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米国大学の調査
 次に(2)1998年7月から9月に米国のジョンス・ホプキンス大学「難民及び災害公衆保健研究所」が440人の在中北朝鮮食糧難民を対象に実施した面接調査についてみておこう(注3)。
 この調査の回答者の居住地は咸鏡北道が78%、咸鏡南道が12%で、都市住民が65%、農村・鉱山村住民が30%だ。平均年齢は32.5歳。性別は男性64%、女性36%、既婚者が46%。学歴は中卒50%、高卒15%、大卒6%。職業は工場労働者29%、農民9%、鉱夫9%だ。78%が1人で中国に渡ってきたと答えている。北朝鮮脱出の動機は67%が食糧を得るためで、15%がカネを稼ぐためと答えた。42%が北朝鮮に帰る予定と語り、6%は分からないと回答した。
 この440人の難民が属する家族の総人数(本人含む)は1994年7月現在1782人だった。1995年から97年の3年間で214人が死亡した。死亡率は12%だ。また、北朝鮮にいる最も近い親戚259家族の同期間の死亡率は13%だった。この数字は先に見た、(1)わが民族助け合い仏教運動本部「北朝鮮食糧難民1694名面談調査」の死亡率のほぼ半分だ。これを用いてわが民族助け合い仏教運動本部が試みた計算を行うと1300万×13%≒170万人になる。ただしこの場合でも98年分を加えると約225万人となる。
 以上中国に脱出した北朝鮮難民を対象にした(1)わが民族助け合い仏教運動本部「1694名面談調査」と、(2)ジョンス・ホプキンス大学「難民及び災害公衆保健研究所」の440人調査を見てきたが、95年から98年の4年間の死亡者推計は(1)が470万人、(2)が225万人となる。ここから、黄元書記の証言から推計した300万人という数字の信憑性が分かる。
 その死因は狭い意味での「餓死」もあるが、栄養失調により抵抗力を低下させたための病死や凍死、食糧を求めて移動中の事故死、ヤミ行為や中国脱出を摘発された結果の処刑や拷問死、自殺や心中などすべてを含んでいるが、金正日政権が95年以降主食の配給を全国的に停止するという政策を採ったことを原因とする死だという意味では、まさに金正日政権によって殺された人々といえる。
 
米国政府の秘密報告
 金正日政権がこのように自国民を大量に殺し続けているという事実は、米国政府も中国政府も確認している。
 在韓米大使館の北朝鮮専門家ラリー・ロビンソン(LARRY ROBINSON)が1998年8月国務省に提出した秘密報告書(注4)はこう書いている。
 北朝鮮経済に対する国際社会の主要関心事は食糧不足に集中されている。最近伝えられている北朝鮮関連の断片的な報告は、ある面で過去2年間(96、97年、西岡注)の状況よりもこの夏(98年、同)の状況がましになっているようではあるが、食糧不足が深刻であるということは疑う余地がない。そして過去数年間の累積した食糧不足により北朝鮮の状況は今世紀最悪の飢饉として記録されるだろう。正確な統計はない(北朝鮮は同時にいろいろなところで相互に矛盾する途方もない嘘をついている)。しかし、黄長とローマ世界食糧機構(WFP)に派遣勤務中に亡命した北朝鮮政府官吏をはじめとする亡命者らと、韓国仏教助け合い運動の中国居住脱北者調査の結果、そして一番最近では北朝鮮最高人民会議投票者数などをもとにした中国側の調査によれば1995年以後の飢饉のための死亡者は北朝鮮全体人口の10-15%に相当する200万-300万人におよぶものと思われる。これは比率で見る時、1959-1962年の間の中国の飢饉の2倍以上になるものだ。
 また、米国のカートマン朝鮮半島平和会談担当大使も、韓国の『中央日報』との会見で、「議会公聴会では北朝鮮で飢え死にした人の数が数百万人になるという主張が出ましたが、国務省はどのように見ていますか」と尋ねられて次のように答えている(注5)。
 「誰も分かりませんよ。そのような統計はこの数年間、栄養失調で死んだ人の数字をすべて合わせたものです。その中には栄養失調のために罹った病気で死んだ人たちも含まれています。そのように見れば過去3年間に100万人が死んだという統計も理に適うものかもしれません。」
 米国政府は北朝鮮で数百万人が死んでいる事実をしっかり認識しているということだ。
 
中国政府の秘密報告
 その点は中国政府も同じだ。北京にある中国政府傘下研究機関が今年(1999年)作成した秘密報告書(注6)が次のごとく大量餓死を認めている。
 1995年の大洪水以後、国家の食糧配給は基本的に中断された。1998年清津市と茂山市では合わせて4回(正月、金日成と金正日の誕生日、建国記念日)の食糧配給があり、毎回2日分の食糧だった。即ち、365日中の8日分の食糧だ。残りは住民が自分で解決しなければならなかった。清津と茂山だけではない。カネがある者たちは自由市場(北朝鮮では農民市場と呼ぶ)に行き高価ではあるが食糧とその他食品を買える。しかし、カネのない者たちは木の皮、草の根、山菜だけを食べている。食品は極度に不足し自由市場価格は大変高いため、労働者として給料生活をする層でははるかに手が届かない。通常労働者は月80-100ウォン(北朝鮮通貨)、中佐・上佐の場合でもわずか150ウォン程度だ。このような収入で1キログラム80ウォン程度になるコメをどうして買えるだろうか。また、多くの地域ではすでに長期間月給が正常に出なくなっている。
 ある脱北者は「北朝鮮の人たちは稲の根までみんな食べる」と語った。10キログラムの稲の根に1キログラムのトウモロコシを入れ砕いて麺を作って食べ、トウモロコシは軸まで砕いて粉を作って山菜の根を入れて粥をつくり食べていると彼は話した。
 清津から来たある女性は女性たちの運命はとても悲惨だと語った。彼女らは夫と子どもの腹を満たすために数十里の道を歩いて田舎に行き食糧を交換してくるのだが、飢えと疲労で多くの人が路上で餓死しているという。
 海州から来た脱北者は「海州から清津まで汽車に乗ってくる途中で老人と子どもらが汽車の中で餓死した後、道ばたに埋められるのを直接目で見た」と語った。以上の悲惨な状況を総合するとき、1995年からの凶作により北朝鮮人口が300万人減少したという話は信じるに足る。
 
金正日の餓死政策
 金正日は大量の餓死者が出ていることを承知の上で、政策の優先順位を人民への配給を再開することにはおかなかった。十分人民を食べさせることができるだけの外貨を持ちながらも、核ミサイル開発に持てる外貨を優先的に回し続けてきた。韓国紙朝鮮日報の推計では、人工衛星発射には最低3億ドルかかる(注8)。3億ドルで国際市場のトウモロコシを買えば約350万トンになり、それだけで北朝鮮全国民の1年分の食糧になる。その意味で、金正日は餓死者を救うことができたのに意図してそれをしなかったと言える。
 朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が自らそのことを認めている。同紙1999年4月22日付けに掲載された論説は、金正日が同年初め、幹部らに対し、昨年8月の「人工衛星」(テポドン)開発と打ち上げに対して「敵は何億ドルもかかっただろうと言っているが、それは事実だ」と言明し、その上で「私は、わが人民がまともに食べることができず、他人のようによい生活ができないということを知りつつも、国と民族の尊厳と運命を守り抜いて明日の富強祖国を建設するため、資金をその部門に振り向けることを承諾した」と述べたことを伝えた。
 元北朝鮮工作員安明進氏によると、90年代後半に、大規模な餓死者が出て各地で騒動や反乱などが起きたとき金正日は「反乱が起きたら全部殺せ。餓死者は死なせておけばいい。私には2千百万全部の朝鮮人民が必要なのではなく、百万の党員がいればいいんだ」と発言しているという。
 結論的に言えることは、金正日は自国民を300万人以上、政策として殺しつつ、米・日・韓国民を数十万人殺すための核ミサイル開発を着々と進めてきたということだ。
 
 
 
 
(注3)趙甲済「数字が語る−北韓同胞3百万餓死説の統計的考察」『月刊朝鮮』1999年9月号
 
(注4)ワシントンタイムズ記者のビル・ガーツ氏が今年はじめ出版した『BETRAYAL』という著書の付録として公開したもの。日本では11月、仙名紀訳『誰がテポドン開発を許したのか』として文藝春秋から邦訳が出版された。ただし、仙名紀氏による同秘密文書の訳はいくつかの点で疑問があり、ここでは月刊朝鮮11月号掲載の韓国語訳文から重訳した。
 
(注5)中央日報1999年11月1日付け
 
(注6)月刊朝鮮編集部が入手し同誌1999年11月号でその内容を要約紹介した。ここではそれから引用翻訳した。
 
(注7)朝鮮日報1999年4月30日付け社説







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