3. 「私」と「あなた」の関係からの出発
3.1 理解に向けてのはじめの一歩
人間関係の基本は「私」と「あなた」の関係から始まります。相手である「あなた」がどんな人だかわからなければ、私たちは不安になります。そこで、コミュニケーションをとりながら、「あなた」がどんな人であるか、どんなことが好きで、どんなことが嫌いなのか等を理解していくわけです。もちろん、相手にとっても「私」がどんな人であるかがわからないわけですから、自分のことも相手に示していくわけです。そして、お互いのことが理解できたときに、スムーズな人間関係が築けるわけです。
日常生活の中では、多くの人が自分と気の合いそうな人、つまり、自分が理解しやすそうな相手、自分のことを理解してくれそうな相手とつきあうケースが多いと思います。自分と同じような趣味や考え方の人と友達になりやすいのは、相互理解が容易だからだと思います。
では、自分とタイプの違う人との関係はどうでしょうか? 相手のことがわかるようになるまで時間がかかるはずです。「食事に誘いたいんだけど、失礼ではないだろうか?」「家族のことを相談したいけれども、嫌じゃないかなぁ?」「時計を気にしているけど、早く帰りたいんだろうか?」など、仲良くなってしまえば、何でもないことがなかなか理解できないし、質問できないわけです。
障害のない人が障害のある人に初めて接したとき、自分との違いに戸惑ってしまうことが多いようです。障害のある人でも自分とは全く違う障害の人と初めて会うときには、戸惑うことがあるでしょう。相手のことをどう理解すればよいのか、自分がどのような行動をとればいいのかが思いつかないからです。最初は戸惑うかもしれませんが、心配しないでください。大学の新人生を見ていると、4月には敬語を使いながら、お互いに心理的な距離をとっています。相手のことがよくわからないからです。でも、一緒に講義を聴いたり、実習をしたりして、共に活動するチャンスが増えてくると、お互いに相手のことが把握でき、気軽に話ができるようになっていきます。最初の一歩は、一緒に活動したり、話をしながら、「私」と「あなた」の関係を創っていくことです。
3.2 自分のことは自分が一番よく知っている?−盲点
知識の量を比較すれば、自分について最も知っているのは自分自身でしょう。でも、自分のことはすべてわかっているのでしょうか? そんなことはありません。自分で気づいていないこと、すなわち、盲点もあるはずです。代表的な例は自分では自覚できていない癖です。また、能力や性格も自分自身で正確に理解するのは困難です。だから、学力検査をしてどこまで理解できているかを知るわけですし、雑誌等に出ている性格検査や占いに頼りたくなるわけです。盲点に気づかないままでいると、知らない間に相手に不愉快な思いをさせてしまうかもしれません。
3.3 相手に言いたくないこともある!
例え相手が恋人であったとしても、自分のことを100%さらけ出しているわけではないと思います。いくら親しくても内緒にしておきたいことの一つや二つは必ずあるものです。当然、初対面の人や信頼していない人には言わないことはたくさんあるはずです。「これまで言わなかったんだけど、実はね、・・・」と話し始めるときは、二人の関係が近づいている証拠です。「あなたのことが好きだったの」となればハッピーエンド、「他に好きな人ができたの」となるとどん底ですが、結果がどうであれ、内緒がある表面的な関係からお互いを理解するより深い関係へと進展していっていることは事実です。障害のある人にいい支援をするためには、障害のある人が自分のことを語りたくなるような関係づくりが必要です。
3.4 お互いに共有できる領域を増やす関係づくり
カウンセリングの分野に二人の対人関係を示す興味深い理論があります。「ジョハリの窓」という「対人関係における気づきのグラフ式モデル」(Joe Luft & Harry Ingham, 1955)です(佐治ら, 2001)。自分(私)と相手(あなた)の二人の関係を思い浮かべてください。まず、自分自身のことについて考えてみます。先にも述べたように、自分のことでありながら、「わかっている(気づいている)」ことと「わかっていない(気づいていない)」ことがあるはずです。次に、相手から自分がどのように見られているかを考えると、相手が「わかっている」ことと「わかっていない」ことがあるはずです。二人の対人関係はこの組み合わせ、つまり、自分も相手もお互いにわかっている領域(開放)、自分ではわかっているけれども相手はわかっていない領域(隠している)、相手はわかっているのに自分では分かっていない領域(盲点)、そして、自分も相手もわかっていない領域(未知)に分けられるのです。このモデルではお互いにわかっている「開放」の領域が大きいほど二人の関係はよいということになります。例えば、仲のいい恋人同士の場合、お互いのことをよく知っているわけで「開放」の領域が多いのです。ところが、隠し事が増えてくると「開放」の領域が減るわけで、二人の関係はぎくしゃくしてきます。また、相手が盲点(例えば、悪い癖)に気づかなかったり、改善しないままでいると、不愉快な思いをすることがあり得ます。すなわち、お互いに隠していることが少なくなり(自己開示;self-disclosure)、相手からのフィードバックによって盲点が減っていけば、「開放」領域が増え、よい対人関係になるわけです。
<ジョハリの窓>
4. 障害のある人の支援と共感的理解
4.1 障害のある人と支援する人の関係
障害のある人と支援する人との関係を「ジョハリの窓」の考え方から捉え直してみましょう。
(1)支援する人から見た障害
障害のある人のバリアを軽減できるような環境整備をしたり、人的な支援によって障害のある人の活動性(activity)が広がることは多くの人が気づくことだと思います。障害のある人に対して、その人がまだ知らない環境改善や支援の可能性を示していくことはフィードバックに相当するわけです。しかし、いくら自分のためだとはいえ、自分か気づかなかったことをいきなり指摘されるのは気持ちのいいことではありません。障害のある人の気持ちを考えながら環境改善の方法や支援等を紹介していく必要があります。また、かゆいところに手が届くようないい環境を用意したり、支援をするためには、障害のある人に教えてもらわなければならないことがたくさんあります。例えば、「どんなところに誰と行きたいのか?」「どんなことに興味があるのか?」等がわからなければ、どんな環境整備を行ったり、どんな支援を行えばよいのかわかりません。でも、何に興味があるかというプライベートな事柄は、いい関係が築けていないと教えてもらえない、つまり、自己開示してもらえないわけです。
(2)障害のある人から見た支援
自分の障害のことは自分が一番知っているのでしょうか? ジョハリの窓の考え方から言うとノーです。誰だって自分で気づいていないこと、すなわち盲点もあるわけです。支援者とよりよい関係を形成し、よりよい環境を創造したり、快適な支援を得るためには、障害のある人は自分の盲点を支援者からフィードバックしてもらう必要があります。フィードバックは自己理解を推進することになります。また、「いくら説明しても理解してもらえない」とあきらめないで、今まで知らせていなかったことを、必要に応じて、自分のプライバシーの倉の中から出していくこと(自己開示)も大切です。そうすれば、支援者との対人関係が快適なものにでき、結果としてより快適な環境、よりいい支援が受けられる可能性が見いだせるかもしれません。
4.2 共に活動することで広がる理解
お互いに自己開示をしたり、盲点をフィードバックできる関係になるためにはどのような努力をすればよいのでしょうか? 初対面の人にいきなりプライベートな話を自己開示したり、相手の悪い癖を指摘(フィードバック)したら、かえって関係は悪くなるだけです。自己開示をしたり、フィードバックできるような関係づくりが大切です。そのためには、相手と一緒にいるチャンスを増やし、相手の話を聞いたり、相手の行動をよく観察する必要があります。いつも障害のある人と一緒にいれば、障害のある人のことを理解する「チャンス」にたくさん遭遇します。例えば、視覚障害の人に声をかけるときに「こんにちは」と言っただけでは相手に伝わらないことがあります。「こんにちは」という声が聞こえても、誰が誰に挨拶をしたのかがわかりません。視覚障害の人達とのつきあいが多い人は「伊藤さん、こんにちは。横浜の中野です。お久しぶり!」と声をかけた方がよいことを知っています。そういう声のかけ方が喜ばれますし、もし、そうしなければ無視されてしまうわけで、知らず知らずのうちに適切な支援方法を学習しているわけです。このように一緒に活動していれば、どのような接し方やどのような環境を相手が望んでいるかがわかってきます。
4.3 一歩前へ−適切な支援から共感を伴う支援へ
障害のある人と一緒に活動していれば適切な支援方法やどのような環境が快適かがわかるようになってくるわけですが、さらに一歩前に進んでいく必要があります。先に専門家の中にも気持ちがわかってくれない人があるという例を示しましたが、適切な環境や支援を一方的に提供するだけでは不十分なのです。支援を受けることに躊躇している気持ち、適切な環境や支援に出会えた喜び、不適切な環境や対応に対する怒りや憤り等、相手の感情的反応への理解(共感)が必要なわけです。福島(1997)の言葉を借りれば、相手の気持ちを自分の問題としてリアルに想像できることが大切なのです。共感性を高めるためには、障害のある人の話を聞いたり、一緒に活動することが大切ですが、障害の疑似体験も有効な手段の一つです。
5. 想像力を補うツールとしての疑似体験
障害のある人達への支援の意義は、知識としては理解できても、その重要性を実感するのは容易ではありません。例えば、まぶしくて見えにくい人への支援を例に考えてみると、長時間まぶしさにさらされる不快感、適切なサングラスが見つかったときの感動、サングラスだけでは対応できない場面がある歯がゆさ、集団の中で一人だけがサングラスをかけるときの心理的抵抗等、説明を受ければ知識としては理解できると思います。この知識を実感に変えていく手法の一つが疑似(simulation)体験なのです。以前、医療スタッフにロービジョンの疑似体験で視力検査をやっていただいたことがあります。そのとき、ある体験者が「患者さんが一所懸命見ようとして、“もう少し待って、見えそうだから”と言っておられたときの気持ちがわかったような気がする」という主旨の感想を書いておられました。また、「照明等を工夫して見えたときってうれしいんですね」という主旨の感想もありました。そして、この疑似体験に参加された多くの医療スタッフの方が「明日から検査のときの心構えが変わる」との感想を残されました。疑似体験をしながら、患者の気持ちに心情を近づけていくことで態度変容が起こったのです。
ソクラテス哲学の権威であり、様々な学校に授業巡礼に出向いて人に向き合い、教えることと学ぶことを実践し続けた林竹二氏は「一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証は、ただ一つで、何かがかわることである」(林, 1990)という言葉を残されました。疑似体験は私たちのケアに対する態度を「変える」上で大きな役割を果たすと思われます。体験を通して相手の心情を実感することで、知識や技術や理論はより意味をもってきます。疑似体験の必要性はここにあります。もちろん、疑似体験をしなくても共感性の高い人もありますし、疑似体験をしたからといって共感性が向上しない人もいます。疑似体験は、障害のある人への共感性を高め、相手の内面をリアルに想像するための一つのチャンスを提供するものだということを認識した上で実施していく必要があります。
6. 疑似体験の意義と限界
疑似体験では、障害者のすべてを理解できるわけではありません。でも、何も理解できないわけでも、誤解のみを与えるわけでもありません。
6.1 配慮や支援の適切さ・不適切さを理解するツールとしての疑似体験
疑似体験には様々な意義があります。坂本(1997)は疑似体験の教育的な意義や新しい技術を開発する上での役割を述べています。また、中野(1997)はa)障害のある人達が遭遇している不便さやそのときの心理を理解する手がかりを得ること、b)障害のある人へのケアやサービス技術に関する知識・技術・理論の意義を共感的に理解する手がかりを得ること、c)新しい技術や課題等を発見するための手がかりを得ることを挙げています。
福島(1997)や矢田(1997)は障害のある人の内面を自分の問題としてリアルに「想像」するための手がかりになることを挙げています。つまり、疑似体験では障害のある人の感情的な内面を理解したり、活動を行うときの不便さを理解したり、支援技術の有効性や限界を理解したり、新たな技術の開発の手がかりを発見したりする機能があるわけです。
つまり、疑似体験を実施する際、障害のある人の何を体験するかを明確に意識する必要があるわけです。障害者が障害のあることをどのように感じているかという気持ちを疑似体験で理解するのは極めて困難です。でも、トイレに行きたいのにもかかわらず、車いすで入れるトイレを探してさまよわなければならないという困難は、疑似体験した方が共感しやすいだろうと思います。つまり、困難さや不便さに遭遇したときの気持ちの理解は、疑似体験で促進できるわけです。また、トイレを見つけて入ろうとした際、出入り口が広かったり、手洗いに車いすのまま接近できると快適です。この場面を実際に疑似体験してみると、確かに、配慮の適切さを共感的に理解しやすくなります。このように、疑似体験は、相手の気持ちのすべてを理解しようとするものではなく、障害のある人が遭遇する困難を理解したり、配慮や支援の適切性を共感的に理解するために有効なツールです。
6.2 疑似体験の限界と実施上の留意点
一方、疑似体験には問題点もたくさんあります。福島(1997)や矢田(1997)はシミュレーションの精度という技術的な問題以外に心理的・情緒的側面を真に理解できない点を指摘し、疑似体験での自らの理解を過信しないように注意を喚起しています。つまり、疑似体験は障害のある人とよいかかわり合いを模索していくための一つの有効な手がかりに過ぎないことを絶えず意識しておく必要があるわけです。市販のシミュレーターを自分で購入して体験しただけでは、障害を間違って理解してしまう可能性が高いと思われます。では、限界を踏まえつつ、効果的な疑似体験を行うにはどうすればよいのでしょうか? また、疑似体験は必ず障害当事者や専門家のアドバイスを受けながら行う必要がありますが、障害当事者や専門家なら誰でもコーディネートできるのでしょうか? 疑似体験の限界を理解しつつ有意義な疑似体験を行うために、最低限、留意しておいて欲しいと思われる事項を以下に列挙します。
・体験の目的を明確にすること:体験の目的が不明確なまま疑似体験を行うと、不正確な理解を導いてしまう可能性があります。したがって、必ず、体験の目的やポイントを明確にしなければなりません。
・疑似体験の意義と限界を明確にすること:疑似体験には多くの限界があります。例えば、障害(impairment)の状況を正確に再現できるシミュレーターはありません。したがって、シミュレーターを過信せず、その限界を正確に理解しておく必要があります。また、その限界を理論的に説明する必要があります。さらに、体験から何を学びとって欲しいかを明確に示さなくてはなりません。
・体験を導くコーディネータ(専門家)がいること:障害のことをよく理解し、なおかつ、疑似体験の限界や意義を周知したコーディネータが必要です。コーディネータは障害を理解するための効果的な体験内容、体験者の安全確保、適切なスタッフの招集等を考慮して、綿密なプログラムを設計する必要があります。
・体験後に議論ができること:体験だけで終わる疑似体験は不適切です。体験後、どんな気づきがあったかを議論するための時間を確保することが大切です。その際、出来るだけ小グループで議論が出来るように配慮し、各グループには必ず障害のある人に入ってもらう必要があります。この議論を通して、障害についての正確な理解や障害のある人の心情に近づいていくのです。
・障害のある人が必ずスタッフに複数いること:疑似体験で感じたことが独りよがりな体験にならないようにするために、疑似体験には必ず障害のある人が複数参加できるように計画する必要があります。障害のあるスタッフは議論に積極的に参加し、体験者の気づきにコメントしていく役割を果たします。
・障害についての知識や支援技術についての説明を十分に行うこと:単に体験しただけで終わっては疑似体験の意味がありません。障害の理解を促進し、どのような配慮や工夫が障害のある人の生活を豊かにするかについてテキストを必ず用意し、事後学習ができるように計画しなければなりません。
6.3 ICFと疑似体験
疑似体験は、WHOの障害の概念であるICF(International Classification of Functioning, Disability and Health; 障害者福祉研究会, 2002)と対比して考えると、どのような機能障害(impairment)があるのか、どのような活動(activity)の制約があるのか、どのような参加(participation)の制限を受けるかを体験的・共感的に理解するものだと位置づけられます。
7. まとめ
まちづくりにおいて、障害当事者と共にまち歩きをし、障害当事者と「気づき」を共有することは「まち」で生活する人の多様性を知る上で極めて重要なことです。しかし、一人の障害当事者が、すべてを代弁することはできません。したがって、様々なタイプの障害当事者が「気づき」を蓄積し、共有していく必要があります。
障害当事者と「気づき」を共有する際には、単なる知識としてではなく、共感的な理解が必要です。障害疑似体験は、共感的な理解を深める一つの手法です。しかし、シミュレーターには多くの限界がありますので、疑似体験だけから結論を出すのは危険です。あくまで、障害のある人の体験を理解する補助的手段と考える必要があります。つまり、障害のある人と一緒に「まち歩き」を行い、障害のある人と気づきを共有し、より共感する手段の一つとして使う必要があるわけです。
障害のある人と一緒に「まち」で活動し、「気づき」を共感することで、様々な人が「まち」で生活していることを実感できるはずです。また、様々な人が、それぞれの活動の仕方で息づいている「まち」は、「賑わい」のある場所となることに気づくはずです。障害のある人との疑似体験をしながらの「まち歩き」を通して、この多様性に気づき、様々な視点で「まちづくり」を考えながら、賑わいのある豊かな「まち」を創造していけることを願います。
<参考文献>
・早川書房編集部(編)(2001)ダニエル・キイスの世界 早川書房.
・福島智(1997)盲ろう者とノーマライゼーション:癒しと共生の社会をもとめて明石書店
・林竹二(1990)学ぶということ 国土社.
・中野泰志(1997)視覚障害の理解と疑似体験:ロービジョン 視覚障害, vol. 152, 6-13.
・奥山敬・中野泰志(2001).肢体不自由養護学校における視機能の評価と支援−ひとりひとりの児童の「見る」ことのニーズや課題を明らかにし、児童の主体性を大切にした授業作りのために−.平成13年度厚生科学研究費補助金(障害保健福祉総合研究事業)「言語的コミュニケーションが困難な重度障害児・者の自己決定・自己管理を支える技法の研究とマニュアルの開発」中間報告書、pp.32-42.
・坂本洋一(1997)盲の疑似体験 視覚障害, vol.152, 1-5.
・障害者福祉研究会(編)(2002)ICF国際生活機能分類−国際障害分類改訂版−中央法規出版.
・矢田礼人(1997)「盲ろう疑似体験」の可能性 視覚障害, vol.152, 13-18.
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