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環境教育テキスト 瀬戸内海?里海学入門

 事業名 瀬戸内海沿岸域における浜辺の観察教室による実践環境教育
 団体名 瀬戸内海環境保全協会  


3. 瀬戸内海の成立と地形
3.1 瀬戸内海の成立 ―昔、瀬戸内海は陸地だった―
 今から約2万年前の氷期(ひょうき)の最盛期には、地球上の水分の多くが氷河として地上にあったために、海面は現在より130m程度低くて、瀬戸内海は全域が陸地でした。備讃瀬戸あたりを境に、大きな川が東と西に流れ出し、紀伊水道と豊後水道を抜けて、太平洋に注いでいました(3.2節の地図参照)。そのころ日本と大陸は陸続きで、ナウマン象などの大型哺乳動物が大陸から日本に渡ってきていて、瀬戸内海は彼らの通り道でした。その移動の途中で、瀬戸内海で命をおとしたナウマン象も数多くいたのでしょう。瀬戸内海の漁民の底引き網によって海底から引き上げられたナウマン象の骨が、瀬戸内海沿岸各地の神社に奉納されています。また、ナウマン象の化石は愛媛県立歴史博物館などで見ることが出来ます。
 それから次第に地球の気候は温暖となり、地上の氷河が解け、海面が上昇してきて、約7千年前に、現在の瀬戸内海の形がほぼ出来上がりました。約6千年前には現在より数m高い海面にまでなりましたが、その後海面は下降し、約5千年前に現在の海岸線に落ち着きました。瀬戸内海各地の縄文遺跡は瀬戸内海の形が出来た6〜7千年前当時の河辺か海辺に位置しています。また、瀬戸内海に散在する700余りの島々は、氷期の瀬戸内海に存在した小高い山々の頂の名残です。
 
海底から引き上げられたナウマン象の牙
(愛媛県立歴史博物館)
 
2万年前の瀬戸内海(せとうちネットより)
 
6千年前縄文時代前期の瀬戸内海
黒い部分は当時の海で、現在の陸を表す(井内、1998)
 
3.2 海底地形の特徴 ―潮流がつくる海釜と海砂―
 瀬戸内海の水深は下図に示すように、燧灘では20mくらいですが、豊後水道・紀伊水道南部では200mより深くなり、平均水深が4,000m程度の太平洋につながっています。
 瀬戸内海の中でも速吸瀬戸、来島海峡、明石海峡、鳴門海峡周辺は強い潮流のために海底が浸食され、海釜(かいふ)と呼ばれる凹形地形が発達して、水深が300mを超える場所もあります。海釜が浸食されて作られた海砂が伊予灘、燧灘、播磨灘、大阪湾など海峡に隣接する各灘・湾の海底に広がっています。
 
瀬戸内海の水深分布(数字はmを表す)
 
鳴門海峡の海釜
数字はmで表した水深(井内、1998)
 
3.3 海砂採取 ―数千年かかってできた海砂―
 瀬戸内海の海底には、海岸から海峡に向かって砂、砂混じり泥、泥、砂混じり泥、砂が帯状に分布しています。これは海岸近くでは波による強い流れ、海峡近くでは強い潮流がそれぞれ海底の土粒子を動かす主な流れとなっていて、細かい粒径を持った泥は堆積出来ずに流されますが、海岸や海峡から遠ざかるにつれて、流れが弱くなり、それらが堆積しやすくなるためです。またこのことは、海岸近くの砂は河川から供給されたものですが、海峡付近に存在する海砂は海峡部の浸食により、瀬戸内海が成立して以来、数千年を要して供給されてきたことを示しています。したがって、海峡付近に存在する海砂(うみずな)を採取すると、その海底地形の回復には数千年かかることになります。
 
瀬戸内海の底質分布
 
 瀬戸内海の海砂は、橋やビルなど陸上のコンクリート構造物の必須材料として使われてきたため、日本の経済成長に伴って盛んに採取されてきました。現在でも瀬戸内海の海砂採取は一部で続けられていますが、海砂を採取すると、次の節で述べるようにイカナゴの生息場所が消滅するなど、海洋の生物に様々な悪影響を与えることがわかってきたので、瀬戸内海の海砂採取は全面禁止される方向にあります。
 
海砂の採取量(せとうちネットより)
 
3.4 消えたアビ漁 ―海砂がなくなるとアビが居なくなる―
 瀬戸内海には、毎年冬になるとアビという渡り鳥がやってきていました。アビはアヒルくらいの大きさで、5月末にはシベリアなど北方の繁殖地に帰ってゆく冬鳥です。広島県豊島や愛媛県岡村島はアビの飛来地のひとつで、付近の水面は国の天然記念物に指定されています。この付近の海域では昔からアビ漁が盛んに行われていました。アビの好物はイカナゴです。イカナゴはまたタイやチヌの良い餌にもなります。立春(2月3、4日頃)から八十八夜にかけて、多数のアビに追われたイカナゴは群れをなして海面近くを泳ぎますが、その下にはイカナゴを追って、タイなどが集まってきています。漁民はアビを目安にしてイカナゴの魚群に近づき、まずタモ網でイカナゴをすくい上げ、それを餌にしてタイ、チヌなどを釣り上げるのです。このような漁法はアビ漁と呼ばれていました。
 イカナゴは、水温が24度を超える夏季は海底の砂の中で夏眠(かみん)します。したがって、海砂がなくなると、イカナゴは住む所を失います。
 1965(昭和40)年頃まで、豊島や岡村島付近には約1万羽のアビが飛来していましたが、1992(平成4)年にはそれが約200羽まで減少し、現在ではほとんど飛来しなくなりました。島の周辺海域の海砂採取により、イカナゴが減少して餌がなくなったこと、増加したレジャーボートなどの騒音が、アビが飛来しなくなった原因だと考えられています。そして、豊島・岡村島付近のアビ漁は行なわれなくなってしまいました。
 人の生産活動(海砂採取)が自然(イカナゴ、アビ)を変化させ、自然の変化が人の生産活動(アビ漁)を変えてしまったひとつの例です。
 
海砂採取 → イカナゴ減少 → アビ減少 → アビ漁消滅
 
イカナゴ
 
イカナゴを食べるアビ(せとうちネットより)


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