日本財団 図書館


キリスト教人間観と日本マンガ
 
日下公人
東京財団会長
 
 日下―世界の子どもたちは、日本のマンガ・アニメを見て何を感じているのか。どういうところに刺激を受けているのか。日本人は、自分の考えたとおり描いているので、そういうことがわかりません。一例を挙げれば、子ども観が全然違います。子どもが親を見る目、親が子どもを見る目、親子関係がまるで違う。それは各民族、各国家により違うのですが、きょうは、キリスト教世界と日本という対比でお話します。
 欧米の教会にはマリア様とイエス・キリストの絵(聖母子像)があります。いろいろな聖母子像がありますが、キリストは、赤ん坊のくせに大変生意気な顔をしている。インテリの顔をしていて、少しも赤ん坊らしさ、かわいらしさがない。しかも、お母さんの顔を見ずに、どこか天の一角を見ている。
 キリスト教の旧約聖書の最初に、「神は天地自然をつくり給う」と書いてあります。月をつくり、星をつくり、地球をつくり、動物をつくって、最後に人間をつくった。神様は粘土でアダムをつくってから、息を吹き込んだので、アダムは理性、知性をもった。その知性とは、神を認識できることです。アダムは神を見て、神の偉大さを知ることができたから人間になった。それが知性である、という教えです。こういう考え方は中世ヨーロッパに確立し、そこで聖母子像がああいうふうに描かれるようになったのです。イエス・キリストは、神の子だから当然、赤ん坊のときからインテリです、神を見る目を持っている。だから、天の一角を見ている。
 旧約聖書には、「神は己の姿に似せて人をつくり給えり」とも書いてあります。神様は自分の姿そっくりに人間、つまりアダムをつくった。だから、30歳前後の男性の姿が一番神様に似ているとなります。聖母子像にも、ひげの生えている赤ん坊のキリストが描かれているものがあります。神様はひげが生えているらしいですね。女性は後から、アダムがあまりに淋しそうな顔をしているからつくったものです。
 一方、日本の神話では、神が人間をつくったとはどこにも書いてない。神様が天から下ってきたら、もう日本列島には人間が住んでいた。人間はもともと賢くて、神様のほうが失敗ばかりするのです。マンガチックな神様です。
 そして、日本では、人間の一番オリジナルな姿は赤ん坊とされています。子どもは、一番自然で尊く、あどけないものなのです。ヨーロッパでは、子どもはバカな存在です。日本人は、バカなほうが本当のいい人間だと思っています。あどけない、かわいい、パワーレス――そのほうが幸せだと。もともと人間はそういうふうに生まれてきて、そういうふうに暮らしたいのだけれど、生きていく都合上、戦ったり、だましたりだまされたり、本を読んで勉強したりする。大人になって、賢くなって、インテリジェンスがつけばつくほど不幸せになる、というのが日本人の考え方です。だから、子どもはあどけなくていいのです。それをかわいがるから、日本の子どもは幸せに育っていく。
 ところが、欧米では、人間社会は弱肉強食で、戦う武器は知恵です。日本には、国家の制度としての奴隷は存在したことかありませんが、欧米でははるか昔から人間が人間を奴隷にすることが続いていました。南米ではインディオを奴隷として酷使して、45歳ごろになると体力テストをしました。重い荷物を担いで走らせる。走れないと、もう役に立たないからと殺してしまう。ブラジルのサンパブロでは奴隷の骨が山になっていて、その上に教会が建っているくらいです。
 さすがに気がとがめて、カトリックの牧師が本国に手紙を出したところ、1512年に法律ができました。この法律は、まず伝道してキリスト教を教え、それで信者になった者は神を見る目があるのだから奴隷にしてはいけない、と定めています。逆に信者にならないのは神を見る目がない、知性がない、つまり動物だから奴隷にしてもよい、殺してもよい、というのです。メキシコやブラジルに行くと、大の男が鎖で胸に十字架を吊っている。自分はキリスト信者だということを示しているのは、私を奴緒にして虐待して殺したら、私は天国であなたのことを神に言いつけますよ、と脅かしているのです。中世のヨーロッパでは、神を見る目を持っているかいないかは、命がけの問題だったのです。
 このように、インテリジェンスは西欧人にとっては非常に大事な問題で、それは『言葉』に表れると考えています。いろいろな民族がいて、風俗、習慣、人種、何もかも違う人が一緒に暮らしている。契約しようと思っても、お互いに何も保証がないので、せめて神様が一緒だったらいいのではないかと考えた。お前はアラーの神を信じるか。お前はエホバを信じるか。神が一緒でなかったら殺してもかまわない。彼らはそんな生活を何千年もしてきたわけです。
 そして、商売をするために、共通の言葉が発達していった。商売用言語として一番優れている言葉が、そのときの世界言語になるのです。私は、100年後には世界の言語は英語でなく日本語になると思います。日本語で日本と商売していくのが一番儲かるからです。いますぐにとは言えないが、100年ぐらいのうちにはそうなるのではないかという、私の特別な学説です。渡部昇一さんという英語学の先生はこの話を聞いて、「中世ヨーロッパで使われていたラテン語は一瞬にして滅んでフランス語と英語になってしまったから、言葉は滅びるし、英語も永久ではないかもしれないなぁ」とおっしゃった。ためしに『英語の冒険』(メルヴィン・ブラッグ著、角川書店)を読んでみて下さい。言葉には盛衰があることがよくわかります。
 大事なのは言葉の裏にある人間の心です。日本人の心は優しくて、お互いに助けあっている。だから日本経済も成功していて、日本人と心が通じる商売をすると必ず儲かって、幸せになれる。日本と商売して損をした人がいないことは、世界がよく知っている。
 そこに潜んでいる日本人の心はキリスト教とはまるで別のものであって、それを外国の子どもは自然にわかるのです。アメリカの子どもは、かわいい。ヨーロッパの子どもも、かわいい。でも、大人はあいかわらず、古いインテリジェンスの教育をするのです。たとえば、子どもに「お腹すいた?」と聞く。すいているに決まっていても、イエスと言わせる。言わなければ作ってやらない。言葉をちゃんとしゃべれない者は奴隷にされる、言葉をしゃべれないのはアニマルだからです。さらに、タマゴなら、フライドエッグかボイルドエッグかと聞く。ボイルドエッグと言ったら、8分か、10分かときく。
 日本は違います。お前が好きなのはこれだね、はい食べなさいと出してやる。これが、アメリカの子どもはうれしいのです。子どもがちゃんと子ども扱いされているから。日本のマンガを見ると、自分と同じようなかわいい子どもが出てくる。アメリカのマンガには子どもが出てこないですね。出てきても皆、こましゃくれている。ヒーローは出てきます。力とパワーですね。人に負けないということが大事なのです。
 日本人は、子どもは子どものままでいい、そのうちだんだん大人になる、だんだん知恵がついていくのだから、と思う。そうするとそこに成長ストーリーが生まれるわけです。日本のマンガは主人公が歳をとって、だんだん変わっていくのです。たとえば、弘兼憲史さんのマンガは、『課長島耕作』が『部長島耕作』になって『取締役島耕作』になった。この後どうするのかと聞いたら、弘兼さんは「あの主人公は自分と同じ歳にすると決めて描いている。自分が歳をとってきて、自分の友達も歳をとってきた。そこからネタをとっているから、友達が顧問になれば『顧問島耕作』、リタイアして年金老人になれば『年金じいさん島耕作』になるかも」と言います。
 これが欧米人にはわからない。向こうのマンガには成長ストーリーがないのです。ヒーローは絶対に歳をとらない、ずっと30前後の男です。人物が成長するのは日本アニメの特徴で、これがアメリカでは昔は売れなかった。サザエさんやちびまる子ちゃんは歳をとってはいけない。だんだん大人になられたら困るでしょう。そういうふうに言われたのですが、このごろはアメリカ人も成長するストーリーを見るようになったようです。
 こうして、日本人の心が自然に、アメリカ、ヨーロッパの子どもにも影響を与え、子どもの心が変わってきた。日本の心と日本語が、子どもに入っていく。アジアにも入っていった。ですから、あと20年もすれば、もう日本語だらけになってしまうのではないかと思っています。それにはやはりマンガ・アニメです。文章より、マンガ・アニメはものすごい伝達力を持っているからです。
 
 
質疑応答
 
 男子学生(日本人)――好きなマンガは何ですか。
 
 日下――どれも好きです。いや、子どものころは本当に好きだったんですけれど、いまになると好きというよりは理屈っぽくなってしまいまして、心から好きだと言えないのが残念です。共感するのは松本零士などです。あの人が心のなかで悩んでいることは、私も同じぐらいの歳だからよくわかります。
 たとえば戦争マンガシリーズというのがあります。日本は太平洋戦争に負けたけれど、部分的には頑張って勝ったというのを一生懸命描いています。『宇宙戦艦ヤマト』もそうです。日本には大和という戦艦があった。日本の男にはやる気がある。でも、いまさら戦争を起こす気はないから、敵は宇宙の彼方に置く。地球を救うために戦うのを、皆が応援してくれる。『銀河鉄道999』もそういうところがありますね。
 そして、主人公はいつもちんちくりんな少年です。あれはご自分そっくりなんですけれど、ちんちくりんだからってばかにするなよ、というあたりに私も共感する。聞いてみると、松本零士さんのお祖母さんか曾御祖母さんに白人の血が混ざっているそうです。それがメーテルになるわけですね。残されている、おばあさんの写真にそっくりだとか。
 
 女子学生(日本人)――成功する秘訣を教えてください。
 
 日下――失敗するようなことはやらないこと。成功している人と友達になること。そして、何でも質問する。これは力がいるんですが、相手が振り向くような質問を考えているうちに、賢くなります。
 
 女子学生(外国人)――日本のマンガにおいては、先生のおっしゃるように常にかわいいキャラクターが出てくるとは、一概には言えないのではないでしょうか。
 
 日下――敵役は必要ですよ。コントラスト役が必要ですね。
 
 女子学生(日本人)――クラスで自分の好きなアニメなどを発表したら、『エヴァンゲリオン』とか『もののけ姫』など、かわいくない系を好きと言った人が、留学生にけっこういたのですが、どう思われますか。
 
 日下――マンガ・アニメのおもしろさは、最初はユーモア、ずっこけ、ハプニングなどですね。それが、だんだんキャラクターに移ってきて、いまはキャラクター勝負の時代になっています。だから、いろいろなキャラクターを登場させる。これが韓国や中国では出せない。ディズニーも出せないのです。ディズニーが出せないのはキリスト教の縛りがあるから。韓国は、独裁政権の国で若者に自由がないから。中国は、若者がプアーで、お金がないし、いろいろな自由がないからです。ところが日本では、本当に自由があり、選択のチャンスがあって、どんなキャラクターでもだいたい出せる。ただ、出つくしてしまったので、この先はおばけだろうとなった。おばけなら相当変なものを出してもいいですから、それで日本のマンガ・アニメはモンスターが200匹も300匹も出てくるのです。
 これはアメリカ人の大人は受けつけないですね。科学的でないから。子どもの教育に害があるという。でも、子どもは大好きです。子どもは自由ですからね。楽しければいい、おもしろければいい。想像力の幅がありますから、非科学的であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。
 日本のマンガ・アニメのなかには、暴力もあればセックスもあれば、ひどいのもあります。でも、何でもあるということが、日本では大事なのです。ロサンゼルスである有名な学者と食事をしたとき、「日本のマンガ・アニメはセックスと暴力がひどい」と言われました。しかし、日本ではアニメ映画だけでも1年に2,000本ぐらいつくられている。マンガはもっとある。そのなかには、静かなものもあれば、ほのぼのとしたものもあれば、哲学的なものもあれば、セックスと暴力もある。それなのにセックスと暴力のものばかり輸入して、ほかのものに見向きもしないアメリカ人がおかしいと言ったら、納得していました。
 日本マンガ・アニメ祭りというのをパリでやったときに、あらゆるものを並べました。それでフランス人は初めて、日本マンガ・アニメはセックスと暴力だけではなく、それ以外のものもあることを知ったのです。そういうことなんですね。







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