日本財団 図書館


人間関係トレーニング
私を育てる教育への人間学的アプローチ
監修 南山短期大学人間関係科
編者 津村俊充
山口真人
発行所 株式会社ナカニシヤ出版
23 対話の中での聞き手の留意点
 私たちは人と話をすることや人の話を聞くということを、ごく普通に日常生活の中でおこなっています。けれども、言葉を通して他者と理解し合える喜びを、いつも感じることができるとは限りません。どんなに言葉をつくしても相手にわかってもらえない悲しみや怒り、あるいはどんなに一生懸命に聞いても相手の話がわからない虚しさやとまどいは、多くの人が体験していることでしょう。
 私たちは長い間言葉を使っていながら、なぜ十分にわかり合うことができないのでしょうか。その答えを解く1つの鍵は、私たちの使う“言葉”は“記号”であるという特性にあります。たとえば、乱暴な言葉がいつも相手に対する否定的な感情を伝えているとは限らず、ときにはそれが親しみの表現になっていることは日常よく体験します。つまり同じ言葉でも、状況によってその言葉に含まれている話し手の気持ちは異なっているということなのです。つまり言葉というものは伝えたいことを表現する一種の一般的な“記号”であって、伝えたいことそのものではないからなのです。
 
□ 言葉はキャンディの包み紙
 
 “言葉”とそれによって“語られていること”とは、ちょうど“包み紙”とその中身の“キャンディ”の関係に似ています。“包み紙”=“言葉”が、その中身である“キャンディ”=“語られていること”を表しています。たとえば、あなたが誰かからキャンディを1つ手渡されたとしましょう。相手が渡したいものはその包み紙ではなく、中身のキャンディです。その時あなたは、その包み紙にレモンの絵が書いてあれば、きっと酸っぱい味がするだろうと想像し、リンゴの絵が書いてあれば、その香りや味を想像するでしょう。つまり、あなたはキャンディの包み紙(=言葉)を見るだけで、相手があなたに渡そうとしているキャンディ(=語られていること)がどんな味なのかがわかるということなのです。ときには、包み紙にフルーツとしか書かれていなくて、それがどんな味なのかよくわからないことがあるように、言葉からは相手が伝えようとしていることがすんなりとわからないこともあります。しかし、もし私たちが包み紙よりも中身のキャンディそのものに注目し、それを積極的に知ろうとするならば、相手があなたに渡したいと思っているキャンディを手に入れることができるはずです。そのためには話し手が、記号としての“言葉”を適切に使っていることはもちろん大切なことです。しかし同時に、語られていることを探し出そうとする聞き手の側の関わりがなければ、キャンディを手に入れることはできません。お互いがわかり合うためには、両者の共同作業が必要なのです。
 ここでは特に、相互理解のための聞き手の側の課題に焦点を当て、マイクロカウンセリングの研究成果に基づいて、聞き手の具体的な反応が話し手との共同作業にどのような影響を与えるかについて考えてみましょう。
 
□ 最小限の励まし
 
 相手の言葉を一生懸命に聞いているとき、おそらくあなたは相手の目をじっと見つめ、身を乗り出し、「うん、うん」と軽く相槌を打っているでしょう。ときには「ああそう、ふーん、わぁ、すごいね」などのように、短い言葉を口にしているかもしれません。この行動は“最小限の励まし”といいます。聞き手がこのような行動をとりながら話を聞いているとき、話し手は、自分の話が相手に興味をもって聞かれていると感じます。そして、このまま自分の思うように話し続けてもよいのだと思うことができます。たとえ短い言葉であっても、そのような反応は、相手が言葉を続けることを励ましているといえるでしょう。
 しかし、いつまでたっても短い言葉の反応しか返ってこなかったらどうでしょう。話し手は「さっきから、うん、うん、ばっかりで何よ。ちゃんと聞いてくれてるの?」と怒りたくなるかもしれません。次に、話し手が言葉を言い終わった後、聞き手がどんな反応をするのかをみていきましょう。
 
□ 閉ざされた質問と開かれた質問
 
 相手が話したことだけでは相手の伝えたかったことがよくわからない時、聞き手は相手に“質問”をするかもしれません。質問の仕方にもさまざまなものがありますが、マイクロカウンセリングでは、質問を大きく2つのタイプに分けてとらえています。1つは「それは昨日の夜のことですか?」や「じゃあ、もうやめてしまったの?」などのように、話し手が「はい、いいえ」か、あるいは短い言葉で答えられるような聞き方をするもので、“閉ざされた質問”といいます。もう1つは、「もう少し詳しく説明してくれない?」や「どうしてそんなことを思ったの?」などのように、話し手にもっとたくさん話すことを求めるような聞き方をするもので、“開かれた質問”といいます。この2つのタイプの質問は、それぞれ相手に異なった影響を与えます。
 質問をされると、答える人は質問をした人の関心が自分に向いていることを感じます。それが“閉ざされた質問”であれば、さらに質問した人が何を知りたがっているのかがわかります。もしもそのとき、答える人自身があまり話したいと思っていなければ、「はい、いいえ」などの簡単な応答をするだけで済みますし、もっと話したいと思っていれば、それに続けて自分から話していくことができます。したがって“閉ざされた質問”は、話し手と聞き手の関係がまだ十分に深まっていないときには、話し手にあまり負担をかけることなく会話を始めるきっかけを与えます。たとえば「元気ですか?」や「ゆうべはよく眠れましたか?」という質問から、二者の会話が始まっていくことはよくあることです。
 しかし、もし“閉ざされた質問”ばかりがおこなわれたらどうでしょうか。たとえば医者が「喉は痛みますか?」「熱はありますか?」と次々と質問し、必要としている情報を得ようとする場合を考えてみてください。“閉ざされた質問”によって引き出される答えの内容は、診断を下そうとする医者の関心事であって、必ずしも話し手が伝えたいと思っていることばかりではありません。したがって“閉ざされた質問”ばかりで成り立っている会話は、聞き手自身の興味や関心を満たすためだけの会話となってしまう危険性を含んでいるといえます。特に「A or B?」という質問は聞き手が自分の納得のためにおこないがちな質問の典型です。たとえば「あなたは嬉しいの、それとも嬉しくないの?」と聞き手がどちらか一方の答えを要求するような質問です。たしかにこのような聞き方をすれば、話し手の気持ちや考えははっきりするでしょう。しかし一方で、話し手は示された2つの答えのうちの1つを選択するように強制され、話し手の自由な発言は奪われてしまうことにもなるのです。
 それに対して“開かれた質問”は、話し手の自由な発言を可能にします。“開かれた質問”をされた話し手は、自分自身の言葉によって自分が伝えたいと思うことを表現することができます。話すことは話し手自身の関心事であり、話し手のペースで会話が進んでいきます。そしてその時に、聞き手が自分の興味や関心にこだわらずに、話し手の言葉に寄り添って聴くならば、話し手が本当に伝えたいと思っていることに近づくことができるでしょう。
 それでは聞き手は“開かれた質問”だけをおこなえばよいのかというと、そうではありません。話し手に主導権を与える“開かれた質問”も、状況によってさまざまな影響をもたらすことがあるからです。たとえば、“開かれた質問”は“閉ざされた質問”に比べて話し手の積極的な自己表現を求めますから、聞き手に対してまだ十分な信頼感をもてるようになっていない話し手にとっては、もっと話さなければならないということを負担に感じるかもしれません。また“開かれた質問”をおこなうということは、同時に「私にはあなたの言っていることがよくわかりません」という聞き手のメッセージを送ることでもあります。したがって、話し手自身は十分に説明しているつもりなのに、相手から“開かれた質問”が続くと、「この人はちっともわかってくれていない」と感じるようになるかもしれません。特に「なぜ」で始まる質問は、聞き手が理解できていないということを示すばかりではありません。たとえば、「なぜ行かなかったの?(行った方が良いのに)」や「なぜそう思うの?(そんなことを思うなんておかしいわ)」というように、聞き手自身は意図していなくても、( )内にあるような話し手に対する評価を暗黙のうちに伝えることがあるからです。
 このように質問は、その仕方によって聞き手にとって必要な情報を得たり、話し手の表現を促したりして会話を生み、二者の関係を作っていきます。では、質問以外にはどんな反応をおこなっているのでしょうか。
 
□ 自己開示
 
 あなたは相手の話を聞いて、「そういえば私も・・・」とか、「私の場合は・・・」というように、自分の経験や考えを話すことがあるかもしれません。これを“自己開示”といいます。聞き手が“自己開示”をおこなうと、話し手は、自分の話に聞き手が関与してくれていることを感じます。話し手は、聞き手が自分に対して心を開いていることを感じ、聞き手に親しみを感じるでしょう。また、話し手だけが自分のことを語るのではなく、聞き手も同じように自分のことを話すことは、話し手にお互いの関係が対等であることを感じさせるでしょう。ときには、聞き手の自己開示の中で述べられた意見や考え、アドバイスによって、話し手はそれまでは思いもつかなかった新たな側面に目を向けることができたり、自分の思いを整理することができたりするかもしれません。特に話し手にとっては、自分に対して聞き手がどんな感情や考えをもっているかは気になることですから、聞き手の正直で好意的なフィードバックによって話し手は自分が大切にされていると感じることができ、二者の関係を改善したり信頼関係を深めたりすることに役立ちます。
 しかし聞き手自身の“自己開示”も、状況によっては話し手の表現を妨げ、話し乎が手渡そうとしたキャンディを取り損ねてしまう結果になることがあります。たとえば「この間友達とスキーに行ったときね、その子とけんかしちゃったの。」という言葉に対して、聞き手が「私もね、この間温泉に旅行に行ったのよ。」と話し始めたらどうでしょうか。話し手は旅行先での友達とのけんかについて話したいと思っているのに、聞き手が自分の旅行の体験を語り始めたことによって、話し手の思いはさえぎられてしまいます。聞き手がキャンディに注目せず、“言葉”という“包み紙”に反応してしまうと、せっかくの聞き手の“自己開示”もお互いの関係を深めることには役立たないのです。
 
□ 要約すること
 
 それでは、聞き手が自分の思いではなく、話し手が話した内容に対して反応する場合はどうでしょうか。話し手は、一度に1つの事柄だけを述べるとは限りません。日常生活の中では、初めから伝えたい事柄を整理し、頭の中で筋道を立て、言葉を用意してから話し始めることはまれなことでしょう。話し手はいくつかの状況やそのときの思いを、次々とまとまりのないままに話すかもしれません。そのような話を聞いて、あなたは次のように言うかもしれません。「つまりあなたが言いたいのは・・・だったということなのね。」あるいは、「要するにあなたは・・・をした後でそれがわかったのね。」というように、話し手が話した内容をまとめて、聞き手自身の言葉で言い返すことを“要約”といいます。自分の話したことが聞き手によって“要約”されるのを聞くと、話し手は、自分が伝えたかったことが、聞き手に正しく伝わったかどうかを確認することができます。もしも自分が伝えたかったことが正しく要約されていれば、話し手は聞き手に理解されたことを知り、満足すると同時に聞き手に対する信頼感を抱くでしょう。逆に、もしも要約されていることに間違いがあれば、話し手は聞き手に正しく理解されていないことを知ります。それは新し手をがっかりさせるかもしれません。しかし、自分がまだ十分に理解されていないということを知ることで、話し手は聞き手を正しい理解に導くように、さらに、説明を加えることができます。聞き手によって話の内容が要約されているのですから、話し手にはその中のどの部分を訂正し、どのような説明を加えたらよいのかが分かるでしょう。つまり、“要約”はたとえ十分に正しくなくても、話し手によって修正が加えられていくことがあれば、お互いのより深い理解を促進することに役立ちます。聞き手が本当は十分に理解していないまま、「あなたの言うことはよくわかるよ。」と言って話し手に一時的な安心感を与えるよりも、時間をかけて聞き手の理解を確認し、修正してゆくことの方が、最終的には相互理解にとって良い結果をもたらすことでしょう。
 
□ 感情の反映
 
 話し手が述べた事柄の中の、どの部分に焦点を置いて要約するかということも、聞き手の反応にとって大切なポイントです。特に、聞き手が、話し手の感情に注目し、表現されている感情を要約したり確認したりすることを“感情の反映”といいます。誰かにわかってもらいたいと思う時、多くの場合、伝えたい事柄は単なる事実の羅列ではなく、その時の話し手自身の感情であることが多いものです。友達とけんかをしたことを話す人は、どんなふうにけんかをしたのかという様子を伝えたいのではなく、おそらく、その様子を述べることで自分の怒りや悲しみをわかって欲しいのです。つまり、私たちがおこなっている対話の多くは、感情こそが話し手が渡したいと思っているキャンディの中身なのだといっても過言ではないほどなのです。したがって、もしも反映された感情が正しいものであれば、話し手は、自分の気持ちが相手に深く理解されて、自分が大切にされている喜びを感じることでしょう。
 最も簡単な“感情の反映”の方法は、話し手が述べた言葉の中の感情を表す言葉をそのままくり返して言うことです。たとえば、話し手が「それで私、頭にきたの。」と言ったことに対して、「そうなの、あなたは頭にきたのね。」という場合です。話し手自身が述べた言葉をくり返すのですから、相手の感情を取り違うことはありません。ところが、この反映のしかたには落とし穴があります。自分の言った言葉を、相手がそのままくり返して言っているのを想像してみてください。時と場合によっては、何だか皮肉を言われているような感じがするでしょう。深いレベルの“感情の反映”は、相手の言葉をそのままくり返すのではなく、相手の言葉のうちに潜んでいる感情をとらえ、それを言語化することです。話し手が言語化していない感情をとらえようとするのですから、これはとても難しいことです。話し手の姿勢や表情、言葉の調子といった、非言語的な情報から感じとることが必要かもしれません。あるいは、たくさんの質問をし、何度も確認と修正をくり返した後に、初めてできることかもしれません。言い換えれば、“感情の反映”は単なる“聞き手の反応の仕方”という技術ではなく、相手を尊重し、ありのままを受け入れようとする聞き手の態度として実現することが大切だということなのです。
 
 このように、聞き手の反応は、それが意図的なものであろうとなかろうと、話し手やお互いの関わりに大きな影響を及ぼします。しかし、初めからどれが一番正しいとか、効果的であるとか、ふさわしいものであるかという事は決まっていないのです。むしろ相互理解を深めていくためには、その時その時に自分の目の前にいる話し手との関係の中で、相手に対する自分の応答に気づき、その影響の意味を知って、さらに深い相互理解を求めて働きかけていくことが大切なのです[本書21、24参照]。
 
文献
アウグスバーガー, D. 1982(棚瀬訳 聞く―心を通わせるために―すぐ書房)
Hargie, O., Saunders, C., & Dickson, D. 1987 Social Skills in Interpersonal Communication (2nd Ed.) London: Croom Helm.
Hill, C.E. 1978 Development of a counselor verbal response category system. Journal of Counseling Psychology, 25, 461-468.
アイビィ, A.E. 1985(福原・椙山・国分・楡木共訳編 マイクロカウンセリング 川島書店)







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION