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日本のマンガとアニメの現状
 
森川友義
早稲田大学国際教養学部教授。本講座のコーディネーター。
 
 森川――これから多くのゲストスピーカーに講演していただくわけですが、私の役割としては、講演者を迎える前にみなさんに必要最低限の知識を授けておかなければならないと思っています。そこで、限られた時間ではありますが、マンガとアニメの両方について、歴史的にわが国でどのように変遷してきたか、また、現在ではマンガアニメの状況はどのようになっているのか、について検討してみたいと思います。
 
最初のマンガ
 
 まず、マンガです。皆さんに配布した教科書に詳しく書いてありますが、日本最初の漫画と呼ばれるものは非常に古く、おそらく7世紀まで遡れるのではないかと思います。もちろん、ラスコーの壁画などを一コマ漫画と考えるとAD7世紀は古いとは言えませんが、現在これほど人気のメディアのひとつであるマンガが7世紀まで遡れるというのは驚きではないでしょうか。
 どこに描かれているかと言うと、法隆寺なんですね。ただし、法隆寺の天井の裏側です。そこに似顔絵みたいなものがいくつか描かれているのが知られています。誰が描いたか正確には分かりませんが、たぶん法隆寺を建てた大工が描いたものでしょう。最初のマンガは一コママンガということになります。
 歴史的に言えば、その後、二コマ、四コマ、八コマというふうに数が増えていきまして、現在のストーリー性のある漫画になってゆきます。ストーリー性のある漫画はほんの近年の出来事です。もちろん、一コマ漫画や四コマ漫画がなくなってしまったというわけではなくて、皆さんが毎日目にしているように、ストーリーマンガと並存している形になっています。
 たとえば、私が個人的に好きな漫画家は中崎タツヤさんの作品ですが、これは一コママンガだったり、十六コマだったり、さまざまです。もし興味がある学生は、日本ではこういう漫画もあるのだということを知ってもらいたいので『じみへん』とか『身からでた鯖』なんかを読んでもらいたいと思います。レイティングの関係で、米国で爆発的に売れるとは思いませんが、正統派ストーリー漫画ではない、亜流のコマ漫画の代表格として知っておくのも悪くないと思います。
 更に、留学生の皆さんはどの程度、日本の新聞が読めるかわかりませんが、3面記事、テレビ番組欄の裏側ですね、そこに四コママンガが載っています。日本語の良い勉強になりますし、日本人のウィットを触れる意味でも読むことをお勧めします。
 
 学生――「マンガ」というのは、正確にはどういうものですか。私は、コミック(コマ割り漫画)のようなものだと、ずっと思っていました。でも、これらの絵はコミックではありません。
 
 森川――たいへん良い質問が出ました。もうしばらく私の話を聞いてもらえば、答えが分かると思いますが、今は次のように答えておきます。法隆寺の大工の作品は、思いつくまま描かれ、その場限り、という感じです。ご指摘のように、正式にはマンガではないかもしれません。どちらかというと、大勢に見せることを意図しないで、思いつくまま描いた絵です。その後、いろいろな歴史的な経緯があって徐々に現代風のコミックが出来上がったというわけです。法隆寺の似顔絵から突然コミックになったわけではないということをこれからお話ししたと思います。
 他人に見せるために最初に描かれた漫画は何かといいますと、(これはプロの芸術家の作品と言ってもいいと思いますが)、12世紀に鳥羽僧正が描いた『鳥獣戯画』です。京都の高山寺というお寺にあります。たくさんの鳥やウサギなどの動物が描かれていますが、そんな動物が僧侶の帽子をかぶったりしています。この絵画は風刺マンガの原点と言えるかもしれません。皆さんは「鳥羽僧正」という名前を覚えておいてほしいと思います。後で「Tobae」というものが出てきますから。
 正式には、「漫画」という言葉は、江戸時代の画家、葛飾北斎によって名づけました。それ以前は漫画という概念がなかったということかもしれません。もちろん北斎が使った漫画と現在の「マンガ」とは趣きを異にしますが、現在私たちが使っているマンガの語源は北斎だということです。
 北斎は本当にすばらしい絵を描きました。たとえば、「神奈川沖波裏」なんかはたいへん有名です。これは漫画というより絵画ですね。もっと漫画的なのは北斎の「大黒二股大根図」でしょう。教科書にその絵が載っていますので参照してください。日本の七福神は、お金や幸運の神様ですが、大黒様はその一人です。その大黒様が大根を担いでいる。まとわりつかれているふうにも見えます。
 留学生の皆さんには別に何も面白くないかもしれません。しかし、日本では白い大根は女性の足を意味したりします。そうすると、この絵の意味が見えてきます。神様でさえ、女性の魅力に惑わされるということなのでしょう。これは絵画であり、確かに芸術ですね。でも、漫画だとも言えます。笑える風刺画といった感じです。
 
『ジャパン・パンチ』と『TOBAE』
 
 江戸時代末期から明治維新の前後にかけて、二人のヨーロッパ人が大きな役割を果たしました。一人は、イギリス人のチャールズ・ワーグマン。もう一人は、フランス人のジョージ・ビゴットです。二人は、日本最初のマンガの雑誌を作りました。ワーグマンは、1862年に『ジャパン・パンチ』を出版しましたが、これは明治維新の六年前の出来事です。これが、日本で作られた最初のマンガ雑誌です。しかし、日本のヨーロッパ人やアメリカ人社会で出回っただけでした。表紙には横浜が描かれています。横浜は、いわゆる異人が多く住み、外交活動を行った場所です。
 ワーグマンは1862年から約25年間、明治維新後の1887年まで『ジャパン・パンチ』を出版し続けました。彼は『イラストレーテッドロンドンニューズ』誌の記者をしていましたが、これは現在でいうとAPやUPIみたいなもので、通信社のような感じです。彼は、自分自身でマンガを描きました。ワーグマン自身が、その時代に自転車に来っている場面のものもあります。このマンガでは大勢の着物の日本人男女が彼を見て笑っています。明治維新の頃、ヨーロッパの服を着て自転車に乗るのは、とても奇妙な光景だったのでしょう。日本の一般庶民は誰も自転車を見たことがなかったでしょうから。
 二人目のジョージ・ビゴットも『TOBAE』という雑誌を出版しました。鳥獣戯画の作者が鳥羽僧正だと言いましたが、ビゴットは、鳥羽僧正の鳥獣戯画を意識して、『TOBAE』(TOBAEのEは絵です)という名前の雑誌を、1887年に創刊しました。つまり、ワーグマンが『ジャパン・パンチ』を終えた直後に、ビゴットは自分の雑誌を創刊したのです。
 『TOBAE』も、外国人社会を対象にした雑誌で、日本人読者のためのものではありませんでした。ビゴットの最も大きな功績は、ビゴットのマンガにはストーリー性があることです。独立した絵が何枚も続いていますが、それぞれの絵に異なる光景が描かれているものの互いに関連しています。現在で言う物語マンガのようになっています。
 『ジャパン・パンチ』も『TOBAE』もヨーロッパ人社会に限られていたと言いましたが、日本人の中でこれらの雑誌に注目して、ワーグマンやビゴットの作品から学んだ人がいます。その中で最も注目すべきは北沢楽天です。
 北沢楽天は日本人ですが、史上初の日本語版マンガ雑誌を出版しました。楽天といえば、いまではIT企業の名として有名ですが、もともとは北沢の名前から来ているようです。北沢楽天は、1905年に『TOKYO PUCK』という雑誌を創刊し、そこでマンガを描きました。その特徴はいくつかがカラーだということです。日本初のカラーマンガ雑誌ということになります。
 
戦後のマンガ
 
 このように日本のマンガには歴史があり、伝統があり、細々とではありますが、日本文化の一部を形成してきました。一コマから四コマへ、そして、物語マンガへと続いてきました。ここからはその伝統を受けてビッグバンのように隆盛する戦後のマンガ文化についてお話したいと思います。
 太平洋戦争が終わったのは1945年ですが、その翌年の1946年には長谷川町子が『サザエさん』を描き、朝日新聞に連載されました。新聞連載は1974年まで続きました。日曜の夕方に皆さんがテレビで見る『サザエさん』は、新聞の四コママンガから始まりました。
 ところで皆さんは、『サザエさん症候群』というのを知っていますか?日本にまだ余り住んだことのない学生はたぶん知らないと思います。どういう意味かといいますと、テレビ番組は日曜の夕方に始まるわけですね、その頃には外は暗くなっています。すると月曜日の影を感じるわけです。「ああ、日曜日は終わってしまった」、「明日は仕事だ」とか「明日は学校だ」ということになるわけです。日本中が憂鬱になる時間なのです。皆さんはそういう病気になっていないことを祈っています。
 さて、1947年には手塚治虫が初めて『新宝島』という物語マンガを描きました。「鉄腕アトム」で有名な漫画家です。手塚氏については後のアニメの部分で詳しく申し上げます。
 1959年3月17日は記念すべき日です。この日に『少年マガジン』が創刊されました。2週間後には『少年サンデー』も創刊され、9年後に『少年ジャンプ』が出ることになります。1979年と80年には、大人向けの雑誌が創刊として『ヤングジャンプ』と『ヤングマガジン』が創刊されています。これらの雑誌はいうまでもなく、マンガ家の作品を集めて、それを連載して、読者をひきつけるというのが特徴です。週刊雑誌ですから、子供たちは毎週買うことになるわけです。これらの雑誌は、他のジャンルの雑誌に比べ安価ですが、子供たちのお小遣いからすれば購入出来るぎりぎりの値段なのでしょうか。現在の価格では230円くらいです。一月のお小遣いを千円とするとうまい具合に買える価格設定になっているようです。
 マンガ雑誌というと伝統的に少年向けという感じがしますが、実際には少女向け雑誌も古く、1955年までさかのぼることができます。この年、講談社の『なかよし』と集英社の『りぼん』が創刊されました。少年向けの雑誌より、少女向けの雑誌の創刊の方が古いというのは面白い点です。現在、発行部数は少年向けの方が圧倒的に多いのですが、少女向け雑誌もしっかりした伝統があるのです。







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