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 現在、拉致問題について関係省庁にわたる専門幹事会が内閣官房副長官のもとで作られているが、専門スタッフは皆無である。副長官から指示があれば(実際には首相の判断の下で)関係省庁が動くというが、経済制裁を発動するには、どのような制裁を、どのタイミングで発動すれば最も効果的かを検討し、副長官を補佐する専門組織が必要である。また、専門幹事会は各省庁の調整機能しか持っていない。拉致問題を本気で解決するつもりなら、内閣総理大臣のもとに多数のスタッフを持つ専門組織を設置すべきである。「圧力」なくして北朝鮮との「対話」はできないとの認識が国民世論となったが、日本は戦後、一国で他国に「圧力」をかけた経験がない。これだけのことを行うには、副長官に対し助言や提言を行う専門組織が必要なことは、民主国家として当然のことではないか。また、これらの実施に当っては、各省庁の協力が必要となる。関係省庁を統合した総合的な戦略なしには効果的な制裁は難しい。これにより被害を受ける日本の関係業者等への保証措置などの検討も必要となる。
 北朝鮮に関する緊急事態に対応する専門組織に関しては、既に平成6年(1994年)に参考事例がある。平成5年(1993年)2月、IAEAは、北朝鮮に特別査察を求めることを決定した。北朝鮮はそれを拒否し、その上3月には核拡散防止条約から脱退すると表明した。同時に、米朝協議にのみ応じると主張し、結局、米国は協議に応じ、6月に共同声明をまとめるに至った。しかし、北朝鮮は特別査察を受け入れなかったばかりか、翌年5月、IAEAの立ち会いなしに8千本の燃料棒を抜き取った。この燃料棒を化学処理すればプルトニウム型原爆が製造できるのである。
 これに対し、IAEAは国連安保理に経済制裁決議案の準備をすすめた。日本もこれを受けて、送金停止などの準備を行ったことがある。結局、クリントン・民主党政権がカーター元大統領を訪朝させたことで制裁の実施に至らなかったが、米朝関係も日朝関係も大きな緊張状態に置かれた。結局、10月に米朝合意がなされ、米国は核開発の凍結の見返りに50万キロワットの軽水炉を提供するなどの極めて北朝鮮に有利な妥協をはかり、後に北朝鮮が約束を守らず裏切られたことは広く知られている。しかし、この時の米朝、日朝間の緊張状態はかつてないもので、米国が北朝鮮を厳しく追い込んだことも事実であったし、細川首相が政権を投げ捨てたのもこの時の緊張に耐えられなかったからと言われている。この時点で、北朝鮮に制裁を加えられなかったことが、北朝鮮に時間を与え、拉致問題を長引かせた結果ともなっている。
 この時に、政府は、石原信雄・内閣官房副長官のもとで、北朝鮮「危機対応計画」を極秘裏に作成していたと共同通信が報道している。それは第1段階から第5段階にわたる段階的な措置であった。第1段階は、国連が人的交流制限を行った時に日本人では渡航自粛勧告、船舶乗組員の行動規制等を行う。第2段階は、国連が包括的経済制裁を行った時に、日本は閣議決定で対策本部を設置し、輸出入取引禁止、外為法改正等を行う。第3段階は、国連が海上封鎖した時、日本は米軍と自衛隊との調整機構発足、自衛隊の治安出動や海上警備行動の命令検討を行う等となっている。
 第4段階は、国連が加盟国に北朝鮮への武力行使を含むあらゆる手段の行使権限を付与する決議採択、米国は在日米軍施設・区域を直接戦闘行動の発進基地として使用したいと日本と事前協議という状況を受け、北朝鮮は韓国や在日米軍施設・区域を攻撃、日本でのテロ本格化という状況を受けて、日本は防衛出動待機命令、在韓日本人への避難勧告、破防法による朝鮮総連の解散命令を行い、第5段階では、国連は、米軍などによる北朝鮮の核施設への直接攻撃、これに対し北朝鮮も日本に本格的な攻撃、ミサイル発射を想定、日本は安全保障会議が防衛出動を答申、首相が国会承認を得て防衛出動を命令、大量難民対策の実施を行うとなっている。
 94年のこの時期は、開戦前夜の緊張感があり、北朝鮮に対しても国連に対しても受動的な対応ではあったが、日本も万一の危機に備えようとしたのである。制裁はいずれも、国連が制裁を実施することが前提であり、一国で制裁するというものではなかった。しかし、段階的な制裁や必要な法案整備の検討はすでに行われていたはずで、政府は、新たな変化をも踏まえ、相当の専門スタッフを動員してこの時の研究成果を今後に生かすべきである。
 改正外為法の成立でようやく制裁カードが1枚できたが、これは決して単純な1枚のカードではなく、この1枚のカードで数字にわたる制裁ができる。例えば、禁輸指定品目をどう選ぶかで段階的な制裁が可能になる。最初の規制品目として、高級食材を初めとする金王朝の御用達品や贅沢品はすぐにでも禁止すべき品目である。特に、日本が制裁を発動したことを短時日で金正日に知らせるには、これらの品目が一番効果的だ。いずれは中国品に代替されるとしても大きな心理的効果がある。さらには、金正日政権を支える北朝鮮軍の輸送は大半が日本製トラックでその部品は今も毎年日本から輸出されている。ミサイルや核兵器の部品も大半が日本製と言われる。これらを禁輸品目に指定すれば北朝鮮軍は著しく弱体化する。特定品目の禁輸指定は、現行法の運用によっては不可能だ。外国為替及び外国貿易法による制裁品目として指定されて初めて実施が可能となる。
 制裁に対しては北朝鮮による過激な脅迫が予想される。この脅迫に関して国民の不安を解消するための心理的対策の研究も必要である。特に、制裁実施は、両国間の緊張状態を高めることになる。この緊張状態に耐えて制裁を行わない限り、被害者の救出は不可能である。それだけでなく主権や人権が冒される場合は、日本は毅然と対応する国だという印象を与えることこそが、新たな犯罪を未然に防止することになる。最初の拉致事件でこの毅然とした態度を示せなかったから、その後100人にも昇る被害者を出してしまったのである。そこで、制裁には脅迫される可能性があること、制裁しなければ核武装の完成等もっと大きなリスクがあることを国民に説明し、その上で制裁に支持を取り付けることが必要となる。これらの研究を専門組織が早急に行い、制裁を実施できる体制を作る必要がある。
 さらに、制裁の目的は拉致被害者救出にあるが、その被害者たちが今どのような状況にあるかの情報収集はまったく進んでいない。これこそ最も緊急の課題である。相手が閉鎖国家とはいえ、可能な限りの努力を行うべきだ。また、制裁の実施に当っては、緊急時に対応するために、専門組織が訓練を重ねておくことも重要である。自然災害であれ、原発事故や大規模感染症への対応、生物・化学兵器への対応でも、日頃の訓練がなければ緊急時に対応が難しい。そのために、平時の時こそ、対応マニュアルを作り、意思決定のあり方、指揮命令のあり方、マスコミへの対応等を決めておく必要がある。また、どの官庁がどの役割を担当するかも事前に定め、訓練を重ねておくべきであろう。
 制裁を実施するには以上のことを検討する必要がある。また、制裁は各省庁が別々に行えばすむ事柄ではない。各省庁を統合した総合戦略なしに制裁は実施できないのである。日本人の人権、日本の主権が侵された場合には、随時、短期集中型の専門組織が組織される仕組みを作っておき、危機管理を行わねばならない。これは日本が近代的国民国家たりえているのかが問われることであり、日本が主権と人権を守りつつ生存しようとするならば避けて通れない課題でもある。政府は、安易な期待を前提に時間を過ごすことなく、勇気をもってこれらの問題に正面から立ち向かい、拉致被害者を救出しなければならない。
 次に集団的自衛権の憲法解釈問題について一言触れておきたい。我々は前回の提言で、日米同盟強化こそが北朝鮮の暴発カードへの対抗策となると主張した。これは北朝鮮の脅迫外交にも極めて有効な対抗措置となる。テロに対しては、数百倍の報復を行うとの強い意志を示すことが最も有効なテロ対抗策である。そのためにも集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈の正常化を早急に実現すべきである。
 北朝鮮が、「制裁は宣戦布告とみなす」等の脅迫を行った場合、国民心理を支える最も有効な方法は、日米関係の強化である。現在日本は、日米安保条約に防衛を依存しながら、米軍との共同行動において実効性の確保ができていない。それは、集団的自衛権の憲法解釈問題があるからである。これまでの政府の解釈では、日本は集団的自衛権という「権利を保有するが行使はできない」とされてきた。北朝鮮から米軍への攻撃があっても近くにいる自衛隊が何の協力もしないということでは、米軍が日本を同盟国として本当に信頼するだろうか。集団的自衛権の憲法解釈問題が現状のままでは、そもそも有事への対応など考えられない。憲法解釈の変更は政府が決断すればできることだ。これで日米同盟が非常に強化され、逆に北朝鮮の脅迫は迫力がないものとなる。北朝鮮は日本を脅迫するに当って、米軍も含めた数百倍の反撃を予想せざるをえなくなる。これが国民心理を安心させる最も重要な支えとなる。平成16年3月17日に「読売新聞」が公表した、全衆院議員に対する基本政策に関するアンケート調査では、回答した議員の83%が憲法改正に賛成し、9条の改正の是非は70%が賛成している。今こそ、時勢に合わない解釈を政府が勇気をもって変更すべき時である。憲法や法律は国民の人権と国家の主権を守るためにある。今こそ、世論に遅れた仕組みの改善を急ぐべきである。
 
北朝鮮産品不買運動で飢餓輸出を防げ
 最後に、北朝鮮の非道・違法行為に対し、民間による経済制裁を行うべきことについて述べたい。
 一般に、わが子をさらって返そうともしない隣家と人・者・金の交流を絶つのは消極的対応ではあるが自然の人情であろう。人さらいに米を支援するということがどんなに異常なことかも明白である。これは隣家でも隣国でも同じことだ。このような非道に対し、怒りを持たない方がおかしい。我々は、日本人の怒りの意思を、北朝鮮産品の不買運動で表すべきだ。人さらいと商売は別という日本人の行為が北朝鮮に甘く見られ、また当局が見て見ぬふりを続けた不作為の罪の結果、1人の拉致が百人の拉致にまでなったことを反省し、民間でもできる経済制裁を行うべきである。北朝鮮産品による外貨が、金正日ファミリーの贅沢品や北朝鮮の武装強化に役立っているとすればなおさらではないか。
 なお、北朝鮮から輸出される貝類は、飢えた子どもたちが海で採ったものである。彼らはその貝類を食べることはできない。これは典型的な飢餓輸出である。金正日は北朝鮮の子どもたちを動員してアサリやハマグリなどを採取させ、それを外貨獲得のために全量輸出している。飢餓輸出に加えて児童労働の強制であり、その製品を輸入することは児童労働禁止条約に反する。
 北朝鮮が食料品、とりわけ魚介類を大量に日本へ輸出しはじめるのは1972年以降である。1982年からは卑金属および同製品に次ぐ対日輸出品目の第2位になっている。これは、債務不履行問題を背景にした外貨獲得の一環でもあった。
 近海漁業も貧しい漁民が収穫したものであるが、これも不当な対価で輸出用に収奪されている。植物性蛋白の供給がままならない中で、動物性蛋白まで収奪されているのである。これにより北朝鮮国民、とりわけ子供たちの貴重な蛋白源が失われる。かつては裂いた棒鱈をポケットに詰めてチューインガム替わりにしていたが、70年代以降はそんな光景が消えてしまった。日本政府は北朝鮮の子どもたちの栄養失調(とくに蛋白質不足が深刻)を改善するためにも北朝鮮からの魚介類輸入は全面停止すべきである。
 北朝鮮からは稲藁も輸入されている。北朝鮮の痩せたたんぼには、肥料の素になる有機物が必要だ。しかし、化学肥料が少なく、またそのほとんどすべてを韓国からの輸入に頼っている北朝鮮であるのに、土に戻すべき稲藁(有機物)までもが輸出に利用されている。これも典型的な飢餓輸出である。日本人はこのようなことに無関心でいいのであろうか。我々は飢餓輸出を受け入れるべきではない。そして、経済制裁は北朝鮮の権力者には不利でも人民に有利であると知るべきである。
 日本が経済制裁を実施しても、北朝鮮が貿易相手国を中国・韓国にシフトすれば意味がないという意見もあるが、それは品目による。日本でしか輸入できない製品が多いのである。これが北朝鮮に対する「圧力」となる。既に述べたように、北朝鮮軍を支えるあらゆる部品は日本製が多く、容易には代替がきかないものである。従って制裁効率が高い。しかし、飢餓輸出に関しては、制裁効率の問題ではない。人道上の問題として飢餓輸出を受け入れるべきではないのである。そのために日本の業者が損害を受けるなら、別の問題として対応すべきではないか。







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