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提言5 アジアで次世代リーダーを育成し、ネットワークを構築せよ
解説:幹部・上級者の養成がなぜ必要なのか
 
(1)東南アジアの海上治安における軍の役割の限界
 
 海上保安庁が現在、海上治安面で進めている地域協力は大きく分けて2つある。ひとつは、アメリカ、カナダ、ロシア、韓国、中国、インドとの協力である。インドを除く5カ国とは「北太平洋地域海上保安機関長官級会合」を定例化24し、銃器や麻薬密輸、海上テロなどの対策について情報交換、共同オペレーションのあり方を協議している。
 多国間の枠組みによる協議のほか、2国間協議も定例化しており、ロシアと日本は、2000年の日露海上保安機関長官会談以後、北方領土海域での巡視船による密漁監視パトロールの協力を積極的に行い、双方の信頼醸成の結果、かつて頻発していたロシア巡視船による日本漁船への銃撃、拿捕事件はなくなっている。また、サハリン州で進められている石油・天然ガス開発事業にともない、オホーツク海と周辺海域で油汚染事故が起きた場合に備えて、2006年春に日露油防除総合訓練が実施される。
 インドとは「アロンドラ・レインボー」号事件の翌年の2000年から、巡視船と長官の相互訪問が毎年行われ、海賊対策の連携訓練など2国間協力がベースになっている。
 以上に取り上げた国々との協力は「対等のパートナー」が前提となっている。捜索・救助や海上治安の協力活動を展開するうえで、相互の能力面のギャップはほとんどない。このため長官や幹部クラスの意思疎通が、協力関係構築の要となる。
 日本が手がける第二の地域協力は、東南アジアとの協力関係である。これは、アメリカなどとの協力の方向性とはまったく異なる。現状では、「対等のパートナー」とはなりえないからだ。そもそも、法執行業務、捜索救助・油防除業務、航行安全業務といった海上治安に関わる統一的な指揮命令系統を持つコーストガードがフィリピン以外にない。
 他の国々では、海賊やテロ対策にあたる法執行業務は海上警察と海軍にまたがるケースが多い。海軍では日本の海上保安庁のカウンターパートとなることはできない。このため、海上保安庁の協力は限定的となる。
 もとより、東南アジア諸国間の海軍の地域協力すら難しいのが現状だ。東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議などで、「海賊問題は地域の安全保障問題」との認識では合意するものの、具体論に入ると、内政不干渉原則を拠り所とするASEANにはなじまなかった。次節で述べる海上治安組織の重要性を強調する前提として、軍事組織を主体とした東南アジアの海賊・テロ対策など海洋安全保障協力の限界について触れたい。
 1997年から2001年までタイ外相を務め、ASEANの内政不干渉原則の見直しを訴え、他のASEAN諸国の反発を招いたスリン・ピッスワン下院議員は、ASEANについて次のように振り返った25
 「1997年のアジア通貨・経済危機までは経済成長がASEANの求心力の根幹だった。97年以降は海賊、人身売買、麻薬や武器の密輸など地域にまたがる治安問題、ミャンマー民主化やスハルト体制崩壊後のインドネシア国内で頻発した分離独立運動、宗教対立などの政治問題に対処しなければ、ASEANが国際社会の信任を得られないという状況になった。経済成長を高々と謳い上げた一方で、討議を避けてきた諸問題が前面に出てきた。99年の東ティモール騒乱が収拾のつかない状況になっても、ASEANとしてどうするかという展望を見出せなかった。
 当時、ニュージーランドでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催されており、ASEANからタイ、インドネシア、フィリピン、マレーシアなど7カ国の外相も集まっていた。かなり議論をして最終的にハビビ・インドネシア大統領(当時)がASEAN有志国の平和維持部隊受け入れを決め、何とかASEANの取り組みを内外に示すことが出来た」。
 タイ政府はこの時の経験を踏まえて、ASEAN諸国の軍事組織相互の信頼醸成を図ることで地域安全保障協議を可能にしたいと考えた。タイ軍が1982年から米軍と毎年行っている合同軍事演習「コブラ・ゴールド」を2000年から多国間軍事演習に切り替え、演習に平和維持活動と避難民救援を取り入れた。
 また、同年11月には、タイの保養地ホアヒンでASEAN諸国の陸軍司令官会議も開かれた。こうした一連の取り組みによって、東南アジアでの軍事交流も一定の前進を見せている。
 だが、それでも軍事組織を主体とした地域安全保障問題への協力にはなお限界がある。「コブラ・ゴールド」を通じた軍事組織相互の信頼醸成の方向性において、米軍の思惑が常につきまとい、逆に地域協力の阻害要因ともなっているからだ。
 バンコク駐在の米統合軍事顧問団に所属し、「コブラ・ゴールド」の多国間演習への移行をタイ陸軍と協議した経験のある米太平洋軍高官によると、多国間演習移行の狙いとして、(1)アジア太平洋地域での米軍の軍事演習予算削減に伴う演習の統合、(2)米軍のプレゼンス低下を東南アジア地域の軍事的信頼関係構築で補完し、米軍が調整機能を果たせるようにする、(3)そのために麻薬密輸対策など各国が協力しやすい訓練も取り入れる――の3点があったという。
 多国間演習移行の立案段階で、「競争相手である中国を多国間の枠組みに入れることで、中国の突出した行動を抑えたい」(同高官)との判断があり、2002年にオブザーバー資格での中国参加を実現させた26
 2001年9月の同時多発テロ、2002年10月のインドネシア・バリ島爆弾テロを受けて、米軍は各国が協力しやすい海賊や武器・麻薬密輸対策を通じて、テロ対策に資するボーダー・セキュリティ(国境の警備と治安)を重視する。「コブラ・ゴールド」では、タイ南部とマレーシアの国境を行き来するイスラム過激派を念頭に、生物・化学兵器の密輸対策と防護訓練も導入された。
 イラク戦争直前の2003年2月、マレーシアは対イラク開戦に突き進むアメリカに抗議して、それまでオブザーバーとして参加実績のあった「コブラ・ゴールド」への参加中止を発表したが、タイ・マレーシア国境管理強化を求めるアメリカ側の圧力に対する反発が遠因だったようだ。「コブラ・ゴールド」そのものも、イラク戦争後、米軍の意向で正式参加国はアメリカ、タイのほかはシンガポール、フィリピン、モンゴル、日本と、イラク復興支援のため部隊を派遣した「有志連合」で構成されるようになった。アメリカの意図はどうであれ、形のうえで米軍主導の地域戦略とみなされても仕方ない27
 ちなみに、米太平洋軍は2004年にマラッカ海峡の海賊・テロ対策の一環として「地域海洋安全保障構想(RMSI)」を打ち出した。これは先のボーダー・セキュリティの延長線上にあり、マレーシア、インドネシアがアメリカへの反発を一層強める結果となった。
 一方、インドネシアは2003年10月にバリ島で開かれたASEAN首脳会議で、安全保障面でのアメリカの干渉を避ける狙いもあって、ASEAN安全保障共同体(セキュリティ・コミュニティ)を提唱した。その後、ASEAN平和維持部隊の創設、海賊取り締まりの連携強化、民主主義の推進などを柱にした行動計画案を策定したが、海洋の領有権問題、政治体制の違い、シンガポールのようにアメリカとの2国間協力を重視する立場などが複雑に絡み、異論が相次いだ。従来はタブー視されてきた政治・安全保障協議がなされたことの意義は大きいが、地域の「セキュリティ」を軍事面でアプローチすることは時期尚早の感が否めない。
 さらに、東南アジアでは、軍事組織が政治や産業と密接に結びついた過去があり、今も軍事組織の利権として残る。海上や陸上の国境警備に関して指摘すれば、麻薬や武器の密輸に軍事組織が加担している事例は以前から絶えない。
 また、国境警備が手薄ゆえ、隣接国の反政府少数民族などの組織を支援して、国境に緩衝地帯を設けてきた国があれば、宗教や民族対立を抱える国では対立を煽って緊張を作り出し、軍事組織の政治的発言力を維持してきた国もある。こうした軍事組織の体質は今も無視できない問題であり、治安対策の効果を減じているのが実情だ。各国の軍事組織が互いに相手を疑心暗鬼の目で見て、信頼醸成が進展しない要因でもある。
 

24 北太平洋地域海上保安機関長官級会合は、日本の海上保安庁の呼びかけで2000年12月、日本、アメリカ、ロシア、韓国の4カ国が参加して東京で開催された。翌年の第2回会合でカナダが参加、中国もオブザーバー参加した。2004年9月、カナダで開催された第5回会合で中国の正式参加が決まった。
25 2003年11月27日、本研究プロジェクト・メンバーである小松健一氏がバンコクにおいて行ったスリン氏とのインタビューに基づく。
26 2002年4月26日、バンコクの米統合軍事顧問団事務所において、米太平洋軍高官に対して匿名を条件に小松健一氏が行ったインタビューに基づく。
27 2004年3月10日、米太平洋軍と「コブラ・ゴールド」の運営を協議したタイ陸軍高官は、小松健一氏のインタビューに対して、「タイ軍はフィリピンの正式参加に同意したが、モンゴルに関しては突然、米軍から提示があり驚いた。最終的に同意したが、米軍はイラクに部隊を派遣したモンゴル軍との軍事協力を進めたいとの意向だった。タイ陸軍内部では、米軍はアフガン戦争でロシアの後背地の中央アジアに拠点を持った。今度は中国の後背地であるモンゴルに興味を持っている、という話で持ちきりだった」と答えている。







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