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第3部 関連資料
1. ロシア取材報告 惠谷 治(ジャーナリスト)
 
2. 安明進氏聞取り 安 明進(元北朝鮮工作員)
 
3. 北京接触について 西岡 力(東京基督教大学教授)
 
 
【関連資料1】
東京財団「北朝鮮研究プロジェクト」ロシア取材報告
 
惠谷 治(ジャーナリスト)
 
取材計画
目的 ロシアの北朝鮮専門家たちとインタビューをおこない、北朝鮮とロシアの関係の実情、および北朝鮮の核開発の現状を探る
日程 2003年11月18日(火)−12月2日(火)
 
1− 11月18日(火)午後1時に成田発。現地時間午後5時25分到着予定、吹雪のため1時間の延着でモスクワ着。金正日が宿泊したホテル・メトロポールに宿泊。3階のVIPラウンジの壁面に金正日の宿泊記念写真
2− 11月19日(水)コーディネーターと通訳と打合せ。ホテル・ベルグラードに移動
3− 11月20日(木)VDHXの原子力関連の展示館に行くが、展示物はアメリカに売却され、建物は見本市に変貌
4− 11月21日(金)コーディネーターと打合せ
5− 11月22日(土)東京新聞の中島健二記者からアレクサンドル・クレチンスキイ元ロシア連邦保安局(FSB)アジア担当部長の情報を聞く。グルジア情勢悪化
6− 11月23日(日)産經新聞の内藤泰朗支局長と情報交換。シェワルナゼ辞任
7− 11月24日(月)読売新聞の古本朗支局長、産經新聞の佐藤貴生記者と情報交換
8− 11月25日(火)午前、ドゥブナ核国際研究所国際局のパヴェル・ボゴリュボフ副局長とインタビュー
9− 11月26日(水)午前、ロシア科学アカデミー極東研究所のワディム・トカチェンコ朝鮮研究センター長および全露高麗人協会の金永雄会長とインタビュー、午後、ロシア原子力省戦略安定研究所のヴィクトル・ミハイロフ所長(エリツィン政権当時の原子力エネルギー相)とインタビュー。ヴラジミル・ボクダノフ副所長、ヴラジミル・メドヴェジェフ副所長、ヴォリデマル・ヴァラヴァ科学局副局長が同席。ホテル・ディオナダに移動
10− 11月27日(木)午前、クルチャトフ原子力研究所のアンドレイ・ガガーリンスキイ国際関係担当副所長とインタビュー、午後、国際関係大学のユーリイ・フョードロフ教授とインタビュー
11− 11月28日(金)友人のダーチャに移動し宿泊
12− 11月29日(土)ダーチャで過ごした後、モスクワへ戻る
13− 11月30日(日)モスクワ散策
14− 12月1日(月)午前、金正日夫人の故成惠琳のアパートを撮影。午後、ロシア科学アカデミー極東研究所のワシリイ・ミヘーエフ副所長とインタビュー。午後7時20分、モスクワ発
15− 12月2日(火)午前10時55分に成田着
 
■インタビューその1(2003年11月25日午前11時)
ドゥブナ核国際研究所(JINR、原子力研究合同研究所)
パヴェル・ボゴリュボフ国際局副局長(1942年生まれ)
〔事前に質問内容を提出〕
Q1. 貴研究所は北朝鮮のどの機関と関係が深いのですか?
Q2. 貴研究所は過去に何人ぐらいの北朝鮮からの留学生を受け入れましたか?
Q3. 留学生は何年から何年までいたのですか? 現在はどうですか?
Q4. 貴研究所は北朝鮮の原子力技術をどのように評価していますか?
Q5. 貴研究所の判断では、北朝鮮はすでに核武装をしていると思いますか?
 
ボゴリュボフ副局長 日本のマスコミがこういう研究所に興味を持っていることを聞いて、非常に嬉しく思います。惠谷さんからもらった質問状を見ると、非常におもしろい内容ですけれども、質問は当研究所の研究のテーマから非常に遠く離れています。もちろん惠谷さんの質問に、分かる限り答えるつもりですけれども。
 当研究所は、当初から国際組織として設立されました。ですから、みんな自由に研究所に入れました。この研究所は、もちろん兵器と初めから関係ありません。私たちは、核物理学の研究をおこなっています。ジャーナリストたちは核研究という言葉を聞いて、必ず核兵器と関係があると思っているでしょうが、私たちは物質の一番基礎的なことを研究しています。
 当研究所は、1956年3月26日に設立され、もう47年になりました。国際組織、国際研究所として設立されましたが、設立理由は純粋に研究だけではありませんでした。その一年前の1955年にジュネーブで西ヨーロッパの核研究センターが設立されました。当研究所の設立は、あの時代と直接関係があるのです。つまり、ドゥブナ研究所の設立はジュネーブの研究所の設立に対する回答だったのです。
 しかし、実際に当研究所の政治的な役割は、設立されてからすぐ終わったと言えましょう。当研究所には一番優秀な学者、世界で有名な学者が集まっていました。当時の社会主義諸国から当研究所に来ており、ほんとうに幅広い原子力研究の国際交流と、いろんな学者たちの協力の場になったのです。政治的な組織ではないことをあらわしているのは、90年代の初めに、ワルシャワ条約機構と関係があったほとんど全ての研究所は解体され、ドゥブナ研究所しか残っていないことです。それは政治的な役割がなかったからです。
 科学研究に興味を持っている優秀な学者や、かつての社会主義諸国の学者が集まって、ソ連邦が解体した後にもう一度集まって、これを残すという結論に至りました。一番重要な理由は、ドゥブナ研究所はこの研究で世界のトップになっていたからです。
 またもう一つ、当研究所の役割は、研究に加盟している国々のために専門家を育てています。現在、18か国がこの研究に参加しています。朝鮮民主主義人民共和国ももちろん一つの参加国です。ですから、質問状を見ると、私は一番目の質問に答えたことになります。特別に契約などがあるかという質問がありましたけれども、特別な契約などありません。契約とか協定はどの国ともないんですけれども、18か国は国としての加盟ですから、国として研究にいつでも参加できるということです。特別の研究所ではないので、北朝鮮などは国として研究に参加できるという意味です。
 北朝鮮との協力関係について申し上げますと、これは一方的な交流とか一方的な協力ではないでしょうか。設備とか経験などは、ロシア側にしかないのです。北朝鮮にはそういうものはありません。ですから一方的な協力です。北朝鮮の学者は当研究所に来ますけれども、ロシアの学者は北朝鮮には行きません。興味がないからです。
 最後にいつ北朝鮮に、ロシアの学者が行ったかよく覚えていませんが、ずっと昔のことです。それは研究ではありませんでした。会議があったときにレポートなどをつくって、講演するために行ったのです。
惠谷 最後に行ったのはいつごろだったか分かりませんか。
ボゴリュボフ 10年ほど前だと思います。91年のソ連邦の解体まで毎年、北朝鮮から5人ぐらいが来て研究していました。これは実際に少ない数です。ほかの国からは10人から50人ほどが来て、研究していたんです。3人か5人ぐらいというのは北朝鮮だけです。最後まで研究していた北朝鮮の学者は、92年にみんな帰国しました。その後10年間は当研究所の研究に、北朝鮮の学者は参加していませんでした。
 一年前、北朝鮮は当研究所の研究に参加することを決めました。また復活したわけです。研究に参加するためには費用が必要です。研究のためにお金を払わなければならない。しかし、ご存知のように北朝鮮は非常に貧しい国なので、費用を払うことができませんでした。去年の終わりに、北朝鮮は参加を復活させ、代表を当研究所に送ってきました。去年の終わりに、北朝鮮の若い学者が3人来ました。今年も2人が来て、今、5人が研究しています。







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