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実績しだいで変わる日本型への評価
 これを戦後の進歩的な人たちは「悪いことだ」と言った。日本は遅れているからだ、封建的だからだ、と。日本型雇用形態の三種の神器―終身雇用、年功序列賃金、企業別労働組合、これは三つとも遅れたもので、早くなくさなければいけないと、昭和三十七、八年頃までは悪いものとして声高に批判していた。
 ところが、上智大学にアベグレンという教授がいて、これは今の日本にとって良いことだ、この三種の神器を続けているから日本は強い。日本経済はこれからも伸びるぞと言ったので、一同、口をあんぐりです。
 つまり、今まで自分は進歩的だ、欧米化していると思って喜んでいた人が、外国人からそう言われると、「ええっ」というわけです(笑)。立場がなくなるので、この意見は無視されました。アベグレン教授を受け継ぐ人はいなかった。
 ところが、オリンピックを過ぎて、日本経済が昭和四十三、四十四、四十五年と俄然高度成長し大成功したとき、ああ、アベグレンさんの言ったことは正しかったと思って、日本人みずから「終身雇用、年功序列賃金、企業別労働組合、これで日本は強いのだ」と言い始めた。それで、通産省の人や外務省の人はワシントンへ行って、そういう説明をした。アメリカ人もそうかと思った。
 だって、実績が上がっていますからね。
 実績に振り回されるとはなんとも非科学的ですね(笑)。したがって、その後九〇年代に入って不景気になると、そういう話は全部消えてしまいました。
 ところが最近、トヨタが一兆円を越える黒字を出した。「この利益は日本のため、日本製造業のために使う。日本の熟練工は絶対に中国や韓国へ出さない、アメリカにも出さない。アメリカのはげたかファンドがやってきて、日本の銀行と中小企業を揺さぶって、突然金を返せと言う。倒産したら買い取ってやれという狙いは日本の熟練工、熟練技術者だ。そんなものに手をかす勢力は国賊だ。だからトヨタ一社ででも救う。日本が誇りとする熟練工のいる会社は自動車関連でなくてもトヨタが買い取る」と言い始めたのはたいへん立派なことで、政策投資銀行の総裁に聞かせたい話です。トヨタがそう言えば、ホンダもやると言う。日本もすてたものではありません。
 自分の金だから、黒字の会社は強いですね。日本中もっと減税して、黒字の会社とか個人をつくらなければいけない。絶対そうだと思っています。黒字の会社や個人は元気がいいから、お役所の言うことを聞かない。それがよい。トヨタ自動車は、たいへんいいことをやっています。
 では政策投資銀行は何をやっているかといったら、何やら新しいことをしなければいけないというので、日本のマンガ家に金を貸すと言い出した。それも宮崎アニメがアカデミー賞をとってから急に言い出した。後から追いかけているだけです。政策投資銀行融資つきマンガなんて面白いはずがない。そんな金があるのなら、減税してみんなに配ったほうがよっぽどいい。子供のお小遣いが増えることがマンガ・アニメの振興に一番有効です。「もともと税金を取るな」と私はかねてより言っています。
 新聞記者はみんな財務省の言うとおりに書いていますね。だから、新聞の発行部数はどんどん減少する。さすがに何とかしなければいけないと思うが、新聞記者は官庁から情報をもらうばかりで、自分で取材したことはない。自分で考えたことがない。そもそもそういう秀才ばかりを採用しているのがよくない。
 私なら「心から愛するマンガは何か」と面接で聞きます。財務省であれば「マンガで心から笑ったことがあるか」と聞きます。政策投資銀行でも同じです。それが先です。
 
 新聞社の社長が何人か私の友達ですから、「採用からして間違っているよ」と言うと、社長が「私もそう思っている」と言う。「社長なのだから、すぐ変えなさい」と言うと、「しかし、人事部長がなかなか変えてくれない」と言ったので面白かったのですが、この「人事部長のほうが偉い」というのが、日本型経営なのです。
 その昔の常識ですけれど、日本型経営で高度成長した理由は、部長級が偉かったからです。すなわち取締役になる前の人が偉かった。この人たちが、将来社長になるつもりで働いた。偉そうなことを言っていたものです。
 そして取締役になったらもう働かない。部下に言われたとおりにする。冠婚葬祭に行ってくるとか、そんなことをして楽しく暮らすのが重役でした。仕事は下の者がやったのです。下が「これから我が社はこれをやります」と言ったら、「おお、よきに計らえ」と言って中身も見ないで判を押すのが社長、副社長の仕事だったのです。
 最近の日本はそれを壊したんですね。“働く社長礼賛”で、社長というのは先見力と洞察力と実行力と、さらには決断力を持って指揮命令せよと言うが、これはアメリカの真似です。
 これで日本経済は悪くなった。アメリカがそれをやるにあたっては、四十数歳の人を社長にした。働き盛りで、そういうことのできる人です。ところが、日本はもともと四十歳前後に大いに働いて、あとはもう時代遅れという人を取締役にし、「よきに計らえ」と言うのが社長になっていますから、指揮命令なんかできるわけがない。もともとそういう社長なのに、これが急にアメリカ風に張り切ったから、日本の会社は潰れるのです。
 アメリカ経営学の悪影響です。
 また、部長級がだらしないと思います。自分たちはこれから、この会社にまだ一〇年、二〇年いるのだから、将来のことは我々に任せてくれ。社長は毎日ゴルフをして遊んでくださればけっこう。交際費をいくらでもお使いください。過去の功労に報いるため、会社から引き算をしてくださってけっこうです。いや、引き算する権利がある、そこで会社に足し算するのは我々の仕事だ、となんで部長級が言わないのかと思います。
 ですから、日本型経営で言えば、上の人はお神輿(みこし)でいいのです。足し算は若い者が自分のためにやる。だから若い者には発言権があって、社長が「こうしろ」と言っても、あまり従わない部長がたくさんいるのはいいことだと思っています。
 
 ある人がこう言っていました。「わが社は終身雇用がまだ続いているからいいけれども、後輩はかわいそうだな、そろそろ危ないぞ」と。しかし、そろそろ危ないのは今の五十歳、四十歳のその人たちが悪いのです(笑)。
 そもそもは会社が続いての終身雇用です。そして引き抜きがかかるような熟練工に対して退職金がある。それを熟練工でもない人が、退職金を要求しに来るなど、そんなばかなことは世界中にない。
 根本はそうです。ところが権利のように言ってくる。会社は払ってやりたいと思うが、払えないというのが今のリストラブームです。経済学的に言えば、こういうふうに身もふたもない話です。
 そこで次に行くと、終身雇用は消えたというが、トヨタとか松下とか、ソニーとかキヤノンとか、いろいろなところにちゃんと残っている。消えたといわれる会社でも、中を細かく見ると終身雇用を残している部分がある。それはそれで強みがある。
 つまり、成果主義ばかり礼賛する学者は思考停止しているのです。現実を見て自分の考えをつくっているなら、「終身雇用にしたほうがよいのはこんな仕事で、こういうタイプの人間です」と言わなければいけない。あるいは経営者と社員は組み合わせですから、こういう組み合わせで仕事をするときは終身雇用のほうがうまくいく、という研究をしなければいけない。学者ならアメリカの話を紹介するだけではなく、自分でそういうことを考えないとおかしいのです。
 終身雇用は消えたというが、それが適しているところには残っていますと言いたいのです。
 繰り返しになりますが、差と平等はどちらも意味があるのであって、交代することに意味があるのです。それから、時代背景や業種や自社の状況によって使い分けることに意味があるのです。
 どちらか片方だけを決定版のように言うのは浅薄な学問です。
 終身雇用が残るところは残る。ただしその場合、一番はっきりしていることは、年功序列賃金を外すということなのです。ワンセットにするならいろいろな前提条件が必要です。そこで、一般サラリーマンの人に言いたいのですが、みずから年功序列賃金を捨てなさい、そうしたら、会社に一生いられますよ。
 簡単な話ですが、それなのに自分は昔働いた、あるいは世間常識では何々大学を出て二〇年目だから、これぐらいの賃金が普通だなどと言うわけです。すると「ここは官庁ではない」と追い払われてしまうのです。
 それでは最後にまとめを申し上げます。
 終身雇用と年功序列賃金の根拠にあるのは(1)最先端産業と(2)将来の希望または保証です。それに加えて(3)全国的な貧乏があります。
 一九四〇年体制の成立にあたって、(1)は工業化(特に軍需産業)で、(2)は国家による買上保証でした(つまり統制経済)。(3)は英米との比較です。一九四五年以降もそれが続いたのは、占領行政下の「国内生産のワンセット的増強」と貿易自由化後の重化学工業中心の「輸出振興第一主義」の産業政策が理由です。
 一九六五年以降のそれは「大企業時代の到来」で、それは輸出振興がアメリカ向けに集中したからです。アメリカは大量生産と大量消費の国で、それは大企業の事業に適していました。そして日本の大企業は一九四〇年以来、半ば官庁化していたのでした。
 一九八〇年以降、日本は内需中心の成長へ移行しますが、それ以降の企業経営の革新についてはまたいつか話しましょう。
 次回もこのテーマを続けます。ご清聴ありがとうございました。
 







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