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第97回 ビジネスモデルと「コンセプト革命」
PART 2
(二〇〇四年七月十五日)
先を行くから成功する
 日本はどんどん変わっています。希望があります。
 今日もセブン−イレブンの話をもうちょっと続けます。ただし、前回お話ししたのは、セブン−イレブンにはこんなアイデアが潜んでいる、こんな思いつきで、こんなことをやっているという話ですね。
 ところで、これを聞いている人が、ああ、思いつき商売なのか、アイデア商売なのかという受け取り方をするのは、実に浅い受け取り方でありまして、特に大企業にいる人たちは「そんなもの」と思ってばかにする。最初はそうですが、今や店が一万店以上にもなると、これは大変だということになる。納品するメーカーとしても取引がどんどん増えます。コンビニと取引をしなければ、商品がたくさん売れません(笑)。
 たとえば、日本で一番たくさん乾電池を売っているのはどこですか。圧倒的にコンビニです。決して電気屋ではありません。乾電池はコンビニで買うものになっている。そのうち本もそうなるでしょう。あるいは、お金の出し入れもコンビニでやるものであって、銀行へ行くとは何とまあ古い人だ、という時代になりつつあります。それを見てマネをするコンビニがあるが、しかし、それでは常にセブン−イレブンより一歩遅れている。
 コンセプトをテーマに話しているのは、そこなんですね。マネをするというコンセプトで大企業は乗り出すから、みんな失敗する。セブン−イレブンは、「先を行く」というコンセプトでやる。
 では、どうすれば先へ行けるか。それを私は、申し上げたいのです。それは、縷々言わないとわかってくれない。頭のいい人ほどわかりにくいでしょうね。頭のいい人は、手順ができた道を歩くだけの人が多い。手順のない道を歩くのはそれとは違う。
 イトーヨーカ堂の社員だった鈴木敏文さんが、突然コンビニをつくった。そういうのは、突発事件だろう、例外だろう、偶然だろう、思いつきのなせるワザだろう。アメリカにあったセブン−イレブンのマネをしただけだろう、これをちょっと日本化しただけだろう、と思う人が多い。要するにマネばかりしている人は、マネをするのがいいやり方だと思っていて、あの人も誰かのマネをしたんじゃないかなという目で見る。
 しかし、ほんとうにクリエイティブな人は、そんなことはない。
 どこからその発想が出てくるか、と考える。
 答は、大きく時代を見ている、大きく社会を見ている。そういうところから出てくる。そういう根元があるから、アイデアは次から次へと出てくるのです。
 
 例えばセブン−イレブンの前に行くと、ごみ箱が置いてある。あるいは、夜中に明るい電気をつけていた。なんでそんなことを、必死になってやったのですかと考えなければいけません。
 それは、やっぱりコンセプトがあるのです。信念がある。
 ただ物が売れればいいというだけだったら、お客がいなくなったら電気を消せばいい。現に商店街は、みんなそうしている。ごみ箱を置くのは、コストがかかる。お客も期待していないことです。だけど鈴木さんは、やれと言った。これは、効率性とか、営利性という意味から言うと反していることです。やれと言って、やって、成功してからは、「あれも結局儲けにつながっている」と解説する人は多いが、最初に始めたときは鈴木さんもわからない。
 そういうことの総合体として、成功して、儲けが出て、今や全国一万一〇〇〇店というものすごい巨大産業になってきたが、ほかのコンビニは、「ああ、そうか、ごみ箱を置けばいいのか、電気をつければいいのか」と、後からマネしている。
 最初のコンセプトがない。思いがない。信念がない。だから、常に後を追っていくだけになってしまう。
 だからセブン−イレブンに比べると、他のコンビニは一店あたりの売上高が少なくなっている。差がある。
 並べてあるものは、ほとんど同じなんですよ。値段だって、ほとんど同じです。場所だって、そこら中にライバル店があるんですよ。どこに差があって、売上高の差がついているのか。目の前にサンプルは全部あるのですから、何も学術的に研究する必要はない。自分だってしょっちゅう行っているんだから(笑)。今からでも、行こうと思えば五〇〇円玉を一つ持って、誰でも入れる。自分でわからなければ、奥さんや、子供に聞いてみればわかる。何でそういう調査をしないのかということですね。それが経済ですからね。自分で調査して、新しく「日本コンビニ経済学」というのをつくれば、すぐに博士になれます。
 博士になるのは、ほんとうに簡単です。教授は「オリジナリティはどうか」といつも言う。学生は論文を書くが、「オリジナリティがない、ユニークさがない」と言われている。それはないですよ。インターネットをたたいて、出てきたものをつなぎ合わせて持ってくるだけだから。オリジナリティを一生懸命引っ張り出してやるのに教授はくたびれて、「博士論文の審査なんか自分はやらない、誰かやれ」とみんな逃げてしまうというのが業界事情です。
 そういうユニークさ、オリジナリティを出すのに、この日本は世界最高ですよ、いろいろな新現象があるんですよと言いたいのです。
 
 鈴木さんは、夜間照明をすると決心した。しかし、直営店というのはほとんどありません。フランチャイズ制ですから、そこにいる人は元米屋さん。あるいは元何とか屋さんです。酒屋と米屋が多いんですね。つまり、コンビニには酒と米を置きたいと思ったが、これは許可が要るわけで、最初のころは酒屋で行き詰まっている人を口説いた。
 もとは酒屋ですから、客足を見て、来なくなったら電気を消して暗くしてしまう。それをやめてくれと、きつく指導しても、なかなか実行してくれない。
 ここでどうしますか。大企業の中の会議だったら、「無理ですよ、もとは酒屋のおやじだから、そんなことを言ったってやらないのはしようがない」と担当者が言えば、課長も「そうだな」と言います。日本の大企業は、こんなもんです。あるいはサラリーマンがする商売は、こんなもんです。
 だから、みんな失敗するのです。
 鈴木さんは、ちゃんと手を打った。「わかった。それじゃ、電気代はセブン−イレブン本部持ちとするから、つけていても損をしない」とした。フランチャイズ契約というのは、ご承知だと思いますが、あるさびれかけた酒屋があったとして、土地の面積は一〇〇坪あるかないかで、「私はセブン−イレブンになりたい」と言うと、本部から指導員が来て、建物を建ててくれて、看板を貸してくれて、品物をどんどん送り込んできて、もともとの主人は店番をしていればいいわけですね。値段も決めてくれる。そのかわり、フランチャイズ料という上納金を取られる。これがけっこう高いといって裁判になるんですが、でも自分はただ店番だけしていればいいんだから、そう思えばありがたいはずなんですが。しばらくして慣れてくると、文句は誰でも言う。その契約の中に、光熱水道料はどっちの負担かという式があるんですね。「これは、本部持ちのほうへ入れておきます。あなたが納める上納金の中から本社が払いますから、あなたはパチパチと電気を消さなくてもいいですよ」とした。
 上に立つ人は、制度的解決を言わなければいけないんですよ。これを、アメリカ人は言うんです。しかし日本人は言わない。適当にやれとか、うまくやれとか(笑)。そんな上役は要らないといって、今リストラされているから、リストラされる人も悪いんです。適当にやれだったら、その人がいなくてもいいんですね。
 成果主義にも実はアメリカ式と日本式があります。アメリカ式では最初に上が成果と報酬を決めて発表します。日本式はあとから評価だけをします。最初に言うのは“うまくやれ”、あとから言うのは“結果が出ていない”。
 しかし下が立派であれば、ムニャムニャ言っているだけの上役も価値がある。みんなでその上役の悪口を言うと、心が一つに固まっていいという効果がある。みんなが団結するためには、馬鹿な上役がいたほうがいい場合もある。あまり立派な上役だけだと、下はやる気がなくなってしまいます。そこが、移民社会のアメリカと日本の違いで、私の考えはこのように現実的なので、いつも非科学的と言われます(笑)。
 
 それはともかく、費用が本部に移るならお店の側も納得します。
 最初のスタートのとき、鈴木さんは社長兼部長兼課長兼係長兼担当者という時代に、そういうことを決めた。そのコンセプトは、自分がアメリカへ行って、コンビニを見たときにショックを受けたからだと話されます。
 アメリカで、コンビニには電気が明々と一晩中ついていた。そのわけは、アメリカの大都市が荒廃しきっていたからです。
 その頃は、すごい荒廃だったのです。なぜそんなにアメリカの大都市が荒廃したかというと、ベトナム戦争をしたからですね。国民が、指導者を信用しなくなった。上が信用を失うと、アメリカの国家はガタガタになった。それに対して、主として民主党は福祉の充実をした。失業者が山ほどあふれている。食えない人が山ほどいる。離婚だらけになっている。それを全部、金で解決しようとした。母子手当てをあげますよ、失業者には食事を提供しますよと、福祉政策をもって自分の地位を守ろうとした。
 そんなことをすれば、中流の自助精神が崩壊してアメリカはますます壊れる。実際崩れていくんです。福祉政策は、アメリカ国家の根本を崩しました。その結果、ニューヨークでも、ワシントンでもどこでも、中心商店街は全滅です。
 ベトナム戦争以外にも理由はあった。『FUTURE』というアメリカの雑誌に載っていたおもしろい論文がありまして、こうなる原因の一つは自動車の普及で、もう一つはテレビの普及で、もう一つは大型冷蔵庫の普及。その三つが原因だと書いてあったのがおもしろかったから、私は昭和五二年ごろに、それを引用して書きました。
 まず自動車が普及する。自動車が安くなって、それから経済が好調で、給料が増えたアメリカ人はともかく買った。要らなくても何でも買うわけで、だから買ったけれども行く先がない。どこかへ行きたい。そこで、郊外の土地の安いところに野球場ができたり、当時はやったのは野外映画館。駐車してイヤホーンで聞く。アベックは聞いているかどうか不明(笑)。ハイウェイ沿いに走っていくと大きなスクリーンがあって、それを見ていると脇見運転で事故を起こす。それで、スクリーンは道路から見えないようにしろとか、それではお客が入ってこないとか、そういう問題が当時ありました。
 やがて、郊外ショッピングセンターが現れる。とんでもなく大きなショッピングセンターが、どんどんできていく。この中には、レストランがあり、映画館があり、さらに教会もあって、結婚式もできる。ありとあらゆる商売があるという、郊外大ショッピングセンターが、どんどんできていきました。すると町の人が、土日はそこへ買い物に自動車に乗って出ていく。そこで冷蔵庫が大型になる。それから、そもそも近くに住んだほうが便利だと、郊外デベロッパーという商売ができます。その分譲住宅を買って、人間が町から外へ出てしまう。これは自動車の効果ですね。
 中心がガラガラになって、金持ちから出て行くので、あとは貧乏人ばかりが残る。貧乏人がもとの金持ちの家に入っていく。家賃が安くて高級住宅に住めるというわけで、エスカレーターのように順番に上がっていく。しかし下から上がってきた人は、マナーが悪い、行儀が悪い、モラルが低いということで、町が荒れていきます。
 それから、テレビがやたら普及したことは、『FUTURE』という雑誌の論文ではこう書いている。テレビをみんなで見るようになった。見ると、いい男、いい女ばかりが出てくる。自分の奥さんの顔を見るとがっかりする。向こうでも、自分のだんなの顔を見るとがっかりする。だから離婚が増えたのだ。
 ほんとうかどうかは議論の余地がありますが、そのとき事実としてアメリカでは猛烈に離婚が増えていた。事実があると、理由なんか少々怪しくてもいいんです(笑)。学者の論文も、半分ぐらいは大体そんなものです。







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