、欠点があるわけですが、それならば未来というのは少年少女、いまの若者たちの中に実在していると考えてもいい。順番にそれが具体的に、責任を果たせる世代になるとつくりあげていく、そういうものだと思っています。
 最後になりますが、船という概念は、もともと人間は丸木船から始まって水の上を動くようになりました。水生動物だったころはまた別ですが、それから巨大船のこのような船やらタイタニックやら何やらになり、戦艦大和やそういうものに順番にいきました。船という概念は、水上から始まって宇宙船に至るまで全部「船」という名前で呼ばれる時代が来ると思います。当然このサイズの船、もっと大きい船が宇宙を行き来するようになるのは、必然的な運命だと思っています。そうでなければ、地球上の生命体の未来はありません。
 いまの宇宙開発は何のためかということを欠落して言わないですが、実際は人類の生存をかけた闘いなのです。宇宙へ宇宙船を飛ばし、宇宙で資源を得、危険な構造物は宇宙に持ち出し、居住権の拡大を図っている。そうしなければ、恐竜のような惨めな最期が来る。金星を地球化すれば、地球は2個になるわけです。火星は少し小さいのでややこしい。
 いま盛んに行われている飛行実験は、「おたまじゃくしなんかを持って行って」と悪口を書いた新聞記事を見たことがありますが、あれは遊びで持って行ったわけではありません。無重力が影響する遺伝子がどう変化を起こすか。一世代ではトマトもバナナもメダカも鯉もカメもカエルも変化しません。あれが無重力の中でしばらく過ごしたあと、何世代か後に突然変異的に問題を引き起こす可能性がある。そのための実験材料として持って行っているわけで、決して遊ぶためではありません。直径5メートルのトマトができる可能性もあって、人類自身もどういう変質をするかわからない。
 そういう遺伝子的な意味でも隔世遺伝といったものの研究のために行っているのです。ですから宇宙船というのは当然この船の延長として宇宙を行き来するようになるだろう。いまの子どもたちの世代は、いやおうなく火星に3カ月間単身赴任してくれと言われたり、5年間金星に行ってくれないかと言われてベソをかく時代が来ると思います。飛ぶのは当然のことです。
 また、私は列車を描きました。あれは自分が列車で来たから旅という思いで描くのですが、もう一つの意味があります。誰があの巨大な丸や四角い船を飛ばすわけはないと思います。当然、宇宙を何万人か乗せて飛ぶのなら、ある長さのものを延々とウィンナーソーセージのようにつないで飛んで行って、火星や金星の上で切り離して順番に降りるはずです。それが宇宙列車です。宇宙列車も必ず存在する。船も列車も、つまりは最終的には星の海を飛ぶことになる。地球上の海、星の海もまた海でいずれそこを飛ぶことになる。われわれの子孫は、間違いなくそこへ行くでしょう。それを楽しみにしています。
 いまそこの技術開発を怠っていると、1000年後、2000年後の危機に瀕したときの人類からわれわれが恨まれるわけです。先祖たちは何をしていたのか、ばかかと言われたくないから、犠牲を払って悪口を言われても頑張るべきです。一発、二発、ロケットが海に飛び込んだからといって、それがどうした。
 納税者として言います。それは人類の当然の義務です。それは、人間だけを助けるだけではありません。地球の居住権の拡大、つまり生存権の拡大というのは人間が何のために知力を持っているかということを考えたとき、自然から命じられた使命があると思います。人間よ、その考える力で生きとし生けるものの命を守りなさい。地球上に生きている生きとし生けるものすべての命をあなた方が守りなさい。その代わり知力というものを授けましょうといってくれたものです。これは宗教的な概念は何もありませんが、生命の進化の原理として、人間にその役割が与えられたのだと思っています。
 ですからわれわれには、地球上すべての生き物、生物の未来の命を守る義務があるのです。いまはその過程で、残念ながらまだ戦国時代のいちばん最後みたいな状況ですが、しばらくすると地球人という一単位になる。いまでも会津の人と鹿児島の人がはち合わせると、時々戊辰戦争や城山落城の部分のところで何かします。
 熊本で「青葉城恋唄」を歌いたいと言うと、破ってあってないのです。どうしてないのかと聞くと、そこのマスターは「そのような敵国の歌が歌えるか」と言うのです。冗談ですが、一応は破ってあるのです。その程度の確執です。未来の地球人同士はお互いに地球人という一単位で、先祖はどこだったというくらいの程度になる。
 最終的には同じような肌の色、顔つきをした一つの単位にまとまっていくでしょう。それが共同して、肩を並べて宇宙を飛ぶと思っています。宇宙の船です。そのときは共同して生きとし生けるものの命を守るために、それが使命だと言い合いながら飛ぶだろうと思っています。
 これをもって、このお話を終わりにしたいと思います。どうか宇宙開発にも船も応援してください。それは全人類、全生命体の未来がかかっている。またおチビさんたち、若者に無限大のエールを送ってください。大人が子どもを殺す。子どもたち同士が傷つけ合うということは、あってはならないことです。百歩譲っても、大人たるもの子どもの盾になる役割があるのです。
 動物でもやります。子どもを襲おうとすると、親が盾になります。どんな猛獣でも牛でも馬でも親が必ず立ちふさがります。大人たるもの、幼い命を守る義務があり、盾だと思っています。子どもたちが平安に夢を果たせるような社会になってほしいと思います。現状を見ていると、時々悲しくなります。無限大の未来を年上の者が傷つけている。殺しているわけです。それはいけない。それは守るべきものだと思っています。もう一度言います。大人たるもの、子どもの盾となれ。これにて今日のお話の締めくくりとしたいと思います。
 私自身は66歳で爺呼ばわりされてもしょうがないけれども、65になって老人介護保険というのが来たときに「おれが爺か」とむかっとしました。うちの若いのから言わせると、それはあたり前だと言われるわけです。「しかしいいか、お前も公平にいずれはこうなるぞ。誰一人分け隔てはない。お互いに順送りなのだから」と言うと納得する。
 しかし65のときに介護保険という通知が来たときはむかつきました。何のつもりだと思ったけれども、しょうがありません。頭の中は子どものときのままです。しかし鏡を見るとなるほど白髪になったし、これはしょうがない。友人たちを見ても、白髪になったり禿げたりしている。万人おしなべて公平に年をとるのだから、誰がどうという問題ではない。しょうがないだろうということで苦笑いをしています。どうかご健康に気をつけられて、楽しく、そして少年少女たち、おチビさんたちにエールを送って励ましてあげてください。よろしくお願いいたします。今日は本当にありがとうございました。(拍手)
司会 どうもありがとうございました。それではご質問のある方はいらっしゃいますか。せっかくの機会ですから、何かお聞きになりたい方がございましたら、お手を挙げていただければ。いちばん後ろの男性の方、どうぞ。
質問 あの船に“ヒミコ”という名前がついていますが、ご出身からのネーミングですか。
松本 吉野ヶ里遺跡のそばということもありますし、また、あの船には外国の観光客も大勢乗られます。そのときにややこしい名前をつけると、何の何の何と説明するのは面倒くさい。卑弥呼、日本の最古の偉大な女王様、これで済みます。そうすると、おおっということで単純明快にしました。ネーミングというのは、なるべく説明を要しない単純明快なものがいい。古代、日本最古の偉大な女王様ということで済んでしまう。そういう意図もあって、「ヒミコ」という発音も非常に楽だということです。
司会 よろしいでしょうか。それでは、これをもちまして第1回、松本零士さんの講演会を終了します。本日はどうもありがとうございました。
 
平成16年9月11日(土)
於:“羊蹄丸”アドミラルホール
 
■講師プロフィール
松本零士(まつもと れいじ)
 
本名・松本晟(まつもと あきら)
昭和13年(1938)、福岡県久留米市生まれ。
小学生の頃より漫画を描き始め、地元紙などに投稿が採用されていた。
昭和29年(1954)、雑誌『漫画少年』の第1回長編漫画新人王を『蜜蜂の冒険』で受賞。
昭和47年(1972)、下宿体験をもとに描いた『男おいどん』が大ヒット。講談社出版文化賞を受賞。
その後、「宇宙戦艦ヤマト」、「宇宙海賊キャプテンハーロック」、「銀河鉄道999」等のヒットを生み、いずれもTV・劇場用アニメ化された。
特に「銀河鉄道999」は、昭和54年(1979)の邦画収入1位を記録した。
今年漫画家活動50周年を迎える。
日本宇宙少年団理事長、宇宙開発事業団参与、中央青少年団体連絡協議会会長も務める。
日本漫画家協会特別賞、小学館漫画賞、平成13年紫綬褒章受賞。
本年3月に就航した未来型水上バス“ヒミコ”をデザイン。
来春開校のデジタルハリウッド大学の特別教授。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION